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はるか、かなた  作者: 翡翠
猫は舞い降りた
14/22

ふるさと

 尾藤淳一は二階にある書斎の幅広い窓から自分の庭に見慣れない軽トラックが入ってくるのをじっと見つめていた。

 防犯カメラのある方向を確認し、運転手が若い男であることを確認して、手に持っていたパターをゆっくりと壁に立てかけた。ゴルフボールは幅の狭いマットの上を揺らめき、カップの周りを半回転して、ぎりぎりで止まった。

 淳一は歯ぎしりをする間もなく、階段をかけおり、彼の妻を怒鳴るように呼んだが彼女はママ友と一緒にランチへ出てしまっていて、家にはいなかった。

 淳一は一度、二度かぶりを振ると、玄関を乱暴に開けた。そこにはすでに若い女性が何かの勧誘に来たかのように不自然な笑顔で立っていた。

「よいお知らせを持ってまいりました」

「牛乳なら……間に合っています」

 少し間が空いたのは相手を怒鳴りつけようとして、だが、相手が選挙区の有権者であるかもしれないことを思い出し、無理やり丁寧な言葉に変えたからである。

「いえ、牛乳ではありません」

 相手は笑みを崩さずに言う。

「じゃあ、新聞」

「いいえ」

「株」

 相手は首を横に振った。徐々に苛立ちが募る。

「では、何かの教材か?」

「ご自宅から盗まれたものを取り返してまいりました」

 おもむろに運転席から降りてきた男が言った。

「盗まれたものだと?」

 語気がだんだん強くなる。男は軽トラックの荷台に置いてある段ボールを指さした。慌てて中を確認すると、父親のコレクションらしき美術品が丁寧に梱包されて入っていた。

「これを盗んだのはおまえらか?」

「いいえ」女が短く言った。「お聞き逃しでしたか? 私はそれを取り戻してまいったのです」

「誰が盗った?」

「どうかそれは詮索なされぬよう」

 女が耳元でささやく。

「そういうわけにはいくか! 全部合わせて何千万にはなるものだぞ」

 女がもう一度耳元でささやいた。淳一の顔が少しずつ青ざめる。

「……分かった。それでおまえたちにいくら払えばいい」

「代金はいりません」

「きな臭いぞ。何がある?」

「私たちはすでにお父上から依頼を受けておりました。報酬は必要ありません」

 淳一の肩の力が一気に抜けた。

「親父から?」

 淳一は臨終前の父親のうわ言を思い出した。そういえば取り返せ、取り返せ……、とつぶやきつづけていた気がする。取り返せ、とはてっきり自分の市議会での議席のことだと思っていたが、この盗品のことだと思えば納得がいく。

「分かった。よく、やってくれた」

 そうねぎらいの言葉をかけながら、病院で数か月間寝たきりだった親父がなぜ美術品が盗まれたことを知り、こんな業者に依頼することができたのだろうか? と疑問に思うけれど、差し当たり庭に置いてあるものの方が重要なので、いったんそのことは棚にあげておく。男と協力して美術品をテラスの窓際まで運び込んだ。

 あらかた運びこんでしまうと女の方が言った。

「尾藤様、ひとつご確認いただきたいことが」

「なんだ?」

 相手の深刻な様子に少し警戒する。

「ごみのようなものが美術品に紛れてかなりあったのですが、どのように処理いたしましょうか?」

 なるほど。美術品の段ボール類とは別にして、プラスチック製の箱の中へ指定のごみ袋が山積みになっている。

「いかがいたしましょう?」

「捨てておけ」

「承知いたしました。すべて捨てておきます」

「待て」淳一は財布から一万円札を二枚取り出した。「取っておくといい」

 女はもぎとるようにして、その万札を受け取ると何度もお辞儀をした。

「用が終わったらさっさと帰れ。近所の目もある」

 淳一はしっ、しっ、と追い払う真似をした。それをみた業者二人は軽トラックをがたつかせながら帰っていった。

「下衆が」

 そう吐き捨てると煙草をズボンの右ポケットから取り出し、火をつけた。


「うまく、いきましたね」

 バックミラー越しに奏多が笑う。

「親父なら気づかれかもだけど、少なくとも息子は調べなかったからね」

 舗装してない道にさしかかり、軽トラックが横に大きく揺れた。荷台のごみ袋がずれ、その合間から二枚の絵画があらわになる。

「でも、面倒くさい。いちいちこの軽トラ、レンタカー会社に返しにいかなきゃいけないんだもん。もう一回バスを乗り継がなきゃ」

「それくらい我慢してください。きちんと依頼料も回収できたわけですから」

「ま、そっか。あともう少しの辛抱だからね」

 遥香は流しのジョーを仲介にして換金を終えると、再び今井家のブザーを押した。

 六郎が間髪おかずに出てき、二人を招き入れる。

 障子の破れかけた居間に通されると、ちゃぶ台の上に熱いお茶が二杯置かれた。

「六郎さん、お受け取りください」

 遥香は分厚い封筒を差し出す。

「二百万入っています」

「そんな……。こんなにたくさん」

 六郎は土下座をするようにその封筒を受け取る。

 奥の部屋から唸り声が聞こえた。

「失礼、女房です」

 六郎はそういうとふすまを開けて出て行った。十五分くらい経っただろうか、六郎は駄菓子を持って再び居間へ戻ってくる。

「六郎さん、この地区から新しい市議が立つそうですよ」

「ほう、そうですか」

 六郎は二人の湯飲みにお茶を継ぎ足す。どちらの湯飲みも縁の部分が欠けていた。

「若くかなり評判のいい市議候補のようです。深山(みやま)愛実(めぐみ)さんという……」

「ああ、深山さんのところの下の子でしょう。あの子は小さいころから優しい子でした。よく回覧板を持ってきてくれたりしてね」

「尾藤正臣の息子の方は当落線ぎりぎりのようです」

「……ああ」

 お父さん、お父さん! ふすまの向こう側から声が聞こえる。

「すみません」

 六郎は膝を立てて立とうとしたが、よろけた。もう一度、よいしょとかけ声を出して立ち上がる。

「六郎さん」

「なんですか?」

「ここを離れることを考えてみませんか?」

 六郎の喉からぐぅ、というくぐもるような音が鳴った。

「失礼ながら、多恵さんの介護もそのお年ではだんだんときつくなってくるでしょう。この土地を売れば、お二人で介護施設に入るぐらいのお金はできるはずです」

「俺たちはずっとここで暮らしてきたんだ。ずっと……二人で」

 居間の窓から尾藤正臣の邸宅が小さく見える。そこはあの数年前に売り渡した元今井家の土地だった。

「あなたのこの土地への思いと、多恵さんとどちらが大事ですか?」

 そう言って、遥香は立ち上がった。そのまま奏多をうながし、六郎の家を後にした。

「お嬢様、良かったんですか?」

 乗客が三人だけのバスに揺られながら、奏多が言う。

「ここから先は本人が決めることだよ。私たちが決めることじゃない」

 奏多はマープルの入ったキャリーバッグを抱えたままうなずいた。

「奏多、帰ったら卵焼き作ってくれる? うんと甘くしておいてね」

                             (了)


今回のタイトルはジャック・ヒギンズの「鷲は舞い降りた」より取りました。

ハードボイルド物の元ネタが二作続けてはどうなんでしょう笑


それではまた次のあとがきで!

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