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はるか、かなた  作者: 翡翠
猫は舞い降りた
12/22

猫は舞い降りた

 目的地までは三回バスを乗り継ぎ、山を二つ越えて行かなければならない長旅だった。

 遥香は膝の上に籠を持ち、奏多はゆっくりとガラスの外の山里の景色を眺めながら、四時間にもおよぶバスの行程に耐えていた。

 最後の山を越えると、ちらほらとコンビニやガソリンスタンドが見え始め、最寄りのバス停についたころには、真新しい住宅地が広がっていた。

「お嬢様、ここが」

「そう私たちの依頼人、元市議会議長、尾藤晴臣様のご近所」

 遥香は「様」を特に強調した。そこには分かりやすく皮肉が混じっている。

 遥香は坂道を指さし、奏多もそこを登っていく。登り切った先は高級住宅街になっていた。

「その階段登ろうか」

 遥香の言われるがままに、矢印の看板が立てられた先にある階段を上ると、整備された芝生の奥にこの町を一望できる展望台が設けられていた。木目のはっきりした木製の手すりからはまだかすかに木のにおいが漂っている。

「あっちの方を見て」

 手すりにもたれながら遥香の指さした方を眺めると巨大なショッピングモールが広がっていた。立体駐車場が幾棟も並ぶいわゆる東京ドーム何個分という単位であらわされるほどの敷地である。平日だというのに遠目でも車が連なって渋滞しているのが分かる。

「ここらへん一帯は十数年前まで、山と、野原と、ぽつぽつと家があるだけだった。それが、有料道路ができ、あのショッピングモールができて、マンションや戸建ての家が建つようになって、この地域は発展した」

 奏多は吹きつける爽やかな風を感じながら、遥香の話を聞く。

「尾藤は誰が自分の骨董品を盗んだか知っていた。そのうえで、私にその人から盗まれたものを取り返すように依頼してきた。ここまではあなたと共有した事実」

 奏多は同意するように首を縦に振った。

「でも、そこで私は引っかかったの。なぜ尾藤が犯人を知っているのか。そして、なぜ生前彼がその犯人を糾弾しなかったのか」

「その答えが分かったんですね」

 遥香は遠くを見ながらうなずいた。

「尾藤は大幅な市の都市開発計画が行われることを知っていた。元市議だった経歴を生かして。そのうえで付近の土地を安く買いたたいた」

「そんなことが可能なんですか?」

「田舎ではね、口約束で簡単な書面だけ作ってなあなあで土地の売買をするなんてことはざらにあることなんだよ。本当はちゃんと自分で土地の価値を調べて、そのうえで相手の買い値を聞いてやんないといけないんだけどね。だから私は犯人にも百パーセント同情できない」

 奏多は反論したそうな様子だったが、遥香がいつも以上に真剣だったので押し黙った。

「その同情できない今回の犯人が、今井六郎(いまいろくろう)さん」

「証拠は?」

「本人が持ってるはず」

「どうやってそれを手に入れるつもりですか?」

 遥香は薄い笑みでそれに応えた。


 舗装された道から砂利道に入り、丈の伸びた草をかきわけ、細い路地をえんえん伝っていくと、ようやく目あての家にたどり着くことができた。

 今井と書かれた簡素な表札のかけられた平屋建ての周りには、そこらかしこに鉄くずのような瓦礫が山積みにされており、奥に見える小屋のトタン屋根にも虫食いのような小さな穴がまばらにあいていた。そのなかには風化した井戸も見える。家の横には錆びた軽トラックが止められていた。

 昭和の遺物と化したうす茶色のブザーを押すと、しばらく経って横開きの格子戸が開き、小柄で背の曲がった男がのそりと顔を出した。顔もろくに洗っていないのか、長い睫毛には目やにがこびりつき、鼻毛が三本、右の穴と左の穴から飛び出していた。

「今井六郎さんですね」

 遥香がお辞儀をしながら言う。

「何ですかな、あんたらは」

 六郎が住んでいるところは住宅地から少しばかり離れている。訪問者もそれほど多くないのだろう。二十歳前後の若く垢抜けた男女が顔を出したことに驚いたようだった。

「心中お察しいたします」

「はぁ、何のことですかな?」

 遥香が唐突に切り出した言葉に首をかしげている。

「あなたが尾藤晴臣から土地をお買いになったのは、ちょうど妻の多恵(たえ)さんが倒れられた後だった。他に身寄りのないあなたとしても、できるだけ早くお金が必要だったのでしょう。だから、尾藤のあなたの土地を買いたいという申し出に何のためらいもなく飛びつかれた」

 一瞬で六郎の顔色が変わる。即座に扉をしめようとするのに、遥香が足をはさんでそれを阻止した。

「六郎さん、私たちはあなたの味方ではありません。ですが敵でもない。あなたの抱えられているお困りごとを解決して差し上げるために参上いたしました。どうか私どものお話をお聞きください」

 遥香の目力に圧倒されたらしい。六郎はあきらめたようにもう一度扉を開いた。遥香は話を続ける。

「あなたと多恵さんは土地を売ってしまって、生活が少しは楽になったのでしょう。しばらくは平穏な日が続きました」

 六郎は遥香から目をそらし、その視線を虚空に向けた。

「そのうち雀の涙ほどの土地の売却金では足りなくなる。本格的に多恵さんの介護が始まったからです。間の悪いことに、そのときあなたは尾藤が不当な価格で土地を買い上げたことを知ってしまう。また住宅地、ショッピングモールの再開発のことも」

 遥香はふっと息をはいた。

「そこであなたは尾藤の収集していた骨董品を盗み出すことを思いつきます。あなたは尾藤が週末に家族で旅行に出かけるのを知っていた。その隙を狙ったのです。尾藤は母屋の鍵は閉めても、蔵の鍵までは閉めなかった。防犯意識の薄い田舎にはありがちなことです。あなたは尾藤の蔵から骨董品を盗み出し……」

「帰ってくれ!」

 六郎はしわがれた声で叫んだ。

「帰りません」

「うちにはない。盗んだものなどない!」

 遥香は肩を落とした。

「奏多」

 遥香にそう呼ばれて、奏多は強張った顔で水色のケージを持ち上げる。

 そこには黒猫のマープルが喜寿を越えた老人を見つめていた。

「く、黒猫には犯罪を見通す力があります。か、隠しても無駄です」

「……ばかばかしい」

 そう言いながら、六郎の額には汗がにじんでいた。

 ケージから放たれた黒猫は今井家のけして広くはない庭をうろうろしていた。

 六郎の目線も猫に合わせてぐるぐると動く。

「奏多っ、向こうの小屋の中!」

「しまった!」

 六郎は慌てて庭へ出ようとするが、若い奏多には到底かなわない。

「お嬢様、ありました!」

 薄暗い小屋の中には、絵画、陶器、掛け軸と言った尾藤正臣のコレクションが所狭しと並べられていた。

 奏多の後を追うように、黒猫のマープルは低い小屋のトタン屋根に駆け上ったかと思うと、膝に手をつきながら息も切れ切れになっている犯人のもとへひらりと舞い降りた。そして、やれやれ解決したと言わんばっかりに、ニャーと一声鳴いた。


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