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血肉の祭壇



 ヒッ!?


 山小屋の玄関ドアから一歩踏み込んだつま先が、次の瞬間、二歩飛び退る。


 何よ……何なの、この生臭い匂い?


 回れ右しようとして、振り返ったその先に正孝の、こちらを睨む眼差しがある。


 ハイハイ、わかりましたよ。ムダなんでしょ、知ってますよ。


 半べそかいて、夕実が部屋の奥へ入ると、大理石の大きな暖炉の手前、干からびた獣の頭部が山積みにされて四つのいびつな塔を成し、すえた臭いを放っていた。


 大量のろうそくがその周囲を囲んでいる。


 中央に立つタキシード姿の古い人形は、髑髏風の顔に墨の隈取を入れ、僅かに両手を広げて、おいで、おいで、と夕実を招いていた。


 おそらく四つの塔は或る種の祭壇で、髑髏頭の人形は儀式を導く地獄への案内役なのだろう。ホラー映画をガン見させられたお陰で、夕実にも想像がつく。


 それだけで十分近寄りがたいが、一層不気味なのは四方の壁に夥しく飛び散る真紅の飛沫だ。

 

 あれ……もしかして、血?


 恐る恐る近づき、間近で目を凝らすと、赤い飛沫は泥がベースの塗料だ。壁一面、細かい文字と複雑な幾何学模様がびっしり描かれている。


「何んか、大昔の壁画みたい」


 夕実の呟きに、正孝はとびきり渋い表情を作った。

 

「これ、典江さんが?」


「壁の赤い模様だけじゃない。骨、人形、ろうそく、全て典江が持ち込んだ代物なんだ。あいつ、僕には告げず、一足先にここへ来て祭壇を仕上げたらしい」


「……祭壇って、何の?」


 正孝の指が、一際目立つ位置にある12個のひし形をなぞる。


「このシンボルの名は『オグン』。ブードゥー教における炎と戦争の神を示す」


「ブードゥーって、前にあなたが教えてくれたアフリカの宗教よね」


「ああ」


「確か、生きた人間をゾンビにする秘法があるんでしょ?」


 先程、怪物へ扮した若者達に追われた恐怖が蘇り、夕実は身を震わせた。


 後ろから正孝が柔らかく髪を撫でてくる。


「そう言えば、君には『ゾンビ伝説』も見せたっけ。あれが一番リアルな描き方をしている。覚えていてくれて嬉しいよ、夕実」


 名前を耳元で囁かれた。女の扱いに慣れた掌の動きと、背中越しに伝わる正孝の温もりが心地よい。


 ずるいな、と夕実は思った。


 ルックスの良さを計算に入れた表情の作り方と、ささくれだった女の心をほぐす言葉の緩急……


 もうごまかされない、という決意が薄れ、かなぐり捨てようとした依存心が戻ってきてしまう。不倫だろうが、略奪愛だろうが、彼を諦められない理由は、こんな仮初めの安らぎの中にある。

 

 

 

 

 

 耳たぶを噛める程の距離から届く正孝の声は、普段の甘い響きの代りに重苦しく不吉な予感を含み、少しだけ掠れていた。


「ブードゥーのゾンビと言うのは、元々、ダイオキシン系の毒を投与し、思考力を奪った人間の事だ。だから、人肉を喰らう生ける死者は、アメリカのホラー映画が作り出したイメージに過ぎないと思っていたが……」


「やっぱりいるの、人喰いゾンビ!?」


「さぁ、僕がはっきり言えるとしたら……マジ、やばいんだよ、この祭壇」


「でも、これって結局、典江さんの嫌がらせよね?」


 正孝は夕実から離れ、山小屋の明りを消した。


 赤い『オグン』のシンボルは、闇の中で青い光の羅列に転じ、ぼうっと浮かび上がって鬼火の如く揺らめき出す。

 

「こいつは普通の塗料じゃない」


「匂いの生臭さ、半端じゃないもんね」


「この匂いは典江が自分の血を混ぜたからだ。本物の呪いを籠め、発動させる為に」


「……呪い?」


「あいつ、凄い大金をつぎ込んで、西アフリカからブードゥーの資料や呪術道具を取り寄せ、ずっと何か調べてた。そして姿を消す前、嬉しそうに宣言したんだ。地獄の扉を開く奥義を突き止めたって、な」


「……地獄の扉? それこそ映画のネタみたい」


「いや、正真正銘、血に飢えた亡者を蘇らせて、この世を滅ぼす儀式らしい」


「アハハ、そりゃいくらなんでも……」


 冗談めかして笑い飛ばそうとしたが、正孝の表情は重苦しく、とてもじゃないが洒落にならない。


「家で飼っていた小鳥を、あいつは僕の目の前で殺した。そして、祭壇の上に捧げ、生き血交じりの泥を塗ったら」


「まさか……」


「御想像の通りさ。小鳥は蘇り、僕の眼を突こうとした」


「うそ……」


「僕の眼がまだ見えているのは、典江が飛び回る小鳥を掴んで、暖炉の火へ投げ込んだからだ」


 正孝が暖炉の火かき棒を掴んで、中を掻きまわすと、鳥の骨がまだ残っていた。ここで何かの儀式が行われたのは確からしい。


 夕実の脳裏に不気味な化粧……あのゾンビのメイクで祭壇に立ち、意味不明な呪文を唱え続ける典江の姿が浮んだ。


 嫉妬に狂う狂気の魔女。その凝り固まった執念を以てすれば、どんな異常な現象だって起こりうるのかもしれない。


「ねぇ、ちゃんと教えて。今夜、ここでホントは何があったの?」


 恐る恐る夕実は訊ねた。


「それがさ……正直、僕も良くわからない。サバゲーのイベント中、何人か行方不明者が出たのは確かなんだ。さっきフィールドを巡回してみて、幾つか争いの痕跡を見つけた。けど、それが単なるプレーヤーの悪乗りか、現実に何らかのトラブルが発生したのか、朝にならないと確かめようが無くて……」


 小屋の明りを点け直し、正孝は両手で顔面を覆った。こんなにも深刻な彼の姿を見るのは、夕実にとっても初めての経験だ。

 

「……典江さんに直接、事情を聞くしかないね」


 正孝は夕実を見ずに頷いた。


「あの人を、小屋の何処へ運んだの?」


「あいつは今、地下にいる。ここ、ワインセラーを兼ねた地下室があるんだ」






 とぼとぼ歩き出した正孝の後を追い、祭壇横を通って短い廊下に入ると、二階へ行く階段の手前に樫の分厚い扉があった。


 取っ手に太いチェーンが巻かれ、真鍮の錠前でロックされている。


 正孝が鍵を開けると、扉の先には細い階段が伸びており、月明りも届かない地下の闇へと繋がっていた。


「灯り、付けてよ」


 夕実に言われて正孝は扉脇のスイッチを押す。


 下の方が多少明るくなるものの、吹き込んだ風で光源が揺れている所を見ると、下がっているのは裸電球一つだけ。


 恐ろしく視界は悪い。一歩一歩、足元を確かめ、底が抜けそうな薄い板の階段を降りる度、夕実は逃げ出したくなった。

 

 勿論、怪しげな儀式の話なんか本当は信じていない。本物のゾンビなんて、ドS男が作り上げた嘘っぱちに決まってる。


 でもその代り、行く手には嫉妬に燃えた人妻が待ち構えている筈。前は殺人鬼、今度はゾンビ。心の底からホラー映画の役になり切る狂気のリアリティを携えて。


 しかも、夕実は一度、彼女を思いっきり殴打しているのだ。


 どれ程の恨みを買ってしまったのか、想像するだけで膝がカタカタ震え出す。

読んで頂き、ありがとうございます。

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