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第12話 美人と一夜をともにして、コンプレックスが刺激されるだけ

 結局、ひとしきり女の話を聞き、カフェを出た頃には、時間はもう夕方近くになっていた。


「なんかすいません。ずっとこっちばかり話ちゃって……」

「いえ……そんな……」


 城田の顔が余程暗く見えたのか、それともようやく話足りたのか、女は、自分以外の者を意識する余裕が出来たようだ。


「そうだ。城田さん。この後って時間まだあります? 実は余っている商品が大量に家にあって。よかったら、もらってくれません?」

「えっ、まあ……それはいいですけど」

「うち、ここからわりと近いんです。まあ歩くと20分くらいはかかりますけど」


 女は、飽きもせずに先程と同じような話を何度も話している。

 城田はその後を歩いていた。

 どういうことだ。

 アプリで知り合って、2回しか会っていない男を自分の家に誘うなんて。


 完全に安全な男だと思われたのか。

 確かに、城田の外観は、どこにでもいる真面目でおとなしそうなサラリーマンそのものだ。


 それとも、誰にも言えなかったこれまでの罪悪感を吐き出したから、女は、ハイになっているのだろうか。

 あるいは、今までの話は全部演技で、これは一種の美人局かもしれない。


 部屋に上がった途端に、強面の男が待ち構えて、金を強請られるのか。

 きっと、普段の城田ならそんな悲観的な予測を立てて、途中で帰っていただろう。

 だが、今は、どうでもよかった。

 仮にそうであっても失うのは金だけだ。


 繁華街から住宅街にさしかかり、人通りもまばらになってきた。

 女はなおもテンション高く話し続けている。

 これが演技なら、相当の子ねずみがいるだろう。


「あ、ここです。私の家」


 女が指し示した建物はなんの変哲もないありふれたアパートだった。

 新築というほど綺麗ではないが、古びた感じはしない。

 そういう意味でも、特徴がない建物だった。


 周辺に何棟も似たような作りのアパートが立ち並んでいるため、余計にそう見えてしまう。

 きっとこの光景を作り出すのに、自分が行ってきた融資も貢献しているだろう。

 そこで働く社員同様に、融資を出す対象も個性がないものを銀行は好む。


「ちょっと古いですけど、一応オートロックなんですよ。だから、ここにしたんです」


 女はオートロックを開け、アパート内に入る。

 1階の廊下には一応壁があるが、外から少し身を乗り出せば、乗り越えられるほど低かった。


 どうやら、オートロックは、空室を埋める役割しか果たせないようだ。

 女の部屋は2階だった。

 城田は、部屋に入る前に、もう一度今歩いてきた廊下を振り返る。


 もし男がいたら、すぐに逃げれるだろうか……

 

 部屋には、予想に反し誰もいなかった。

 広さは20平米ほどで、玄関に小ぶりなキッチン、トイレ、風呂が詰め込まれた1Kタイプの部屋だ。

 このアパートや城田の部屋……いや城田自身と同様に、大量生産の規格品だった。


 それにしても、室内は、酷く薄暗い。

 まだ日は落ちきっていなかったが、どうやら、隣のアパートの影になっているようだ。

 

 室内は、整理整頓されており、無駄なものはほとんどなかった。

 ローテーブル、ベッド、テレビ、家具が数個配置されている。

 ダンボールが3つほど部屋の隅に置かれているのがやけに目立つ。


 これが、女が言っていた商品の在庫だろう。

 城田がダンボールの方に目をやったのに気づいた女は、苦笑する。


 「これです。本当無駄なだけですよね」


 何気なく女がいる方に目をやった時、不意に違和感が生じた。

 何がおかしかったのか、すぐにはわからなかった。

 数秒同じ方向を見つめた後、ようやくその原因がわかった。


 ゴミ箱だ。

 ゴミ箱自体はどこにでもある代物だ。

 問題はその中味である。

 

 中には、食べ物のあと——空になったプラスチック製の弁当箱やデザートのケース——が不自然に大量に投げ込まれていた。

 城田の、自室のゴミ箱と同じような見慣れた光景だ。

 女は城田が怪訝な表情を浮かべていることにまるで気づいていない。

 冷蔵庫からペットボトルを取り出し、城田の目の前に差し出す。


 その手の甲には、城田がよく見慣れた痕があった。

 その痕を見た瞬間、思わず女の手を取り、自分の顔に近づけていた。


 「キャッ! えっ……」


 女は城田の突然の行動に、思わず短い悲鳴を上げた。

 城田も驚いていた。

 自分が今している行動に。

 

 そして、自分の手の甲を見せると、


「え!……あなたも、そう……同じなんですね」


 女は目を見開き、驚いた表情を浮かべ、その後気まずい顔を浮かべる。

 数十秒の沈黙が続く。

 

 気がつくと、城田は、女を抱き寄せていた。

 

「ち、ちょっと……やめ」


 ビクッと強張らせた後、女は、抵抗する。

 だが、城田が強引にその唇をキスで塞ぐと、女の抵抗は弱くなった。

 やがて、女は、抵抗を見せずに、城田の抱擁を受け入れて、自らも両手を絡ませてくる。


 ベットの中で目を覚ます。

 既に明け方になっていた。

 何をしたのか、昨日のことなのに既にぼんやりしている。


 女と抱き合い、キスをした。

 狭いシングルベッドに滑り込み、体を密着させながら、いつの間にか眠ってしまったらしい。 

 

 昨日からの一連の行動は城田にとって明らかに逸脱している行為だ。

 その理由は明確だろう。

 命の期限がさし迫ると、人は衝動的になるものらしい。

 

 だが、自分はその期限が間違っていると考えていたはずだ。

 本当にそう信じているのなら、なぜこうまでおかしな行動を取っているのか。

 矛盾している。

 

 顔を横に傾けると、女の寝顔があった。


 あい変わらず綺麗な顔をしている。


 今、同じベッドの中で、こんな美人な女と二人きりでいる。

 自尊心が一瞬満たされていくのを感じる。

 しかし、すぐにしぼむことになる。

 

 やはりデキなかったか。

 自分の認識では、この女は間違いなく美人だ。

 それは、つまり性的魅力があるということだ。

 だが、そう頭で認識していても、城田の一部は全く反応しなかった。

 

 昨日、最後までデキなかったのはそのためだ。

 女はそれを良い意味に受け取ったようだが、それは城田の本心ではない。

 いや、反応しなかったのだから、それこそが本心なのかもしれない。

 

 金を払った時でさえ、こうなのだ。

 30代半ばにさしかかろうと言うのに、まともに女と性的関係を持てない。

 失敗し、女から蔑まれるのが怖い。

 

 あの時の風俗嬢の視線を思い出していた。

 金をもらっているから、表面の発言は「大丈夫?」と優しかった。

 だが、その表情には、あからさまな憐憫があった。

 

 そして、待合室には、自分よりも間違いなく知性が劣っている競馬新聞を広げた肉体労働者たちばかりがいた。だが、彼らは生物的には——少なくとも生殖的には——城田より優性なのだ。

 高学歴にこだわるのはそういった劣等感の裏返しだろう。


 いざ、女とそういう場面になっても、本能に赴くままに振る舞うことすらできない。

 昨日は、確かに抱き合うまでは、何も考えずに行動していた。

 だが、そこから先は、冷静だった。


 このままできるのか。

 どういう手順を踏めばいいんだ。

 そもそも、ちゃんと反応するのか。


 こんな状況になっても、そんなことばかりが頭をよぎってしまう。

 考えてばかりいるから、反応しないのか。


 インターネット全盛の現代でも、そういうセンシティブな話題は冗談めかした形でしか情報は伝わらず、役に立つものは少ない。


 ググったら、すぐに分かるようにしておいてくれよ。


 インターネットで検索して答えがヒットしない問題など、どう解決してよいかわからない。

 試験問題でも、いや城田が行っている仕事でも、正解やマニュアルは必ずあった。


 それがないのはおかしい。

 そう思って本を漁っても答えは見つからない。

 将来のこと、女、自分の今の状況、どれも答えは見つからない。


 誰かが与えてくれない答えを自らの頭で考えて導くなどしたことがない。

 闇の中をライトなしに彷徨うのは、途方にくれてしまう。 

 

 女が目覚める前に、この部屋から出たかった。

 朝日によって、幻想が暴かれるのが怖い。

 いやそれ以上に、目覚めた時に、何を話して良いかわからない。


 (仕事があるから、帰ります)

 

 城田は、ラインを女に送って、静かに扉を締めた。

 美人な女の部屋に泊まるという1ヶ月前の城田なら小躍りする成果を挙げたのに、心は晴れない。

 日差しが顔に突き刺さる。

 天気と対照的に城田の心は重い曇天に覆われていた。


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