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第2話 銀行のオイシイ客

 城田は、悩んでいた。

 どうしたら、この目の前にいる客は申し込みをしてくれるのか。

 ありふれた悩みだ。


 きっとこの瞬間も多くの場所で同じような悩みを抱えている人間が多くいるだろう。

 城田は客の話に相槌を打ちながら、言ったことをさも熱心に聞いてる演出をするため、オウム返しをしながら、切り出すタイミングを図っていた。


「契約はこれで終わりなの?」


 客は机に並べられた何枚もの契約書の山がようやく終わりを迎えていたため、安堵の表情を浮かべていた。

 今だ。

 ニコッと作り笑いを浮かべて、おもむろに切り出した。


「白木様。大変お時間をかけてしまい申し訳ありませんでした。なにぶん数千万もの融資契約ですから、どうしても書類が多くなってしまいまして……」


 六十代の初老の女性は、一時間近く書類を記入させられたのにも関わらず、迷惑そうなそぶりをつゆとも見せなかった。


「それはいいのよ。銀行さんなんだから、書類が多くなるのは当然よ」


 やっぱり、この客はイイ客だ。


「何枚もの書類を書いて頂いた上で、誠に申し訳ありませんが、あと一枚ご記入頂きたいものがあります」


 城田は机の下に置いてあったバッグの中から一枚の紙を取り出した。


「白木様はカードローンというものはご存知ですか?」


 城田は、この目の前の客がどういう反応をするか、おおよそわかっていた。


 「えっと……カードローン?」


 予想通り、客は聞き慣れない言葉に困惑していた。


「ええ。カードローンというお借入専用のカードです。城田様のような方でしたら、お借入する機会など、ほとんどないとは思いますが……」


「借入……ということはお金を借りるということ? 借金をするカードってこと?」


 やはり、老人、特に女は借金という言葉に過剰反応する。

 だが、これもいつものことだ。


「ええ……そうです。ただ、作って頂いても実際に借入をしない限り、年会費等は一切かかりません。それに……こないだの大震災の時に、被災地では通帳やキャッシュカードを無くされた方が大勢いらっしゃったのはご存知ですか?」


「えっ……そ、そうなの……確かにそんな話をテレビでやってたかしらねえ……」


 いきなり変わった話題に、客はなんとなしにとりあえず話を合わせる。


「ええ。そんな時にお財布にお守り代わりに入れていたカードローンでお金を引き出して、当面の生活に役に立てたというお客様が多くいらっしゃいまして」


 最近、社内で聞いた「優秀社員」の営業トーク通りの話をする。


「そう……まあそういうこともあるかもしれないわね。でも、やっぱりこれ以上余計な借金を増やしてもねえ……」


 人生ではじめてお金を借りるのが住宅ローン……こういうタイプの人間はとにかく借金と名をつくものには毛嫌いするものだ。

 その癖、みんなが借りているからという理由で、「住宅ローン」という名目で、いきなり数千万円の借金を背負うことには何ら躊躇しない。


……意外とこの客を落とすのは面倒かもしれない。仕方ない……城田は魔法の言葉を唱えることにした。


「そうですか……確かにお金はなるべく借りない方がよいですよね。そういう考えをしっかりお持ちの白木様は懸命な方です。ですが……今回の住宅ローンの融資は、こちらのカードローンのお申込みも条件となっておりまして……」


 アブラ・カタブラ。

 ドアは開いた。

 これにて一件落着。

 客は先程まで固辞していた申込書にあっさりと記入した。

 なぜ、最初から「融資の条件」という言葉を客に言わなかったのか。


 それは、この行為が、一応は、コンプライアンス違反だからだ。

 朝礼で、毎日繰り返し、唱和させられている「優越的地位の乱用」というやつだ。

 だが、高速道路を80キロで走る車がいないように、そんなものを守っている者は誰もいない。


 だが、違反は違反だ。

 運悪く客に自社のコールセンターにクレームでもいれられたら、キップを来られることになる。

 だから、一応正攻法で勧誘して、ダメなら最後に魔法の言葉を唱えることにしている。

 いや、そもそも正攻法の勧誘でもないか。


 「震災をダシにして、客を不安にさせて商品を勧誘する行為」が横行し、コールセンターにクレームが続出しているから、辞めるようにという本店が出した文書を見たのを思い出した。


 だが、とかく人は不安に弱い生き物だ。

 ましてや、未だに銀行の窓口に来る高齢者のような客は特に……そして、「振込等のために銀行に来る時点」で自分が「情弱」と喧伝しているようなものだ。

 そう、いい客なのだ。

 

 客が申込書を書いている間、住宅ローンの契約書をチェックし、上司に書類を回すため、客に一礼して、応接室を出た。


「カード取れた?」


 扉を締めた瞬間、上司の丸井から声をかけられる。


「はい。もちろんです。」

「そう。ごくろうさん」


 契約書類を丸井に渡して、城田は再び応接室に戻る。

 客はまだカードローンの申込書を書いていた。

 上司の反応は予想通り、素っ気ないものだった。

 取れて当然と思っているのだろう。


 今時、窓口に来る一見客を勧誘して、快くカードローンを申し込んでくれるものなど皆無だ。

 だから、セットで販売するしかない。

 逆にセットであれば、取れて当然だから必ず取らなければならないのだ。


 検査が終わるまで、場をつなぐために、客に当たり障りのない話を降った。


「女性の方にご年齢の話をするのは、失礼ですが……白木様のご年齢ですとそろそろ満額の年金が貰えますよね」


 自分の息子ほどの男にお世辞とはいえ、一人の女性として扱われたことが嬉しかったのか、この年の人間共通の話題である年金に関心があるのか、客の口はよく回った。


「ええ。そうなのよ。でも、こないだ年金なんとか便とやらで、金額をみてびっくりしちゃったわ。こんなに少ないなんて……」


 話によると、想定の年金は世帯で年収二百万ほどになるとのこと。

 

 「それは、確かに少ないですね。」


 城田は長々と続く客の話に抑揚と大げさな頷きをつけて傾聴しているフリをする。

 内心は憤りを感じていた。

 

 10分ほど経ち、ドアがノックされ、検査が終わったことを上司から伝えられる。

 まだ話足りない様子の客を適当なところでさえぎり、エレベーターの前まで送り届け、丁重にお辞儀をする。


 さて……一休みでもするか……


 喫煙室へと足を運ぶ。

 年金の収入は住宅ローンの審査のために、既に貰っていたから、当然収入はわかっていた。だが、改めて思う。


 ……多すぎる……


 この客はずっと専業主婦で、年金の掛け金は夫と夫の企業が払い、自分は一銭も払っていないはずだ。

 それなのに、数十年間払った夫は早死にして、この客が大半を貰う訳だ。


 しかも、その原資は現在の世代が負担している掛け金——つまり俺自身の給料だ!——から出ている。

 全くふざけた話だ。

 かたや、自分らの世代の時に今と同様の年金が貰える確率は絶望的だ。


 政府は大仰な言葉や横文字で飾り立てた数十ページの資料で、年金制度の信頼と持続制を謳っているが、それで目の前の客のような大衆の心を変えられても事実を変えることまではできない。

 

 もしも、自分がサラリーマンではなく、フリーランスとして働いていて、年金を払うか否かを決められるのなら、間違いなく払っていない。

 とはいえ、日本の政府と官僚のことはそれなりには、信用している。

 バンザイをして、年金制度の崩壊を宣言するほどの度量がなく、今まで払ってきた掛け金を没収するほど無責任にはなれないというくらいには……


 そんな訳で、年金制度がどういう道を辿ろうと自分が払ってきたくらいの金は回収できると思っている。

 それでも年金を払いたくないのは、三十年後に数%の利息を付けて貰える金より、今、この時の金が欲しいからだ。


 今それほど金に困っている訳ではないが、三十年後の遠い未来を心配して、金を掛けるなど、どうにも愚かに思える。

 人間は本能的に未来の利益より目先の利益を優先する。


 実際、城田は今そんな行動をしている。

 明らかに将来、ガンやその他の疾患を誘発するリスクが高いタバコを、目先の些細な利益——わずかな時間サボれることやタバココミュニティに入る——のために、吸っているのだから……


 一面が黄色に変色した狭っ苦しい壁を見ながら、タバコをクネらせていると、喫煙室にコミュニティのメンバーの一人が入ってきた。


「契約、おつかれさん。あの婆さん、金利は大丈夫だった?」

「おつかれです。ああ……金利はまあ……あんまりわかってない高齢者の人なんで……」


 話しかけてきたのは、部の同僚の勝田だった。勝田はなるほどといった相槌を打ち、いつものように自社の商品の文句をボヤいた。


「まあ……今どきうちのローン組む人なんてああいうわかってない高齢者くらいしかいないもんな」


 その後も勝田は自分が最近担当しためんどくさい客や同僚の陰口に華を咲かせた。

 その話を聞きながら、自分がタバコを吸い出した理由をボンヤリと考える。


 まあ……こういうくだらない話をしたり、聞いたりするためだけにタバコを吸ってるようなもんだな……


 タバコを吸い始めたのは、入社してしばらく経ってからのことだ。

 それまでは、不健康でかつ無駄な金もかかるタバコなど吸おうとも思わなかった。実際自分の周りでも、喫煙者は少数であった。


 だが、中年男性が構成員の大半を占める日本の企業では、世間での少数派たる喫煙者が多数派になる。

 城田も朱に交わればなんとやらで、半年も経たずにタバコを吸うようになり、喫煙室に足しげく通うようになった。


 そんな中で、あることに気づく。

 喫煙室内での交わされる些細な愚痴や悪口が、部内の世論形成にかなりの影響力を及ぼしていること、攻撃の対象になりやすいのが非喫煙者であるという事実に……


 要は欠席裁判の原理だ。

 反撃されるリスクがないから、攻撃しやすい。

 そして、どの組織でも叩かれ、馬鹿にされる生贄がグループ内に一人は必要で、誰もが——もちろん城田も——生贄にはなりたくはないと思っている……


 タバコを吸っているのはそんな理由からだ。

 家では吸わないし、吸う本数もわずかだ。

 今では必要経費と考えている。

 自身の健康に少々の害が及ぶのもやむを得ない。


 どうせ、数十年のことなどまともに考えてもしょうがない……

 タバコ休憩を終えて、事務室に戻ると、一ヶ月前に受診した健康診断の案内が自身の机に置かれていた。


 中身を確認すると、「良好」という文字が飛び込んできた。

 要検査なら会社を休めると少し期待していたが、淡い期待はあっという間に消え失せた。


 腕時計をチラッと見やると、時刻はまだ13時を過ぎたばかりだ。


 まだ……時間は大分あるな……


 城田は使い古しの営業バックに、クリアファイルにこれまた色あせたA4の資料を詰め込んで、外回り営業をする旨を丸井に伝えた。


 丸井はいつものようにネットサーフィンに勤しんでいるようで、生返事が帰ってくるだけであった。

 丸井はもともとは、地銀にいたが、そこが、2000年代初めに経営危機となり、転職してきた中途採用組だ。

 

 転職当初は、本店に配属され、張り切って仕事をしていたらしいが……40代後半となり、現在の役職から何年も上がれず、果ては郊外の営業店の管理職として飛ばされ、これ以上は昇格が望めないと判断したらしい。


 とはいえ、サボっている丸井を非難する気はおきない。

 丸井は自分にとって、これまでのサラリーマン生活の中で仕えた上司の中では、ベストな上司だ。

 部下に厳しく、優秀な上司よりも、部下に甘く、仕事ができない上司の方がはるかに良い。


 どうせ、自分が務める大企業、ましてや金融機関では、誰がやっても仕事などそこそこの結果しか伴わないし、評価もそこまで変わらないのだ。

 そもそも、とうの自分とて外回り営業とは名ばかりで単に時間つぶしをするだけに外に出ているだけなのだから。


 もっとも、城田が特別な訳ではない。

 外回りと称して、時間を調整しているのが大半だ。

 さっき喫煙室で会った勝田もボードに外回りと書いてあったが、十中八九どこかの喫茶店で待機しているだけだろう。

 城田はというと、たいてい近くの大型のショッピングモールで時間を潰している。

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