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中夜

深夜にドアをたたく音が聞こえた。確か以前にも同じことがあったなとぼんやり考えた。日が昇り日が沈む。起きて寝る間にすることは一緒なので、月日の観念がなくなっていた。

ただあの頃は、昼の間は山でもどこかむっとする熱気が漂っていた気がする。今は、暖炉に火を入れるか、発電機で蓄電した電気を使って電熱式の暖房器具を付けるかしないと寒さを感じる。気密性の高い建物なので、随分冷気に強い部屋ではあるのだが。

あの時と同じく、私は当たり前のように扉を開けた。

目の前に、フード付きの裾の長い、ナイロン製の防寒具を着込んだ若い男が立っていた。

「こんばんは。夜分に申し訳ありません。道に迷ったようで困っています。恐縮なのですが、今夜一晩泊めていただけませんでしょうか?」

「車でここまで?」

「はい、そうです。知らない道を山越えしようとしたのが失敗のもとで。」

以前来た青年ほどには焦った様子もなく、その男は話した。

助けを請うているのは分かったが、どこかのんびりとした雰囲気も感じた。

「車ならば、引き返せば街に戻れると思います。その方が、ここで一夜を明かすより翌日動きが取りやすいですよ。今夜は雪が降りそうだから。」

一応、私は警告を発した。しかし、男は引き下がらなかった。

「残念ながら、もうちらほら降り始めていて…。この時間に視界が悪くなると運転が怖くて。」

私は無言で、彼を部屋に招き入れた。

男は丁寧に礼を言い、私に続いた。ダイニングのテーブルに座るよう声をかけると、男は上着を脱いで椅子の背に被せ、腰掛けた。

「どちらに行かれる予定だったのですか?この道の先は行き止まりですが。」

「ああ、では、完全に間違ったんですね。どこかの街に通じている道だと思っていたから。」

「どこかの街?」

私が軽い疑問符をつけて呟くと、男は会話慣れした声質で応えた。

「私、今、日本一周を目指して旅をしている最中なんですよ。まあ、本当に一周出来るかどうかはともかく、目標としてね。修行も兼ねて。

お金があるうちは行き着いた土地の風土や名物を楽しんで、懐が寂しくなったらバイトして金を稼ぐ。そしてまた次の土地に行く。十ヶ月ほど前に出発しました。ここまでは順調な旅です。今夜のように途方に暮れたのは初めてですが、それでもこうやって助けてもらえている。」

男は人なつこい笑顔を私に向けた。

「夕食はお済みですか?私は未だなので、これから支度をしようとしていたのですが、よかったらご一緒にいかがです?」

「ご好意に甘えさせてもらえるのでしたら是非。」

私は、男の返事を聞き、支度にかかった。

すでに調理は終わっていたので、スープを温め直し、麦飯を茶碗によそえば食事を始められた。

男の前に、茶碗、吸い物椀、里芋の副菜、味噌漬けの肉料理を置き、自分にも並べた。

今夜は久しぶりに品数も量も多かった。

いつもは、一品しか食べない。

来客があるのを予期していた訳ではないが、そんな気分の日だった。

「美味しそうだ!ありがとうございます、いただきます。」

男は両手を合わせ、お辞儀をして箸を取った。

「お一人でこちらにおられるのですか?もしかして、お連れの方の食事を私が奪ったりしていませんか?」

「いいえ、私一人です。たまたま食事の作り置きをする日だったのですぐに出せただけですよ。」

「ここにお住まいなのですか?それとも何か目的があって?」

踏み込んだことを聞かれているように思ったが、男の口調が滑らかで、仕草に角がなく安心できたため、私はするすると言葉を継いでいた。

「もう、一年くらいになるのかな…?はっきりとは覚えていませんが、仕事を辞めた後ここに来ました。幸い貯えもありましたから、生活するのが難しくなるまでここで過ごしてみようと思い立って。」

「私の日本一周行脚への発心と似たご心境ですかね。『出来るところまでやってみよう』という辺り、似ている気がします。」

男は上手に相づちを打った。

「あなたは、動くことを目的とされているのでしょう?私は留まることを目的としているから、正反対のようにも思います。」

穏やかに話しながら食事を続けていたが、途中、男が謝った。

「実は私、思うところあって今、菜食のみで過ごしていまして、このお肉の料理、とても魅力的なのですがご遠慮させていただきますね。」

それを聞いて、私はどこかホッとしながら返事をした。

「そうですか、おかずは足りますか?もう一品、何か持ってきましょうか?」

男は丁寧に私の申し出を辞し、そのほかの料理をきれいに食べ終わった。

テーブルを片付けた後、男に寝具の提供をしようと私がきびすを返した時、男が声をかけた。

「実は私、整体と鍼灸を生業としています。失礼ながら、あなたの顔色といい体つきといい、不眠に悩まされているのではありませんか?一宿一飯のお礼といっては何ですが、是非、安眠のための施術をして差し上げたいのですが、いかがでしょう?」

私は振り向いて、男の顔を見つめた。男の真意は測りかねたが、悪意はないように思えた。

「私の顔色、そんなに悪いかな?」

「そうですね、無礼を承知で言うなら、まるで幽鬼のようです。」

背中を丸めてうつむき、黙って立ち尽くしていると、男は私をソファにいざなった。

男に言われるままソファに横たわると、男は私の左腕を取り、手の平から手首、肘の内側を丁寧に揉みほぐした。とても心地よい。目をつぶり、男に身を委ねていると、男の低く柔らかい声が落ちてきた。

「私、修行を兼ねて旅をしていると言ったでしょう?何の修行をしているかというと、『自分の思うとおりの夢を見ることが出来るツボを探し当てる』修行なんです。ほら、こうやって掌や肘の内側のツボを押すと体がリラックスしてくるでしょう?反対に、腕の内側の真ん中、ここを押すと眠気が覚めるんですよ。そして、額の中央、前髪の生え際から少し上がったこのツボは不眠に効くと言われています。こんな風に、体の至る所に精神状態にも効くツボが存在しているんです。だから、そういったツボへの指圧をいくつか組み合わせれば、自分が見たい夢も見れるようになるんじゃないかと思っていまして。」

ゆるゆると絶妙な強さでツボを押す指の心地よさで、私は久しぶりにまどろみ始めていた。

「今日は、あなたが幽鬼と化してしまった原因を思い出す夢を呼ぶ施術を試みてみましょう…」

暗闇に落ちる寸前、そんな男の言葉が私を包んだ。


……気づくと、私はまだソファに横たわっていたが、体の上には男の上着が掛かっていた。

傍らには、こちらを見つめながら座っている男がいた。

己の目尻に涙の溜まった跡を感じた。

「……私、どれくらい眠っていたのでしょう?何かあなたに喋りましたか?」

「まだ3時間くらいです。夢を見られたのかな、寝言を言っておられました。」

私は左腕で両目を覆った。男が尋ねた。

「どんな夢でした?」

私は何も答えられなかった。

「もう、あの肉は食べたら駄目です。それに、他人に食べさせても駄目ですよ。」

黙り込む私に、男は言った。

「私は、あなたのことをどうこうしようとして来たわけではないんです。そして、今後もどうこうするつもりはありません。」

男は続ける。

「山に入る前にあったコンビニで、この道の先には行かない方がいいと言われた。どこにも通じていないし、昔、大学教授が入ったきり出てこなかったといういわく付きの廃屋が心霊スポットとしてあるだけだって。何人か、面白がって行った学生が帰ってこなかった噂もあると言っていた。それを話した店員も、本当のことと確信していたわけではないようだったけれど。それを聞いたとき、私は、ちょっと悪戯心が浮かんだんです。

……さっきも言ったけれど、私は、『自分の思うとおりの夢を見ることが出来るツボを探し当てる』修行をしています。たくさんの人に施術をして、その人々の夢の内容を聞いて、自分が施した指圧や灸がどのような効果をもたらしたかを記録し検証する。夢を克明に説明してくれる人もいれば、一切何も明かさない人もいる。あなたはきっと後者でしょう。

でも、眠っている間の反応や呟きは見守ることが出来る。

あなたの眠っている間の様子を見るに、あなたは、ここで暮らすことになった過去の経緯を夢に見ていたと思う。だから、おそらく私の予想したツボの位置の組み合わせは当たっていた。私としては概ね満足です。」

男の声は平らかだった。感情の揺らぎは微塵もなかった。

私が見た夢は、…私がやってきたことは、彼にとってはただの他人事だ。

「……自分の思うとおりの夢を見ることが出来るツボを探し当てようとしている理由は何なんです?」

私は両目を覆ったまま、細く小さな声を絞り出した。

「私が、自分の思うとおりの夢を見たいからです。幸せに浸れる夢が見たいからですよ。」

男が立ち上がる気配を感じた。

「ただ、私も少し迷うんです。自分の思うとおりの夢というのが、幸せに浸れる夢なのかということに。結局、自分が思い浮かべることが出来ることって何でしょう?やってないことを思い浮かべられるのかな?もしかして、人は体験したことしか夢に出来ないのではないかと思うと少し怖い。幸せを実際に感じたことがなければ再現できないとなると…。

そういう感覚もあって、尋常ではない状況にも努めて挑戦することにしています。自分の経験を増やすために。

どうでしょう?あなたは、今までの経験の中で、どの夢が自分を幸福にするかすぐに思い浮かびますか?」

私が起き上がるのを待たず、男は静かに部屋を去った。出口の扉を開く前に、一言だけを言い残して。

「また、いつか寄りますね。そのとき、答えを聞かせて下さい。」



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