第17話 キャンセルされた仕事
「春田さんが言ってたの…村田さんは男にだらしなくて、それで離婚したんだって。今も色々な男の人と...」香子の言葉は途切れたが、その意図は明らかだった。
尚子は頬が熱くなるのを感じた。怒りではなく、恥ずかしさと悲しさが混じった複雑な感情だった。
「香子さん、それは違います。私は...」
「違うの?」香子さんは少し困惑したように尚子を見た。
「でも春田さんが...」
「春田さんが何と言おうと、それは事実ではありません!」尚子はできるだけ冷静に言った。
「私は夫婦関係がうまくいかなくて離婚しただけです。他の男性とは...」
「でも、お金に困ってるでしょう?だから男の人に...」
尚子は深呼吸して、感情を抑えた。
「香子さん、そういうことは一切ありません。春田さんは...なぜそんなことを?」
「わからないわ」香子は急に疲れたように肩を落とした。
「でも、春田さんはあなたのことを心配してるみたいだったわよ」
心配。…なんと、皮肉な言葉だ。
尚子は黙って掃除を続けた。
途中、香子が小さな声で「でも、あなたは優しいのよね」とつぶやくのが聞こえた。
****
その日の終わり、事務所に戻った尚子は重い足取りでデスクに向かった。記録を書きながら、今日の出来事を反芻していた。
「村田さん、ちょっといい?」佐藤は尚子を小会議室に呼び入れた。
「実は...松下雪子さんと田中香子さんの家族から、ヘルパーを春田さんに変更したいって、さっき連絡があったの」
「え?」尚子は信じられないという表情で佐藤を見つめた。
松下雪子と田中香子は、尚子が特に良い関係を築けている利用者だ。いや、その筈だ。
「変更の理由は何ですか?」…何かの間違いでは?
佐藤は少し躊躇ったが、正直に答えた。
「春田さんの方が仕事ができて早いって。尚子さんは優しいけど、手が遅いからって...」
「……」ショックで言葉が出ず、その場に立ち竦んだ。
何とか小会議室を出た時、高橋ゆりが近づいてきた。
「お疲れ様!」
「どうしたの?暗い顔して」
尚子は少し迷った後、小さな声で状況を説明した。利用者の態度の変化、香子から聞いた噂の内容。そして、春田への担当ヘルパー変更…
ゆりは眉をひそめた。
「信じられない!...春田さんがそんなことまで?」
「何か私が知らないうちに、春田さんを怒らせたのかもしれない…」
「あなたが悪いんじゃないわ!」ゆりはキッパリと言った。
「前にも言ったでしょう!これは春田さんの…」
その時、休憩室のドアが開き、春田が出てきた。
彼女は尚子とゆりの方をチラリと見ると、わざとらしく明るい声で言った。
「あら、村田さん。今日の訪問先、どうだったの?みんな元気だった?」
尚子は一瞬言葉に詰まった。春田の目には、どこか挑戦的な光が宿っている。
「はい、あの…」尚子は曖昧に答えた。
「そう。よかったわ」春田は笑顔を浮かべながら、デスクに向かった。
「あ、そうそう。松下さんと田中さん、来週から私が担当することになったわ!佐藤さんから、もう聞いたわよね?」
尚子は黙って頷いた。
「そうなのよね、現実って…厳しいわね!!」春田は満足げに自分の椅子に座った。
「私の方がテキパキ動けるし、できるヘルパーだからって言われたのよ。村田さんは丁寧だけど、ちょっと遅いってね。仕方ないわねぇ」
尚子の胸にまた小さな痛みが走った。
自分はまだまだ駆け出し。確かに仕事は春田さんに及ばないけれど、丁寧にしたことは、利用者のためを思ってのことだった。でも、それが「遅い」と評価されるなんて…
その時、佐藤が小会議室から出てきた。尚子の消沈した様子、春田の得意げな顔を一瞥して言った。
「村田さん、春田さんと話し合った方がいいわ!」
「……」尚子は俯いたまま。
「はぁ…」春田はそっぽを向いた。
「利用者さんたちを、あンタたちの争いに巻き込んだらダメよ!」
佐藤の目は優しかったが、その声は毅然としていた。
尚子は静かに立ち上がった。
「春田さん…話がしたいです!」
春田は少し驚いたように尚子を見上げた。
周囲の空気が一瞬で変わった。事務所にいた他のスタッフたちも、二人の方に視線を向けた。




