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はるか、かなた  作者: 翡翠
幽霊はベルを二度鳴らす
17/22

生きている? 死んでいる?

 夜だというのにその門は開いていた。

 おそるおそる敷地のなかに入ると、広大な庭が広がっていた。薔薇、ライラック、ハナミズキ。薄明りのなかに丹念に手入れされた花壇が並ぶ。西洋のものだろうか、石畳を進んでゆくと、高価そうな彫像が左にも右にも整然と置かれていた。

 安アパートに住んでいる自分の身と引き比べて妬みたくなるのを押し殺しながら、玄関の前まで来た。玄関もやはり少し開いている。ドアの隙間から奥へと長い廊下が続いていた。

 不用心にもほどがある、そう思いながら、明かりの点いている方へ導かれていく。電気のついていた部屋は、客間のような広間だった。中東風の絨毯が敷かれていて、燭台があちこちに見え、吹き抜けの天井にはシャンデリアもかかっている。

 だが、どうやら一番いてほしかった探偵は不在らしい。だだっ広い部屋の中にはきょうだいだろうか、自分よりも明らかに若い、少年・少女と言っていいほどの男女が二人。

星蘭はがっかりしながら、時計を見る。午後八時。男たちが言っていた時間にはあっていた。待たせてもらうことにしよう、と思った。

「あの……」

 少女の方に呼びかける。少女はあわてたようにこちらを向いた。

「はい、なんでしょう? ご相談でしょうか?」

 星蘭はうなずく。

「ええ。こちら天道寺探偵事務所でお間違いないですか?」

「はい」

「幽霊に関するご相談をしたいのですが、担当者の方はいらっしゃいますか?」

 少女は少年と顔を見合わせている。そして書棚からファイルを取り出し、お互いにうなずいた。

「私が所長の天道寺遥香ですが」

 少女が言った。星蘭は少年と少女を見比べた。

「助手の進藤奏多です」

 少年が頭をさげる。

「え? あなたたち、いくつ?」

 つい、大声をあげてしまう。

「十八ですけど」

 遥香という少女があからさまに不機嫌そうに言った。

「同じく」

 助手の方は比較的冷静である。

「なーんだ。探偵なんていうから、どんな怖い人が出てくるかと思えば、こんな……」

 そこまで言って口ごもる。子どもとはいえ、こちらが依頼する立場だ。そのくらいの分別は星蘭にもあった。

「あなたたちにきちんと調査ができるの?」

「祖母のころから当社の実績はございます」所長の方がいかにもうっとうしそうに言った。「もし、ご信頼いただけないのならお帰りになられては?」

「お嬢様!」

 助手が鋭い声でたしなめる。そして何やら耳打ちしたあと、少女もしぶしぶうなずく。

助手(こっち)の方は常識があるらしい。お嬢様などという呼び方は漫画やドラマでしか聞いたことがないが、つまりは甘やかされて育ってきたのだろう。そう星蘭は判断した。彼女の祖母がどれほどの実力だったのか知りようもないが、祖母がいかほどの人間にせよ、この小娘とは関係がない。容姿もそれなりにいいようだ。ちやほやされて思い上がるタイプに違いない。

「お座りになられますか?」

 遥香がいかにも嫌そうにテーブルの椅子を引いた。

「お客様を立たせたままにしておく気? 接客業をやるなら少し態度を考えた方がいいと思いますよ」

 しごく丁寧に言ってやる。世間知らずのお嬢様には直接的に言って、少し思い知らせた方がいい。

 星蘭に飛びかかりそうになる探偵を助手が押さえている。なかなかの美形じゃないか、とこんなときに思うけれど、あの遥香とかいうお嬢様にはいつも苦労しているのだろう、目の下にはくまができていた。

「さあ、お座りください」

 奏多が席に着くよう、うながしてくれた。

「あなたも大変ね」そうねぎらってやる。「いつもこの探偵さんのお守りをしてるんでしょう?」

 奏多も何のことを言われているか気づいたらしい。頬骨のあたりをそっとなぞる。

「いえ、たしかに疲れてはいますが、原因はまったく別のことで……」

 その瞬間、奏多が小娘に頭をはたかれた。かわいそうに。少しでもあの探偵気取りに歯向かうと、ああいう仕打ちを受けるんだろう。星蘭は奏多に憐みの視線を送った。どうやら奏多もそれに気づいたらしい。微笑みで返してくれる。

それに気づいた小娘がもう一度奏多をはたく。今度は背中だ。たぶん、彼女は嫉妬しているんだろう。主従関係でなく彼と心を通わせている私に。悪いことをした。星蘭はそう悔やみながら席に着く。今度は奏多と目線を外してやった。

 女探偵は大きく息を吸っている。何をもったいぶっているのか。

「それではご用件をお話しいただけますか?」

「ちょっと待って、その前に……」

 テーブルの上のカップに目をやる。どうやら紅茶とココアを飲んでいたらしい。自分たちだけ、飲み物を飲んで、客である依頼者には何も出さないなんて。星蘭はそのまま怒鳴り散らしそうだったが、どうにか抑えて言った。

「私もちょっとのどが渇いちゃった。飲み物ある?」

 小娘も奏多も今ようやく気づいたようだった。

「申し訳ありません。行きとどきませんで。お飲み物は何がよろしいでしょうか?」

「紅茶をお願い」

 丁寧な口の利き方をする小娘を星蘭は少し見なおした。そして奏多の評価を少し下方修正する。探偵が目で合図して、奏多が奥へと消えていった。

「それから」

「まだ何か?」

 さきほどから黒猫がずっと足もとにつきまとってくる。ぐるぐる回りながら、星蘭を物珍しそうに見つめていた。

「この黒いのをどこかにやってくれる? これから話そうっていうのに邪魔でしょう」

 探偵は少し不服そうだったが、マープル! と猫の名を呼び、抱き上げるとそのまま籠の中に入れた。

「大変失礼いたしました」

 と探偵は頭を下げたが、籠に入れるときに「ごめんね、マープル」と言ったのを星蘭は聞き逃さなかった。

「それではまずお名前をお聞かせ願えますか?」

「……加藤星蘭」

「かとうせいらん?」

 人の名前を聞いて、そんな顔をするなと言ってやりたいところだが、我慢してきちんと教えてやる。

「加えるに藤、夜空の星に、蘭の花の蘭。加藤星蘭」

「なるほど……、加藤星蘭」

 きっ、とにらんでやる。人の名前を呼び捨てにするとはどこまでも舐めた小娘だ、と静かに憤った。

「加藤星蘭……様」

 まったく子どもを相手にするのは疲れる。星蘭はげんなりした。

「それで、ご用件は」

「夫が……、私のマンションにあらわれたの」

「夫?」

「正確には元夫って言った方が正しいかもしれない。ねぇ、生霊って、あなたはいると思う?」

 探偵は考えこんだ。

「怪談話とか昔の本には出てくるようですが、私たちはまだお目にかかったことがないですね。おそらく生“霊”という名前がついていますが、幽霊とは別の概念なんじゃないでしょうか?」

 今度は星蘭が考えこむ番だった。

「私、夫と別れてから、彼と会ってないの。彼が生きているのか死んでいるかも分からない」

「……その方のご年齢はおいくつですか?」

「もし、生きていたら二十三くらいだと思う」

「二十三!」

 探偵は急に驚いた声を出した。なぜこんなに驚くのだろう、と星蘭は思う。彼女は春明のことについて何か知っているのだろうか?

「失礼いたしました。もし、連れ合いの方が亡くなられていたとして、その方が加藤様に未練を残されるような事情がおありだと思いますか?」

「そうねぇ。たぶん、いっぱいあると思う。離婚届を置いて何も言わずに出てきてしまったから、私。春明はびっくりしただろうし、私のことを本当に大切に思ってくれていたから、きっとショックも大きかったはず。あ、ありがとう」

 話している最中に、奏多が紅茶を持ってきてくれた。薄いレモンが表面に浮かんでいる。

「加藤様」

 探偵が深刻な表情で言った。

「何?」

「これはひどく厄介なことになるかもしれません。明日、ご一緒いただくことは可能でしょうか?」


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