第一話 配属
封筒が机に置かれた。
まだ乾ききっていないインクの匂いがする。自分の上司である神谷は顔を上げず、印鑑をまっすぐに押した。乾いた音が一度だけ。
「辞令だ。**仮想犯罪対策課(VR課)**に異動しろ」
一拍遅れて、紙の端が俺のほうへ滑ってくる。
奇怪なほど簡単に書かれた文字に罪はないが、私はそれを睨んでしまっていた。
「理由を、お伺いしてもよろしいでしょうか。私は第一課で、まだ——」
「お前の熱意も、要領の良さも十分わかってる」
「ではなぜ——」
「上からだ」
神谷はペン先を止め、ようやく視線を上げた。
その目がどんな心情なのか、俺にはわからなかった。
「それと、ANOTHERWORLD派出所に柳っていう優秀な奴がいたんだが、負傷で二か月離れることになった。お前が入れ」
「……僕がですか?」
神谷は封筒を軽く押し返し、短く息をつく。
「向こうは“ゲームみたい”に見えるが、仕事は同じだ。頑張れよ」
「……承知しました」
「二か月後、お前がどこに立っているかは結果で決まる。第一課に戻りたいなら、ここで結果を出せ」
神谷は机の端に置いていた小さな鈴を指で鳴らして、書類を束ねる。もう私など見てもいなかった。
「それ持って、そのままVR課へ行け。——噂だが、あそこは色物ばっかりって話だ」
「それは自分も聞いています」
立ち上がると背筋が少し伸びた。
封筒は思ったより軽い。だが中身は、どうしようもなく重い。
ドアノブの金属が冷たい。振り返ると、神谷はもう次の書類に印を押していた。
「行ってこい」
それだけ。
◇
非常口の先に、半階だけ降りる短い階段。
手書きで「13.5階」。
金属扉にはコピー紙。〈仮想犯罪対策課(VR課)〉。
「(ここが……)」
ノックして、開ける。
中は普通に思えた。
打ちっぱなしの壁に安物のデスクが四つ。
違うところと言えば、ものすごくでかいテレビと、バカでかい冷蔵庫が五つあることくらいか。
「あ、君が柳さんの後釜?」
見ると、自分と同年くらいの女だった。
勤務中だというのに菓子を頬張っている。
「ああ、二か月だけ——」
「私は理葵。喉乾いたでしょ。飲む?」
渡してきたのは缶の発泡酒だった。
私は缶をデスクに置く。
「結構です。それよりここって——」
「ああ、そうだよね。じゃあ中いこうか」
中? ここが中じゃないのか?
意味が分からなかった。
「このパソコンで管理するんじゃないのか?」
「それは運営がやってるんだよねー」
理 葵はバカでかい冷蔵庫の中へ入っていった。
冷蔵庫ではなく、人が入る機械だったらしい。
「はいはい、ほら入って」
「おじゃまします……」
中は想像よりも広かった。
そして何より、まぶしい。
『強制離脱キーワードの設定』
突然、頭の中に誰かが語りかけてくる。
「誰だ!」
俺の問いかけを無視するように、淡々と説明は続く。
もしアナザーワールドから強制離脱したい時のキーワードを設定しろと。
「……そんなのはなんでもいい」
『キーワード【そんなのはなんでもいい】に設定しました』
次に、自分の体が消えた。
消えたというより、青くホログラム化した。
『身長、体重、骨格……【BlueID】により、素体として登録しました』
他にも色々言っていたが、ゲームに疎い俺はそれ以外理解できなかった。
目の前に五十音のリストと『ニックネーム』と書かれたホログラムが浮かぶ。
『ニックネームを選択してください』
「(ニックネーム……)」
この課にいる自分の気持ち、自分のやりたいことを思い出し、『カゲ』と登録した。
『初期設定完了しました。ようこそ《ANOTHER WORLD》へ』
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