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第7話 会社から逃げて、自由になった社畜は自ら社畜になることを望む

 電光掲示板に自分の番号が明滅する。

 自分の番が回ってきたようだ。

 数時間コースだと思っていたが、数十分ほど待っただけで、意外と早く呼ばれてしまった。


 このままじゃ午後には出社しないといけなくなってしまうな……と少し落ち込みながら、診察室に入る。

 対応した医者は、大量の患者を早くさばきたくてしょうがないという様子でせこせこしている。


「えっ……と、診断で再検査の人だよね。年齢いくつだっけ?」

「あっ、はい……年齢は29です」

「まだ20代か。まあそれならほとんど問題ないと思うけど、一応ちょっと詳しく検査しとくか」


 医者は、そういうと隣にいる看護士になにやら検査の内容を支持する。


「じゃ、ごくろうさん。後は、検査してもらえればいいから」

 

 そう言われて、診察はわずか数分で終了した。


 成人してから、医者にかかったことは数えるほどしかない。

 だが、医者の対応はいつも腹が立つものばかりだ。

 なぜ、タメ口なのだろう。


 対応した医者はおそらく年齢は自分より上だろう。

 だが、患者とはいえ自分は、診療報酬を払う側、いわば客だ。

 当然、敬語で対応してしかるべきだ。


 それなのに、医者はさもタメ口で当然と言ったそぶりだ。

 医者の高圧的な態度に苛つきながらも、どうやらまだ検査があり、時間がかかることを知り、幾分気分も和らいできた。


 これなら、今日1日休めそうだ。

 結局、その後も何回か検査室を回らさせられたが、いったい何の検査をしているか最後までわからなかった。


 会計時でさえも、どういう検査でそれがいくらの費用に対応しているのか、不明だった。

 きっと、いつも城田が相手にしている客もこんな感じで、銀行から投信を買ったり、ローンを組んでいるのだろう。


 言っていることはよくわからないが、銀行員や医者がやっていることなら、信用していいだろう……。

 医者や銀行員にはいまだにそういう権威がある。


 もっとも、城田が先ほど医者に腹を立てたように、そういった神通力も若年者には通用しなくなっているが……特に銀行員を信じている人間などはもはや相当に限られている。

 

 だが、高齢者になら、いまだにそうした効果は残っている。

 慇懃無礼な銀行員と高圧的な医者、表面に出る態度はまるで違うが、昔の遺産——権威——にあぐらをかいているという点では、同じかもしれない。


 いや……それはあまりにも医者に失礼というものか。医療は直接的に命を扱っている職業だし、そもそも専門職だ。


 それに対して、銀行iなど所詮金貸し商売だし、ましてや城田が行っている業務など単なるルーチンワーク、それこそ非正規の派遣にいつでも置き換えることができるものなのだから……。


 そんな虚業の非専門職が曲がりなりにも権威を持つことができたこれまでが異常なのだ。

 銀行のイメージ戦略の成果もあるだろう。

 それとも、やはり、「金」が持つ力の賜物なのか。


 全ての検査を終えたころには、幸いにも既に午後3時を回っていた。

 丸井に電話し、「すみません。まだ、検査に時間がかかりそうです」と話すと、 

 「なら、今日はもう全休でいいよ」と言われる。


 休みになったところで、特段やることはないのだが、ただ会社に行かなくていいという事実だけで、開放感が全身を駆け巡る。

 とはいえ、この開放感も一時のものだ。

 数時間経ったら、明日の出社を考えて、気分が滅入ってしまう。 


 自由になりたい……


 その度に思う。

 この開放感を常に感じていたいと。

 だが、そのために、どうすればいいのかわからない。


 今の会社をもし辞めても結局、何らかの会社で働くことになる。

 それなばら、結局この感覚は変わらないだろう。

 逃避という選択肢もあるにはある。

 だが、それでは何も変わらないというのは既に実証済みだ。


 城田は数年前に会社を長期に休んだ。

 理由は適応障害だ。

 といっても実際は病気でもなんでもない。


 当時所属していた部で、仕事が重なり、つい衝動的になった。

 軽い気持ちで、ネットで調べた近くの心療内科に出向き、「頭が痛い」「眠れない」とうそぶき、会社を休むための診断書が、欲しいと言ったら、簡単な項目が記載されたアンケート用紙を渡された。


 それっぽい項目ばかりを選択して、10分ほどの診断を受けて、これまたそれっぽいことばかりを言っていたら、その日の内に「適応障害」の診断書を貰うことができた。

 医療というのは科学的、客観性を強く要求される分野だと思っていた。


 だが、精神については未だ曖昧さや主観的な観点——患者の意見——がそれなりに影響を持つようだ。

 それとも……単に医療も商売ということなのか。

 

 ともあれ、予想以上に簡単に「1ヶ月の休職を要する」と記された診断書を手にすることができたため、城田は半ば衝動的、半ば確信犯的に休職をしたのだ。

 会社内部の手続きも、大企業ということもあり、やけに簡単だった。


 当時の直属の上司に電話をして、診断書を送りつけるだけでことは済んだ。

 結局、休職を取るために、城田は会社に出向くことは一度もなかった。

 出世という観点では、入社数年の社員が精神的な理由で休職になるのはとりかえしのつかない経歴上の汚点になる。


 だが、それ以外の点では、驚くほど手厚い保護があった。

 休職中の半年間は給料は満額支給、ボーナスも出る。半年を過ぎても、その後の1年半は給料の6割が支給される。

 

 2年経てば、さすがに無給となるが、解雇されることはほぼなく、復帰もできる。 

 そして、1回復職して、また休職しても、2年間はまた同じように給料が出るのだ。


 こういう情報を事前に聞いていたために、ある程度軽い気持ちで休職という選択をすることができた。

 社内には、この制度を悪用して、無給になったら、とりあえず復職して、すぐにまた休職するツワモノもいると聞いていた。


 そういう者が現れるのも当然だろう。

 失うのは出世の空手形とプライドだけなのだから。

 休職しても、生活には当面は困らない……という計算の下に、城田は、念願の長期休暇を取得した。


 だが、休職をしてから、予想もしていない変化が生じた。

 仮病ではなくなったのだ。

 それほど、精神が不安定になった。


 はじめの1、2週間は、休みを謳歌していた。

 仕事に行かなくていいという解放感に浸っていられた。

 だが、1ヶ月を過ぎると、不思議と解放感よりもなんとも言いようのない焦燥感に襲われることになる。

 

 当時は、その奇妙な感情が何なのかわからなかった。

 会社に復職した今は、よくわかる。

 人は社会から隔絶された状態——全くの孤独状態——では生きられないということだ。


 休職前の城田は今と同様、恋人はおろか、友達もいなかった。

 一方、職場には、望まぬとも人間関係が一応あった。

 喫煙所で話したり、たまに雑談したり、とその程度ではあったが。 

 

 休職して、それら職場の人間関係もなくなり、元々プライベートで親しい人間もいないため、城田は社会と完全に断絶されてしまったのである。

 会社から自由になりたいと願っていたが、その実、会社によって、かろうじて社会との関係を保っていたのは皮肉な話だ。

 

 人は会社であれ学校であれ、どこかに居場所が必要なのだ。

 そういった既存の場所から自由になるには、ただ逃げるだけではダメだ。

 自分が、新たな場を作り挙げる必要がある。


 それができない城田のような人間は、元の場所——会社——に戻るしかない。

 結局、休職して10ヶ月ほどで復職した。

 金銭的な理由ではなく、単に孤独に耐えられなくなり、会社での人間関係を求めたためだ。


 それ以来、現在の会社に残り、出世コースから完全に外れた現在の部で、ただ怠惰に毎日を過ごしている。

 復職して、1ヶ月も経つと、早くも、休職していた時を懐かしむようになる。


 流石に、そこで再び休むほど愚かではなかったが、人間というものは、なんと移ろいやすいものだと実感したものだった。

 「自由になりたい」と思う度に、自由を求めた結果、自ら鎖を足につけた当時のことを思い出してしまう。

 

 病院で再検査を受けてから2週間、とりとめのない日々を過ごしていた。

 こないだ会った女からの連絡は完全に途絶えていた。

 次の約束を断られてから、数日後にダメ元でもう一度ラインしたが、返信は帰ってこなかった。


 仕事が終われば、与えられた安価な娯楽で、刹那的に欲望を発散し、時間を潰す。

 仕事の方は、これも相変わらず、苦痛だが、耐えられる程度のストレスを抱えて、なんとかやり過ごす。

 そんな生きているか死んでいるかわからないこれまで通りの毎日を過ごしていた。


 検査を受けたことも忘れかけていたが、検査結果の通知が総務あてに届いていた。

 封を開けて、飛び込んできた文字は予想外のものだった。


 ……「要再検査」……


 これには少し心がざわついた。

 前回は、素直に喜んだが、今回は流石に喜んでばかりはいられない。

 事務室に戻り、丸井に前回と同様にまたも再検査が必要である旨を告げる。


 丸井も前回より、大げさに反応した。


「ええ! 二回も再検査なんてあるの……。最近、酒飲み過ぎてるんじゃないの」

「いや……私もちょっと驚いてまして……一回ならまだしも二回も……」


 ちょうど、そんなやり取りをしていると、喫煙室から戻ってきた勝田が軽口を叩いてきた。


「城田さん、なんか、ヤバイ病気なんじゃないの?」


 言葉とは裏腹に、冗談めかした様子で、本気で心配している気はサラサラないと言った感じだ。


「そうですね。不摂生続けているから、もしかしたらガンかも知れませんね」


 こっちも軽口で応答した。

 内心は若干真剣に心配していたが、この場で、空気を読まずにそんな顔はできない。


 そんなやり取りを終えた後、すぐに、検査の予約を取った。

 前回は、休みたい一心で早めに予約を取った。

 今回は、休みたいというよりも、このモヤモヤとした不安を一刻も早く解消したいという想いの方が強かった。


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