鳴き声
「探偵? その若さで」
しまった。遥香は思う。慌てて弁明した。
「いや、探偵というか、その見習いというか何というか」
「大学生?」
「はい、そうです」
それを聞いて納得したらしい。ふんふんと何度もうなずいている。おそらくミステリー研究会に入っているとでも思ったのだろう。
「見てみます? 現場? 現場っていうのもちょっと大仰だけど」
美代子はアーチ型の門のなかを指さした。男の子、拓海がお母さんの後ろに隠れる。
「大丈夫だよ。怖いことはしないから」
遥香はそうなだめてみたけれど、さらに体をすくめるばかりだった。
「すみませんね。いつもは人懐っこい子なんですけど」
美代子が頭を下げる。
「さあ、中へ」
案内されて進む庭は芝生も刈りそろえられ、庭の主の几帳面さが感じられた。
玄関のドアを開けると、靴が整然と並べられていた。美代子がスリッパを出してくれる。あたたかい今日のような日にふさわしい涼しげなスリッパだった。
「あの、スリッパ……」
「麻でできているスリッパなんですよ。ちょうど季節がいいと思って最近ひとそろい買ってきたんです」
「へぇ、失礼します」
靴下越しにでも伝わる麻の感触が心地よかった。フローリングの床にそっと足を下ろす。
「それで、もともとお皿があった場所というのは……」
「こちらの廊下の先です」
美代子さんが指した先には長い廊下が広がっていた。外光をとるための大きなガラス窓がいくつも取り付けられている。
「もともとあのお皿は夫が義父から相続したもので、先祖代々受け継がれてきたものでした。十一代目柿右衛門の作と伝わっています」
つきあたりがお座敷になっていた。昔ながらの日本家屋という感じで床の間があり、畳が敷き詰められていて、武者人形や掛け軸が飾られている。
「あそこにお皿があったんですね」
遥香は空白になっている木製の皿台を指さした。美代子がうなずく。皿台の大きさが実際のお皿も大きかったことをうかがわせる。
「最近、このあたりは空き巣が多いんです。おとといも二軒隣の家に空き巣が入ったとか。うちは大丈夫だろうかと心配していた矢先のことだったので。ただ不思議なのはこのお皿以外まったく盗まれた感じじゃないんです。荒らされた様子もないですし」
「現金は?」
「財布も通帳も大丈夫でした」
遥香はあたりを見回してみる。審美眼や鑑定する技術はないけれど、五月人形も牡丹の描かれた掛け軸もそれなりの価値がありそうな気がする。もし、犯人が空き巣だったとして、彼らにそれらを見分ける目が備わっていただろうか?
「そのお皿というのは陶器ですか?」
「ええ。見たところ陶磁器のような気がしました」
空き巣だとすればそんな壊れやすいものをピンポイントで狙うだろうか? 遥香は座敷を見渡した。他の部屋と同じく整然と片付けられている。
一つだけ気になることがあった。廊下とお座敷の間に一つ、廊下に一つ、一足のスリッパがばらばらに散らばっていた。しかも、ふかふかの羽毛がスリッパの中に敷き詰められている。
「これ、冬用のスリッパですよね?」
美代子さんに確認する。
「ええ。でもなんでこんなところにあるんだろう?」
そう美代子さんは首をかしげた。
「最近、ここ数か月ほどお客さんにスリッパ出したことありましたか?」
「いえ、そんなちゃんとしたお客さんを迎えたのなんてお正月以来で」
遥香はちらっと拓海を見た。後ろ手に指を組んでいる。
「拓海くん、その絆創膏どうしたの?」
できるだけ優しい声で聞く。拓海は何も言わずもじもじしていた。
「正直に話した方がいいと思うよ。ママに」
遥香は拓海の肩をゆっくりと押さえながら顔をあげさせた。拓海と美代子の瞳が重なり合う。
「……どういう意味ですか?」
美代子が遥香に聞いた。
「ほら、拓海くん。拓海くんの口から説明するんだよ」
「拓海……?」
拓海はそれでもまだ告白することをためらっているようだったが、遥香が背中をぽんぽんとたたくと、重い口を開いた。
「お皿、僕が壊しちゃったの」
「……なんですって」
美代子は信じられないという顔で遥香と拓海を交互に見た。
拓海は何も言わずに廊下のカーテンの後ろからごみ袋を引っ張り出してきた。陶器の大きな破片がいくつも入っている。
「拓海……。なんで正直に言わなかったの!」
「だって、怒られると思ったから。ごめんなさい」
拓海の頬に涙が伝った。
「怪我は? 指は大丈夫?」
「うん。ちょっと切っただけだから。もう血も止まったよ」
「よかった。よかった……」
美代子さんは拓海の指をさすりながら言う
「どうして分かったんですか?」
「そのスリッパです」
「スリッパ?」
遥香はうなずいた。
「そのスリッパは明らかに冬用のものでした。今日みたいな暖かい日に冬用のスリッパが転がっているのはおかしい。それに、これほど几帳面に片づけをされる方がスリッパだけ片付けないのもおかしいと思いました」
「でも、どうして拓海だと?」
遥香は少し考えながら言った。
「少し前にお茶碗か何か割られませんでしたか?」
美代子さんはけげんな顔をしている。
「はい。つい一週間前に拓海の茶碗が割れてしまって……」
「やっぱり。そのときに拓海くんは見ていたんです。割れたときに、近づいちゃだめ。破片を踏んだらケガするから、とでもおっしゃったのでしょう。なので、拓海くんは怪我をしないようスリッパをはいた。でも、拓海くんは冬用のスリッパの場所しか知らなかったんです」
「なるほど。なるほど。なるほど」
美代子さんは何度もうなずいている。だが、すぐ我に返ったらしい。
「どうしよう。三十万円もするお皿が……」
無理もない。遥香は思う。盗まれていたり、紛失していたりするのだったら戻ってくる可能性がある。でも、壊れたお皿は絶対に戻ってこない。
「拓海、何をやってたの? どうしたら割れちゃったの?」
「ボールで遊んでたら、当たっちゃって。パリンって」
拓海が肩をすくめる。美代子が頭を抱えた。
「あの、拓海くんのお父さんは厳しい方なんですか?」
「普段はそこまで厳しいというわけではないんですが、怒るときには怒る人だから。なにぶんずっと受け継いできたお皿なので、何と言われるかちょっと分からないです」
拓海の頬に涙が伝った。遥香はハンカチを出してその涙を拭く。
「一応彼にLINEはしておきました。それでどう彼が思うかは分かりません。お皿にどれほどの思い入れがあったのかも」
そう遥香に言ってしまってから、美代子は拓海に向きなおった。
「拓海、あなたの一番良くなかったことはね。お皿を割ったことそのものよりも、きちんと正直に教えてくれなかったこと。そのために私はあともう少しで警察に連絡しようとしていたんだから。そしてこのお姉ちゃんだって……」
美代子がはっとする。
「あ、まだお名前うかがってませんでしたね。そう言えば、私もきちんと名乗ってませんでした。本当に失礼なことを。私、伊藤美代子と申します」
私は表札を見て知っていたのだが、知らなかったていで遥香も自己紹介する。
「私は天道寺遥香と申します」
そう言って、大学名と学部を伝える。あとでトラブルになってはいけない。きちんと学生証も見せた。
「遥香さんには、見知らぬ私たちのためにここまでしてもらってありがとうございました。結果は残念でしたけど、本当に安心しましたし、この子のためにも真相を明らかにしてもらって良かったです」
「いえいえ、そんな……」
美代子が何度も頭を下げている。遥香も恐縮してぺこぺこする。
「何かお礼をしないといけないですね」
「そんな滅相もない。私は自分の興味本位でお手伝いしたまでですから。かえってご迷惑だったのではないかと……」
「いえ、それではこちらの気持ちがすみません。できればここにご住所を」
不承不承に出されたメモ帳に住所と氏名を書いていると、静けさにまぎれて家の奥の方からニャー、という鳴き声が聞こえた。