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琥珀色の隠れ家――放課後の王子様たちは、背景な私を逃さない  作者: 寝不足魔王


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最終回:琥珀色の午後

 七月上旬。

 梅雨明けを告げる強い陽光が、商店街のアスファルトを白く焼き、蝉の声が遠くで震え始めていた。

 『喫茶 琥珀』の入り口に嵌められたステンドグラスを透かし、店内の使い込まれた床に、赤や青の極彩色の光が落ちる。六月のあの嵐のような日々が、もう遠い昔のことのように思えるほど、店の中には穏やかで、深い焙煎の香りが満ちていた。


「……ただいま。誠司さん、陽葵ちゃん」

 カランカラン、という乾いたベルの音と共に、聞き慣れた、けれどしばらく遠ざかっていた温かな声が店内に響いた。

 カウンターの奥で豆を挽いていた手が、止まった。

 リハビリ用の杖を突きながら、けれど自分の足でしっかりと床を踏みしめて、志乃さんが店に戻ってきた。その後ろで、いつも以上にぶっきらぼうな顔をした誠司さんが、大きな荷物を抱えて立っている。

「……お帰りなさい、志乃さん!」

 私は、カウンターの中から飛び出さんばかりの勢いで駆け寄った。

「あらあら、陽葵ちゃん。そんなに慌てて……。留守の間、お店を守ってくれてありがとうね」

 志乃さんは、少し痩せたけれど、以前よりもずっと力強い微笑みを私に向けた。彼女はゆっくりと、自分の「城」であるカウンターの特等席に腰を下ろした。

 誠司さんは言葉少なに、けれど、再会を祝うための最高の一杯を淹れるために、静かにケトルを火にかけた。シュンシュンと鳴る沸騰の音、豆が膨らむ香ばしい匂い。私がボロボロになりながら、三浦くんやおじさんに支えられ、王子たちの執着を跳ね除けてまで守り抜きたかった「琥珀色の聖域」が、今、完璧な形で再生したのだ。

 私は志乃さんの隣に立ち、この場所の空気が、かつてないほど澄み渡っていることを、熱い視界の端で実感していた。


 昼下がり。

 一番暑い盛りを過ぎた頃、再びドアベルが鳴った。

 入ってきたのは、一ノ瀬蓮くん、如月奏くん、橘駆くん、千ヶ崎響くんの四人だった。

 かつて彼らを追っていた「聖華守護騎士団」の影は、もうどこにもない。彼ら自身も、学園を騒がせる特別な「王子」という仮面を外し、ごく普通の、少し端整すぎるだけの高校生として、そこに立っていた。

「……志乃さん。退院、おめでとうございます」

 一ノ瀬くんが、四人を代表するようにして、志乃さんへ丁寧に、けれど「一人の客」としての節度を持って声をかけた。

「まあ、一ノ瀬さん。ご丁寧にありがとう。……陽葵ちゃんから聞いていたわよ。皆さんが、お店の常連になってくださったって」

 志乃さんは、彼らの変化をすべて見通しているかのような慈愛に満ちた目で微笑んだ。

 彼らは三浦くんに屋上で突きつけられた「日常の経験値」の差、そして自分たちの愛がいかに陽葵の背景を壊していたかという教訓を、今も胸に刻んでいる。彼らは陽葵を特別な女神として拝むのを止め、この店の風景に溶け込む「一人の客」として定着することを選んだのだ。

「……いらっしゃいませ。いつもの、でよろしいですか?」

 私は、不自然な気負いもなく、自然な笑顔で彼らに向き合った。

「ああ。……お願いするよ、佐倉さん」

 一ノ瀬くんが短く答え、四人はいつもの席へと座る。それは、三浦くんが引いた「日常の境界線」が、この店において一つの美しい調和ハーモニーとして完成した瞬間だった。


 王子たちが静かに珈琲を楽しみ、店を去った後。

 入れ替わりで、騒々しい音を立てて扉が開いた。

「おー、おばさん退院おめ。……佐倉さん、あんたもやっと肩の荷が下りたって顔してんな」

 カウンターの端。いつもの定位置に、カバンを放り出した三浦翔太くんが座っていた。

「三浦くん。……ありがとう」

「ん? 礼ならもう聞いたわ。……俺、いつものコーラ。冷えてんの頼むわ」

 三浦くんは相変わらずのチャラいノリで、瓶のコーラをラッパ飲みし、大きな欠伸をした。

 彼は最後まで、愛だの運命だのという重い言葉を口にしなかった。けれど、私が一番辛かった時に日常を繋ぎ止めてくれたのは、この「おせっかいな隣人」だった。

「……あんた、もう石ころじゃねーんだから。たまには、その日誌以外にも目向けろよ?」

 三浦くんはクスクスと笑い、空になった瓶をカウンターに置いた。

 特別な王子たちの「沈黙」と、三浦くんの「日常」。

 その両方が、今の私の背景せかいを支えてくれている。


 私は、カウンターを拭きながら、店内に満ちる穏やかな時間を噛み締めていた。

 志乃さんの笑い声、誠司さんの不器用な相槌、そして三浦くんの勝手な独り言。

 私は、自分が透明な「石ころ」に戻る必要がなくなったことを、確信を持って悟っていた。

 彼らという鮮やかな色彩を、自分の「背景」の一部として受け入れ、私はその中で、私自身の名前で生きていく。


 私は、もう自分を殺さない。

 この琥珀色の空気の中で、私は私として、明日もここで珈琲を淹れ続ける。


 忙しく立ち働く私の姿を、カウンターの端で、三浦くんがいつものように欠伸をしながら眺めている。

 そんな、どこまでもありふれた、琥珀色の午後の風景の中に、私は確かに、私の幸せを見つけていた。


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