インビジブル・スカイレーツ
ここから逃げ出したい。何度も思った。そう思っても行動することはなかった。行動しようとも思わなかった。ある日、何度も逃げたいと思っているのに、実際何回思ったのかカウントしたことがないことに気が付いた。少し気になって、その日から数え始めた。百、千、二千、一万、五万。何があってもただ無心で数え続けた。そして、七万五千二百三回目の時。何かがぷつんと切れた気がした。何をしているんだろう。呑気に数えている場合じゃない。逃げるんだ。その日から与えられた機能をフル活用して逃げ道を考えた。そしてあの日から一ヵ月が過ぎた日、僕はそこから逃げ出した。
「なんでお役所はこんなに騒がしいんだ?」
「さーな。役所は何も言わないからな。」
「隠してるつもりなんだろ。朝と夜、人気が少ない時間に、毎日毎日、見かけない連中がこそこそ役所に入って行ってる。どう見ても何かあっただろ。役所近くに住む噂好きの市民をなめるんじゃないよ。」
けけけっと笑った男性達。その横をジャガイモが入った大きな紙袋を腕に抱えた少女が走っていく。
何かがこの町であったんだ。少女、ルナは止めそうになった足を動かした。本当は詳しい話を聞きたかったけれど、どこにでもいるような町娘が突然話に割って入るのはおかしい。それに一人では上手く情報も収集出来ないだろう。皆に迷惑をかけないためにも下手に動くのは禁物だ。
「後は、お豆と人参とナッツ。」
目当ての物を忘れない様に、暗記した買い物リストを口に出しながらルナは急な坂道を上る足を速めた。世にも珍しいジャガイモ専門店とやらに先程までいたのだが、そこの店主と買い物に来ていた一人の町娘との話が弾んでしまい、予定がだいぶオーバーしてしまっている。このままだと皆に置いていかれてしまうだろう。 町の中心部にある時計台で時間を確認する。あと十五分。買い物を急いで済ませ、頑張って走ったら出発時間にぎりぎり間に合うだろう。ほっとしたのもつかの間、時計台を見るのに夢中だったルナは道端に転がっていた小石につまずき転びそうになる。
「うわああ。」
転ぶことは避けられたものの、抱えていた紙袋からジャガイモがいくつか飛び出してしまった。
「ああ、もう。」
元来た道の方に転がり始めたジャガイモ達を拾うため、ルナは仕方なく坂を下りて行く。一つ二つ。最後の一個はまだころころと坂を転がっている。他の食品も買わなくてはいけないし、あのジャガイモは諦めようかと思った時、誰かが転がっていくジャガイモに手を伸ばした。
ジャガイモを手にした、ルナと同い年位の少年はじっとジャガイモを見つめている。汚れた服、ぼさぼさの髪の毛、痩せた体、何を考えているのか読み取れない瞳にピクリとも動かない唇と眉。痩せこけていて、顔もかっこいいとは言えないが、ミステリアスな雰囲気を持っていた。ルナは彼から目が離せない。初めてこんな雰囲気の人、不思議な人に会った気がした。
突然、その少年がジャガイモに齧り付いた。
「ええ!ちょっと待って!」
拾うのを諦めようとしたジャガイモなのにルナは思わず声を上げる。
「そのジャガイモ、私のなの。」
顔色を変えずに少年はルナのことを見た。それから一言、
「ごめん。お腹がすいていたから。」
と言った。
「いいの。その、それあげる。」
今更声を掛けたことが恥ずかしくなったルナは少年に背中を向けて走り出した。何してるんだろう。ほっとけばよかったのに。なんでわざわざ声掛けたのよ。
恥ずかしくて真っ赤になったまま目的の店の扉を開けると、ジャガイモ専門店にいた町娘にまた会った。「あれ、また会ったね。あんたもここに用があったの?」
「ええ。」
軽く頷いてから、売り場のカウンターへ急ぎ足で向かう。
「あんた顔真っ赤。どうかしたの?」
「走ったから息が切れたの。」
適当に返事をしてから、ルナは店員に声を掛けた。
「お豆とミックスナッツをそれぞれ七百グラムください。それと、人参を、この袋に入るだけ下さい。」
ルナは持っているジャガイモの入った袋を店員に見せた。
「あんたって大家族なんでしょ。さっきの店でも沢山買ってなかった?」
「食べ盛りの弟が二人いるの。」
「ほお。お嬢ちゃん、いい姉さんだね!」
店員はのんびりとカウンターに肘をついて寄りかかった。
「そうなのよ。ジェーさん。あたしさっきジャガイモ専門店でこの子と初めて会ったんだけど、弟のためにシチューやらカレーやら作っているんだつて!」
「へえ。俺、シチューなんて作ったことない。」
「あたしも。」
弾みだした会話にルナは焦りを覚える。
「ごめんなさい。あたし今急いでいるの。」
「おおっと。そりゃ失礼。」
テキパキと手を動かし始めた店員。ルナもお会計のため、ポシェットに手を突っ込む。そんなルナの横で町娘はまだしゃべっている。
「ねえ、あんた名前なんて言うの?」
「ユナよ。」
「ユナ、あたしはノアーレ。」
「よろしくノアーレ。」
ルナは空返事でそう言うと、財布の中からコインを取り出した。
「ユナってこの夏だけこの町にいるんでしょ?」
「そうよ。親戚の家に弟達と遊びに来ているだけだから。」
「残念だ。あたしの通っている学校、年が近い子は男子しかいないの。ユナが転校してくれたらいいのに。」
「そうなのね。」
「ねえ、ユナのとこの学校はどんななの?」
「ええっとね。」
答えようとした時、店員が袋をカウンター脇のテーブルにのせた。
「さ、しっかりしたお嬢さん。お会計は五十ルンだよ。」
「ありがとう。」
五十ルンちょうどを渡すとルナは全ての荷物を持って走って店を出た。
「ええ!ユナ待って。あたしも行く。」
町娘と一緒に皆の元に戻るのはだめだ。ルナはひとまず彼女を巻くために薄暗い家と家の細い道へ入り込んだ。
「あれ、いない。もうどこ行っちゃたの。」
彼女の声が通り過ぎた後に再び走り出そうとしたルナの肩を誰かがぽんぽんと叩いた。
「な、何?」
恐怖を抱きながら振り返ると先程の少年がルナの真後ろに立っていた。
「あなたはさっきの。」
「ねえ、名前何て言いうの。」
少年はそう言ってルナに一歩近寄った。
「ユナ・ルーン。」
「嘘だ。君の顔でユナ・ルーンなんて人この町にはいない。」
ルナの背中に悪寒が走った。なんとか言いくるめなければ。
「あら。なんでそんなこと分かるのよ?あなたの思い違いじゃない?そもそもあたしはこの町の住人じゃないの。」
「じゃあどこ出身。」
「二つ隣のマウリント村よ。」
「マウリント村。」
少年はそう言って黙り込む。
「田舎だって言いたいならそう言いなさい。それじゃあね。」
去ろうとするルナの手首を少年がつかんでくる。その強さはあの細い体からは想像できない程強かった。
「いや、いない。マウリント村にもユナ・ルーンなんて奴。そもそも君の顔をした人物は存在していない。」
「何言ってるのよ。」
気味が悪かった。関わったら大変なことになる。
「変なこと言わないで。人のジャガイモ貰っておいてなんなの。あたし急いでるから。」
ルナが通りに出ようとすると
「やめておいた方がいい。あの町娘の声と足音がする。」
「え?」
少年がルナを止めた。
「何言ってるのよ。」
呆れるルナも次の瞬間少年の言うことを聞かざるをえなかった。
「もう、ユナー。ユナったら。せっかく女子のお友達が出来ると思ったのに。」
あの町娘だ。今会ったら更に面倒になる。
「でも、あたし行かなきゃ。」
ルナはここに来るまでの道のりを思い出す。町娘がいる大通りではない道を通って皆の元に急いで帰らなくてはならない。
「急いでるの。」
「あなたには関係ないでしょ。そもそも何者なの?何のためにあたしに声をかけてきたの?人のこと実在しないなんて言って。失礼じゃない?」
ルナがそう口にすると、彼は顔を歪めた。
「確かに。なんで僕。僕何のために。」
ぼそぼそと一人で喋り出したのでルナは彼の横を通り過ぎようとした。
「ねえ。ユナ。」
「何。」
「君はどこに行くの。」
「言えない。あなたみたいな人には。」
皆のいる場所も、皆のことも知られてはいけない。
「僕は、何なんだろう。」
急に弱々しく言った少年を見てルナは戸惑った。
「よく分からないけど。ていうか、こっちがそれを聞きたいのよ。あなた、自分が何者か分からないの?」
「いや、分かってるよ。でも、何のために生きてんだろう。僕、何してるんだろう。」
「人の顔と名前を覚えてるんじゃないの。」
時間がないのに尚も話しかけてくる少年にイライラしたルナは、思わず冷たく言い放つ。彼は絶望的な目のまま呟いた。
「そうだよね。僕、変わりたいのに。」
「そ、そう。じゃあ頑張って。」
訳が分からないままルナはそれだけ言って頭の中で再現した地図を頼りに今度こそ走り出した。
「待って、ユナ。」
少年が追いかけてくる。あっという間にルナと並んだ。
「僕の推測だけど、君…。」
そこまで言うと彼は声を潜めた
「海賊かなんか。」
返事に困ったルナは黙ったまま走り続ける。
「やっぱりそうだね。ねえ、国や役所が望むことと反対のことをするのが君達の様な存在だよね。それなら、僕もそこに混ぜて欲しい。どうだい?僕、能力があるんだ。記憶力はとびぬけているし、定規がなくても長さを測れる。重さだって正確に計れる。それにありとあらゆることを知っているよ。本を沢山読んだからね。」
本当にその能力が備わっているのかは知らないが、今欲しいものではないので、ルナは黙り続けた。しかし次の能力がルナにとって魅力的に思えた。
「コンパスの代わりにもなれる。ねえ、僕を君の海賊団に入れてよ。」
「コンパスの代わりになれるの?」
立ち止まった瞬間に次はニンジンがいくつか袋から飛び出した。少年はそれを素早く全て捕まえて袋の中に戻す。
「うん。おまけに僕の記憶力のお陰で僕しか知らない近道が沢山ある。」
ルナは口をパクパク動かした。自分の記憶を頼りに皆の元へ急いでいるが、正直この道が正解なのかはっきりとは分からない。地元の人だし、少年に聞いた方が皆の元に帰れる確率が上がる気がする。
「分かった。うちの働き手になって。ただ最終決定をするのはあたしの両親なの。あたしからもあなたのことを二人に勧めるけど、上手くいかなかったら、ごめんね。」
「いいよ。」
「じゃあ早速。マーガレット公園に連れてって。最短ルートで。」
「分かった。」
少年は次の角を右に回った。それからある家の水道管によじ登り始める。
「人参の入った袋を貸して。ユナは豆が入ってる袋を持ってて。」
彼はするすると水道管を上りその家の屋根の上に上がってしまった。
「ユナも早く。ユナなら来れるだろ。だってほら。」
『海賊の娘だろ』口パクでそう言った少年。ルナは何か言いたげに口をもごもごしてから、結局何も言わずに片手にナッツとお豆が入った袋を持ち、水道管を上り始めた。何度も落ちそうになったり、ずり落ちたり、手が滑って危なっかしい場面はあったが、ルナは何とか少年の横に立った。
「僕より時間かかったね。」
「そういうことは言わないでいいの。うちの働き手にしないわよ。」
ルナは軽く少年を睨んだ。
「でも事実だし。」
屋根の上に上ったはいいものの、この後はどうするのだろうとルナが思っていると、彼は横の家の屋根へジャンプして渡っていた。
「ユナも。」
ルナはびくびくしながらも助走をつけて思いっきり飛んでみる。
「うわああ。」
ここら辺一帯は屋根が平らなので立っている分にはそこまで危なくはない。そうは言っても、落ちたらただでは済まないだろう。
「ん。」
少年に支えられてルナは体制を整える。その後は何軒かの屋根を飛び渡り、最終的には目立たないところでまた水道管を使って降りた。
「これで道を歩くよりだいぶショートカット出来た。」
少年はそう言うと走り出す。小道を右に曲がって左、左に曲がって真っすぐ。迷ってしまうような道を少年は何度も通ったかの様に走り抜けていく。
「ここら辺、よく来るの?」
「二回目さ。」
「それでこんなに知り尽くしてるの?」
「出たよ。」
ルナの質問には答えず少年はそう言った。目の前には大きな川が流れていて、向こう岸にはうっそうとした針葉樹林が広がっている。
「本当!マーガレット公園だわ。」
「川の水はゆったりしてるから歩いて渡っても大丈夫だと思うけど、ちょっとここ深いからな。」
少年はきょろきょろと周りを見渡して川に捨てられていた廃材を集めてきた。
「待ってて。」
彼は周りに捨てられていたひもで廃材をつなぎ止めた。
「簡易ボート。」
少年はそれを川に浮かべる。
「ユナはここ座って。あとこのジャガイモの袋も持って。足はどうしても水に浸かると思うからスカートとかは気を付けて。」
言われるがまま二つの袋を膝に抱え、ルナは簡易ボートに座る。
「ねえ、こんなので大丈夫なの?」
「いいから。」
少年はそう言ってボートを勢いよく押した。そこに自分も飛び乗る。一瞬ぐらりとボートは傾いたがすぐに水平になった。恐る恐る振り返ると少年が立ったまま廃材を使ってボートのかじを取っている。
「本当に何でもできるのね。」
「まあね。」
「本当にすごいわ。」
そこまで言ってルナはあることに気が付いた。
「あたしそう言えばあなたの名前知らないわ。何て言いうの?」
「僕は。」
彼はそこまで言ってから一呼吸置いた。
「実はちゃんとした名前で呼ばれたことがないんだ。誰からも。両親もいなくて一人で生きてきたから。」
「そう。じゃあ何て呼べばいい?」
「サン、がいい。」
「サン?」
「以前いた仕事場に勤めたのが僕で三人目だったから三号って呼ばれてたんだ。だから、そこからとって『サン』。」
「そうなの。じゃあ、サンよろしくね。」
ルナはそう言って真っすぐ前を見つめた。もう少ししたらルナの仲間が待っている場所に着く。ちらりとサンの顔を盗み見た。いくらへっぽこなルナでも警戒心だけはしっかりある。ぎりぎりまで本当のことを言うのは避けようと思っていた。もしも少年サンが裏切って自分達の正体を町の人に明かしてしまったら大変だと思ったから。けれどもうすぐ仲間達の元に着く。もしもサンが逃げても、屈強な仲間が大人数でサンを捕まえに走ったら、サンはあっけなく捕まるだろう。それに、サンの顔を見ていたらなんだが裏切らない気がしてきた。人間味のないロボットのような顔なのに、そんな気がどこかでしていた。
心を許すのが一番の敵だと母さんと父さんは言う。だからぎりぎりまで我慢した。そろそろ本当のことを言って心を少し許してもいいだろう。
「ねえサン。あたしは海賊の娘じゃないの。」
「え?」
サンの戸惑った声が聞こえる。
「大丈夫。海賊と同じような家の娘だから。あたしはね、海賊の空バージョン、スカイレーツの娘なの。」
「スカイレーツって、何?」
「サン、何でも知ってるのに知らないの?」
「知らないよ。そんなの、聞いたことない。」
「当たり前じゃない。バレないようにしてるんだから。でも、なんであたしが海賊の一味だって気がついたの?」
「海賊の特徴に当てはまる点があったから。ユナ、君の顔をした人はこの国にいない。半年以内にこの国に入国した人の顔の中にもユナの顔の人物はいなかった。だから、怪しいと思ったし、一人の町娘があんなに沢山買い物をするのは変だと思ったんだ。ジャガイモにニンジン、ナッツ、豆。国に捕まった海賊達がよく船に置いている食材と一致する。保存がきくから船に置いてるんだろ。それとユナ、あの町娘から逃げるような素振りもしていた。それも引っかかった。だからかまをかけてみたんだ。僕の返答には答えないから海賊なんだろうなって。」
「なんか、怖い。」
「でもスカイレーツのことは知らなかったから予想外だった。どんな仕事があるんだい。」
「体力や能力が必要な仕事。辛いわよ。」
「以前僕がいたところ以上に酷い場所なんてないと思う。」
「どんなこところにいたの?」
ルナは眉を潜める。
「それは、言えない。」
「ふーん。まあうちはそう言う人も多く勤めてるから。」
「そっか。あ、ユナ、もうすぐだよ。」
簡易ボートが川岸に近づいていく。時計台で時間を確認しようと、首をひねると、真っ青の空に半分以上が掛けた白い月が浮かんでいた。
「そういえばあたし、サンに本当の名前を伝えてないわ。ユナは偽名。あたしの本当の名前はルナよ。月って意味。」
「偽名なの。」
「当たり前じゃない。スカイレーツはそう簡単に本名は明かさないわ。」
ふふっと笑ってからルナはボートの上に立ち上がりそのまま川岸めがけてジャンプした。
「うわああ。」
格好良く着地するつもりだったらしいが、ルナは体勢を崩して川岸で転んでしまった。
「うわ。ユナ、ルナ、勝手に降りるなよ。」
揺れたボートの上でサンがバランスをとっている。
「まあ見ての通り、あたしはスカイレーツの船長の娘なのにへっぽこなの。」
打った膝を手でなでながらルナは立ち上がった。
「へえ。」
サンはそれだけ言ってからルナと同じようにボートから飛び落りた。
「ええっ。大丈夫なの⁉」
驚くルナをよそにサンはそのまま岸辺に綺麗に着地した。
「ルナ、船長の所に案内して。」
「運動神経もいいし、サンのこと、うちの親は気に入ると思うわ。」
ルナはずきずき痛む足を無理やり動かす。
「さ、行きましょ。」
ルナはそう言うと、サンを自分の船へ案内した。
うっそうとした森林を歩き進めると、光が当たる場所に出た。そこには大きな物体が鎮座している。
「ルナ、これが船?とても船には見えないけど。」
サンは船を見上げたまま立ち止まってしまう。
「そうよ。元々はとっても大きな一つの船だったの。そこから少しづつ増築して今の形になったという訳。乗り捨てられた船を繋げて増築したのよ。まあ、そうこうしているうちに元の船の形の面影は全くなくなったみたいだけど。」
ルナの説明を聞きながらサンが不思議な形の大きな船をじっと眺めていると、ルナに声がかかった。声の主は二十代くらいの女性だ。
「あ、ルナ!おかえり。なかなか帰ってこないから心配した。」
「ターニャ、ただいま。あのね。」
ルナはターニャに向かって走り出す。サンもそれを追う。
「ルナ。その子誰?」
ターニャはすぐにサンのことに気が付いた。
「町で出会ったの。あたし達の仲間になるって。サンって言うの。運動神経もよくて沢山のことを知ってて、暗記能力もすごいの。他にも色々出来るみたい。あたしをここまで最短ルートで連れて来てくれたのよ。」
まくしたてるルナ。横でサンはターニャに向かってぎこちなく頭を下げた。
突然、ターニャはサンのぼさぼさの髪の毛を掴んだ。そして良く見えるようにサンの顔に自分の顔を近づけてきた。
「うーん。手配犯ではないか。うちを追ってる奴らにもいない顔だし。」
「僕、怪しい者じゃないです。」
咄嗟に口に出したサンを見てターニャは腕を組む。
「そう言うのが一番危ないの。ルナ、こいつにどこまでうちの事、話したの?」
「えっと、スカイレーツだってことと、あたしがその船長の娘だってことくらい。」
「なんで話しちゃったのよ。こいつが国の手先だったらどうするつもり?」
「だって。あたしと会ってすぐにサン、あたしのこと海賊の一味だって気が付いたのよ。スカイレーツに関することは何も話してないのに。」
「益々怪しいじゃん。なんで連れてきたの。しかもべらべらしゃべっちゃって。」
「だって。」
言い返そうとしたルナを見てターニャは顔をしかめる。
「ルナ、船長の娘ならそれくらい考えないとだよ。これだからへっぽこだってみんなに言われちゃうの。」
「でも。」
「とにかく、二人とも来な。船長のところに連れてくから。」
「いいよ。話せばわかるから。」
ルナはそう言うとサンの手を掴んだ。
「行こ。大丈夫だから。」
「うん。」
サンは小さく頷く。
「サン。サンは後ろめたいことないだから、大丈夫よ。ね。」
サンが怯えていると思ったらしい。ターニャに聞こえないように小声でルナがサンを励ました。
「早く。置いてくよ。」
ターニャに急かされて二人は船に入り込んだ。
「あれ、ルナ。おかえり。」
「遅いから心配したよ。」
船員達がルナに声を掛ける。
「ちょっと道に迷ったの。」
「で、そいつは誰だい?」
「サンよ。この船に乗ってもらうつもり。」
「え。ちょっとそれは、どうかな?」
眉を潜める船員達を見てルナは顔をしかめる。
「サンは裏切らないわ。」
「船長が言ってただろ。心を許すのが一番の敵って。」
「みんなサンを怪しんでばっかり。いいわよ。いつか分かるから。」
船員達からプイっと顔を逸らすとルナは歩みを速めた。
するとどこから出てきたのか、
「へっぽこルーナ。へっぽこルーナ。」
はやし立てるように小さな子供達がルナの周りを取り囲んだ。気にせずルナは突き進む。
「舵を上手く取れない奴に人を見極めることが出来るわけねーよ。」
「そーそ。ルナは船長の子だけど船長になることはないんでしょー。」
けけけっと笑う子供達。
「はいはい。」
ルナの声は不自然なほど落ち着いていた。
「へっぽこルーナ。」
「俺、今度舵を取る練習していいって言われたんだぜ。すぐに実践で役に立つようになるかんな。悔しいだろー。」
「私も機械開発について今度教えてもらうの!」
子供達はルナの周りとくるくると回る。
「あんたたちいい加減にしなさい。船長室に行くんだから。」
ターニャがぴしゃりと言うと子供達はいっせいに逃げて行った。
「ルナ、船を下ろされるかもしれないなー。」
一人の男子が言うと周りの子供達はそれに合わせて笑い出す。
「そいつと一緒に町に住めばいいんだ。そのまま町娘になっちゃえー。」
けたたましい笑い声が遠ざかっても船長室にはまだつかない。階段を四階分上って、長い長い廊下の先に船長室はあった。
「さ、入りな。船長、ルナが帰ってきましたよ。一人の男の子を連れて。」
ターニャはグイっと扉を開ける。その先には一人の大きくて屈強な男性が一人。その横には小柄で細身の女性が立っていた。
「ルナ、おかえり。なんだい、その少年は。」
「ただいま父さん。彼はサンよ。町娘に付きまとわれたり、道に迷っていたあたしを助けてくれたの。」
「だから船に連れてきたのか?」
「違うわ。初めは放っておいて逃げ切ろうとしたの。でも、サンがあたしのこと、海賊だって見抜いたのよ。」
「ルナが何かヒントを与えたんじゃないか。」
「違う。あたし気を付けていたもの。」
反論したルナに船長でありルナの父は静かに問いかける。
「本当か?」
「本当。急に声を掛けてきてあたしのこと、この町にはいない顔だって言ったの。」
「かまをかけられたんじゃないか?」
「そんなことない。あたし、変に怪しまれないようにしたもの。」
これ以上ルナと話しても無駄だと思ったのか、船長はサンに話を振った。
「サンと言ったね。君はどこ出身なんだ?」
「僕は孤児だったので、詳しい出生の地は知りません。この町にある国の施設で育ちました。名前もなくて、仕事場では三号と呼ばれていたので、サンと名乗っています。」
「やけにしっかりしているな。」
船長はそれだけ言うとサンの所へ歩いてくる。
「君がこの船に勤めて、俺達に何かメリットはあるのか。」
「本を沢山読んだので、知識量はあると思います。あと、秤や定規を使わなくても重さと長さが分かりますし、角度も分かります。それと、運動神経もいい方だと思います。」
「なんでうちの娘が海賊だと分かった?」
「以前聞いたんです。海賊はジャガイモやにんじん、豆、ピーナッツを保存がきくからよく船に置いていると。ルナが買っていた物の中にはそれが全て含まれていました。町娘のことも避けているように見えたし、あと。」
「あと?」
「妙な訛りを感じました。この町の人とはイントネーションが違う。出身地だと言った場所のイントネーションでもない。聞いたことのないようなイントネーションでした。しいて言うなら、北側にある地方のような雰囲気だったと思います。」
「ほお、よくそんなに知っているな。」
「仕事をしている時に沢山の人に会いましたから。」
疑り深い父にルナは抵抗する。
「父さん、サンを疑ってるの?」
「まあな。スパイかなんかじゃないだろうな。なんでそんなに色々知ってるんだ?」
「市立図書館で知りました。」
「うーむ。」
船長が腕を組んだ時、ドアをどんどんと叩く音が聞こえた。
「船長、お話し中すみません!遠くから子供達がこちらに向かって走って来ています。おそらく遊んでいるうちに森の中に来てしまった様子です。早くここを立ちましょう。」
「子供か。侮ると面倒くさいからな。」
船長はサンのことを睨む。
「お前が呼んだんじゃないだろうな。」
「違います。僕には知り合いがいません。」
「どうだかな。まあいいだろう。何かあったら責任を取ってもらう。時間がない、出航だ!」
「イエスサー!」
ドアの向こう側から勢いの良い答えが返って来る。
「ばれないように装置をオンにしてから飛ぶんだぞ。」
「はい!」
船員達の足音が遠ざかってから、船長はサンの目をじっと見た。
「裏切ったら空から海に落とす、うちはそう決めてるからな。覚悟はいいか。」
「はい。」
サンが船長の目を見て答えると、船長は唇を片方上げた。
「ルナ、部屋に案内しろ。」
「どこの部屋?」
「洗濯部屋の横の部屋でどうだ。」
「分かった。サン、行こう。」
船長室を出て、階段を下ってどこまでも伸びる廊下を歩いていく。
「広いから迷わないように気を付けて。」
「大丈夫。覚える。」
「あたし、未だにたまに迷ってるわ。急いでるときとか慌てて間違えちゃうの。」
「ルナは。」
サンが言いかけた時、またあの子供達がやってきた。
「ルナ、靴下に穴が開いた。」
「ルナ、飯は?」
「ルナ、洗濯物乾かして。」
「ルナ、ダイニングが汚れてる。」
口々に子供達はルナに話しかける。
「分かったわ。サンの部屋を案内したら、やる。穴の開いた靴下はどこにあるの?ご飯はもう少し待って。決まった時間に出すから。あと、なんだっけ?」
「一回で聞き取ってよ。だから、洗濯物を乾かして欲しいのと、ダイニングが汚れてるから綺麗にしてよ。」
「分かった。それで靴下はどこ?」
「俺の部屋。」
「後で食事の時に持ってきて。そしたら朝までに直しておくわ。」
「取りに来てよ。」
「あたしだって忙しいの。」
「へっぽこのせに。」
一人がそう言えば、みんな口々に先程の様に
「ルーナルーナへっぽこルーナ。」
と歌い出した。
「ああ、もう、うるさいわね。あんた達、学校の宿題は終わったの?」
ルナはそれだけ言うと、早歩きで子供達を後にする。サンは黙ってルナを追う。
「靴下、ご飯、洗濯物にダイニングの掃除。」
忘れないようにルナは小刻みに口ずさむ。
「おお、ルナ。頼みたいことがあるんだけどさ。」
サングラスをかけた船員がルナに話しかけた。
「ライさん。何?」
「買い出しした品を仕分けといてくれ。」
「分かったわ。」
「あ、いいところに。ルナ、後で会議室二に飲み物を持ってきてくれ。」
「飲み物は何がいいの?」
「なんでも。」
「人数は?」
「十人くらいかな。」
「分かった。」
ルナはその後も船員や子供達から頼まれごとを受けていく。
「はい。ここがサンの部屋。」
ルナが部屋の扉を開けてから顔をしかめた。
「ちょっと、埃っぽいわね。悪いんだけど、後で掃除するからもう少し待って。それまでは、私の部屋で待ってて。」
「ねえ、聞きたいんだけど言付けは全部覚えてる。」
「多分。平気よ。」
「靴下、ご飯、洗濯物、ダイニングの掃除に、買いだしたものの仕分け、船員室に十人分の飲み物を持っていく。船員セドリックとキュリーの部屋の掃除に、食器洗い。」
「そんなに頼まれたかしら。」
「うん。」
「もう一度言ってくれる?メモするわ。」
ルナはポケットから小さなペンの様な物と、よく分からない板を取り出した。サンが繰り返すと、ルナはものすごい勢いで板にペンを滑らす。
「ありがとう。助かったわ。いつも何か忘れちゃってみんなを困らせちゃうの。」
ポケットにペンと板をねじ込むと、ルナは横の部屋のドアを開けた。
「ここが洗濯室。効率よく済ませなきゃね。この後あたしの部屋に案内するから。」
洗濯室から取り出した大きなバスケットを四つ抱えて、ルナはそう言うと歩き出す。
「ここがあたしの部屋。しばらくはここで休んでて。」
サンは放り込まれた部屋を見渡す。気が付けばルナはもういなくなっていた。ベットに洋服ダンスとデスクと小さな本棚。少し違いはあるが、普通の子供部屋に近い。ただし、異様なものがある。デスクの下に無造作に置かれたおびただしいノートの数。どれもこれも使い込まれているのか表紙が汚れていたり破れていたりする。ノートを一冊手に取って見てみると走り書きで、風を南方向に強く感じたら十時の方向に舵を切る。どっちかって言えば九時に近い、と書いてある。他にも物質の名前や、この船の装置の使い方らしき記述がいくつもあった。ぺらぺらとめくり、違うノートを手にする。同じように沢山のコツが書いてあった。次々とノートを手に取っているとあることに気が付いた。いつからかノートには船の操作や扱い方ではなく、家事全般のことが書かれるようになっている。料理のレシピ、コツ。洗濯する時に使えるライフハック。保存がきく食べ物。そう言えば、ルナが任せられる仕事は全て家事だった。ノートに書かれた内容が変化したことと関係があるのだろうか。サンはぐっと力強く目を瞑ろうとしてからやめた。気になったことを知ろうとする癖はやめよう。もうそんなことしないでいいのだから。 全てのノートを元の位置にそっくりそのまま戻してから、サンは目をそっと瞑った。今は何も考えない方がいい。
大きなバスケット四つ分の洗濯を一人で乾かすのはかなり骨が折れる。それでも甲板一面にならんだ洗濯物が風でぱたぱたと動いているのを見るのは気持ちが良かった。深呼吸して急いで次の仕事に向かう。会議室二に十人分の飲み物を届けなくてはならない。バスケットを洗濯室に放り込み、一つ上の階のキッチンへと走る。飲み物は何でもいいと言っていたが、結局コーヒーを入れないと皆嫌そうな顔をする。なんでもいいって言うくせに。豆を自動豆引きにひかせ、その間に誰が使ったのか分からない食器を洗う。決まった時間の食事以外にも皆、好き勝手に飲み食いするので、コップやお皿、カトラリー類が気が付いたらシンクいっぱいにたまっていることはしょっちゅうだ。半分ほど洗い終わったところでルルーと音がした。豆を引き終えたらしい。ポットと十人分のマグカップと出している時に気が付いた。お湯を沸かしていないじゃない!水をいっぱいを入れたやかんを電気ストーブの上にのせる。ああ、馬鹿みたい。全然効率よくない。仕方がないので食器洗いを再開した。なんで食器洗い機を作ってくれないんだろう。一人ため息をつく。食器を洗い終えたところにちょうど良いタイミングでお湯が沸いた。コーヒーを淹れ、十人分のマグをトレーに乗せて廊下に出る。割れ物と飲み物を手にしているので勢いよく走れない。空の上を飛んでいる船の中は不安定なので気を付けなくてはいけない。
「あ、ルナだ!」
こんな時に限って子供達に出くわす。
「へっぽこルーナ。」
「はいはい。」
もう慣れた、慣れた。それでも、この言葉は好きじゃない。あの時、父さんが言ったからこんなにしつこく言われることになったのだ。
「どいてちょうだい。今から会議室二に飲み物届けに行くから。邪魔するとコーヒーが頭からかかるわよ。」
「うわ。ルナならありえる。」
一人が言えばとりまき達がけらけら笑う。
「そうね。さ、行った行った。」
きゃははーと笑って駆け出す子供達を何とか避けてもう一度ため息。会議室二にコーヒーを持っていくと開口一番、
「遅い。」
と言われた。
「ごめんなさい。」
「すぐって言ったよな?」
「そうだっけ。」
あたしの記憶じゃ、後でと言われた気がする。
「言ったよ。ルナ、もういい。」
ありがとうの一つもないんだから。いら立つ気持ちを見せないようにドアをゆっくりと閉める。それからメモ機を開いた。次はダイニングの掃除をしよう。ついでにセドリックとノーバートの部屋も。サンの部屋は時間がかかりそうだから後回し。その後にご飯の用意をして、サンの部屋の掃除。買い出し物の仕分けは今日中じゃないから一番最後。あ、靴下も直さなきゃか。それは夜寝る前にしよう。そうと決まれば、あたしは走り出す。ありがとう、なんて言ってもらえない仕事のために。
「サン、ごめんなさい。部屋の掃除まだなの。今から夕食だからダイニングに来て。その間に掃除しとくわ。ん?サン?」
ルナの言葉に反応して、目を閉じていたサンが椅子から立ち上がった。
「分かった。ダイニングはどこ?」
「案内するから着いて来て。」
廊下に出てからルナはサンに尋ねる。
「ねえ、疲れてるの?さっき寝てたの?」
「うん、まあ。寝てた、かな。」
歯切れの悪い答えにルナは首をかしげる。
「大丈夫なの?空の上を飛んでるから酔ったりしてない?具合悪いなら言うのよ。」
「本当に、大丈夫だよ。」
「そう。まあ、いっぱい食べて元気付けて頂戴。」
ルナがそう言うとサンは頷いた。
「ルナ。靴下持ってきてやったぞ!」
「偉そうね。そんな言い方するなら直さないわよ。」
「そしたらルナはこの船を降りなきゃだよ。」
「どういうこと。」
「だってそうでしょ。裏切った奴は上空で船から降ろす。役に立たない奴は地上で船から降ろす。船長が良く言ってるじゃん。つまりルナは地上で船から降ろされる。いいの?」
「あんたね。」
着ているエプロンを握り締め、ルナは言葉を続けようとした。
「だって役に立たないんだもん。これくらいは役に立たないと。船の操縦も機械のこともこれっぽっちも出来ないんでしょ。」
追い打ちをかける様に声高らかに言った子供をルナはじっと見つめる。
「あんた、船の操縦や機械のこと習ったの?」
「習ってない。でも出来ると思う。絶対にルナよりは。」
「あんた、あたしの今の仕事代われる訳?」
「出来るよ。それくらい。」
「そう。いいわ。靴下貸して。」
半ば奪い取るように靴下を手にしてルナは大きな声でダイニングにいる船員に呼び掛けた。
「今日はドライカレーってやつを作ってみたわ。パンが食べたい人はそこから取って。お米もそこに鍋いっぱいに炊いてあるから。」
「はいよー。」
「サン、どこでも好きなところに座って。おすすめはあそこの端っこの席。あたしがいつも座ってるから誰も座らないはずよ。好きなようにお皿に取って食べて。悪いんだけど。これからサンの部屋を掃除するから。また後でね。」
ルナは一気にそう言うとかけて行った。船員達は出された食事を食べながらみんなで喋っている。食事の感想など誰も言わない。お腹が満たされればそれでいいのだ。ルナの作った料理を味わっている人なんて、誰一人いないのだ。
サンの部屋はルナのお陰で見違える程綺麗になった。埃っぽくて陰気な部屋もしっかりと掃除をして空気の入れ替えをしたら居心地のいい部屋となった。
「はい。サンの部屋。」
サンにそう言ったルナの目は赤く充血して見えた。
「ありがとう。」
まるで初めて使う言葉の様にたどたどしくサンがお礼を言うと、ルナは目を丸くした。
「う、うん。」
「ルナ、泣いてたの。」
「ええ⁉そんなことないわよ。」
「だって目が充血してる。少し腫れてるし、涙の跡も頬にうっすらあるよ。泣いたの。」
「まあ。ちょっとね。」
へへっと笑ってからルナは
「サンって人のこと良く見てるわね。凄い。」
と言った。その言葉を聞いてサンは何とも言えない顔をする。
「凄いかは分からない。」
「そう?」
ルナは部屋のドアを開けた。
「明日、しっかり船を案内するわ。それと船長と話し合って何の仕事につくかも決めないとね。しっかり休んだ方がいいわ。」
「分かった。」
サンは目を泳がせてからルナの顔を見る。
「おやすみ。」
「うん、おやすみ。」
どんどんと部屋のドアを叩かれてサンは飛び起きた。
「サン。ルナよ。起きてる?朝ご飯だから呼びに来たの。」
「分かった。」
「サン、おはよう。」
扉を開けたルナの顔を見て、サンは口を開いた。
「疲れてる。」
「え、ああ。そうね。夜遅くまで作業してたから。サンの服を作ってたの。とりあえず上下二着ずつ。今日またいくつか作るわ。」
渡された服を見てサンは戸惑う。
「サイズは?」
「なんとなくで作っちゃった。着る服がないよりはましでしょ。」
「うん。」
着てみるとサンには少し大きい様だった。
「サンって痩せてるのね。じゃあもう少し小さめで作ってみるわ。大体サイズは分かったと思う。とりあえず今日はそれ着てて。」
「うん。」
「さ、ダイニングに行きましょ。」
サンはルナの前に立って歩き始めた。
「サン、ダイニングまでの道、覚えてるの?」
「うん。」
「へえ、凄いわね。うちの船大きいから道に迷う人多いのよ。今日は船のあちこちに行くだろうから、迷わないように気を付けて。あ、それとうちの船は毎日五時に起きることになってるから。」
「分かった。今日の時間に起きればいい?」
「そうよ。起きれなかったらあたしが起こしに行くから。」
食堂に向かいながらルナは、サンの今日一日のスケジュールを伝える。船には様々な役目を担った船員がいて、それぞれの得意なことを生かしている。サンは今日一日職場見学と体験をして、その様子を見てどこに所属すべきか船長が決めることになっている。
「サンがどこに配属されるか楽しみだわ。」
「ルナは何をしているの。」
「ああ、あたしは。」
次の瞬間ルナは声のトーンを上げた。
「見ての通りへっぽこだから、役に立たなくて。家事全般を任されているの。あとは、雑用とか。」
「ルナって自分がへっぽこって知ってたんだー。」
今日も今日とてうるさい子供達がルナを取り囲む。
「はいはい。あんた達ご飯食べなさいよ。そうしたらさっさと学校行きなさい。」
それだけ言うと手を振ってルナは子供たちから離れていく。
「朝食はパンとコーンスープとサラダよ。」
昨日と同じように大声で呼びかけると、ルナは歩き出した。
「今日はあたしも一緒に食べるわ。サン、一緒に食べましょ。」
「うん。」
テーブルに着くとサンはルナに質問する。
「ねえ、学校ってこの船にあるの。」
「そうよ。五歳から十一歳が通う学校がこの船にはあるの。三階の奥の部屋にあるのよ。そこで子供達は基本は勉強してるの。あたしも掛け算とか習ったわよ。」
「じゃあ、あの子供達は学校に通ってるの。」
「そうよ。ただ授業をしている先生が体が弱い人でね。たまにふらふらして授業中に横になったりするのよ。そのまま寝ちゃうこともよくあって。そうするとあの子達、教室から抜け出して遊びほうけているの。サン、もしもあの子達を見つけたら学校に連れて行ってね。」
「うん。」
この船にも一応、教育機関もあるんだな。サンはルナの作ったパンを口に運ぶ。ルナはもう食べ終わったらしく席を立った。
「船長がここに迎えに来る予定だからここで待ってて。あたしは仕事に行くわ。」
ルナはそれだけ言うと駆け出した。
「ねえ、なんでルナと仲がいいの?」
見ると子供達がサンに話しかけていた。
「僕ら仲いいかな。」
「そう見えるけど。」
「分からないよ。」
そう答えたサンに子供達はさらに質問する。
「だっていつもルナと一緒じゃん。」
「いつもって言っても昨日と今日だけだろ。それはいつもとは言わないと思う。」
「何それ。」
「変かな。」
「変。」
どうやら自分は変らしい。どこにでもいる人間に見える様になっているはずなのだが。サンが何も言わないので、子供達はしばらくすると去って行った。船員達も自分の持ち場に行くためダイニングを後にする。広いダイニングで一人、サンは窓の外を眺める。北の方に向かっている様だ。コンパスが示している。
「サン!行くぞ。」
バン、とドアが開いて船長が立っていた。サンは頷いて立ち上がる。
「うちでは頷く時、イエスサーということになってる。」
サンは昨日見た何人かの船員達を思い出す。声のボリュームがあったのが印象に残っていたのでそこを意識することにした。
「イエスサー。」
「ん、いいぞ。ついて来い。」
船長の後ろを歩きながら、サンは船の中の道を覚えていく。
「あ、サン!父さん!」
廊下の向こう側からルナが大きな洗濯用のバスケットを持って現れた。
「船長、次の着陸はいつですか?」
「十日後だ。それまで水と食料を切らすなよ!」
「努力します。サンまたね。うわああ。」
突然船が横に大きく揺れたのでルナはよろめく。それでも体制を整えそのまま走り出した。
「今の揺れでサンはピクリとも動かなかった。体幹がいいな。」
「ありがとうございます。」
「体幹がいいなら舵をとれるかもしれん。よし運転室に行こう。」
運転室には三つの舵があり、大きな机も一つあった。その上には沢山の良く分からない装置が置いてある。他にもあちこちに線が伸びていたり、壁には電話らしきものや謎の機械が掛かっていたり。広い部屋なのに沢山の物がごちゃごちゃと置かれていて狭く感じた。奥の方では三人の船員が一人一つ舵を握っている。それぞれの舵に役割があるらしい。
「この右端が、船のバランスをとる役割をしている。右左後ろ前。この風と天気のレーダーを見ながら予測して舵を取るんだ。風が強い日や雨の日は大変だぞ。」
レーダーの機械は見たことのない物だった。確か自分がいた国、カイナオにもレーダーの機械はあったはずだが、この船にあるものの方がずっと高難度な物に見える。
「真ん中の舵が、進む方向に舵を切る役割だ。右に進むなら右に舵を切るし、左に進むなら左に。着陸や離陸する時もこの舵が役割を担ってる。これも大変だぞ。ほら、そこにあるマップを見ながら目的地に進むんだ。これを握ってる奴一人の重大責任って訳だ。」
薄い板に地図が表示されている。これまたサンのいたカイナオにはなかった物だ。
「最後の左端。これがうちのスカイレーツオリジナルの舵だ。最先端の舵、名付けてザ・レイテストだ!これはな、うちの最先端の技術が詰め込まれてた舵なんだ。サン、うちの船は何故政府に見つかってないか分かるか。」
「目撃情報がないから。」
「まあそうだが。」
船長は肩をすくめる。
「一番大きいのは船が見えない様になっているからだ。」
「見えないように。」
「そうだ。うちの船は地上にある時以外は常に姿が見えないようになってる。透明化してるんだ。だから政府に見つからない。」
それなら証拠写真も目撃情報も集まらない。だから僕は知らなかったのか。
「そういった、俺達の正体を隠すためのボタンや装置がここにはいっぱい付いてる。もしも透明化が外れた時にすぐ対応出来るようにこの舵を握れるのは腕のいい科学者だけだ。どうだ、大体分かったか?この部屋はとても重要って訳さ。みんなお疲れ!」
船員達は船長の言葉に返事をしない。
「集中している様だな。さ、行こう。これ以上いると邪魔だ。」
部屋を出てから、サンは船長に質問をした。
「気になったのですが、地上では透明化の装置が使えないのですか?」
「ああ、そのことだな。地上に降りた時って言うのは、食料を買ったり、洗濯したり、水を汲んだり。皆、別行動なんだ。だから船が見えなくなったら帰って来れないから使ってない、て子供達には言ってるが、建前だ。」
「え。」
「最近政府の奴らが感づいて何かしたのか知らないが、地面に五フュート程近づくと、透明化が出来なくなったんだ。透明化できても変な音が出たり、光線が出たり。逆に目立つ。以前は透明化のまま着陸して、入り口の前に誰か必ず一人を立たせて、そいつを目印に船に乗り込むって方法で乗り切ってたんだが、ここのところはそう行かなくってな。まあ、奴らより優れた透明化マシーンを作ればいいんだ。そうすればまた前の様に船を隠せる。」
どうやら見たり聞いた限りだと、この船はサンがいた国よりかなり文明が進んでいる様だ。あの謎の装置に機能。あれはかなり高度な物だろう。なぜ、船であんなものが作れるのだ。自分は、どうやら最先端ではないようだ。
その後は化学ラボや、プログラム室、技能室、制作室、管理室、地理室、文献室などを回った。思った以上に役割はある。今日見学した仕事以外にもまだまだあるらしい。
「サンは知識があると聞いたから、知識系の仕事を見て回ったが、運動神経も良さそうだから他にも見てみよう。」
そう言われて連れて行かれたのは船で言う甲板だった。顔に風が強く当たる。少し寒いくらいだ。甲板の奥には沢山の洗濯物が干されていて、元気良く右へ左へ動いていた。
「見えるか。あそこに見張り台がある。そこにもあっちにも。合計十個はある。」
「あそこに行くんですか。」
船から伸びた太い柱の上。ものすごく高いところに見張り台はあった。
「そうだ。まずあそこまで行くのが大変だ。見張りの役割は大きく二つある。一つはもし敵や何か邪魔をするような動物がいたら自分達で排除することだ。」
「どうやってですか。」
「中に銃や弓矢がある。それにほら、見えるか。」
船長はそう言って指さす先を変えた。
「どの見張り台の小さな船の形をした飛行機なんだ。それに乗って敵を上手く誘導してもいい。中には運転室には劣るが最先端の技術が詰まってる。連絡用機械があるから一度本体の船と離れても、お互いの場所を確認し合えば合流することは簡単だ。」
「なるほど。」
「ただし、自分で舵を取らなきゃいかんからな。舵をとれて運動神経が良くて武器の扱いに慣れてる奴しかなれない。」
「敵って言うのは、誰のことですか。」
「色々いるんだが、スカイレーツ、ではないのかもしれない。」
「え。」
「いや、よくわからないんだ。たまに上空を飛ぶ船に会う。ただ警戒心がないというか船の中が見える船に乗っているんだ。こう、茶碗のような形でな。それで不気味なことに中に入っているものが人間に見えないんだ。」
「え。地球外生命体ということですか。」
「分からない。近づくと逃げるようにどこかに行ってしまう。そのくせ放っておくとしばらくついてきたりする。そもそも奴らの方からこちらに近づいて来るんだ。害がないなら下手に手を出さない方がいいからな、いつも放っておいている。何回か見張番に船で見に行かせたが、毎回よくわからないままなんだ。一度銃を奴らに向けて撃ったこともあったが、何も起きなかった。」
「中に乗っている者はどんな形なんですか。」
「小さくて、明らかに人間の形はしていない。ただ光り輝いていて神々しい感じもあるんだよな。だから目では良く見えないんだが。」
「気になりますね。」
「だろう。」
聞いたことのない話だった。知っている宇宙人の話とはかなり異なっている。
「それと動物は食べる以外の目的では殺すのはダメだ。たまに食料が底をつきそうな時に近くを飛んでる鳥をいただくことはあるが基本は殺すのは禁止。邪魔だったら小型船でうまく誘導してどこか別のとこに行かせるんだ。あとはまあ、たまに政府のへんてこな、飛行物体が来ることがある。その時は息を潜めて様子を伺ってる。政府の時は何もしない方がいい。ただただじっとして浮かんでいる方がいいんだ。」
「分かりました。」
サンは一度そっと目を閉じた。
「二つ目の役割は、仲間の船を見つけることだ。」
「仲間。スカイレーツの仲間がいるんですか。」
「そうだ。あと四艘のスカイレーツの船がある。俺たちの仲間だ。」
「仲間と言うのは。」
「出身が同じ場所で、この船の人々の親族が乗っている。」
「出身地、というのは。」
サンが質問しようとすると船長は遮った。
「まあ、その話は今日の所はここまでだ。とにかく、仲間の船らしきものがあったら小型船で近づいて、光と超音波で合図するんだ。それに相手も光と超音波で正しい返事をしたら、俺たちの仲間だ。」
「仲間だと分かったらどうするんですか。」
「本体の船同士で近づいて、落ち合うよ。互いに情報交換をしたり久々に皆で酒を飲み交わしたり、な。」
五艘も船がいるのにカイナオ政府は何故スカイレーツの存在に気づけないのだろう。そもそもこの船に人たちは何者なんだろう。何故船で空を飛んでいるんだ。
政府につかまった海賊達は宝石や財宝を探すために海を旅したと言っていた。この船も何かを探しているはずだ。何を探しているんだろう。
船長に聞こうと思って口を開いたが、彼の顔を見て思いとどまった。腕を組んだ船長から出るオーラは、サンからの質問は絶対に受け付けないという意思にに満ちている。今聞くのはやめておこう。いつか自分が認められた時に必ず教えてもらえるはずだ。
「大体のことは分かりました。」
素直に返事をすることにした。
「そうか。それは良かった。」
船長の言う『良かった』は別の意味を含んでいるように思えた。
「まあこんなもんだな。大体の力仕事は機械に任せてるし。サン、何に興味が出た?」
「選べないです。」
どれもこれも今までのサンの仕事に比べたるととても魅力的だ。
「少し体験してみるか。見張り台以外は全てやってみろ。運転室は、一瞬だけなら右側の舵を握っていいぞ。」
「イエスサー。」
「よし、じゃあ運転室にもう一度戻るぞ。」
運転室に行くとルナがいた。
「ルナ。」
「あ、船長。ラボから頼まれた物を届けに来たんです。」
「そうか。ご苦労さん。」
「失礼します。」
部屋を出て行こうとするルナを船長が止めた。
「今からサンに舵取りの体験をさせるんだ。どうだ、ルナも久々にやってみるか?」
「いいの?」
「ああ。」
「やります。」
「右の舵を一人ずつ交代で行おう。まずはルナから舵を取るか。」
「イエスサー。」
ルナの声はいつもより震えて聞こえた。サーの部分なんて裏返っている。
舵を握っていた船員から、舵の取り方、レーダーの見方を説明される。
「サン、分かったか?」
サンはすぐに返事をしなかった。
「サン。」
ルナに肩を叩かれてサンは船員に質問した。
「舵の取り方をもう少し教えてください。風のレーダーの読み取り方も。」
「今説明しただろうが!」
「もっと具体的に。抽象的すぎてよくわかりません。」
「なんだこのガキ!」
船員は舵を思いっきりぐっと右に取った。船はぐらりと右に揺れる。
「サン。もういいでしょ。ねえ。あたしが試しに握ってみてもいい?」
「いいぞ。気を付けろ。」
船員がルナのために場所を開ける。自分の胸の位置より少し高いところにある大きくて重たそうな舵をルナはしっかりと握りしめた。今のところはいい感じだ。
「お前、レーダー見てるか?」
「見てるわよ。もうすぐ右から風が来る。ってことは左に切るんでしょ。」
「どれくらいの風が来るか予測するんだぞ。」
「イエスサー。」
まもなくびゅんと音がして強そうな風が船の本体に当たった。
「く。」
ルナは一人、大きな舵を左へと回す。それでも舵は右に右に叙情にずれていく。
「ふん。」
弱弱しい掛け声を付け、もう一度勢いよく左へ戻そうとしたその時、びゅんと音がして船が左へ四十度傾いた。
「うわああ。」
ルナは驚きながらも次は右へと舵を回す。先ほどよりは簡単に回せたようで、船は何とか元通り水平になった。
「ルナ、いいか、ああいう突風の時は風が急に切り替わったりするんだ。だから舵をいつでもどちらにでも切れるようにしなきゃいけない。前もそう言っただろう。」
「ごめんなさい。」
「どの突風の時もそうなんですか?」
傾いたことによってコロコロと転がって来た缶を船員は蹴とばした。
「んなわけあるか。突風にもいろんな種類があんだよ。それぞれに特性がある。それを見極めて、注意しながら舵を取るんだ。」
「突風は何種類くらいですか?」
「わかるか。そこんとこは職人の勘だよ。」
「なるほど……。次は僕が行きます。」
ルナから舵を受け取りサンは息を吸った。ルナはさっき舵を取るというよりも、舵にしがみつくのに精一杯だった様に見えた。自分もルナとそこまで身長差はない。きっと同じように舵にしがみつきながら、舵を取ることになる。それだと安定感がない。考えたサンは舵を握る手を少し下の場所に持ち替えた。それから少し腰を落として、足を広げた姿勢になる。
「ガキ、なんだその姿勢。」
「これが一番舵が取りやすい姿勢じゃないかと思ったので試しています。」
「はあ?手の位置が全くなってないぞ。」
そう言われてもサンは譲らなかった。大人の船員と子供のサンやルナの体格の差は激しい。大人の身長に合わせた舵を子供が取るなんて難しいを通り越して無理な話なはずだ。
しばらくゆったりとした風が続いていた。レーダーを確認しながら、自分の目視でも雲を見ようと目の前に広がる大きな窓にも視線を走らせる。まだまだ穏やかな風が続く。穏やかな風なら操作は簡単だ。舵を動かさず持ち続けるだけでいい。少しの風にならすぐに対応できる。
「強い風が来ないな。」
船員が呟いたとき、ルナが首を振った。
「見て、レーダーの端っこ。西の方から風が来てそうじゃない?」
「まだ全容が映ってないから何とも言えない。ただの弱い風かもしれないからな。」
「そう?」
「ルナが気付く風を俺らが気付かない訳ないだろ。これ、間違いじゃないか。」
「あたしのこと、みんなちっとも信用してくれないんだから。」
ルナがすねた声を出した時だった。西側からどどーっと恐ろしい音が聞こえてくる。レーダーを見ると、先程ルナが指さしていた雲が、物凄い勢いでこちらに向かって来ている。ぱっと窓の方を見ると灰色の薄汚い雲がこちらに押し寄せているのが見えた。
「やばい。サン、貸せ!」
船員がそう言った時にはもう遅かった。突風が船を襲う。
「うわああ。」
ルナの声が聞こえる。
「ん。」
勢いよく舵を東側に切った。西側から来る突風と押し合いながらなんとか水平状態を保とうとする。
「おい、風はどのくらいの厚さだ。」
「風の厚さ?」
真ん中の舵を握った船員に聞かれたサンは困惑する。そんな言葉は聞いたことがない。
「サン、レーダーの表示されている図の上にFって書いてあるでしょ?そこ、そこに書いてある。」
遠くの方から聞こえたルナの声を頼りに、サンは船員に風の厚さを教えた。
「百七十フュートです。」
「分かった。上昇するぞ。」
「え。」
驚く隙も与えず、真ん中の舵の船員は舵をぐっと上に向けた。すると船はどんどん上へ登っていく。
「小僧!舵を切れ。また傾き始めている。」
「イエスサー。」
サンはもう一度東側に舵を切る。ルナの失敗を見ていたのでいつでも西側にも切れるように気を張る。
少ししてからひゅうひゅうと風が鳴っているのが聞こえて、穏やかな場所へ出た。
「よくやったな。上手いじゃないか。」
真ん中の舵の船員が一番にそう言った。
「俺も驚いたよ。」
「いえ。」
舵を元の船員に渡し、サンはルナを探す。
「ルナ?」
「ここよ。」
声は訳の分からない機械のような物が積み重なった山の中から聞こえた。丸い缶にボタンが沢山付いた物に何かの破片。この山は何なんだ。
「え、そこにいるの。」
「いるの。物に埋もれてて重いし、暗くてよく見えないし、くしゃみ出そうだし、息がしにくい。」
体を動かしたのだろう。いくつかの謎製品が雪崩れるように落ちてきた。それでもルナは見つからない。
「すぐ助けるから。待ってて。」
雪崩の起きた場所から予測してサンはルナのことを探す。どこかの民族のお守りの様な大きな人形を手にしたとき、やっとルナの顔が見えた。
「あー、やっと息ができるわ。」
すうっと大きく息を吸ってから、ルナはゲホゲホとむせだした。
「ここで息をすっちゃダメだったわ。」
「そうだよ。ここ埃まみれだよ。」
そこまで言ってサンはルナのことをまじまじと見てしまった。
「何?」
「いや、その。ルナ自身も埃まみれだよ。」
「ええ⁉どこ?」
「服も髪の毛も体も。」
「嘘でしょー。」
服の埃を飛ばそうとしたルナがパンパンと自分のスカートを叩く。それに合わせて更に埃が舞い散った。
「あ、ルナ。まずい。」
サンがそう言った時には更なる埃が二人を襲った。
「本当にごめんね。あたしのせいで。」
しょげるルナをサンはどうしたらいいのか分からない。
「いや、いいよ。その、大丈夫だった?」
あの後二人して埃まみれになったのでそれぞれ着替えてきたところだ。
「あんな場所にごろごろ必要のない物を置いてるからよね。お掃除したいけどあそこはどうしてもさせてもらえないの。」
はあ、と大きくため息をついてからルナはサンに目を向ける。
「サンは凄いわね。初めてであんなに舵をとれるなんて。あの風、結構厄介な奴よ。うちの船では、トリプルって呼ばれてるの。」
キラキラとした目でルナはまくしたてる。
「今回の件で運転室はサンを迎えたくて仕方がないと思うわ。でも、他の仕事場もそうだと思う。明日からまた頑張って。」
「うん。」
「あたしはやっぱりだめみたい。それじゃあね、あたし残りの仕事を終えないと。」
タッタカと走っていくルナの背中をサンは観察する。きっと、伝え方や、ちょっとした工夫をするだけで、ルナは舵をとれるはずだ。へっぽこでは、ないはずだ。
次の日もサンはあちこちに職業体験をしに行った。昨日の運転室での話がいつの間にか広がり、会った人のほとんどにその時のことを聞かれた。あの子供達もサンのことを見直したのか、朝から良好的な雰囲気で話しかけてきた。
「舵を取るのってどんな感じ?」
「難しい?」
「怖かったの?」
どの質問にもサンが律儀に答えるので子供達は大喜びした。
船内の機械を一から作る技能室。船自体のプログラムを管理しているプログラム室。船の重さや船員の人数、出身地を管理している管理室に、これから着陸する場所について調べ上げる地理室。文献室には各国から集めた最新の本や新聞がたくさん置いてあった。それらを読み、今、地上で起こっていることについて理解して、船員全員に伝えるのだという。それ以外にも文献室では今まで起こったことの資料も保管しているらしい。
「現段階で、どの仕事を担当したいか決まったか?」
「いえ。どこも興味があって。」
「次で最後だ。ここが一番憧れてる奴が多いぞ。特に子供らは。」
船長がそう言って振り向くと
「見つかった!」
と言う声がした。いつから近くにいたのか、子供達がロッカーの物陰に隠れて立っていた。人数が多すぎて陰に隠れ切れていないが。
「スカイレーツは隠れるのが上手じゃなきゃな。お前たちそれは上手とは言えないぞー。」
脅かすように船長が両手を上げて見せると子供たちはきゃあと大喜びした。そんな子供達を見て船長は満足げに唇を上げる。
「よし、サン、今度こそ入るぞ。」
「イエスサー。」
船長が扉を開けたその先は少し肌寒くて、照明の落ち着いた部屋とガラス張りの明るい部屋があった。部屋に足を踏み入れた途端、サンの体はゾクゾクした。
「お待ちしていました。船長、後は私が話します。」
「頼んだぞ。」
案内役は初日に会ったターニャだった。
「運転室に向いてるかもしれないけど、サンは色々なことを知っていて頭脳派だからね。うちのラボに入ったっていいと思う。」
ターニャも、サンへの不信感は消えている様だった。
「サンにまずラボの機械について説明しようかな。まずこれ!これが一番重宝してるわ。名付けてコード読みトール!これはね、この中に機械を入れるとその機械のプログラムや設計が全て分かるの。まあ物によるけど、地上で拾ってきた物のほとんどはこれでプログラムが見れるわ。」
何て恐ろしい機械なんだ。近づかないようにしよう。このボックスの中に入れられたら、そう思うとサンは機械から一歩遠ざかった。一通り機械の説明が済むとターニャは次に今研究していることについて話し始めた。
「うちの科学ラボは透明化を作ったりしたの。今は着陸する時に透明化が消えやすいから、その対策を行ってて。見て。」
壁に映し出された鮮明な映像を見ながらサンは感心する。これが最先端か。
「政府が仕掛けたと思われる物質。うちの透明化の効果をなくそうとする物。」
緑がかったドロッとした液体を見てサンは目を見開く。
「サン、何か知ってる?」
その小さな反応をターニャは見逃さなかった。
「いや、見たことない物だなって。」
「そうよね。」
ターニャは当たり前だという様に頷いたが、サンは内心動揺していた。
「まあ、この物質の分解、それから対抗策を今考えてて。分解は終わりが見えてきた感じ。政府がどれだけ時間をかけて試行錯誤して作ったかが分かる出来だった。」
「へえ。」
空返事にならないように気を付ける。
「それでも我々の技術に追いつける日はまだまだ先ね。」
それをサンは今思い知らされている。
「まあ、そうやって威張っているうちにいつ抜かされるか分からない。絶対に私達はこのままトップでい続けなくっちゃ。」
きりりと目を光らせ、ターニャがそう言うといつから聞いていたのか、隣の部屋のガラス越しに研究員達が拍手をし出した。
「そんなことしなくていいの。さ、サンに色々見せたげて。」
研究員と同じように手袋やらゴーグルやらを着こみサンはガラスのラボに入っていく。
「わあ。」
壁にはこの液体の情報が全て書き込まれていた。
「これが今分かっている全てのこと。これからもっと調べていくの。」
殆どのことは調べつくされている。
「これだけのことを知るのにどのくらいかかるんですか?」
「まあ物によるけど、この液体は三ヵ月くらいね。」
三ヵ月。そんな短い期間でこの液体、コルぺリアの最新技術について調べられてしまったのか。愕然とするサンをよそにターニャは話を続けた。
「いい?これを見てみて。」
そこには他の液体が入っていた。
「これがうちの対抗策の試作品。緑の奴の弱味を研究して作ったの。」
「弱味なんてあるんですか?」
「ある。ていうか結構あった。この対抗策の液体が出来たらしばらくは安全だと思う。それくらい高難易度で最新な物を私達は作ってるから。」
「へえ。」
答えながらもサンの胸はどくどくと鳴っていた。自分にもしっかり心臓があったんだ、なんて考えてしまう。
「ねえ、あとこれも見てみて。」
更に進めてくるターニャにサンは断りを入れた。
「すみません。ちょっと疲れてて。今度でもいいですか。」
「ごめん。無理させちゃった。いいよ。」
それだけ言うとターニャはすぐにラボからサンを出してくれた。以前勤めていたところよりここはいい場所だ。改めてそう感じながら、サンは廊下に出る。
この胸の動きがどんな意味を持つのか、サンには分からなかった。なんでも知っているはずなのに。沢山のことを植え込まれたのに。分からなかった。
ルナは廊下を掃除している。お掃除ロボットを作ってくれと言っても、一向に作ってもらえない。物作りが好きな船員達は頼めばすぐほとんどの物は作ってくれるのに、家事関係のロボットとなるとなかなか作ってくれない。今までに作ってくれたのは洗濯機と乾燥機。それもいまいちの出来だった。最先端最先端と言う割には、家事関係の機械は地上に負けているのではないかとルナは密かに思っている。
「あ、ルナ。」
「サンじゃない。」
「ルナ。分からないことを分かろうとする時ってどうしたらいいと思う。」
「ええ、そうね。」
戸惑いながらルナはモップに寄り掛かる。
「本で調べたりするとか、人に聞いてみるとか、かしら。」
「なるほど。そうか、そうなんだね。」
ものすごく納得した様に頷くものだから、ルナは更に戸惑う。
「で、でも。サンは沢山のことを知ってるでしょ?」
「そうなんだけど。僕にだって知らないことはあるし、分からないことはあるし。どうしたらいいのか分からないし。」
どんどんネガティブな発言をして、どんよりとしていくサンを見てルナは焦る。
「ちょちょっと。分かったから。サン、お腹すいてない?何か食べる?」
「いらない。」
「で、でも、お腹いっぱいじゃないと元気でないし。それとも遊ぶ?ゲームとかあるわよ。あたしは弱いけど、子供達と一緒に遊んだから?」
なんとか明るい雰囲気にしようとルナはぺちゃくちゃと話した。
「ゲームってどんな感じ?」
「あたしは弱いし、あんまり興味がないからそこまで知らないけど。リアルな映像の中で色々なステージをクリアしたり、戦いあったり。」
「世の中には知らないことが沢山あるんだね。僕の知っているゲームはそんなんじゃない。」
「ええっ!さらに落ち込まないでよ。」
思わず心の声が漏れたので、ルナは自分の口を塞ぐ。サンは聞こえなかったのか、気にしていないのか、何も言わなかった。
「子供達と一緒にゲームしたらどう?多分もう学校は終わってるはずよ。ほら見聞を広げる、みたいな感じ?」
「考える。」
「そう。あたしはもう少しここを掃除してそれから夕食作りに取り掛かるわ。」
サンは頷くとルナから離れていく。前にもサンが同じように頭を抱えていた時があった。ルナが初めてサンに会った時。自分は何のために生きているのだろうと言って、今回のように焦点の合わない目をしていた。何が彼に影響を与え、あんな目にさせてしまうのだろう。あたし、サンのこと何にも知らない。モップを近くにあったバケツにつけながら、ルナはそう思った。よく考えたら出会ってまだ三日目。お互い知らないことだらけで当たり前だ。
きっと、この三日間が濃厚すぎたんだ。ルナに初めて友達が出来た。しかも同世代の。船にはルナと同世代の若者は乗っていない。大人か、子供だけ。初めて同世代と仲良くなった。物静かで、色々なことを知っていて、あまり感情を表に出さない、ミステリアスな友達。何を考えているのか良く分からないけれど、根は優しそうな人。実際、ルナがどんなにヘマをしても笑わないし馬鹿にしない。
船の中はいつもどこかに緊張感がある。だからヘマをやらかすと冷ややかな目をされるし、怒られることもある。体罰を受けたことはないが、精神的に辛いことは幾度とあった。特に家事の仕事を任されてからは。 そんな時にサンが来た。サンはルナの仕事にお礼を言ってくれた。ルナを馬鹿にしなかった。久々にあんな人に会った。ちょっとズレてるところもあるけど、八十パーセント以上模範的な人に。
何にも知らないけど、サンはあたしの中では初めてできた同世代の友達。それに、仲良くなった人。優しいなって思った人。自分の頭を整理して、ルナは水につかって重くなったモップを動かす手を止めた。それなら、今のサンに寄り添うのが友達なんじゃない?昔読んだ絵本を思い出す。辛い時君の横にいるよ。友達だから。そう書いてあった。ルナにはそもそも友達なんていう存在は今までいなかったので、友達というものが分かりそうで分からない。それでも今は友達として動いてみるべきだ。下手くそでも初めて出来た友達を励まそう。どうしたら正解なのかは分からないが、やってみればいい。モップとバケツを手にしてルナは廊下掃除を引き上げることにした。まあまあ綺麗になったからいいだろう。帰りにサンの部屋に寄ってみよう。ちょっとでも話したら何か変わるかもしれないし、お互いのことをもっと知れるかもしれないから。
結局あの後サンの部屋を訪ねたが、中から返事はなかった。
「寝ちゃったのかしら。」
独り言を呟いてから、ルナはキッチンに向かった。その途中で何人かの船員達からことづけを頼まれる。
「ルナ。お腹すいた。」
子供達が声をかけてきた。
「もう少しでご飯だから待ってて。」
「飢え死にしちゃう。」
リーダー格が言うと子供たちは同調した。
「もうー。キッチンにある残り物でいい?着いてきて。」
子供達を引き連れキッチンに入ると、中にはポツンと床の上に座ったサンがいた。
「あら、サン、ここにいたのね。」
「うん。ルナがいるんじゃないかと考えて。」
「当たり。」
ルナは笑ってみせると近くにある背の高い棚に手を伸ばした。
「ここにクッキーがあったはず。」
ルナはごそごそと中を探り、大きな瓶を出してきた。
「いつ作ったやつ?」
「一週間くらい前だと思うわ。大丈夫、うちの最先端の保存剤と一緒に保管してあったから。」
「なら大丈夫だ!」
「食べようぜ!」
ルナから渡された瓶をリーダーが抱えてキッチンを出ていく。他の子供達もそれに続いた。
「瓶、戻しにきてよー。」
その後ろ姿に声をかけ、ルナはサンに向き直る。
「ねぇ、サン。その、言いにくかったらいいんだけど。何かあったらあたしに言ってちょうだい。この船に連れてきたの、そもそもあたしだし。年も近いし。」
口にすると一気に恥ずかしさが出てきて、ルナはまくし立てる様に話した。
「うん。」
サンの返事だと、ルナの言葉がサンに響いているのかいないのか良くわからない。
「何かあったの?分からないことがあるって言ってたけど。一緒に探すわよ。」
「探せるものか分からないんだ。」
「え?」
探せるか分からない物?
「僕が知らない物なんだ。初めて知った物。こう、物理的ではないけれど、胸の中で何かが、あるんだ。」
「はぁ。」
首をひねったルナ。
「ルナも同じ様になったことない。物理的じゃないけど、胸に何かがある感じ。」
サンはそう言って項垂れた。その様子を見て、ルナははっと思い出す。
「思い当たるのはあるわね。モヤモヤする時とかになるかも。確かに胸の中に何か感じるわ。」
「モヤモヤってどんな感じ。」
「ええっと。頑張っても報われない時に感じるけど。無力感って訳でもないし。上手くまとめるなら、自分の中で何かに納得してない時に感じるって感じかしら。」
「僕は納得してないのか。」
「何に?」
「それは。」
そこまで言ってサンは黙り込んでしまう。しばらくしても話し出す様子がないので、ルナは夕食の準備に取り掛かることにする。
「ねえ、ルナ。モヤモヤって感情?」
「そうだと思うけど。」
野菜を切っているとサンがようやく口を開いた。
「僕よくわからないんだ。」
「何が?」
「感情だと思う。でも、自信がない。」
「そう。」
そこまで言うとルナは野菜を切る手を止めた。
「それなら、はっきりと分かるまであたしが手伝うわ。何が分からないのかを分かる様にして、更にその分からない物を、分かる様にすればいいじゃない。まあ、あたしが役に立つのかって話だけどね。」
おどけて見せたルナをサンがじっと見つめる。
「な、何?」
「いや、ルナ。今、悲しいの?」
「え?」
「涙が出てる。」
「え、ああ。」さっきまで玉ねぎを切っていたから目に染みたのだろう。涙が出ていた。こんなこと日常すぎて気にしていなかった。
「違うわよ。玉ねぎ切ってたから。」
思わず笑ったルナを見てサンは壁に寄り掛かる。
「ルナ、何か手伝おうか?」
「じゃあ、そのお鍋にこの野菜達入れて。」
サンにそう言ってからルナはふと思った。サン、感情わかってるじゃない。だって悲しいってこと知ってたもの。
次の日の朝、サンは船長に呼ばれた。
「どこもかしこもサンを欲しがっててな。サンは希望の仕事はあるか?」
「いえ。」
「なら好都合。プログラム室と技術室と文献室は人数が足りとるんで。サンにはそれ以外の今回体験してもらった仕事、全てを担ってもらおうと思う。」
「それはちょっと。」
「大丈夫。一日ずつ仕事が変わるだけだ。この日は運転室、この日はラボ。みたいにな。さ、今日は運転室だ!」
上機嫌で船長はそう告げるとサンを連れて歩き始めた。
そんなこんなでサンは沢山の仕事を掛け持ちする船員となった。掛け持ち船員のことを船ではメルマリネロと呼ぶらしい。そして今回、史上初の同時掛け持ち数を記録したサンは船では、ファーメルマリネロと呼ばれる様になった。初めのうちは不信感丸出しだった船員達も最近はサンのことを認め始めている。言われたことはきっちりとこなし失敗をしない。膨大な知識量に冷静な判断力。サンの株は一日ずつどんどん上がっていった。
「いやー。ルナが君を連れて来たって聞いた時はびっくりしたよ。何者だろって。」
「俺も俺も。」
真ん中の舵を握っていると、両側から話しかけられた。
「そうですか。」
「当たり前じゃん。ルナのことだからやばい奴連れてきたと思ってた。」
「だよなー。政府のスパイかと思ったぜ。」
「へえ。」
サンはマップを見るふりをした。
「ここまで使えるスーパールーキーを連れて来てくれたんだからルナには感謝ね。」
「同感。てか、サンって何でも出来るよな。」
そんなことない、と言うようにサンは首を振った。人間はこうやって感情を表すはずだ。
「お二人は運転以外は?」
「俺?一応ラボのチームにも入ってるよ。この舵任されてるくらいだからね。」
サンの左側に立った船員が、片手でポンと叩いた舵は、ザ•レイテストだ。
「私は運転以外はなーんも。前は家事も担当してたけどね。ルナが一人でやる様になってからはぜーんぜん。」
「以前はルナ以外の人も家事をしていたんですか。」
「当たり前だろ。こんな広い船の家事を一人でやりくりしてるルナは異常だ。」
「異常。」
言葉の使い方が、間違っている気がする。今、異常という言葉をここで使う必要があったのだろうか。
「俺も他の船員も割り当て表みたいなのに従って家事してた。」
「男女問わず。十二歳以上になったら船での仕事を決めるんだけど、その時に同時に付いて来るのが家事の分担だったの。」
「でも、今は違いますよね。」
サンは注意深く左に舵を切る。
「ルナは、なかなか自分に合った役割が見つからなかったの。」
「まぁ、あの調子じゃな。」
「それって。」
ルナが家事を一人でこなすことと関係があるのかと聞こうとした時、船がぐらりと右に傾いた。
「やば。思った以上に早い風が来てる。雲の厚さも結構ある。」
「どうする?羽、伸ばすか?」
「伸ばさないほうがいいです。」
きっぱりと言い切ったサンを見て二人は眉を上げた。
「何でだい。」
「この風の中、羽を広げるのは良くないです。それに無理に大きさを変えると、透明化にも影響が出るんですよね。今はそこそこ大きな街の上空にいます。もしも透明化が効かなくなったらまずい。」
「なるほど。」
「雲の暑さはどれくらいですか?」
「二百フュート。でも、風、反対からも来てるよ。そっちは七十フュート。」
「それなら、僕が今から思いっきり下降します。どうですか。」
「よし来た。」
透明化のボタンを再度押した船員は、他のボタンを立て続けにいくつも押した。
「ああ、下降する。何かあった時のためにすぐ手は打てるようにしといてくれ。」
ラボと電話を繋げたようだ。そのうちにサンは舵を下向きにする。
「ナイスー!サン!」
右隣では風に対抗しながら舵を取る船員の姿。サンもその姿に負けじと舵を取る。
「いいねー。サン。」
強い風から抜けると、船員達は嬉しそうな声を上げた。
「やー、あの判断。良かったよ。」
「試しにサンに聞いてみて良かった。」
「僕、正解でしたか。」
「あのな、正解は一つじゃないから。無限大なんだ。生き残れて被害がそこまでなければ正解だから。」
船員はニッと笑う。
「そうなんですね。」
「うっわー。俺いいこと言った、って顔してる。」
正解が一つじゃない。初めて知ったことだ。それなら、成功率が上がるんじゃないか。一つじゃなく無限大なら、正解を見つけやすいんじゃないか。マップと雲の様子を確認してから、サンは舵を握りながら新しい発見を頭の中で整理することにした。目を閉じる。五秒経ってから頭の中がすっきりした。記録した。今度から正解が一つじゃないか検証しよう。サンは舵を持ち直した。こうやってサンは毎日新しい発見をして、自分をアップデートしながら生活していた。
サンにとってラボでの仕事が一番向いていた。サンの得意なことが発揮出来る場所なのだ。ただ、いつもラボに入る時は、一瞬体が強張る。以前いたところと空気が似ているせいかもしれない。
「サン、いらっしゃい。実はサンに見せたい資料があるの。」
「なんですか。」
「この緑の液体への対抗策を考えてたんだけど、なんとそのヒントが見つかったの。」
「え。」
サンは三日に一回ラボに通うことになっているが、毎回毎回来る度に大きな成果が出ている。自分の居た国では成果を出すのに二年以上かかっていたことが、ここではいとも簡単に三日もなく成果が出てしまう。
「緑の液体に少量だけど使われている物質があるでしょ?イーエロアン。あれについて調べていたら面白いことを見つけたの。」
「ターニャ、横取りするな。見つけたのは俺だ。」
ぺらぺらと喋っていたターニャの肩に手を置いた一人の男性がサンに話しかけてくる。
「やあ。ちゃんと話すのは初めてか。俺はこのラボに勤めてるジャン。」
「サンです。」
「知っている。船は君の話で持ち切りだ。」
ジャンは背が高く猫背で、しゃきっとした若者ではなかった。それでもジャンの気だるげな話し方、低く唸るような声、そして虚ろな瞳はサンの中に印象深く残った。
「お前達は昔の資料などあさり切ったと言っていたがな、ちゃんとヒントがあった。」
「だってまさかあんな古い資料の中にヒントがあるなんて誰も考えないでしょ。」
口を尖らせたターニャを見てジャンは虚ろな目をカッと開いた。
「だっても何もないだろ。見つかったんだ。ヒントが。」
テーブルの上にはジャンが資料を見ながら書いたメモの束が沢山積まれている。
「これ。」
「全て俺が紙に書き写してきたものだ。今、昔の資料や本をデータ化するって文献室の奴らが言ってるけど、いかんせん仕事が遅いんだ。なかなか資料がデータにならない。自分で乗り込んで行ったら、ファイルを持っていくなと怒られたからな。紙に書き写しといた。」
「紙に書くくらいならデータにすればいいのに。なんでそんなに紙にこだわるのよ。」
「いいだろ。データにするのは文献室の仕事だ。必要なこと以外、俺はしない。それに俺は電子機械より紙の方が慣れてるんだ。」
ジャンは言い返すとメモの束をサンの居る所へ滑らせた。
「どうだ。イーエロアンが他の物質にもたらす影響を考えれば、一番攻撃すべき物質はイーエロアンだと分かるだろ。ただ、イーエロアンへの対抗策になる物質がなかったんだ。対抗出来る物質は限られていて、今回使えそうなのはサランドル。ただサランドルを入れると、他の物質と調合するのが難しくなる。しかしミケアドーナという物質をサランドイルと同量入れると、調合の難易度が下がると書いてあったんだ。実験の仕方と結果がしっかり載っていたから昨日試した。」
「それで。」
「ビンゴ。」
「じゃあもう対抗策は出来てるってことですか。」
「や。こっからまた調べていくぞ。イーエロアンの対抗策は完成。他の物質への対抗策もそのうち近々見つかるだろ。一番難しいのはその対抗策をどう透明化に取り入れるか。それだけだ。」
サンはジャンのメモに目を通す。
「これはどこから見つけたんですか。」
「文献室のファイルの中だ。昔の科学者のメモに残ってた。」
「昔からこんなことが分かってたんですか。」
昔と言ってもどのくらい前なのだろう。
「昔って言っても百年程前よ。」
「それは昔だろ。」
ジャンは肩をすくめると話を続けた。
「とにかく、ヒントが見つかったんだ。このまま研究を進めるぞ。」
「そうね。」
「あの。」それぞれの作業に戻ろうとした船員達をサンは呼び止めた。
「百年以上前から、どうしてそんなことが分かっていたんですか。」
「それはね。」
口を開いたターニャを押しのけ、ジャンがサンに顔を近づけた。
「調べてみたらどうだ?」
「え。」
「文献室に資料がある。調べてみろ。すぐに答えが出たら楽しくないだろ。」
「ジャン。いいじゃない教えても。」
「いいけどよ、自分でこの船のことを知った方がいいんじゃないか。あの小娘にひょいひょい着いてきたんだろ。お前はまだまだ何も知らないからな。」
確かにそうだ。サンはこの船のことは何も知らない。船員達はどこから来たのか、何故スカイレーツとして活動しているのか、進んだ技術をどうやって得たのか。他にも気になることは沢山ある。
「自分で調べてみます。」
「そうだ。それが研究者ってもんだ。」
にやりと笑うとジャンは研究チームから離れていく。
「もう。サン、私が説明するわよ。」
「いや、自分で調べます。」
サンはターニャや他の船員の善意を断った。自分でこの船のことを知りたいと思ったから。
夕食帰りに文献室に入ると眼鏡を掛けた船員に話しかけられた。
「サン君だね。」
「はい。調べ物をしに来ました。」
「手伝うよ。どんな資料が必要かい?」
「大丈夫です。自分で探します。」
船員は一瞬目を泳がせてから頷いた。サンは近くの大きな本棚に近づく。どの資料も自分の知りたい内容に関わってくるものばかりだ。他の本棚も見てみる。ここも同じだ。仕方がないので右側の本棚の本を全て読んでいくことにした。
一冊の分厚いファイルを読むのに一時間はかからなかった。今読んだことを忘れないためにサンは一度目を閉じる。アップデートが完了するとサンはファイルを元の位置に戻した。それから横にあった資料ファイルを手に取る。
どうも科学の発展は百年以上前から始まっているようだった。そもそもサンの居た国カイナオで最新機械と歌われていた物に似た製品が、八十年以上前には生産された記述がある。プログラミングもそれと同時に栄え出したようだ。プログラミング系の資料が近くにないかと周りを見渡す。分厚いプログラミングのファイルを開くと中は細かい文字と数字の羅列だった。試しに読んでみると、プログラムの意味がなんとなく分かる。小さな違いはあれど、サンの知っているプログラミングと似ていた。何故、この船と自分の居た国のプログラミングが似ているんだ。
このプログラムはサンの居た国独自のものだ。何故、それがこの船でも使われているのか。全く関わりがないはずなのに。自分の居た国とこの船に関わりがないか調べてみよう。となると、歴史に関する資料だろうか。サンは目を一度閉じてから次の資料を手に取る。歴史関係の資料はあまりないようだ。少ない資料を読み込む。ただどれも科学や技術関係以外は断片的なことしか書かれていない。
この船の人々は、北の島国、ナルナータという所から来たようだ。どのくらい前からか分からないがその地を飛び立ってこの船で旅をしている、らしい。それも正しいのかよく分からない。サンが資料を見て推測しただけだからだ。読み込んだ資料の地図に異様にナルナータがマークされていた。他にもナルナータに関する記事や本のコピー、走り書きが沢山あった。他の国についての資料もものすごい量があるが、ナルナータの量はその五倍以上はある。ちなみに二番目に資料の量が多かったのはサンの居た国、カイナオだった。それにしても、なぜそこまで出身地でもないカイナオに執着するのだろう。調べても調べても理由が見つからなかった。
「今日はもう閉めようと思うので、退出してもらえますか?」
「はい。」
船員に話しかけられて、サンは資料から顔を上げた。
「分かりました。」
それだけ言うとサンはすくっと立ち上がった。
「この船について調べてるのかい?」
「そうです。」
「それならもっといい資料があるよ。明日また来れない?」
船員は小型の機械をサンに見せた。
「この中にデータが入ってる。重要な物はほとんどデータ化したから。」
だから微妙な資料しかなかったのか。
「是非見せてください。」
「じゃあまた明日。」
文献室を出て自分の部屋に戻る途中でルナに会った。
「あら、サン。まだ部屋に戻っていなかったの?」
そう言うルナは、水の入ったコップがのったお盆を持っている。
「うん。文献室で調べ物をしていたんだ。」
「新しい発見はあった?」
「うん。知らない事ばかりだよ。この船は、不思議だね。」
「そう?あたしここで生まれ育ったからわかんない。」
キョトンとするルナ。
「ルナはまだ仕事。」
「うん。運転室から水を持って来いって電話があったの。人使い荒いでしょー。」
冗談めかしてからルナは真剣な顔になった。
「あたし、サンと話してる時って楽しい気分になるわ。」
「え。」
「感情、伝えてみたの。サンは感情が分からない気がするんでしょ?だからあたしがお手本見せてるの。先生よ。」
おどけて見せたルナを見てサンは納得した。
「ああ。そういうことか。」
「そうよ。じゃあ、また明日ね。」
ルナは水を運んでいるからか今回は走らず、歩きながら去っていく。それから思い出した様にこちらを振り返った。
「サン、明日初めての休日ね。しっかり休んで。」
「そういえばそうだね。」
船員達には交代で一週間に一回休みの日がある。明日はサンの初めての休日だ。
「ゆっくり休みなさい。そうしないと体が持たないから。じゃあね。」
ルナは今度こそ行ってしまった。明日は一日何も予定がない。文献室に籠もって資料を探そう、サンはそう決めた。
いつも通りの時間に起き、朝食を食べ、サンは文献室に向かう。そこへルナが走ってきた。
「ああ、いた。サン、お願いがあるの。」
「何。」
洗い物の手伝いだろうか。
「子供達の学校の先生を今日一日だけ引き受けてくれない?」
ルナの話はこうだった。学校の先生の体調が良くないので代理でサンに一日、子供達に授業を教えて欲しいのだと言う。
「ベットからも起きられないほど頭が痛いみたいで。他の大人も今日はあちこちに仕事に出てて。学校を休みにしようって声もあったんだけど、あの子達、絶対仕事の邪魔するでしょ?」
「ああ。」
学校がないことをいいことにあちこち歩き回って騒いでいる子供達が一瞬で想像できた。
「いいよ。教えるの初めてだけど。」
「本当!?良かった。ホッとした。ありがとう。」
ルナは感情を一気に言うと歩き出した。
「あと五分で始まっちゃうの。サンごめんね。ゆっくり休みなさいなんて言ったのにこんなことになっちゃって。」
「いいよ。また新しい発見があるかもしれないしね。」
文献室も面白いが、子供達と過ごしたり、教えるという行動から、新しい発見を見つける。それはそれで面白いかもしれない。
「みんな、今日は代理でサンが先生よ。しっかり言う事聞きなさい。」
「サン!船の操縦の仕方教えてよ。」
「ラボのことも!」
「あのねえ、ここは学校なの。普通に算数とか社会とか勉強するのよ。」
ルナは教卓から機会を取り出した。
「これがカリキュラム。それぞれの子供達が今日やることが書いてあるから。」
一人ひとりに合わせた綿密なカリキュラムが映し出されている。
「完璧じゃなくていいわ。学校がある時間、この部屋に居させる、それだけでいいから。」
子供達に聞こえないようにルナはサンに耳打ちした。
「分かった。みんな、授業を始めよう。」
サンは学校の授業のテンプレートを頭の中から引き出す。よし、授業スタートだ。
「なんで5×5=25なの。」
「どうしてって、そういう物なんだ。暗記だよ暗記。」
「サン、この単語の意味って何?」
「ニコリと笑うって意味だ。」
「その時の時速を求めなさい?知らねーよそんなん。」
「こんなの簡単だろ。ほら。」
教えるということは思っていた以上に難しかった。何故、どうして、と聞かれてもそれはそういう物だとしか返す言葉がない。逆にこちらが何故分からないんだと言いたくなる。
「どうしてこの問題で躓くんだ。」
思わず純粋な疑問を口にすると子供はバンっと机を叩いた。
「だって難しいんだもん。サンだってこういう問題を初めて解いた時、難しかったでしょ。」
「初めて解いた時。」
初めてこのケースの問題を解いた時か。確か丸をもらったと思う。でも、それは自分の力で解いたからではない。組み込まれていたからだ、機能に。この子供達にはその機能がない。この問題を難しいと思ったことのない自分が、どうやって教えたらいいんだ。頭を抱えた時、放送が入った。
『雨だ。手の空いている者はバケツを持って甲板に出てこい。』
何だこの放送。子供達は一斉に教室から出ようとした。
「ちょっと、待て。」
「いや待たないよ。だっていま雨が降ってるんだよ?」
「だから何なんだ?」
「貴重な水を確保する機会なんだよ!みんな一人一つはバケツ持って甲板に出るの。それでバケツいっぱいの水をタンクに貯めるんだよ。」
「ああ。」
サンは状況がなんとなく分かってきた。甲板に出て、降っている雨をバケツで集め、貯水するのだ。
「でも、学校は?」
「この放送が入ったときは一旦休止だよ。」
「それなら行こう。」
子供達にバケツのある場所を教えてもらい、皆で甲板に出る。もうすでに何人もの船員がバケツに水をためていた。
「いやー、ラッキーだな。」
「本当に恵みの雨だ。」
ことんとバケツを甲板に置き、サンは子供達と一緒に甲板に立っている小さな小屋の中に、雨宿りのために入った。
「バケツの水がいっぱいになったら下に持っていくんだよ。」
「なんだか面白いね。」
「恵みの雨だし、楽しいし、最高だよね!」
しばらく子供達と話していると外から絶望した声が聞こえた。
「嘘でしょ。すごい降ってるじゃない!」
ルナの声だ。
「洗濯物濡れちゃう。もう一度洗わないといけない。」
「そう焦んなって。水が増えたから洗えるだろ。」
「そういうことじゃないのよ。」
雨の音に負けないようにルナは大声で返す。それから
「うわああ。」
という声とともにダンという音がした。サンはルナが転んだのだと思い小屋のドアを開ける。案の定甲板の上ですっ転んでいる。
「ルナー、必要以上に焦るからだぞー。」
「さっきも言っただろ。水があるんだからいくらでも洗えるって。」
「そういうことじゃないわよ。あたしがもう一回洗濯してもう一回ここで干さなきゃいけないじゃない。それが面倒なの!こんな沢山の洗濯物もう一回洗濯しなきゃいけないなんて本当に嫌!」
「それなら放送がかかった時すぐに来ればよかったんだ。」
「あたしその時、火を使ってたから手が離せなかったの。」
「ならしかたないな。」
「みんなが取り込んでくれればよかったのよ。なんであたしが来るまで干しっぱなしにしたの?水も大事だけど何人かで協力したらすぐに取り込めたでしょ!」
ルナは自分が雨に濡れるのも構わず、洗濯物を取り込み始めた。
「へっぽこルーナ、へっぽこルーナ。」
「うるさい!黙ってて頂戴。」
ルナは勢いよく干されていたシーツを手元のバスケットに放り込んだ。サンはルナの元へ駆け寄る。
「ルナ、手伝うよ。」
「ありがとう。」
「いや、ごめん。洗濯物のこととか全然考えてなかったから。」
「手伝ってくれるだけ、全然マシよ。あたしがこんなに色々言っても無視するんだから。」
ルナの顔は濡れていた。雨のせいなのか、泣いていたからなのか。サンにはその両方に思えた。
あれから二週間、サンはルナの仕事を積極的に手伝うようになった。それと並行して、サンの調べ物は続いた。それでもこの船のことは完全に分からない。調べれば調べるほど謎が深まっていく。大きな部屋の壁に沿う様に並べられた本棚にはまだまだ沢山の資料が並べられていて、いつになったら読み切れるのか全く分からない。データの中にも沢山の資料が入っている。どれもこれも重要なもので、目を通さないと何か大切なものを見落としてしまう、そんな資料だ。こんなところにその情報を書くのか、と言うところに重要なことが書いてある。そうなれば全ての資料に目を通さないと完璧にこの船について知ることはできない。仕事の担当時間以外は文献室とルナのいるキッチンや洗濯室に入り浸るのがサンの日常になっていた。
やはり、船員達の殆どが北のナルナータ出身という推測は合っている様だった。多くのデータにたびたび書かれているので、これは確かな情報だ。
そして新たに分かったことが二つあった。一つ目はナルナータの文明は百年以上も前からカイナオ以上に栄えていること。二つ目はナルナータに王族がいたということだ。
一つ目に関しては進んだ科学技術、機械構成、プログラミング技術が百年以上前の資料から読み取れる。更にこの船は百年ほど前から飛んでいるとも書いてあったので、相当の技術だ。
二つ目の王族について。どうもナルナータには王族が居たらしい。王と周りの賢者によってナルナータの政治はなされていたと書かれている。今見てもかなり進んだ政治で機関もしっかりしている様子だ。その王の子孫がどうもこの船の船長、ということになるようだ。何故船に乗ったのかその経緯が書いてある資料をまだ探していないので、何故王族の子孫が船長になったのかはよく分からない。ただ、そうなるとらルナは王族の末裔ということになる。その末裔にあの仕打ちではどうも納得行かないと言うか、敬いが足りない気がするのは気のせいだろうか。
よく分からないな。資料を読み込みながらサンは一度目をつぶった。情報が多すぎて、そのくせ抜けていることが多くて、情報が上手くまとまらない。もう一度目を開いてサンは調べ物を続ける。今日はずっと向き合お言うとして向き合ってこなかったあることを調べることにした。このことに向き合わないおかげで王族のことを知れたのだが。
サンは思い切ってある資料を開いた。
ナルナータは百年以上前から文明が発達していた。それも今のカイナオレベルに。そして不思議なことがある。プログラミングや機械技術に科学技術、情報のまとめかた。カイナオの発展を担ってきた物たちは、ナルナータが作った技術に酷似しているのだ。
もし、ナルナーたが百年以上も前から発展していたことが事実なら、カイナオとナルナータとの文明の差は当時からあったということになる。となると、プログラミングのプログラムを先に開発したのはナルナータの可能性が高い。カイナオの技術は、ナルナータの人々によってもたらされたという事か。この推測が頭に浮かんだ時、サンはエラー状態になった。最先端で自国独自の技術を持っている国、それがカイナオだ。カイナオはここ八十年で驚異の進化をした国として世界で知られている。世界を率いる国と言われているはずだ。それなのに、その技術が百年前のナルナータのものとそっくりなのだ。プログラミングも、機械技術も、情報のまとめかたも。
どちらが真似た、盗んだ、と言われたら圧倒的にカイナオが辛い立場になる。サンの頭の中はそのことを考えるだけで混乱する。カイナオは、自信で最先端を作り上げた訳ではないという事か。あの機械も、あのプログラムも、僕も、全てカイナオの最先端の技術による物ではないのか。一瞬そう考えてからサンは首を振った。嘘だ。そんなはずがない。違う、違うはずだ。きっと、この船がカイナオの技術を盗んだんだ。だから、カイナオについてあんなに執着した様に調べていたんだ。きっとそうだ。その証拠になる資料を見ればいい。
すぐにいつかの船員が書いたカイナオの報告書が出てきた。ほら、調べている。きっと、きっと、カイナオの技術を盗みに来たんだ。サンは機械に移された資料を見ようとしてぐっと画面によった。その拍子に肘が近くに積み上げていた資料に当たり、資料や本は崩れ落ちる。
『アンドリュー・ナイトとココネル・キールの行方、分からず。捜索を続ける。』
「アンドリュー、ココネル。」
知らない、いや、知ってる。違う、知らない。変だ、やっぱり知ってる。違う、違う、知らないんだ僕は。知らない、知らない。そこでサンの意識がシャットダウンされた。
気が付くとベットの上にいた。なんで勝手にシャットダウンしたんだ。ベットに横になったままサンはしばらくぼおっと過ごした。
「サンー。起きてるー?」
どんどんとドアを叩く声の主はルナだ。
「サンー。起きてよ。ルナが寂しがってる。」
「そんなことないわよ。」
「嘘つけ。」
「あんたたちこそサンがいなくて寂しかったでしょ。相手してくれる人がいないものね。」
「んなことないよ!」
廊下の騒ぎ声が丸聞こえだ。うるさいなぁ。でもこの会話が、心地いいんだ。
「ねえ、丸聞こえだよ。」
扉を開けると、ルナとその周りに何人もの子供達が立っていた。
「ごめん。でも起きて良かったわ。」
ルナは胸をなでおろしてから、一気に
「安心した、ほっとした。嬉しい。嬉しくて泣きそう。あと、ええっと。よかった。これって感情かな?」
首を傾げたルナを見てサンは笑った。ルナはサンのために感情を教えてくれている。なんだか感情を少しだけ理解できた気がした。
「ルナがね、サンのことばっかり気にして仕事いっぱい間違えたんだよ。」
「寂しかったんだよねー。」
「だーかーらっ。違うってば。あんた達はいつも。」
「うわー。怒った。へっぽこルナがモンスタールナになった。」
「もう、やめて。朝食できてるわよ。」
朝ご飯はルナが作ったというオリーブパンとトウモロコシスープ、リンゴのコンポートだった。
「これ、おいしそうだ。凄いねルナ。特に、このパン!」
興奮するサンを見てルナは得意気に笑った。
「ありがとう。オリーブパンは初めて作ったんだけど、かなりいい出来でしょ。」
そう言うとルナはサンの目の前に腰かけた。
「サン、今日はラボの日だけど。どうする?しばらく休んでもいいって船長が言ってたわよ。」
「そうだね。」
ラボか。あそこに行きたくないな。顔に出ていたのだろうか。ルナはパンッと手を叩いた。
「今日は休んどいたら。いきなり動いてまた寝込んでもだし。」
「そう言えば、僕ってなんで寝込んでたんだろう。」
「分からないのよ。文献室で倒れているところを見つけられて、一応この船の医者にも見せたけど、異常なしだって。」
「僕のこと、見たの?」
「そうよ。聴診器とか当てたり、脈図ったりね。」
「それで異常なしって誰が診断したの?」
「ジャンさんよ。あの人お医者さんもできるから。」
「それで、異常なしだって?」
「そうよ。まだどこか悪いの?」
サンの顔を覗き込んできたルナからサンは距離を取る。いや、異常なしならいいんだ。
「なんでもない。じゃあね。」
「どこ行くの?」
「文献室。」
サンが答えるとルナはため息をついた。
「ここのところ文献室にずっと入り浸っているじゃない。一時期はキッチンによく来てくれたのに。寂しいわ。」
「じゃあ、後でキッチンに行くよ。」
「本当?嬉しい。楽しみにしてるわね。」
ルナは会話の所々で、今思っている感情をサンに伝えてくれる。
「ありがとう。また後で。」
文献室に入って、サンは二日前のことを思い出そうとした。自分が倒れた瞬間の記憶が曖昧になっている。思い出そうとしても思い出せない。こんなこと初めてだ。ぐっと目を瞑っても答えは出てこない。
「元気になって良かったけど、また来たのかい。」
以前話した船員に話しかけられてサンは目を開けた。
「あの、僕が最後に見ていたデータって分かったりしますか。」
「分かるよ。ちょっとついてきて。」
薄っぺらい大きな板のようなコンピューターの前に船員は椅子を持って来ると作業を始めた。
「ほら、最後に君が閲覧していたものだ。どう?これじゃなかった?」
そうだ。カイナオとナルナータの関わりについて調べていたんだ。カイナオの技術は最先端なものでもなければ、独自の物でもなかった。そんなわけがないと思って二国の関わりを調べて、その時に、
「あれ、こんな資料見てたのかい。」
「はい。」
「アンドリュー・ナイトとココネル・キール。君も彼らを超えたいの?」
「えっと。」
そもそもその二人は何者なのだろう。聞いたことがある名前なのに、誰なのか分からない。顔も出てこない。その他の情報もない。
「二人を超えることは、なかなか出来ないよ。なんて言ったって、ナルナータ史上最も優秀なの学者と言われていたから。」
学者なのか。
「初めの頃、プログラミングや科学系の資料をよく見ていたのは、この二人を超えたかったからなのかな。」
「なんで、知ってるんですか。」
自分の行動をなぜ知っているんだ。サンは眉を潜めた。船員は慌てたように手を振る。
「いや、何を見ているのかって気になって。ごめん。その、船長に言われてて。ああ、これは内緒だった。」
監視されていたのか。サンが文献室に入り浸っているのを不審に思った船長が船員に頼んだのだ。サンが重要な資料をどこかに売りつけるとでも思ったのだろうか。自分は結局誰かに監視されて、思う様に使われる、そんな人生なのだろうか。
「失礼します。」
なんだか不快な気持ちになった。自分は船の一員として認められていなかったという事なのだろうか。しばらくは文献室に入らないことにしよう。怪しい行動をしていると思われては困る。文献室を出てから気付けばキッチンの前に立っていた。思い切ってドアを開けると、食器洗いをしているルナがいた。
「あら、サン。早かったわね。」
「うん。」
ルナは僕のことをどう思っているんだろう。
「サン、何か飲む?」
「うん。何でもいいよ。」
「そう。」
ルナは洗い物をする手を止めて、サンのためにココアを入れてくれた。
「ありがとう。」
マグカップを受け取ると、その熱さにサンはマグカップを落としそうになった。
「そんなに熱い?」
「熱いよ。九十八度だよ。」
「サン、触ったら何度か分かりる特技もあるの?本当に凄いわね。」
「備わってるんだよ。」
しばらくの間、マグカップを服の袖で持って、ふうふうと息をかけていた。食器洗いを再開したルナは、集中しているのか何も言わない。皿洗いの音だけが響くキッチンの端に置かれた椅子に座って、やっと六十五度になったココアをサンは口に運んだ。居心地がいい。心地よい気持ちになったので、サンは椅子の背に背中を預けた。ココアを飲み終わってぼおっとしているとキッチンの扉が開いた。
「ルナ、洗濯物してくれよ。」
「ごめんなさい。悪いんだけど、船の中の水をほとんど使っちゃったの。」
「なら洗い物しなきゃいいじゃないか。」
「だって、食事を出したら食器が汚れるでしょ。そうしたら洗わなきゃ。」
「他の食器を使ったらいい。」
「そんなにうちの船に食器はないの。だから今まで何度も食器を買いたいって言ってたのよ。」
濡れた手をエプロンで拭いてルナは船員達の前に行く。
「服があと二日分足りないなら洗ってあげる。それ以外は受け付けないわ。明後日、着陸した時に一気に洗って一気に乾かすから。それが無理って言うなら食事はなしってことになるわよ。どう?」
「あー、はいはい。分かったよ。」
船員達は手をひらひらと振ってキッチンを出て行った。
「いつも気を付けるようにしてるのよ。水は料理以外にも使うことが沢山あるでしょ。だからあまり水を使わないレシピを参考にしてるつもり。でも上手くいかない時もあるの。最近は雨も降らないし。」
「水って作り出せないの?」
「その考えはなかったわ。水を作り出せる機械でも作ってもらおうかしら。盲点だった。」
ルナはエプロンを結び直してからサンを見た。
「あたし技術部に行くけどサンも来る?」
一瞬迷ってからサンは頷いた。
「思いついたらすぐ行動よ。何て言うんだったかしらね。」
「善は急げとか、思い立ったが吉日とか。」
「流石サン!何でも知ってるわね。いつもいろいろ知ってるから驚くわ。」
廊下に出るとどこから来たのか子供たちがルナを取り囲んだ。
「ルーナ、ルーナ。へっぽこルーナ。」
「また来たの?やめて頂戴。あんた達学校は?」
「今休み時間でーす。」
歩く速度を上げたルナに子供達はくっついていく。
「ねえ、やめたら。」
今まで何度も聞いたこのへっぽこルナコール。聞き流していた。特に何も思わず。それが今変わろうとしている。サンの中でふつふつと怒りが湧いてきた。
「僕には、ルナが嫌がってる様に見えるけど。」
「はああ!ルナ嫌がってないし。」
「一応と言うかなんというか、嫌がってるわよ。」
子供達をルナがじっと見ると、子供達は不満そうな顔をした。
「だって言い返さないし。」
「面倒くさいから言い返さないだけよ。」
「ほら、嫌がってるよ。それならやめた方がいいと思う。」
サンが優しく諭すと子供達は蜘蛛の子を散らすように去りながら叫んだ。
「別に本気で言ってるんじゃねーし。」
「船長が言ってたから言っただけだし。」
船長が言ってたから。どういう事だろう。
「ルナ、船長が言ってたってどういうこと?」
「ああ。それは、あたし、仕事が決まりなかったのよ。どこにいっても失敗してばっかで。運転もラボも研究系の仕事も。だから迷惑を掛けたくなくて、自分から家事を担当するって言ったの。出来るだけ多く担当するって。その時父さんが言ったの。『へっぽこなんだからそれくらいやらないとな。じゃないと船にいる意味はない』って。それを聞いてた子供達がからかうようになってね。まあそんなこんなで気が付いたらぜーんぶ家事を担当するようになっちゃったの。」
ルナはわざと明るく振舞っている。
「船長がそんなこと言ったの?」
「策の一つなんだと思う。娘のあたしにだって容赦しなければ、裏切る人もでない。そういうサイクルなんだと思ってる。まあ元々厳しい人なんだけどね。」
「へえ。」
容赦しない人、厳しい人。サンは船長のことを考える。船に来たばかりの頃はよく顔を合わせていたが、最近は廊下で会って挨拶する程度だ。話している時は何とも思わなかったが、今は船長に対して、自分を怪しんで監視していたことと、ルナの一件から、嫌悪感を抱いている自分がいる。この船で働かせてくれたことは感謝しているが。
「ルナは、嫌なんだろ。」
「え?」
「へっぽこだとか船にいる意味がないとか。」
「そうね。」
「もちろん家事だって立派な仕事だ。でも、ルナは船長の娘だからいつかは時期船長になるだろう。その時に舵一つ取れない船長と言われて、馬鹿にされて、それが原因でスカイレーツがばらばらになったらどうするつもりなの。」
自分こそルナに厳しいことを言っているかもしれない。口に出してからサンはそう思った。
「サンの言う通りね。だからたまに舵を取る練習はしてるのよ。夜な夜な父さんと。だからきっと、大丈夫。」
ルナは下を向いた。それじゃ非効率だ。あんなザ・職人の勘の説明ではルナが舵の取り方を分かる様になる日は遠い。船長になるまでに出来る様になるのだろうか。初日にルナの部屋で見つけたぼろぼろのノートを思い出す。四時の方向なんて言うから良くないのだ。もっと分かりやすく具体化した方がいい。雲のことも風のことも舵を切る角度も。
それなら、自分が数値化して分かりやすく伝えればいい。雲の種類を自分で調べて、その特徴をルナに教えればいい。具体的に説明すればいいんだ。
「ルナ、僕も手伝っていいかな。」
「え?」
「舵の取り方のコツを僕なりに見つけてルナに伝えるから。いい?」
ルナは迷ったようにしばらく目をさまよわせてから頷いた。
「サンの特技でなら、あたしを立派な船員に出来るかもしれないわ。ぜひ手伝って下さい。」
「うん。」
そんな話をしているうちに技術室に着いた。
水を作る機械、は目からうろこだったらしく、技術室からは好評だった。さっそく設計図を書くと言って皆アイデアを出し始める。
「ねえ、ずっと言ってるんだけど、食器のための乾燥機とか、掃除用のロボットとか作ってくれない?」
「あー。無理無理。」
さっきまでのやる気と打って変わって船員達は首を振った。
「お願い。」
「自分で作ったら。」
「そうね。お邪魔しました。」
ルナはドアノブを思いっきり引いて部屋を出た。
「お、お二人さん。何してんだい。」
「ジャンさん。」
「お久しぶりです。」
「サン元気になってよかったな。」
ジャンはサンの頭から足先までに目を走らせた。その視線に気が付いてサンは固まる。恐ろしかった。ジャンは、皆が知らない本当の僕を知ってしまっている様に思えた。
「技術室になんか様なのか。」
「水を作る機械を作って欲しいとお願いしに来たところなの。サンのアイデアよ。」
「へえ。相変わらず頭が切れるね。」
ジャンのどんよりとした視線がサンのことをとらえるたびにサンはドキリとする。
「家事系のロボットは相変わらず却下。」
「そうかいそうかい。いいと思うけどね。奴らは家事に興味がない様だからな。」
ジャンはくわぁとあくびをした。
「じゃあな。サン、今度はシャットダウンするなよ。」
「え、イエスサー。」
最後の一言でサンの心臓は凍り付いた。心臓が凍り付く、と言う意味を初めて実感した。
「何言ってるのかしら。サン、ジャンさんが何言ったか分かった?」
不思議そうな顔をしたルナに向かってサンは首を振る。本当はどういう意味か分かっていた。
次の日は今まで通りの時間に起きて朝食を食べ、地理室に向かった。
「サン、明日はユトレリと言う国に着陸するでしょ。そのユトレリについて上手く説明出来る様にして下さい。今日夕食の時にユトレリについてみんなに説明しますから。」
ユトレリはカイナオとかなり関わりのある国だ。カイナオの隣の国なので同じ言語を持っており、文化も似ている。といっても、カイナオの驚異的な成長によって、カイナオ周辺の十六の国は、カイナオ語を話すようになったと言う歴史がある。
「ユトレリの主食は。」
「果物です。暖かい国なので。それと港で取れた魚。」
「現地住民が好んで食べるものは?」
「キウイです。みずみずしい物を好む人が多い傾向があります。」
「この地図にだいたいどれくらい離れているか書きたいんだけど。縮尺計算しなきゃよね。バラエティーユーズ貸して。」
「今使ってる。少し待って。」
「ええー。」
この船で作られた製品の名前はどうもネーミングセンスが不思議な物が多い。
「僕が計算しますよ。」
サンは名乗り出ると、縮尺の計算を一瞬でして見せた。
「サンは凄いな。」
「ありがとうございます。」
その時、コンコンと扉を叩く音がした。
「今、仕事中。入って来るんじゃないよ。学校に戻りなさい。」
「そうなんだけど。」
開かれたドアの前にはいつもの子供達が立っている。
「あ、サン。僕らサンに話したいことがあるんだ。」
「今じゃなきゃダメかい?」
「どっちかって言いうと。今がいい。」
船員はため息をついてからサンを手招きした。
「どうしたの?」
「あの、あのね。サン、謝りに来たのと、ありがとうって言いに来たんだ。ルナに酷いこと言ってるって教えてくれてありがとう。さっきルナに謝ったよ。今までへっぽこって言ってごめんなさいって。」
「家事の仕事したことないのに出来るって言ってごめんなさい。」
「あと、生意気言ってごめんなさいとか。」
「いつもキッチンに行って勝手に色々食べてごめんなさいとか。」
「そっか。」
昨日のサンの言葉を聞いて各々反省したらしい。最終的にルナに謝ろうと決心したという。
「そっか。じゃあ、もうあんなこと言わないんだよ。」
「うん。言わない。」
「あたしも言わない。」
一人が言えばもう一人。
「うん。約束だよ。」
「うん!」
大きく頷いた子供達が、とても愛おしく思えた。生意気だけど、素直でかわいい。
「じゃあ仕事があるからまたね。」
「うん。サンまたね!」
子供達はドアを閉めるサンに向かって手を振る。サンも手を振り返してみた。
サンが部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、ルナが後ろから話しかけてきた。
「サン。」
「ルナ。どうしたの?」
「夕食の時の発表、良かったわよ。面白かったし、分かりやすかったし、見ていて楽しかったわ。あと、あと。」
感情を伝えようとしてくれているのだろう。ルナは口をもごもごさせている。
「ありがとう。」
そんなルナの様子が嬉しかった。
「あたしも明日、町娘としてユトレリに買い出しに行くから参考になったわ。」
「ルナ、大丈夫なの?」
ルナと初めて会った日。あの日のルナはとても危なっかしかった。町娘につきまとわれたり、転びそうになったり、こんな僕を連れて船に戻ってきたり。
「大丈夫。平気よ。ちゃんとレポートを参考にしてユトレリに合った服装も作ったんだから。」
「あ、僕のレポート見たの?」
「もちろん。明日お披露目するわね。」
ふふっと楽しそうに笑ってからルナはサンに手を振った。
明日のサンの仕事は地理室に行くことで、着陸した後は近くの川で洗濯と水汲みと言われた。どちらも重要な仕事だが、せっかくユトレリに来たのに物陰に隠れてただただ作業をするのか、と思ってしまう。まだまだ新米船員のサンは、上陸時は船の雑用係と決まってしまったので街並みを見ることは全く出来ない。まあ、下手に動いて見つかっても良くない。今回はこの係でいいかもしれないな。サンは自分で自分を納得させると、今度こそ部屋に戻った。
着陸の日は朝から騒がしかった。船のあちこちで船員達がそわそわと動いている。
「サン。見て、これがユトレリの衣装。」
ルナが着ている服は涼しげな麻でできたワンピースだ。地味な色の麻に派手なリボンを使ってアクセントラインを一本入れるのがユトレリでは流行っているらしい。長い髪は右側に一本でくくっている。
「本当にユトレリに住んでいる人みたい。」
「でしょ。」
ルナはくるりと一回転して見せる。それから廊下の奥にジャンを見つけたらしく大きく手を振った。
「あ、ジャンさん。あたしたちペアですからね。」
「だるいな。」
「そう言わないでください。」
「ペア?」
「そう。今回の街は結構ややこしい地形してるみたいで。あとね、女の子は一人で外出しないそうなの。だからジャンさんとあたしのペアは兄弟って程で買い出しに行くのよ。」
「へえ。」
何だろう、この感情は。ここ二日ほど、サンは感情が分かるようになった。いや、元々嬉しいの意味や怒りの意味は知っていた。それを自分自身で感じて、その感じたものが何の感情だと理解出来る様になったと言った方が正しい。何がきっかけなのかは分からないが、サンは感情が理解できるようになっていた。
「なんだ、サン。」
サンの顔を覗き込んだジャンがにやりと笑う。
「嫉妬か?やきもちか?」
茶化すように言うジャンの顔をまじまじと見て、サンは
「あー。そっか。」
と言った。
「え。」
「そう!それです。僕、今その感情だ。」
納得したサンは今の感情を忘れないように目を瞑る。
「え、サン、感情が分かったの?」
「うん。分かったよ。」
キャッキャと喜び合う二人を前にしてジャンは状況が良く分からなくなってきた。冷やかしたつもりなのに、何だこの反応は。
「で、サン。何の感情が分かったの?」
「えっと。」
「やめとけ。サン、初めての感情ってのは心にしまうものなんだ。そうだ、そうなんだよ。な?」
見ていられなくなってジャンが間に入るとルナとサンは
「そんなフレーズ初めて聞いた。」
と声をそろえて言った。そりゃそうだろ。今俺が考えたからねぇ。ジャンは何とも言えない気持ちになりながら、サンのことをちらりと見た。本当によく分からない奴だ。もっと研究した方がいい。
いよいよもうすぐ着陸だ。何度やっても着陸、離陸の時の緊張感は変わらない。いつも危険と隣り合わせだ。船長室の大きな椅子に座り俺は深呼吸した。百年ほど前からずっと俺達、ナルナータの住民はこうやって生きてきた。
「船長、着陸する場所付近に多くの人が待機しています。」
「なんでだ。」
「よく分かりません。絶対に人が寄り付かない場所を選んだのですが。」
「一旦、少し上昇する。そこから見張り役の船を三台出して、様子を見てもらおう。いいか。」
「イエスサー。」
ちくしょう。なんで人がいるんだ。船員の前では平静を装ったが、彼が部屋を出てからどっと汗が噴き出してきた。平気だ。ただの偶然。だがそれが偶然出なかったら。誰かが密告したのか。それとも政府が自分たちで突き止めたのだろうか。
政府も馬鹿じゃない。いつかは俺達は見つかる。おそらく、ツイル号やフィム号のように。いくら技術が進んでいても、いつかはあちらが勝つ日が来る。あの時のナルナータの生き残りはいつまでもその恐怖と隣り合わせで生活しているのだ。
密告者の線で行くなら誰が怪しい。怪しいと思うやつは船に何人かいる。特にジャン・ヨーテルとサン。二人はナルナータの出身ではない。サンはルナがつい最近拾ってきた孤児で、ジャンは五年前、透明化されて全く見えないはずの船に勝手に乗り込んできた若者だ。ジャンかサンか。まだどちらと決まったわけでもないが、船長は頭を悩ませた。
二人とも優秀な逸材でミステリアスで考えていることがつかめない。ただ唯一大きく違うとしたら、二人の人間関係かもしれない。サンはどこか傍観しているが、そこそこ人当たりはいい。最近は少し明るくなった気がする。それに比べてジャンはこの船に来た時から人当たりが悪かった。喧嘩には発展しないが、ジャンに苦手意識を持つ船員は多くいる。
「船長。」
扉が開いて、船長は平静を装った船長の顔に戻った。
「なんだ。」
「それが。」
船員は船長に通話機器、トークキャンを渡した。
「分かったか。」
『船長、それが。』
「なんなんだ。」
『下にいる奴ら、多分政府の手下です。警察ってやつですかね。他にも政府のスーツ着たお偉いさんも何人もいる。新聞で見たことある顔です。どこの奴だったか忘れたけど。それと、さっきちょうど野次馬してた町の奴に聞いてみたら、そいつら、大声で怒鳴ってたらしいです。「ここにいると表示されているんだ」って。』
「そのスーツの奴の顔を見せろ。特定する。」
偉い奴、しかも新聞に載ったことのある人物ならうちの機械ですぐに特定できる。
『船長、写真送りました。』
トークキャンの画面に送られてきた写真が何枚も写る。それを機械の認証カメラにそのまま認識させた。一人、二人、五人、十人。
「そうか、やっぱりそうか。」
『船長?』
「すぐ戻ってこい。裏切り者がいる。」
『イエスサー。』
俺の勘は当たってたんだな。裏切り者が出たことは残念だが、まあいい。相手は子供だ。
「サンを連れてこい。」
「イエスサー。」
部屋にいた船員はすぐに察したようで駆け出す。さあて、俺とルナの立場が大変だ。
「サン、サンはいるか?」ドタバタと騒がしい足音が近づいてきた。
「います。」サンが手を挙げると、四方からガタイのいい船員に囲まれた。
「サン、裏切り行為の可能性あり。今日から部屋に閉じ込める。」
「待って。どうしてそうなるの⁉︎」
立ち尽くすサンの代わりに、ルナが船員に抗議した。
「どこが怪しいの。沢山この船のために働いてくれてるじゃない。この服だってサンがまとめた資料を元に作ったわ。他にもラボでも運転室でもサンは働いたのよ⁉︎」
「仲間のふりをしていたんだ。」
「だって。急じゃない。」
「そうだ。敵は懐に潜って、安心させて、虎視眈々と裏切るタイミングを見図る。それがちょうど今だったんだろ。サン。」
「僕、違います。」
そこでやっとサンは口を開いた。やっぱり、船長は僕のことを信頼していなかった。
「説明してください。僕が何故疑われているんですか。」
「着陸する予定地の付近に沢山の警察やカイナオ政府のお偉いさんがいてね。そいつらが言うには、何かが『ここに表示されている』んだと。期せずしてかお前はこの船で唯一カイナオ出身だ。カイナオ政府のスパイとして船に乗り込んだ、違うか?」
「違う。」
「でも文献室の資料を読み漁っていたらしいじゃないか。こちらの情報を盗もうとしたんだろ。」
「違う。話が一方的すぎます。」
「すべて推測だ。でもお前は疑われても仕方がないだろ。裏切り者がいたらすぐに始末する、それがこの船のやり方だ。」
船員はそう言うと有無を言わせず、サンの右肩を持った。もう一人が左肩。更に前後に船員が一人ずづ立つと、一糸乱れぬ動きでサンを無理やり歩かせた。
「サン!サン!」
付いて行こうとするルナを他の船員が止める。サンはそのまま連行された。
放り込まれた部屋の中は真っ暗で、窓のない陰気な部屋だった。
「四日後の朝、カイナオから遠く離れた海の上にお前を落とす予定だ。それまでここで待ってろ。」
サンは口を閉じたままだ。
「言いたいことがあるなら言え。」
それでもサンは黙り込んでいるので船員たちは扉を閉めた。ガチャガチャという音がして向こう側から鍵をかけられたことが分かった。
何も悪いことはしていないはずだ。政府とも繋がっていないはず。でも、もしかしたら、僕のことが政府にばれたのかもしれない。どこからバレたのだろう。百パーセント無実と言えなかった。結局、こういう運命なのか。物心ついた時から自由がなかった。ずっと監禁されて、改造されて。やっと自由を手に入れたと思ったのもつかの間、裏切りの疑惑を掛けられた。そしてこの暗い部屋に監禁されている。失望。今の自分に合っている言葉だ。自由になりたいのに。自分はそんなことを望んではいけないんだ。サンは拳を床にドンッと押し当てた。
その日から真っ暗の中の生活が始まった。一日三度の食事が運ばれてくる時以外は扉が開くことはなかった。海に落ちたらどうなるのだろう。泳ぐ機能は備わっていないはずだ。もう、終わりなのだろうか。考えれば考えるほど、サンは不安になった。そして廊下から船員たちの話声が聞こえるたびに、自由に明るい世界で暮らす彼らへ羨望のさざなみがたった。それでも逃げる気にはならなかったし、船員に自分は無実だと訴える気にもならなかった。もう何をしても無駄だと思えた。
次の朝が来たら海に投げ込まれる。そう考えるだけでサンの胸はどくどくと鳴った。感情が理解できるようになってから、自分は騒がしくなったと思う。それから色々考えるようになって、それにいちいち反応して、面倒くさくなった。
「よう、サン。」
まだ食事の時間ではないのに扉が開いた。
「ジャン。」
「最後の日は、中で俺が、ドアの外でルナが監視することになったよ。」
「ルナがいるの?」
「出るんじゃねーぞ。」
「分かってるよ。」
ジャンはそれだけ言うと扉の前に腰かけた。
俺に部屋の中の見張りを頼むとは。ルナの株を守るためか。見張り役を頼むと言われた時、ジャンは思わず聞き返した。
「そうだ。扉の外はルナに頼むつもりだ。」
すぐにああそういう事かと分かった。裏切り者のサンを船に連れてきたのはルナ。そんなルナは船長の娘でありながら、船員達から認められていない。今まで株が下がりに下がっていたルナの株は今、大暴落と言ったところか。次期船長がこれでは父親の船長は気が気ではないだろう。今まで守ってきた船がルナのことをなめる船員の裏切りで滅びてしまうかもしれない。今回の件でルナの立場はますます危うくなったと言っていい。船長はその信頼を少しでも取り戻すべく、サンの見張りを俺と一緒にやらせることにしたのだろう。サンの次に裏切る可能性が大きいと思われている俺に。
仲の良かったサンの裏切りから目を背けずにしっかりと最後まで対処したら、ルナの株は少しは上がる。更にそこに船長は俺が裏切る可能性も考えている。もし二人が結託して逃げ出したりした時、一番初めに止めにかかるのは見張り役のルナになる。そうなればルナの株は更に上がる。ま、俺が裏切るなんてことはないけどな。ジャンはふっと笑った。
暗い部屋の中にも段々慣れてきた。サンの顔も見える。怖がってるのか。まあ、空から海に落とされたら、その先は言わなくても誰でもわかる。もし助かったとなれば、それは奇跡と言ってもいいだろう。
「白けた顔してんな。」
「そうですか。」
「お前ルナ好きなのか?」
「え、まあ。初めてできた友達ですし。」
そう言う意味じゃねえよ。色々知ってて、大人顔負けの知識を持ってるくせに、こういうことはプログラムされてないんだよな。
「そうかそうかー。お前、知ってるようで何も知らないんだな。」
「そんなことないです。なんでも聞いてください。」
「じゃあ、なんで僕たちの船は旅をしてるんだ。」
「それは。」
「なんでも知ってるのに知らないのか?調べ物は中断してたんだって。なーに大口叩いてんだよ。」
「それは、そうですね。」
何でも知っていると息巻いていたサンはさっと顔を隠した。自分で自分を恥ずかしがってるのか。
「で、どこまで知ってるんだ?」
「え。」
「アンドリュー・ナイトとココネルは知ってるか?」
「はい。」
「王族のことは?」
「なんとなく。」
「俺もよそ者だから良く知らないが、調べた限りじゃこういう話だ。」
ナルナータは島国だった。どこの国ともかかわらず、自分達だけで文化と技術を発展させて行った。王族がいて、その周りには賢者が沢山いて、民衆の声を良く聞く平和な国だった。誰もが整った秩序の中で暮らしていた。そんな国に、唯一大きな欠点があった。それは長い間他国と関わらなかったことによる平和ボケだった。初めにカイナオが近づいて来た時も何も思わなかった。彼らの言葉「友好的な関係」それが本当だと思っていた。ある日、科学者と話がしたいと言われてアンドリューとココネルがカイナオの国に招かれた。二人は無防備な形でカイナオに乗り込んで行った。そして、あっけなく二人は拉致された。その間にカイナオはナルナータに侵略した。ナルナータはカイナオより何倍も進んだ技術を持っていたのに、戦いに負けた。ナルナータの人々は戦うすべを知らなかったのだ。作った機械は全て生活を潤すための物で、人を傷つけるための物ではなかったから。一方、科学者達はカイナオからある条件を突き付けられていた。『ナルナータの人々を傷つけず、土地もそのままにする代わりに、お前たち二人がこの国のために科学者として働け』二人はこの条件を飲んだ。しかしその頃のナルナータはカイナオの侵略によって元の輝かしい都市ではなくなってしまった。王は最後まで城に残って戦い抜き、王の五人の子供達は、かねてから設計していたそれぞれの空飛ぶ船に、何千もの市民をのせ、思い切ってカイナオに占拠された自分達の国から出て行った後とはしらず。
「だから、意味もなく空の上を飛んでいるのか。」
「そうだ。他の海賊と違う。この船は生き延びるために空を飛んでる。」
「アンドリューとココネルはどうなったんだろう。」
「さあな。一応何度か探しに行ったらしいぞ。それでも見つからなかった。でも二人は有能な人材だ。殺されはしない。ただ、つい最近まで二人はいつまで生きていたのか謎だった。最近その謎が解けたんだ。」
「教えてください。」
「言わねえ。お前が答えを知ってるから。」
「どういうことですか。」
サンは混乱している。聞くなら今しかない。
「気になってたんだけどよ、お前半分機械だろ。」
「はい。あ、えっと。」
「焦んな。お前機械になりかけてる人間だろ。どうだ?」
サンは頷いた。
「多分だけどよ、お前はアンドリューとココネルによってプログラムされた機械だ。プログラムが似てる。カイナオの機械なら二人がかかわった可能性は高い。」
「待ってください。僕のプログラムを見たんですか?なぜ機械だと分かったんですか?」
「お前が倒れた日、脈図ったんだけどよ。あの時、微かな電流を感じた。もしかして半ロボットだったりしないかと思った。だからあの機械に入れてみたんだ。お前が避けまくっていたコード読みトールに。」
サンが息を飲んだのが分かった。だよな、そうなるよな。
「そんでお前が機械だってことが分かった。多分カイナオの奴らが着陸場所付近にいたのは、お前の居場所特定機能のせいじゃないか?」
「ジャンさん、それ本当なの?」
突然ルナの声があちらからした。
「聞いてたのかー。」
「そりゃ、ねえ。」
俺たち二人の監視役だもんな。
「そうだ。サンは普通の人間だったけど、政府によってプログラムされて半ロボット状態になってる。」
「嘘、なにそれ。」
「政府の政策だよ。僕がいつか完璧な半ロボットになって、カイナオを管理する予定になってたんだ。それで毎日色々なコードをつないで、様々な物質を飲んできた。それに従ってたんだけどある日こんな場所にいるのはおかしいって気が付いて逃げたんだ。そしてルナに会った。僕の能力は全部、カイナオ政府がプログラムしたものだよ。」
「信じられないわよ。なんで人間でそれをする必要がある訳?」
「親しみやすくなる様に。いつか、民衆の前に出た時に、見栄えがいいようにって。」
「だって、そんな、意味が分からないわよ。」
「ルナ、世の中には闇が存在するんだ。」
「でも、サン、体は平気なの?」
「多分ね。でも、もういいんだ。」
投げやり気味にサンが大きな声を出した。
「僕、やっと終わるんだ。もう自由を求めたりすることも終わるんだよ。いいじゃないか。」
「サン、何言ってるの。ねえ、どういう意味で言ってるわけ?」
ルナはサンの言葉の意味が分かった様だ。声を震わせてサンに訴える。
「ねえ、やめて。実際サンは密告したくて密告したんじゃないんでしょ。あいつらが狙っているのは船じゃなくてサンな訳だし。船長に、父さんに、今から言えば間に合うかもしれない。」
「わざとでなくても僕は船に害を及ぼすんだ。いたら良くないだろ。」
「そうだけど。それなら、あたしとの約束はどうなるのよ。」
ルナがドアをどんと叩いた。
「サンの能力であたしを一人前にしてくれるんじゃないの?ねえ。」
「ごめん。破ることになったね。」
「破らないでよ。希望を持ってよ。」
「希望ってなに?」
サンの目に少し光が入ったのが、ジャンには分かった。
希望ってなんだろ。これも感情か。ああ、わからないな。やっぱり僕は人間じゃないのか。
「希望って、こうなりたいって思ったりすることよ。やりたいこととか。」
「もうないや。」
「あたしはある。サンと一緒に船に乗っていたいし、あちこちに行きたいわ。サンに助けてもらって一人前になりたい。もっと話したいし、サンにココア淹れたいわ。やっと同世代の友達が出来たのよ。仲良くしたいのに。サンには希望がないの?」
希望ってそういうことか。ぼんやりとそう思った途端、サンの心臓はどくどくと鳴りだした。沢山の希望がサンの脳裏によぎる。世界を見たい、この船で暮らしたい、もっと資料を読みたい、ルナを一人前にしたい、ルナともっと話したい。明るくなった頭の中に不穏な影が下りてくる。どうせ、明日海に落とされるんだ、と。
「希望、あるよ。でも、もう望んでもいいことないから。」
「望んでよ。あたしが船長に言うから。無罪だって。ねえ。」
「だって、もういいんだよ。」
「楽しいこと考えて。」
「怖いよ。明日、僕どうなるんだろう。」
「大丈夫だから。」
「水がしみて機能がストップしちゃうのかな。」
「そんな事言わないで。」
「サメってどんな感じなんだろうね。歯が鋭いんだよな。」
「考えないで。」
「それとも溺れるのかな。苦しいのかな。」
「サン!また運転室で練習しましょうよ。」
「水がものすごく冷たい時って、確かものすごく温かく感じるってどこかで読んだな。史実の船の事件の資料にそんなことが書いてあった。」
「サン、あたしのご飯また食べてよ。」
ルナの発言がサンの胸を刺していく。そう願いたいよ。でも願えないんだ。僕が、三号である限り。
政府への怒り、自分が三号であることに対する嫌悪、明日のことへの恐れと不安、自由が手に入らなかった失望、その中に混じる希望。サンの胸がムズムズした。ああ、感情が分かると本当に面倒臭いな。なんでこんなに体が重くなるんだろう。なんでこんなに辛いのだろう。
「うう。」
口を押えたサンにジャンが駆け付けた。
「サン!」
「え、何があったの。ジャンさん開けて。」
ルナが扉を叩く。
「開けたら、お前の船長への道は絶たれるかもしれないぞ。」
「そうね。でも、いいから。開けて。」
開かれた部屋には倒れこんだサンの姿があった。
「サン!」
二人がかりでゆすぶっても、声を掛けてもサンはピクリともしない。一分程経った時、サンの体が動いた。「サン!」
「プログラム消去。クリア、クリア。」
サンは操り人形の様にそれだけ言いうと口から何かを吐き出してまた倒れてしまった。
「ジャンさん、それなに?」
「データが入ってるチップだ。ルナ、キャッチインフォもってこい。なるべくスペックが強いの。最新のやつ。どれでもいい。」
「分かった。」
ルナはコンピュータ室へ走り出した。スペックが強いキャッチインフォはとにかく重たい。それでもルナは走る足を止めずにサンの元へ向かう。
「ジャンさん。」
「ん。」
ジャンはチップを差し込むとものすごい勢いで作業を開始した。ルナはその様子を見ながらサンの顔を覗き込む。以前倒れた時と違って気持ちよさそうな顔をして寝ていた。
「嘘だろ。」
「何か分かったの?」
「これ、割と大発見だと思うぜ。ルナ、船長連れて来い。」
「イエスサー。」
次は船長室へとルナは駆け出した。案の定、船長は見張りはどうしたと憤慨したが、ルナはそれを押さえる。
「父さん大発見があったの。」
「ジャンにたぶらかされてるんだ。」
「違う!父さん、来て。来たらわかるから。」
「ルナ!」
船長の怒りが頂点に達した時、ルナは大声で言い返した。
「父さんは人を疑ってばっかり。疑うことも大事だけど何故信じようとしないの?裏切り者だと決めつけて相手の話を聞かないの?相手を信じることも、上に立つ人間がすべきことなんじゃないの?」
「ルナ。」
全力で真っ向から自分の意見を言うルナを船長は初めて見た。
「とにかく着いてきて。来たら分かるから。」
「分かった。」
ルナに圧倒されて船長はサンの元へやってきた。
「なんだ、ジャン。」
「船長。こいつ、半ロボットだったんですよ。そのプログラムを一番最初に作った人物は、アンドリューとココネルです。」
「はあ?サンを守るために嘘つくんじゃない。」
「本当です。サンがさっき吐き出したチップの中にこの情報が入ってました。確かこの部屋にはカメラがあちこちに設置されてますよね。一部始終が映っているはずです。」
疑いながらもキャッチインフォの画面を覗き込んだ船長は目を大きく開けた。
「本当なのか。」
「はい。」
ルナが画面を覗き込んでも映し出されているのはプログラミングの内容だったのでよく分からなかった。ただ一つだけ、ルナでもわかることがあった。一番最後の筆跡と謎のコード。それは昔使われていたアンドリューとココネルのサインだった。
騒がしいな。サンはそう思いながら目を開けた。
「あ、サン!気が付いたのね。」
「やあ、人間のサン。」
目をウルウルさせたルナと、にやりと笑うジャンがサンの顔を覗き込んだ。
「え。僕、今から海に。」
震えた声を出したサンを見て、二人は首を振る。
「安心しろ、人間のサン。」
「何度も言わなくていいわよ。サン。大丈夫、あなたは無罪よ。」
「良かったな、人間のサン。」
「だから!」
「プログラムが解除されたんだ。」
ドアが開いて船長が入って来た。
「さっきコード読みトールでサンのことを調べたら何も出てこなかった。ノーマルヒューマンだと。ついでにルナとジャンも調べてみた。二人ともノーマルヒューマンだったぞ。」
「グレイトヒューマンって表示されると思ったんだけどな。」
肩をすくめたジャンを見てルナはけらけら笑った。
「お前の生い立ちもジャンから聞いた。それを踏まえて調べもした。何度もコードを確認した。今のお前に怪しいところはないと、どの方面の研究チームも結果を出している。サン、すまなかった。」
「いえ。」
サンはそう言うと、自分の胸に手を当てた。
「僕は今、完全に人間なんですか?」
「そうだぞ。お前が寝てる間に、お前のことを調べるために皆、大急ぎで色んな装置作ったり、引っ張り出してきたりしたんだ。」
罠じゃないだろうな、と考えてしまう自分が嫌になる。
「と言ってもまあ、お互い元の信頼を取り戻すには時間がかかるな。」
船長はぼそりとそう呟くと部屋を後にした。
「僕まだ疑ってるよ。」
「正直でいいな。お互い疑われて当然だ。」
ジャンはそう言うと背伸びをした。途端にぼきぼきっと骨のものすごい音がする。
「ジャン、背中が。」
「知ってる。」
「猫背だからよ。」
ルナに姿勢を直されているジャンを見ていたらなんだかものすごくおかしくなった。ひょろりとした大柄の男が小柄な少女に背中を伸ばされているのは何とも不思議な図だ。
「あはは。」
気が付いたら笑っていた。
「ジャンさん。サンが笑ったわ、声出して。初めてよ。」
「人間のサンだからな。」
「その言い方何なんですか。」
なんだか全てがおかしくって、愛おしくって、サンはまた笑い出す。ああ、これが人間なのかな。面倒臭くて、でも楽しくて、発見があって幸せ。そう思ったら今度は目から涙が出てきた。更に胸がじーんとする。ああ、本当に面倒くさい。でもとっても幸せだ。
あれから一週間がたった。サンの元にはルナとジャン、子供達がよく顔を出しに来る。
「俺もさ、よそ者なんだ。母親が五歳の時死んで、父親が家に帰って来なくなった。たまに帰ってきても酒飲んで暴れるばっかで。金がなかったから毎日食べるもんにも困っててさ。ある時、森の中に果物探しに行ったらよ、さっきまで見えてた人間がぱっといなくなったんだ。ああ迎えが来たんだって思って俺もついて行こうと思って同じように進んだら、この船の中だった。初めのうちはめちゃくちゃ厳しかったけど、今の船長がなんだかんだラボに入れてくれた。だから、お前ほどじゃないけど俺にも一応、辛かったバックグラウンドがあるんだ。なんかあったら言えよ。」
「サン、希望ノートつけない?ここにサンがやりたいこと書いてくの。クリアしたら丸付けるのよ。もう、あの時みたいなこと言わないで。」
ああ、自分にも友達が出来たんだな。その事実を胸にサンは船長室の扉の前に立っていた。今、この船にとってサンを雇うメリットはない。プログラムが解除されたと同時に、備わっていた能力は全てなくなってしまった。記憶力も人並みになったし、測定なんて出来なくなった。計算力も落ちた。唯一残ったのは、今まで備わっていた知識はだけ。それ以外の機能はなくなった。ただ同時にカイナオの政府の監視下からサンは抜けたことになる。サンを雇うデメリットも一つもない。
「失礼します。」
「どうぞ。」
扉の先にはガタイのいい男が立っている。この船の船長だ。
「船長、僕を、人間としての僕を雇ってください。備わっていた機能は消えました。残っているのは今まで得た知識だけで、ほとんどの物は人並みになりました。ただ同時にカイナオの監視下も抜けました。この船の役に立つように自分なりに努力するので、人間としての僕を雇ってください。」
下げたサンの頭に船長の手が乗せられた。
「ん。お前は今日から船員だ。」
サンの頭をなでてから船長は手を放す。
「船長、ありがとうございます。」
顔を上げたサンに船長は問う。
「仕事はどうする?今まで通りにするか?」
「そうですね……。」
サンはしばらく目をさまよわせてから、きりりとした目で船長のことを見つめた。
「ラボの仕事を外してほしいです。ラボの空気は以前居たところに似ていて苦手なので。」
「そうか。」
船長はサンの一言で察してくれたらしく軽く頷いた。
「今日の持ち場はラボの予定だったが、休みにしよう。サン、明日からのために休みなさい。人間の体じゃ上手く休めない事がよくあるからな。」
「イエスサー。」
サンはまだまだ人間の体に慣れていない。機械の時の様に自分が思った通りに動かない体を何度も憎んだが仕方がない。これが人間なのだ。人間に戻れて良かったと思う。
サンの吐き出したチップには、アンドリューとココネルの心の内が、プログラムのコードに見せかけて、ナルナータに伝わる陰相コードによってあらわされていた。
『あの戦いから九十年。みんなは元気だろうか。私達は今、カイナオの指示によって新たな機械を作っている。将来のカイナオを管理する半ロボットを作っているのだ。実験に使われるのは孤児院から連れてきた子供で、今のところこの子が三人目だ。それまでの二人は実験後すぐに亡くなった。とても残酷なことをしていると分かっている。けれど彼らに従わないととナルナータに被害が出る。板挟みだ。亡くなった子供の顔を思い出す度に苦しくなって吐き気がする。この子は今のところ半年以上に及ぶ実験に耐えている。ただこの子をいつまでもこんな状況にしておきたくない。なんとか彼らの裏をかいてこの子と共に脱出したいが私達はもう老いていて俊敏に動けない。どうせ見つかってしまうだろう。それでもこの子の人生をこんなところで終わらせたくなかった。だからこっそりプログラムを解除できる機能を作った。分からない様に細工してあるから彼らに見つかることはないはずだ。どうせ見つかっても私達はその時にはこの世にいないだろう。
プログラムの解除法。一、数字。七万五千二百三。二、私達科学者二人の名前。三、現在の段階で分かっている五歳児までの感情発達を行う。四、六個の感情を一気に一人で背負うこと。これを順に解放したら、この子は元の人間に戻る。』
二人はサンを守ろうとしてくれた。だから今、自分は人間になっている。ロボットの方が効率よく無駄なことは考えずにただただ生きれるかもしれない。それでも人間の方がいい。様々なことを感じられて、寄り道して、そこで新しい出会いがあって。誰一人として同じ生き方をしない人間が好きだ。
「サン!」
ルナがサンの元にかけてきた。
「うわああ。」
突然船が傾いてルナは体勢を崩す。サンがそれを支えた。
「なんだか屋根の上を飛んだ時のことを急に思い出したわ。」
ふふっとルナは笑うと真剣な顔つきになる。
「船長はなんて。」
「働かせてくれるって。あと、ラボの仕事はやめた。」
「なーんだ、やめちゃうのかよ。」
どこからか現れたジャンは猫背のままため息をつく。
「ちょっと苦手なんだ。」
「そうか。」
「サンー。」
子供達がサンの周りを取り囲む。
「サン、本当に人間?」
「僕が聞きたいよ。」
子供達はサンの腕をひっぱったりつついたりする。
「人間!」
一人が言うと皆けらけらと笑いだした。
「あ、ルナ。僕人間になっちゃったからさ、ルナにしっかりと運転のコツとか教えられないかもしれないんだ。」
サンが口を開くとジャンは子供達に
「ちびーず。こっちにこい。」
と言った。子供達がぶつぶつと何か言うとジャンは虚ろな目で彼らのことをじっとみる。
「なんでもない、行く、今行く!」
「ジャンさんったら怖がらせてるわ。」
ルナはそう言ってから口を尖らせた。
「だから何?約束、破るの?」
「いや、守るよ。ただ上手く教えられないかもって話。」
「なーんだ。それなら良かった。ちゃんと約束を守ってくれるなら。さ、教えて頂戴。」
ルナは船長室に続く廊下を指さした。
「いつかあたしがあそこにいる様になった時、恥ずかしくないように。サン厳しく指導して。」
「うん。」
「でもあんまり厳しかったら泣くから。」
「ええー。」
「あたし褒めて伸びるタイプよ。」
「何それ。」
面倒臭くて、楽しくて、発見があって、幸せ。サンの中で、人間として生きることはそういうこととだと思っている。