第8話 社畜が突然ドラマの主人公になったら・・・
通知を受けて、翌日、城田は前回検査を受けた総合病院に向かっていた。
あいかわらず、病院内は高齢者でごった返していた。
この風景を見ると、否が応でも、日本が少子高齢化の道を歩んでいること、この先、衰退の一途を辿るであろうことを考えてしまう。
そんな風景を見ると、余計に気分が落ち込み、マイナス思考に陥ってしまう。
診察までの長い待ち時間の間、「再検査」の意味についてネガティブな妄想に耽っていた。
……末期のガンです。余命は半年です……
そんな宣告をされたらどうするか。
定期的に作られる三文映画のワンシーンが脳裏に浮かんだ。
そんな妄想をすると、嫌な仕事の現実を忘れることができ、不思議と気分が高揚した。
あまりにも、非現実的であり、ファンタジーだからだ。
この年齢で、ガンに羅患するなど交通事故に遭うより、確率が低いだろう。
そんなくだらない妄想よりも、検査が終わった後の現実を考えた方がいい。
妄想は所詮妄想だ。
現実は揺るぎない。
今月の融資のノルマをどう達成させるか。
どう考えても達成できない。
達成できなくても、クビになるわけではないし、給料が減額になるわけでもない。
せいぜいいつもの叱責をされるだけだ。
そんなのは別にどうでもいい。
そう思っているのに、必要以上に神経を張り巡らせ、日々ストレスを感じてしまうのはなぜか。
時間にして、1時間ほど経っただろうか。
少し眠ってしまっていたようだ。
まぶたが下がってきてうつらうつらしてると、ようやく診断室に案内された。
医者はこないだと同じように、やや横柄で事務的な口調だった。
「うーん……ちょっと腫瘍があるんだよね」
医者の口調は、普段と変わらない。
予想外の通告に動揺はしたが、思いのほか、冷静だった。
「え……それは、どういう……」
城田が質問を投げかけようとすると、医者はそれを遮るかのように、やはり事務的に淡々と先を続けた。
「大丈夫、大丈夫。まだ、悪性と決まった訳じゃないから、でも一応検査はしとこう。どんな検査をするかは、受付に聞いてもらえばわかるようにしとくから」
医者は、毎日のルーティンワークのように、一方的に通告し、診断はものの数分で終わった。
それから、検査を受けて、再び病院に行くまでの数日間——医者の診断を再び受けるまでの間——スマホでひたすら、「腫瘍」、「30代」といったワードを検索した。
情報は、それこそ無限にあったが、何を信じてよいかは不明で、最後は、「全然、大丈夫だった」など、たいしたことがなかったという体験談ばかり、読んでいた。
その間、余計なことを考えたくないばかりに、特に休まずに仕事に行っていた。
いつもと変わらない日常が流れていることが、自分の状態が問題ないことを証明しているかのようで、妙に安心できた。
数日後、再び、前の医者の診断室に案内された。
「悪性だね、ただ、今は、治療法も複数あるから」
テレビで見るような劇的なものではなく、医者はただひたすら事務的だった。
「え……それは、ガンってことですか?」
「まあ……そうだね」
「その……治るんですか?」
「……進行を遅らせることは、できるよ。手術で治ることもある」
「あの……どれくらい進行しているんですか?」
「それは、一概には、言えないものだから……。まあ、ただしっかり治療すれば、良くなるケースもあるし」
こちらが根掘り葉掘り聞く度に、医者は事務的な態度を崩し、段々と面倒くさそうな顔をする。
最後の方はあからさまに不機嫌そうな顔を浮かべていた。
努めて冷静さを装っていた城田も、流石にショックが大きかった。
だから、医者の「これ以上聞いてくれるなよ」という顔に対して、さらに突っ込んで聞くことができなかった。
結局、告知はものの数分で終わった。
今、自分がいかなる状況に置かれているかは、まるでわからないままだった。
狐につつまれた状況とはこういうことを言うのだろうか。
腫瘍があると告げられて、数日間、予期していたとはいえ、どこかでまさかそんなことは自分の身には起きないだろうと思っていた。
なにせ自覚症状はまるでないし、自分の年齢でガンになる確率など、飛行機に乗って、事故を心配するようなものだからだ。
まだ、頭の整理がつかないまま——いや正確に言うと、理解はできているが、現実感がない——待合室のベンチに腰掛けていると、先程の医者が足早に診断室から出てきた。
気づけばなんとなくその医者の後を追っていた。
医者は、近くの自販機で缶コーヒーを買っていた。
その場で、同僚たちと話していた。その顔には笑みが浮かんでいた。
その笑みを見た瞬間、当然のことをようやく理解した。
医者も仕事なのだと。
認識していても、理解できていなかった。
医者は心の底から患者に寄り添うべきだという想いがあるから、先程の事務的な対応にショックを受けた。
だが、彼らは仕事として医療に従事しているだけなのだ。
城田が、ローン商品を売るように……。
そう思えば、先程の医者が、城田がしつこく質問した時に、嫌な顔をしたことも理解できる。
金融商品を売る時に、一番面倒な客は、事前にネットで知識を付けていて、細かいことまで聞いてくる客だ。
うかつなことを言えば、後で何を言われるかわからないという恐怖から、そういった客には、慎重に対応し、曖昧な表現に終始する。
先程の医者の対応は、まさに城田がいつも客にやっていることと同じだ。
圧倒的な知識を持っている存在、だから素人が反論してはいけない存在、そんな権威に怖気づき、聞きたいことも聞けなかった。
だが、医者も自分と同じ単なる組織人——自己の保身を最優先に動く——とわかれば話しは別だ。
何をされたら嫌なのか、どういう風に聞けば答えてくれるのかも、今ならわかる。
こんな中途半端な宣告を受けただけで、次の診断まで生殺しの状態で生活するなど耐えられない。
その強い想いが、感情のおもむくままに肉体を動かさせた。
空気を読み、些細なことでも事前に計画したことでなければ行動しない城田にとってはありえない行動だった。
「先生。先程はどうも。ちょっと聞きたいことがあるんですが」
医者は最初驚いた表情を見せて、先程の患者だと認識すると、あからさまに嫌な顔を浮かべた。
プライベートな空間に突然、患者が割り込んできたのだから当然だろう。
「え……ちょ、ちょっと! 困りますよ。順番で診察してるんですから」
そうした表情を気にせずに、城田は、話しを続ける。
「すいません。ただ、どうしても聞いておかないと。ガンがあって、それがどんな状態か曖昧なままでは、気持ちが落ち着かないので」
「そ、そういう個人情報はここでは……」
医者は、周りを見渡し、同僚の怪訝な表情を気にしていた。
自分の患者とトラブルを起こしていると誤解されるのが嫌なのだろう。
「わ、わかりました。ちょっとこちらへ……」
医者は、長い廊下の奥の隅にある非常階段の前へと城田を誘導した。
ここなら、比較的人通りも少なく、人の目もつきにくい。
「先ほどは申し訳ありませんでした。いきなり、話しかけてしまって。先生の立場を考えずに」
ガンの通告を受けて、感情的になっている訳ではないことをアピールするために、努めて冷静な物言いに終始した。
もちろん、実際の頭の中は、グチャグチャ状態だ。
今していることは仕事なのだと思い込み、表面上はポーカーフェイスを維持できていた。
「いや。まあ……動揺するのは当然ですからね。ただ、私も立場があるので……」
「ええ、私も一応組織で働いていますから、よくわかります。それで、私のガンの件ですが……」
聞きたいという気持ちとなおもためらう気持ちが交差し、土壇場で躊躇してしまう。
このまま、曖昧なままでは絶対に嫌なのだが、曖昧だからこそ、夢を見られる。
はっきりと答えがわかってしまえば都合の良い夢は見られない。
だが、ここまできて、逃げるわけにはいかない。
「はっきりと言って頂いて構いません。実際のところ、私のガンはどの程度進行しているのですか」
「……あなたのように知りたがる患者さんってけっこういるんですよ。でも、実際のところ、そんなに簡単に断言はできない」
目の前の男は、感情的ではない。
とりあえずは理性的に話は出来そうだ。
そう判断した医者は、警戒心をやや解いたようだ。
だが、以前として曖昧な表現でこの場を取り繕うとしているようだ。
「先生。別に先生がおっしゃることがハズレてても、クレームは言いませんよ。医者だって、人間なのだから、数回の診断で確定的なことを言えるわけがないのはわかってます。ただ……プロの先生が、今の情報から見て、どういう状態だと判断したのか。患者に対する配慮を取っ払ったその意見を聞きたいだけなんです」
この医者が、どういう言葉を投げ掛ければ、話してくれるのか、アドリブで必死に考えて出てきた口上だった。
城田の必死の食いつきに心が打たれたのか、それともその言動から、後々トラブルになる可能性が少ないと判断したのか、医者は、しょうがないといった様子で話出した。
「……あくまで、今の検査から得られた情報から判断して、現時点で一番可能性が高いという話ですが……」