殺意へのルーティン
言われるまま、為すがまま。文字通りのアズ・ユー・ライク。
二人の関係はいつもこうだ。
ホラーをこよなく愛する正孝は、いくら苦手と訴えても夕実に「エクソシスト」「死霊のはらわた」等の名作を見せたがり、お泊りデートに決まってDVDを持って来る為、今やその殆どを彼女は熟知している。
目をつぶっても、ムダ。
正孝は人差し指の先で強引に夕実の瞼をこじ開け、液晶画面が真っ赤っ赤のショックシーンをガン見するまで止めないから、抵抗するだけムダ、ムダ、ムダぁっ!。
お蔭で随分、嫌な夢を見た。
大好きだったケチャップは見るだけで嫌になり、夜中、就寝中に電灯を付けっぱなしにする習慣も、正孝との関係が始まってからだ。
相手の色に染まるのが夕実の恋のノウハウとは言え、今回はかなりダメージが大きい。でも、それなりの見返りもあった。趣味を受け入れ、大げさに褒め称えると、大抵の男は舞い上がり、夕実の要求をアッサリ呑んでくれる。
過去の恋を振返ってみても、彼女の誕生日やクリスマスに、何度その手で高価なプレゼントをゲットした事か?
従う振りして調子に乗せて、相手の気持ちを操るなんて、あたしも結構オトナの女よね。
強がり半分で夕実がそんな事を思いつつ、捻挫した足の痛みをこらえていると、前方に明かりが見えてきた。
山小屋だ。
近代ヨーロッパの趣きを模した古風な造りの張り出し窓から電灯の光が漏れている。
「あ、可愛いロッジ」
「イベントの準備用に、少し前から僕が個人的に借りていた小屋だよ。サバゲーのフィールドと若干距離があるんで、参加者が近づく事はまず無い」
「うん、二人きりでの~んびりできそう」
夕実は明るい声を上げたが、二人、という言葉に正孝は何とも渋い表情を浮かべる。
それを契機に、夕実の胸の奥で燻っていた疑念が大きく膨れ上がり、小屋へと向かう足を止めた。
ノウハウを逸脱するためらいが胸をよぎっても、襲われた恐怖と先行きの不安が駆り立てる好奇心には勝てっこない。
「……ねぇ、もしかして、あたしが気を失っている間、ここに来た?」
正孝は一層渋い顔になり、すぐには答えようとしない。
「さっき、向うで手間取った、なんて言ったけどさ、ここがその『向う』なんでしょ? そして今、この小屋にいるのは、あたし達だけじゃなく……」
「他に誰がいると言うんだ?」
「ゾンビ」
「はぁ!?」
「それも、女のね。急に茂みから飛び出してきて、あたしの首を絞めた奴」
正孝は動揺を渋面で包み隠し、夕実から目を逸らした。
「あれ、典江さん、だよね?」
「……鋭いな、珍しく」
おバカな振りしていた方が楽だから、鋭い棘を隠していただけ。
そんな本音が出そうになる。
でも、いつもの流儀に従い、心の声は喉元へ止める。代りに軽く小首を傾げ、
「あたしさ、記憶がトンじゃって……頭ン中ゴチャついてたけど、落ち着いたら、成り行きの想像がついたわ。だって、色々前振りあったもん」
「まえふり? どんな?」
とぼける正孝の素振りに『踏み込むな』という暗黙のプレッシャーを感じる。
詮索はロクな事にならない……重々、承知してますけど、あたしにも一応、限界って奴はあるのよ、ダーリン。
夕実は、懐から機種変更したばかりのスマートフォンを取り出し、メール一覧のページを開いた。
あるある、まがまがしいのが。
泥棒猫だの、恥を知れだの、地獄へ落ちてウジムシになれ、だの……
一行だけ書き込まれたメールが、日に何通も届くようになってから既に一月近く経過している。
発信番号は非通知でも、誰からか、は容易に想像がついた。
メールアドレスを変えた所で、嫌がらせの主は新アドレスを探し当てるし、着信拒否すると別の番号で掛けてくる。
裁判沙汰に備えて、削除せずに残しておいたけれど……
今週に入ってから、そのメールは真っ赤な文字で『死ね』と繰り返すだけになり、画面を埋め尽くす『死ね』に、夕実の背筋は凍った。
正孝の妻が常軌を逸するレベルの怒りを溜めこみ、不倫相手へ爪を研いでいるのが明らかだったからだ。
ドSの夫に負けず劣らず、その妻も相当ヤバい。
堀越典江は、ケルベロス・ムービーズの株を六割所有する資産家の娘であり、夫以上に熱狂的なホラーマニアだと言う。
同人誌にグロテスクなイラストを発表して話題を呼び、コミコンに来た正孝と意気投合して交際を開始。ゴールインまで一月足らずの電撃婚だったが、正孝の浮気癖が止まず、典江は嫉妬を募らせた。
相手の女にストーカー行為を行い、白昼の路上でイミテーションのマサカリを振り回した末、現行犯逮捕された事もある。
後の精神鑑定で、ホラー映画の殺人鬼になりきった妄想が原因と判明。多額の慰謝料を積む示談が成立していなければ、典江は今も刑務所にいたかもしれない。
妻の資産に依存する正孝は、中々離婚に踏み切れず、典江は狂気を募らせる悪循環へ陥ったというもっぱらの噂だが……
「妻については何度も説明したよな。今度こそ、僕が別れる腹を固めた事も」
夕実は素直に頷いた。
典江の嫉妬に気付いた当初、むしろ離婚間近を裏付ける証拠に思え、嫌がらせメールを喜んだ事さえあったのだ。
「信じて欲しい。君を危険に晒すつもりは無かった」
「でも、さっきなんか、危うく死ぬトコよ。ゾンビに変装した典江さんが、イベントに紛れて、あたしを狙った。よ~するに、そういう事でしょ?」
「多分、な」
「倒れた典江さんを、あなたは人目につかないよう、ここへ運んだのね。あたしの方は道へ置き去りにしたまんま」
言葉の節々にひそむ夕実の苛立ちに、正孝は反応しない。その代りに深く俯き、呻くように言った。
「それだけならば、まだ良いが」
「え?」
「……小屋へ入ろう。君自身の目で見て貰った方が早い」
とりとめのない会話を打ち切り、正孝は小屋の扉を開けて、夕実を中へと導いた。
いつも通りのアズ・ユー・ライク。
物凄く入りたくない。今すぐ回れ右したいけれど、この時の夕実に他の選択肢など有りはしない。
一旦、リアル方向へ振れましたが、この後、ホラーの要素を深めていきます。
最後までご覧いただけましたら、嬉しいです。