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はるか、かなた  作者: 翡翠
猫は舞い降りた
13/22

だまし合い

「おそらく、この骨董品は尾藤に返すおつもりだったのではありませんか? 彼と交渉し、正当な土地の代金を払ってもらったうえで」

 遥香が責めるでもなく言った。

 しばらく六郎は沈黙していたが、観念したといわんばかりに口を開く。

「ああ。もし、正臣さんが少しでもお金を支払ってくれるのならすぐに返すつもりだった。ただ、間の悪いことにちょうどそのころ、正臣さんの具合が悪くなり、そのまま亡くなってしまったんで、結局返さずじまいに……」

「お気の毒ですが、あなたがどういうつもりでも、それは窃盗ということになります」

 奏多が顔を伏せながら淡々と言う。

「分かっとる!」

 六郎は叫んだ。

「分かっとるが、いまさらどうすればいい。警察に言うわけにもいかん。どうすればいい。どうすれば……」

 あわれな老人は頭を抱え込んでしまった。

「……分かりました。私が何とかしましょう」

 遥香が言った。一気に老人の顔が明るくなる。

「ですが、もし私が補えたとしてもあくまでその当時のあなたが売った土地の正当な地価分までです。それ以上は私にも依頼人がいるかぎり、利益相反になりかねません」

 老人はりえきそうはん、とその難解な言葉を反芻していたが、おおよそのニュアンスを察したのだろう、ゆっくりとうなずいた。

「奏多、ここからはあなたが判断して」

「え?」

 奏多はきょとんとした顔をしている。

「尾藤から預かった契約書あるよね」

「はい。ありますけど」

「もし、これから私のすることが不合理なことだとあなたが思えば、私の邪魔をしていいから」

 遥香は奏多の顔をのぞきこむ。

「いつも言ってるけど、感情に左右されないでね。あなたは依頼人の利益を代表してるの」

「……承知しております。ではさっそく依頼人を」

「ちょっと待って、その前に呼んでおきたい人がいる」

 

 尾藤晴臣が朦朧とした意識を抜け出すと、自分がにっくき相手の庭にいることに気づいた。

「尾藤様、大変長らくお待たせいたしました。事件が解決しましたのでご報告いたします」

 遥香がうやうやしく頭を下げる。

「ふん、界隈で評判がいいからあんたを雇ったが、ずいぶんかかったな」

「恐れ入ります。こちらもいろいろな事情がございまして。ただ、ごらんのとおり、尾藤様の盗まれていたお品物はすべて取り返しました」

「ちっ」

 尾藤は舌打ちをしながら、六郎の方を向いた。

「ついでにあの野郎も警察にしょっぴいておけ」

 六郎は強く奏多の手を握った。奏多の目を通して尾藤の姿も見えている。震えながらそっと奏多の後ろへ隠れた。

「窮鼠猫を噛むと申します」遥香は静かに言った。「あまり小さな鼠を追い詰めすぎない方がよろしいのでは?」

「なんだ、おまえ、あんなやつの味方をするのか?」

「いいえ、滅相もない。ただ、あの人が警察に行き、なぜ盗難をしたか供述をした場合、尾藤様に不利な証言が出てこないかと心配になりまして」

「不利?」

 尾藤の顔色が変わった。

「ええ。どうやら、ご子息の淳一(じゅんいち)さんは、正臣様の選挙区から市議として出馬されるご予定とか。もし、何かしらの問題が発生したら困ったことになりはしませんか? たとえ契約上問題がなかったとしても、地価よりも相当安い値で土地を売られたと醜聞がたてば、新しい市議の評判に傷がつくのではないかとご心配いたします」

「おまえは探偵のくせに依頼人を脅す気なのか?」

「いいえ。私はただ懸念事項を述べているにすぎません」

 尾藤は獣のようにうなった。

「くそ、分かった! 警察はなしだ」

 六郎がほっと胸をなでおろす。

「それでは尾藤様。さっそくですが成功報酬についてお話合いできればと思います」

「成功報酬だと? ちんたらちんたら仕事をしていたくせに、自分の得になることだけは手が早いな」

 尾藤は遥香をじっと睨んでいたが、戻ってきた骨董品を一瞥してにやりと笑った。

「これとこれでどうだ」尾藤は二枚の絵画を指さす。「子どもみたいな絵と、恐ろしいほど暗い絵だ。お前ら二人にはお似合いだろう。だが、それもすんなり手に入るかは分からんがな」

「致し方ありません。承知いたしました」

 遥香はそっと頭を下げる。少し離れた場所にいる奏多は拳を強く握った。マープルは自分の顔を器用に前足で搔いている。

「それでは霊界(あちら)へお帰りいただけそうですか?」

「無論だ。それからな、小娘」

「何でしょう?」

「おまえらの思惑がすべてうまくいくと思うなよ」

 遥香と奏多は尾藤が消えてゆくまでじっと見守っていた。

「は、ははははは!」

 遥香が透きとおった青空の向こう側まで聞こえそうなくらいに笑う。

「ジョー、出てきていいよ」

 その呼び声に小屋の後ろ側から、ひょろ長い三十ばかりの男が顔を出した。

「終わったか。あいつはどの美術品を指名した?」

里見勝蔵(さとみかつぞう)鴨居玲(かもいれい)。真筆だよね」

「ああ。見まごうことなき真筆だ」

 ジョーと呼ばれた男はその世界ではよく知られた美術鑑定人だ。正確には流しのジョーと呼ばれている。もちろん日本人で、本名ではない。方々にさまざまなネットワークを持っていて、そのネットワークを利用した鑑定精度も、裏のマーケットに流すための流通網も折り紙つきである。

 遥香が大げさに腕を組みながら二枚の絵の前に立つ。

「里見勝蔵は巨匠ヴラマンクの流れをくむ日本の代表的な野獣派(フォービスム)の画家。一見、陰鬱に見える鴨居玲のタッチは本人の深い自意識を反映している」

「それはさっき俺が言ったセリフそのままだろ?」

 ジョーが高らかに口上を述べる遥香にあきれながらつっこむ。

「ばれた?」

 遥香が大きく舌を出して見せる。

「暗いって、もしかして僕のことですか?」

 奏多は自分の顔を指さしてみせる。

「そうだろうね。でもって、子どもっぽいってのは私のこと?」

 二人は顔を見合わせて微笑む

「はぁ?」

 二人の声が重なった。

「ふざけるなっての! 奏多、これ依頼料としてもらっちゃっていいよね?」

「もちろんです。ご自身が権利を放棄されたんですから」

 温厚な奏多も憤りを隠せなくなっている。

「でもよ」ジョーが二人の間から冷静に言った。「このままいけば、おまえらこそ泥棒ってことになるだろ? もとの持ち主のおっさんは死んじゃってるわけだしさ。そのへんどうするつもりよ」

「大丈夫。それもちゃんと考えてる。ぬかりはない」

 遥香はジョーに向かって親指を立てた。


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