第3話 非モテのエセエリートは高齢者と女を憎悪する
電車を乗り継いで、数十分かけて、いつものモールに行くと、館内に置かれたベンチにはスーツ姿をしたサラリーマンたちが数人、手持ちぶさたに座り込んでいる。
その隣には年金生活者とおぼしき老人らが暇そうに寝ている。
平日に時間を持て余しているこういう老人らを見るたびに思う。
こいつらは生きている意味があるのか。
ただ、あり余る時間を消費するだけで、何ら有益なことなどしていない。
そして、この老人らを活かすための糧を自分が払っているのだ。
そして、政策、社会、会社はたいてい老人を優遇する方向に進んでいる。
シルバー価格に優先席……逆ではないか。
優先されるべきなのは、自分たちだ。
彼ら老人のための年金を払っているのは自分なのだ。
席を譲るのは老人たちだ。
年寄りに譲る優先席など必要ない。
老人と、スーツ姿の男で埋まっているベンチを片目に、モール内のカフェに入る。
店内は、ちょうど昼後のカフェタイムだというのに、先程のベンチとは対象的にまばらだった。
一番安いコーヒーを注文して、席に座り、営業バックからスマホを取り出す。
このカフェでスマホをいじり、ニュースアプリを巡回し、SNSに投稿するのが、ルーチンだ。
今日、ピックアップした記事は「振り込め詐欺」に関するものだった。
内容はありきたりのもので、振り込め詐欺の被害額が拡大していることと、その手口が巧妙化しているというものだった。
ひと通り目を通すと、「振り込み詐欺は問題だけど、こんな手口に騙される高齢者が愚か。リテラシーが低すぎる」とツイートする。
これは、本音の半分である。
この数年間、金融機関は振り込み詐欺の防止のために、高齢者の出金に神経をとがらせている。
城田が務める銀行も例外ではなく、100万以上の出金には必ずその理由を確認し、詐欺ではないかを警告する手続きになっている。
まるで、子供を相手にしているかのようで、やり過ぎもいいところだ。
そもそも、いい年をして振り込み詐欺のようなものに騙される者は自業自得もいいとこなのに……
もともと、そんな愚かな高齢者が、大金を溜め込んでいるのが間違いなのだ。
そもそも犯罪とはいえ、暴行等の肉体的な怪我はない犯罪だ。
リスクを取った彼ら若い犯罪者が、愚かな高齢者を騙し、使う当てのない溜め込んだ金を奪う。
そして、その金を彼ら、いや自分たちのような若者が、好きに使った方がよっぽど経済がまわり、日本に貢献する。
これが、匿名のツイートにも投稿をためらうもう半分の本音である。
人と違う意見、斜に構えた意見を持つことが、城田のアイデンティティである。
とはいえ、そんな意見を開陳できる場所はリアルな世界ではないから、もっぱらネット世界で発散している。
高齢者に同情を示すコメントが多く並ぶ中、自分のとがったコメントが表示さ
れると、ちょっとした優越感を覚える。
気分が少し乗ったところで、もう一つの日課である出会い系アプリを開く。
数カ月前から恋人を探していた。
いやより正確に言えば十数年前からといった方が正しい。
なにせ、今までの人生で恋人がいた経験はないのだ。
そのことが、大きなコンプレックスになっていた。
だが、学生の時から友人も少なかったため出会いに乏しく、さらに社会人になってからは、輪をかけて女性と出会う機会は年々少なくなっていた。
かと言って、街に繰り出し、ナンパをするほどの度胸はなく、月日だけが無為に流れていった。
だが、それも技術の発展のおかげで、自分のような男でも気軽に女を探せるようになった。
今やアプリをインストールし、プロフィールを入力するだけで、大した面倒もなく、スマホで操作するだけで、恋人を探せるマッチングアプリがそこかしこにある。
そんなマッチングアプリの一つを立ち上げて、昨日メッセージを送った女性から返答が来ているかをチェックする。
アプリの仕組みは、非常にシステム化されていて、年齢、居住地、そして年収などで、細かく相手を検索でき、さらには、恋人に求める条件——顔写真、喫煙の有無、デート代はワリカンOKかどうか等——まで記載されている。
物心ついた時から、あらゆる物をインターネットで検索し、事前に情報を得てきた自分のようなものにとって、女を商品のように選ぶこのシステムは極めて性にあっていた。
女とマッチングする仕組みも売買のような仕組みだ。
気に入った相手に「いいね」をタップし、相手も「いいね」をしてくれたら、取引成立で、メッセージを交換できるようになる。
「愛」だの「好き」だのという世間で言われる感情を抱いたことは今までの人生で一度もない。
もちろん、美人な女を見れば、「きれいだな」、「自分の彼女にしたい」とは思う。
しかし、それは「愛」、「好き」といった感情とは違うだろう。
単純に自分の性欲、所有欲、名誉欲、そういった欲望を満たすための対象としているだけだ。
こう言うことを面と向かって公言すれば、サイコパスか何かと思われてしまうから、「愛」や「好き」と言ったあたりさわりのない言葉で自分の本心を飾っているのが、大半の人間の実情だろう。
そういう意味では、自分もそこらによくいる人間なのだろう。
こういったマッチングアプリは、そういった人間の表の飾り事を綺麗さっぱりに取っ払い、欲望をむき出しにしているところがいい。
要は、その商品——男や女——が自分の欲望を満たしてくれるものを持っているか否かが重要なのだから、それを大量に、細かく、そして簡単に検索できるシステムほどよいのだ。
さて、自分の商品価値はどうだろうか。
恋愛市場における自身の商品需要はそこそこあると踏んでいた。
顔はお世辞にも良いとは言えないが、三十代前半、有名私大卒、大企業勤務、年収800万、このスペックで、結婚カードをチラつかせば、それなりに申し込みもあるだろうと……そう踏んでいた。
だが、現実は城田の期待とはまるで違ったものだった。
「いいね」などまるでつかない。
恋愛市場では、圧倒的に女性が有利で、男性は不利なのだ。
こういうマッチングアプリでは、あからさまに市場の需要——人の欲望——が容赦なく白日のもとに晒される。
二十代の若い女は、ただそれだけで、圧倒的な人気をほこり、男たちからの「いいね」が殺到する。
対して、自分のような平均ちょい上の経歴の男はその中に埋没してしまう。
大学時代の経済学の授業で、聞きかじった際はあやふやだった自由市場の原理というやつを今否応なく実感していた。
開いたアプリ上の画面には、「いいね」も、メッセージの返信もなかった。
それで、深く落ち込むほど、ナイーブでもないが、やはり自分の市場価値がないとはっきり突きつけられるのは自尊心が傷つく。
何でもあてはまる話だが、一つ一つの傷は大したことはなくとも、何回も何十回も時間をかけて積み重なっていくと、やがて大きなダメージにつながる。
今までの人生において、とうの昔にその傷はすっかりしきい値を超えて、今では立派な女性嫌い、SNS風に言えばミソジニーになっていた。
皮肉にも、学生時代は、自分のことをフェミニストだと思っていた。
それなりの教養を身に着けようと読んだ本にはどれも、男女同権の必要性を謳っていたし、中高生時代に貪るように見ていた海外ドラマもそうした論調で描かれていた。
文字通り無垢——童貞——だった学生時代の自分にとって、テレビドラマで描かれる事柄や本に書かれた内容は、全て掛け値なしに正しいこととして受けとっていた。
そして、中高一貫の進学校たる男子校で純粋培養され、一般的に言えばエリートと呼ばれる大学に入るころには経験に裏付けがないにも関わらず、知識を偏重するインテリができあがっていた。
そんな女性に対する考えが、大きく変わるまでには、そう時間はかからなかった。
さして、大きな出来事があった訳ではない。
なんてことはない。
大学に入学し、リアルな女性と接する機会ができただけだ。
入学した大学は規模が大きい有名私立であったため、他大学とのサークル交流も盛んにあり、その多くは女子大であった。
彼女らと接していると、どうしてもある考えが脳裏から離れなかった。
……女ってこんなに愚かなのか……
そういう言葉が常に頭に浮かんでいた。
自分が出会ったどの女性も、おしなべて精神年齢が未熟であった。
なんというか、その場限り、深く考えもせずに、思いつくままに生きているのだ。
今が楽しければ、それで良い。
「将来どうする」と聞けば、「いい人を見つけて専業主婦になりたい」と言った言葉が返ってくる。
今考えて見れば、10代後半の人間であれば女性、男性にかかわらず、そんなものなのだし、接してきた女性の大半はFランク大学生なのだから、当然と言えば当然だ。
だが、今まで自分の接してきた範囲——中高一貫の進学校の者たち——のモノサシでしか測れない当時において、こんなに感情のまま動物のように生きている者もいるのかと強い衝撃を覚えた。
そして、そんなにも愚かであるにもかかわらず、若い女性というだけでチヤホヤされて、お高く止まっていることが鼻についた。
さらに、自分のような高学歴の人間を受けいれずに、自分よりも低学歴だけれども、ルックスが良く、色々と遊び慣れている男たちになびく女たちの姿を見るつれ、嫉妬と侮蔑の感情を抱くことになる。
制限の限界回数まで、そこそこのルックスの30代の女に手当たり次第に「いいね」をする。
「いいね」をするのにも一定のお金がかかる。
まさにこれぞ資本主義だ。
カフェでマッチングアプリをいじり倒し、ネット記事を読み漁っていると、あっとういう間に時刻は夕方になっていた。
城田は以前に交換した名刺をおもむろに名刺ケースに入れる工作をして、カフェを出る。
目の前のベンチには先程の老人たちがまだ眠そうに座っていた。
事務所に戻る頃には17時を過ぎており、勝田も含めて部員の大半は帰社していた。
お互い「今日どうでした」とは言わない。
何か融資案件を拾えていたら、むこうから話してくるからだ。
けだるそうにして、机の上にあるノートパソコンを見ると今日も何もなかったのだろう。
事務所に戻っても特にやることはなく、終業時刻は過ぎているのだが、自分を含めた6人の部員は誰一人として帰ろうとしない。
彼らもやることはないが、とりあえず20時くらいまではいつものように残るのだろう。
室内は静まり返っているため、キーボードを叩く音とマウスをクリックする音が妙に目立っていた。
この何もやることがない帰社後の3時間はいつも苦痛だ。
幸いタバコ休憩にかこつけて、1時間に1回程度、この部屋から脱出できるが、その程度では流れる時間の遅さはどうにもならない。
時計を何度も確認するが、針はいっこうに前に進まない。
昨今のセキュリティ強化で、管理者以外のPCでは、ネットサーフィンもままならない。
未だにオンラインで買い物すらしたことがない管理者が大半を占めるのだから、ITリテラシーテストでも義務付けて、一定点数以下は降格にするとした方がよほどセキュリティー対策になると思うのだが……
そうはならずにとりあえず外部の会社に依頼して、莫大な金額を支払い、業務の効率性が著しく下がるににもかかわらず、オンラインへのアクセスを厳しくするというのが、いかにも自分の……いや日本の大企業らしい。
軒並み「エラー」のページばかり表示されるにうんざりして、ネットサーフィンを諦め、しかたがなく、社内イントラにアップされている広報誌やマニュアルを読んで、時間を潰す。
だが、ほとんど一度読んだことがあるものばかりで、何の刺激にもならない。
結局、本当の定時の時間——20時——までこの調子だった。
何もしていないのに、いや何も生産的なことをしていないからこそ、体と心も酷くダルくなる。
20時に退社し、郊外のワンルームのアパートまで戻る頃には、時間は21時半を回っていた。
適当にコンビニで買ってきたご飯を流し込み、シャワーを浴びて、スマホを少しいじっていたら、あっという間に0時を回っていた。
また、明日も何も刺激がない同じようなつまらない一日が始まるかと思うとベットに入った途端にウンザリする。
何より心を暗くさせるのは、会社員として生きていく以上、この先の数十年間の生活——年齢を重ねて、徐々に心身ともに腐っていくこと——がおおかた予測できてしまうことだ。
そして、何よりもキツイのが、そういう風に現状に不満を募らせながらも、何をすれば良いのかわからないことだ。
受験勉強なら、何をやればよいのか明確だ。
一歩一歩着実に努力をしていけば、いつかはゴールにたどり着く。
未だに大学受験の成功体験から抜け出せていなかった。
社会人になってから、盛んに様々な資格試験——社労士、行政書士、中小企業診断士——を受験し、合格してきた。
だが、資格を取って少しの間は満足感を得ることはできても、気づいてしまう。
今の現状は変わらないことに……
今を変えるためには、外部の力ではなく、本人の意志が何より重要なのだ。
そんなことが書かれている新書を何冊も読んできたので、当然そんなお題目はわかっている。
だが、そこそこの学歴を持ち、大企業に新卒で入社し、数年経た今、今まで積み上げてきたものを投げ出すリスクを追ってまで、このぬるま湯の会社を飛び出す決意を持つことはできない。
そんな曜日以外は何ら変わらない生活を送っていた中、久しぶりに変化が起きた。
マッチングアプリで、ようやく女性と食事の約束を取り付けることができたのだ。