第1話 名前を付けよう
眩しくて目覚めると、仰向けになって横たわっていた俺の目には青い空と白い雲、そして燦々と降り注ぐ太陽の光が目に入ってきた。
ゆっくりと起き上がると、周りを見渡す。
短い草が生い茂る原っぱの様だが、少し離れた前後左右はどこもかしこも雑然と木が生えている。
どうやらここは、どこかの山の森の中の様だ。
あの大きな白狐の背中から落ちてしまった事は覚えている。
どこか怪我でもしてないかと思い、手や足を曲げ伸ばし、首や腕を回し、頭も触ってみたりと色々確認してみたが、特に痛みや流血箇所は確認出来なかった。
服も特に破れたり汚れたりもしていない。
その事には安心したが、森の中をスーツでいる事がアンバランスで、山の中を動きにくそうだなと感じていた。
白狐も俺が落ちたのは気付いているだろうから、ここで待っていればそのうち白狐が探しに来てくれるだろう。
呑気にそう考えて、俺はどうせなら木陰で休んで待っていようと立ち上がった。
近くの木に歩いて行き、上着を脱ぐと木の幹に寄りかかる様に座る。時折、冷たい風が吹いてきて、太陽で温まっていた身体を冷ましてくれるのが気持ちいい。
四季があるのかは不明だが、暑すぎず寒すぎずのこの気候には救われた気になった。
それからどのくらい座っていただろうか。
真上にあった太陽がだんだん傾いていき、空がオレンジ色に変わりだすと流石に焦りを感じてきた。
白狐が探しに来てくれると思っていたが、探してくれていても今日中に自分を見つけて貰えるのかまでは分からない。
まずいな、このままだと野宿確定……。
そう考えると同時に、何かの足音が聞こえてきた。
この足音が野生動物とかだと、俺、襲われてまた死ぬんじゃないか?
そう思うと、明るいうちから下山して、誰かに助けてもらえば良かったと激しく後悔した。
そうこうしている間も、足音はこちらに近づいて来ている。
慌てて立ち上がるも隠れられそうな所も無く、これは詰んだと思った時、一人の男が現れた。
男は40代位で、小麦色に日焼けした肌。綿シャツに麻の長いズボンを革のブーツに入れている。腰のベルトには短い剣を下げて、草のような物が入った背負子を背負っていた。
鈍い金色の短めの髪に濃い緑色の眼で、少し警戒する様にこっちを見ている。
動物では無かったので助かったと思い、「すみません」と話しかけた所で、外国人の様な容姿のこの人に言葉が通じるのか不安になった。
不安な気持ちを感じ取ってくれたのか、彼は「こんな所で何をしている?」と話しかけてくれた。
言葉が通じる事が分かって今度こそ安心した俺は、「お願いします、助けて下さい!」と頭を下げた。
❇︎ ❇︎ ❇︎
「行く所が無いなら家に泊めてやる。日が暮れる前に帰りたいから、とりあえず下山しよう」と言われて、彼について行く事にした。
彼の家は山の麓にあるが、村や町からは少し離れたところにあるそうだ。
ここがどこかも、森の中が安全な場所かも分からない中、唯一通りがかった人の事まで警戒していては何も出来ないし、流石に何の準備も無しに野宿は無理だと思い、俺はこの人に全てを掛ける事にした。
「俺の名前はロック。今日はこの山に薬草を取りに来た帰りなんだ。それで、アンタの名前は?」
実は……と、白狐から先程の場所に落ちてしまった事を話しながら、俺達は山を降りている。
俺は下山しながら、ここに来た経緯と状況をロックに包み隠さず全て話した。
「なるほど、自分の事が記憶喪失か……。しかも住んでたのがこことは別の世界なら、何も分からないんじゃ無いのか?」
「その通りです。だから俺が覚えている事は何も役に立たないと考えています」
ロックはそれを聞きながら、少し考えていた。
とんだ厄介者を拾ってしまったのだから、それも当然だと思う。
「本当にすみません。ですが、他に誰も頼れる人が居なくて。だからどんなに荒唐無稽な話でも、ロックさんには本当の事を伝えるべきだと思いました」
「ああ、いや。その事じゃ無くてな……」
少し言い辛そうにしながら、ロックは「その白狐様って、狐神様じゃないのか?」と聞いてきた。
「狐神様……ですか?」
「ああ。白い九尾の狐の御姿だったのなら、おそらくそうだと思う。御姿を拝謁した上、その背中に乗せて頂けるなんて、貴重な経験をしたな」
貴重な経験と言うよりは、事故に遭って死亡し、九尾の狐に会って背中に乗り異世界に落ちるという、初体験オンパレード状態なんだが……。
それに、あの白狐は神様かどうかも分からない。なので一応伝えておく事にする。
「詳しくは聞いていないので、会った狐が神様かどうかは分かりませんよ。本人が言った訳でもありませんし」
「そうか、すぐに逸れたんだったな。そっちの世界の事はよく分からんが、こっちでは狐様はその殆どが神様とその御使なんだ。だからつい、その白狐様もそうかと思ってしまった。すまなかったな」
「いいえ、私の方こそこちらの常識等は分かりませんので、色々と教えて頂けるのはとても助かります」
「そう言って貰えると有難い。……ああ、そろそろ見えてきたぞ」
そう言われて見てみると、前方に家が建っているのが見えた。
山の麓にポツンと建つその家は、丸太を組み合わせたログハウスの様な造りをしていた。
地面より少し高めに作ってあり、三段程の階段がある。
家を見ると途端に安心感が湧いてきて、思わず泣きそうになった。
「ここが俺の家だ。お疲れさん」
そう言うと、ロックは家の鍵を開けて中に入って行く。
続いて中に入ると、真ん中に六人掛けの椅子とテーブルがあり、右側には調理場、左側には荷物を入れる高さが違う棚があった。その奥にはプライベートスペース用なのか、一面にカーテンがかかっており、奥行はまだありそうだ。
こちらの世界では靴を脱ぐ文化は無いらしい。
土足のまま左側の低めに作られた棚の上に背負子を下ろすと、ロックは「とりあえず飯にしよう」と言い調理場に向かった。
扉の横に大きめの流し台があって、その横には窯。角には煙突があり、壁に沿ってL字型に竈がある。
「何か手伝いましょうか?」
「いや、大丈夫だ。今日は朝に仕込んでいた物を温めるだけだからな。いいからそこ座ってろ」
テーブルを指してそう言うと、火を付けて竈に鍋を置き、窯ではパンを温めている様だった。
調理場の道具も一から教わらないと、使い方も分からないだろうと判断した俺は、言われた通り椅子に座って待つ事にした。
大人しく10分程待つと、ロックはパンとスープの様な物、それから飲み物をお盆で持ってきてくれた。
そういえば食パン一枚しか食べていなかったという事を思い出すと、空腹感が増した。
「それ、一人分だからな。おかわりもあるから遠慮なく食えよ」
「ありがとうございます。いただきます」
お盆だと思っていたら、一人前のプレートだったらしい。
ロックもすぐにプレートを持ってきて向かいに座ると、食べ始めた。
お腹が満たされるまで食べると、ロックとこれからの事を話し合った。そしてこの世界での生活に慣れるまでは、しばらくロックの家にお世話になる事になった。
「それじゃあ、とりあえずお前さんの名前を決めてくれ。誰にも紹介出来ないと、人に会う事も出来ないからな。いつかは町に行ったりもしたいだろう?」
それはそうだ。いつまでもロックの家に世話になる訳にもいかないから、町に行って買い物したり、家を探したりはしたい。
「そうだな。じゃあ……」
とは言うものの、すぐに名前なんて思いつかない。
俺は悩みながらロックを見た。よし、どうせ思いつかないなら、ロックの名前から連想して決める事にしよう。
(ロックと言えば鍵をかける事か、もしくは岩とかだよな。でも鍵ってキーしか思いつかないから、名前としてはなんとなく嫌だし……。
それなら石繋がりで、宝石の原石とかはどうだろう? 原石は英訳だとジェムストーン。ジェム。ストーン。……うーん、なんかピンとこないな。
じゃあ宝石を研磨までして裸石にすると、英訳でルースだな。ルース、か。特定の宝石じゃないし、なんかこっちの方がいい感じかも?)
あまり深く考えずに、思いつくまま名前を決めてロックに伝える。
「ルースって言うのはどうでしょう?」
「お、いい名前じゃねぇか。じゃあ今度からルースって呼ぶからな。ところでずっと気になってるんだが、俺と敬語で話すのはやめないか?」
ロックは名前を褒めると同時に、俺の話す敬語をやめさせようとしてきた。
「ああ、すみません。しばらく色々とお世話になるので、敬意を払ったつもりなのですが。嫌でしたか?」
「嫌というか、これからしばらく一緒に過ごすんだ。こういうのは最初が肝心だろう? ずっと敬語なのもなんとなく距離を感じるしな」
確かに、家に居ても同居人がずっと敬語だと気も休まらないだろう。そして途中からだと敬語のやめ時が分からなくなる。
「分かった。じゃあ敬語はやめるよ。呼び名はロックでいい?」
「勿論だ。じゃあ改めて。ルース、これからよろしくな」
「こちらこそよろしく」
こうして、ロックと異世界での共同生活がスタートした。