表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
琥珀色の隠れ家――放課後の王子様たちは、背景な私を逃さない  作者: 寝不足魔王


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/33

第二十一話:偶像の摩耗と、夜の逃避行

 放課後を告げるチャイムが学園の喧騒に溶け込むのと同時に、如月奏くんはいつものように完璧な「王子様」の微笑みを身に纏い、校門の前に待機していた黒塗りの送迎車へと吸い込まれていった。

(……如月くん、今日もあんなに囲まれて。仕事、大変なんだろうな)

 私は校舎の窓から、走り去る車の残像をぼんやりと見送った。学園の太陽として、一分の隙もなく輝き続けることを宿命づけられた彼。その重圧がどれほどのものか、今の私には想像することしかできない。


 送迎車の分厚いスモークガラスの向こう側で、奏くんは深くシートに身を沈めていた。

 けれど、彼に息をつく暇など与えられない。

「奏くん、今のうちにSNS用の自撮りお願い。ハッシュタグはこれね」

「次の現場まであと十五分。ラジオ用のボイスコメント、車内で録っちゃいましょう」

 マネージャーの矢継ぎ早な指示に、奏くんは脳を通さず、筋肉の記憶だけで口角を上げる。スマートフォンのレンズに向けられる、曇りのない「如月奏」としての瞳。

(……笑え。期待に応えろ。光り輝け)

 頭の中にこびりついた強迫観念が、彼の精神を薄く、鋭く削り取っていく。

 撮影スタジオ、ラジオ局、そして深夜にまで及んだ雑誌のインタビュー。

 何千回というフラッシュを浴び、何万という無責任な熱狂をその身に受け止めるたびに、彼の中にある「人間」としての芯が、音を立てて砂のように崩れ落ちていく感覚に陥る。

 日付が変わる頃、ようやく解放された彼は、自宅マンションの少し手前で送迎車を降りた。

「……少し、歩きたいんだ。頭を冷やしたくて」

 そう言ってマネージャーを振り切り、彼は夜の帳に包まれた路地裏へと足を踏み入れた。


 同時刻、深夜の『喫茶 琥珀』。

 誠司さんは志乃さんの病院に付き添うため、一足早く店を出ていた。

「陽葵、戸締まりだけはしっかりな。……今日はもう客は来ないだろうが」

 そう言い残した誠司さんの言葉通り、店内には私一人だけが残り、明日の準備と後片付けを進めていた。

 ジャズのレコードを止め、メインの照明を落とす。琥珀色の残り火のような間接照明だけが、カウンターを静かに照らしている。

(……よし、これで終わり。あとはゴミを出して——)

 カランコロン。

 静寂を裂いて、ドアベルが微かに鳴った。

 驚いて入り口を振り返ると、そこにはパーカーのフードを深く被り、肩を震わせながら立ち尽くす奏くんの姿があった。

「如月……くん? どうして、こんな時間に」

「…………」

 奏くんは何も答えず、おぼつかない足取りでカウンターまで辿り着くと、崩れ落ちるように椅子に腰を下ろした。

 フードの奥から覗く彼の瞳は、光を失い、ひどく摩耗していた。

「……終わったよ。……今日も、如月奏を……完璧に、やり切ってきた」

 その声は、掠れて、今にも消えてしまいそうだった。

 学園でも、テレビの中でも見せることのない、剥き出しの疲弊。誰にも言えない本音が、深夜の『琥珀』という名の避難所で、ようやく外へと漏れ出したようだった。

 私は、志乃さんから授かった攻略法——「一人の人間として接する」という言葉を思い出した。

(今の彼に必要なのは、アイドルとしての称賛じゃない)

「……お疲れ様。奏くん」

 私は「如月くん」ではなく、あえて彼の名前を呼んだ。

 奏くんは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに力なく視線を落とした。

「……奏くん。今、あなたの疲れを溶かす、特別なやつ淹れるからね。少しだけ、待ってて」

 私は志乃さんのレシピにあった、深夜にだけ許されるミルク珈琲の準備を始めた。

 温めたミルクの柔らかな白。そこに、深煎りの豆の濃厚なエキスをゆっくりと落としていく。仕上げに、志乃さんの栞にあった「秘密の蜂蜜」をひとさじ。

 偶像として燃え尽きそうな彼を、優しく包み込み、眠りへと誘うような、穏やかな温かさ。

「……はい。奏くん、これ飲んで」

 湯気を立てるカップを、彼の冷え切った指先の前に置いた。

 奏くんは震える手でそれを包み込み、立ち上る湯気に目を細めた。

「……温かい。……志乃さんの珈琲はいつも苦かったのに、君の淹れるこれは……すごく、優しい味がする」

 一口啜るごとに、彼の強張っていた肩の筋肉が、ゆっくりと解きほぐされていく。

 沈黙が心地よく店内に満ちていく。

 ここでは、誰も彼に「如月奏」を求めない。

 ただ珈琲を飲み、呼吸を整える。その当たり前の日常が、今の彼にとっては唯一の救いだった。

「……ありがとう、陽葵」

 奏くんは最後の一滴を飲み干すと、ふっと憑き物が落ちたような、穏やかな笑みを浮かべた。

「……ここに来ると、自分がただの人間だって思い出せる。……明日もまた、如月奏として笑える気がするよ」

 彼は立ち上がり、フードを被り直した。

 カウンターに置かれた空のカップ。そこには、一人の少年が自分を取り戻した確かな痕跡が残っていた。

「……おやすみ、陽葵。また、明日」

 奏くんは夜の闇へと、静かに消えていった。

 私はその背中を見送りながら、志乃さんの言葉の意味を、深く噛み締めていた。

 琥珀色の静寂の中で、私の淹れた一杯が、誰かの魂を繋ぎ止めている。

 その確かな手応えが、私の胸を温かく満たしていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ