第11話 「死」なんてアニメやゲーム、マンガの中だけの話
城田は頭の中で、勝田に本当のことを言ったらどうなるか、考えた。
真実を話しても、なおざりの同情をもらって、店舗で噂の種になるのが関の山だ。
所詮、ただの同僚に過ぎない。
自分も同じ立場なら、神妙な面持ちで、相手の話を聞くだろう。
だが、所詮は他人事。
心の中では、面白いマンガを読んでる時と同じような気持ちを抱くだけだ。
そして、本人がいないところで、さも残念そうな顔をして、同僚たちと嬉々としてこの話で盛り上がるだろう。
つまらない日常や職場をしばらく彩るにはまさに絶好のネタだ。
「ですよね。僕も少しビビっちゃいましたよ。まあ、なんか数値が少し高かったとかで。特には大丈夫でした」
当然、真実を話すことはない。
適当にごまかして、話を終わらせた。
事務室に入り、丸井に休んだことをわびて、営業電話をかける。
いつもどおりだ。
午後から、外回り営業と称していつものモールに来ていた。
相変わらず暇を持て余した老人ばかりだ。
こんなどうしようもない老人どもが、この年齢まで生きているのに、なぜ俺が……。
怒りがこみ上げてくる。
と、不意に客から、社用携帯に電話が入った。
「ああ……城田さん。こないだはどうもありがとうございました。白木です。ちょっと聞きたいことがあってね」
こないだ契約した老齢の客からだ。
「これは白木様。こちらこそこないだはありがとうございました。あの、どうされました?」
なんで、老人っていうのはなんでもかんでも電話をかけてくるんだ。
わざわざ社用の個人メールアドレスも教えているんだから、メールをしてこいよ。
「いやね……ちょっとおたくの銀行の口座から振込をしようと思ってるんだけど。手数料っていくらかと思ってね」
即答できなかった。
細々した手数料までは覚えていない。
窓口をやっていた新人時代ならいざ知らず。
しょうがない。
一度切って、スマホで調べるか。
「その、大変申し訳……」
「ごめんなさいね。こんなことで電話しちゃって。調べればすぐにわかるかもしれないけれど。年だから」
老女は城田の返答が終わる前に、言い訳を並べた。
その口調は、まさに人が良いお婆さんといった様子だ。
悪気のない孫に話すような口調だった。
その無邪気さが癇に障った。
「スマホ持っていないんですか? ググればすぐにわかりますよ。数秒でわかることをなぜわざわざ電話で聞こうとするんですか。理解できないです」
吐き捨てるように、そう言い放った。
相手が答える前に一方的に電話を切った。
数秒後に、自分がしたことに唖然とする。
一瞬、後悔するが、すぐに気分が晴れやかになってきた。
視界にベンチで寝ている老人たちが目に入る。
何も考えていない怠惰な老人どものご機嫌伺いにはもううんざりだ。
スマホを開く。
あの婆さんに文句を言ってやった高揚感をかりて、こないだレストランでキレてしまった女にラインを送る。
(突然キレてすいませんでした。でも、ネットワークの勧誘するなら、事前にそうと言ってもらいたかったです。謝罪したいんで、もう一回会えませんか?)
あのままだと目覚めが悪い。
どうせ、返信はないだろうが。
とりあえず、送るだけ送る。
自分の精神衛生上の安定のためだ。
事務所に戻った時間は17時前だった。
今日の営業日誌を適当に社内システムに打ち込む。
作業が終わると、定時の17時半になっていた。
城田は、おもむろに立ち上がり、上司の丸井の前に行き、「定時になったんで帰ります。」と一言いい、事務室を後にした。
丸井はモゴモゴと何かを言っていたが、よく聞こえなかった。
本当の定時までいつものように残っていた同僚たちは、目を白黒させていた。
19時前に帰宅し、ベッドに寝転がる。
緊張が緩み、時間があると、やはり病気のことを考えてしまう。
あの診断は、本当……なのだろうか……。
医者も人間だ。
当然、ミスはあるはずだ。
腫瘍はあるのかもしれない。
だが、悪性なのか。
誤診なのでは。
一回、二回の診断で信じてよいのか。
いや、だが……告知するというのは医者にとっても重大なことだ。
万が一にも間違いがないようにするはずでは……。
だが、あの医者は忙しそうだった。
繁忙で手が回らず、ミスをしたのかもしれない。
堂々めぐりだ。
要は、他の医者に見てもらえればいいのだ。
別の病院に行けばいい。
セカンドオピニオンをすればいい。
そうだ。
たとえ、そもそも診断が正しくとも、治療法がない……ということは間違えているかもしれない。
いや……間違えているはずだ。
そうに決まっている。
自分が死ぬなんてあまりにも非現実的過ぎる。
城田は、数日後、病院に電話して、他の病院で、セカンドオピニオンを受けたいことを、伝えた。
意外にも医者は特に何か文句を言うでもなく、あっけなく紹介状を書いてくれた。
だが、紹介状を郵送してもらい、いざ別の病院の予約を取ろうという段になり、城田は躊躇してしまった。
結果を知りたい……だが、知りたくない。
相反する感情が渦巻いていた。
だが結局知りたいという欲望……いや、事実を覆してくれる願望がまさり、電話をして予約を入れた。
その予約の日は今から一ヶ月以上も先にした。
この期間は少なくとも問題を先送りにできる。
池袋に来ていた。
平日の15時前という時間に。
いつもなら、当然会社にいる時間だ。
会社は休んでいた。
「調子が悪いので休みます」と上司の丸井にラインした。
電話をするより、ラインを一文送る方がはるかに簡単だ。
今までは、誠意という偽りの感情を伝えるために、あえて電話をしていたが、これからは、事実だけでいい。
昨日の夜、思いもかけないラインがあった。ネットワークの女から、返信があったのだ。
(いいですよ。会いましょう)
女が、なぜ会おうとしているのか皆目検討がつかない。
一瞬、親ネズミに報復でもされるのかと思ったが、暴言を吐かれたぐらいでそこまでするメリットはないだろう。
前回と待ち合わせ場所に女はいた。
まさか本当にいるとは思わなかった。
それにしても、やはり美人だ。
カモにされたとわかっていても、今はさして怒りを向けることはできない。
この女の外見の美しさにはそれくらいの効力がある。
「どうも……」
まだ、気づいていない女に城田の方から声をかけた。
「あ……」
女は、こないだと打って変わって落ち着いた表情を浮かべていた。
前回の明るさは営業用の外面だったのだろう。
女物のファッションにはまるで縁遠いが、そんな城田から見ても、服装も前回と違っていた。
明らかに色もおとなしく、露出も少ない。
地味な印象を受ける。
「えっと……あの……とりあえずどっかのカフェに入りますか……」
「え……ああ……そうですね」
微妙な空気が流れていた。
城田も女も、何のためにこの場にいるのか煙に包まれたような空気感が漂っている。
赤の他人のような距離感を保ちながら、トボトボと歩く。
目についた近くのチェーンのカフェに入り、奥の席に腰掛ける。
お互い別々に注文し、ドリンクを席に置く。
数十秒の沈黙があった。
城田がその静寂をかき消す。
「あの……こないだは本当に申し訳ありませんでした」
城田が言葉を発した後、またも、数十秒の間が続いた。
「……こないだは本当にびっくりしました。男の人に面と向かってあんなに怒られたことないので……」
言葉に詰まってしまう。
咳き込みながら、言い訳を並べる。
「えっと……あの……すいません。心の中で言っていたつもりだったんですが……何故か本当に声に出ていて……」
女はキョトンとした顔をしていた。
そして、顔を傾けて微笑した。
「なんですか。それ……心の声が出てたって……意外と城田さんって天然なんですね」
「いや……そんなことはないんですが」
場がなんとなく和んだ。
張り詰めていた糸が切れた。
「いやでも、こっちこそ驚きましたよ。まさか勧誘されるとは思わなかったので」
微笑んでいた女の表情が真顔になった。
しまった。余計なことを言ったか……。
「……そうですね。すいません。文句言われて当然ですよね」
今度は女が言い訳を話す番になった。
いわく最初は仲の良い友達を勧誘していたが、そんな人数などたかがしれている。
その後は、ほとんど連絡を取っていない友達——そういう人も友達なのだろうか、単なる知り合いと言うべきでは、だが、女の認識ではそれでも友達らしい——に声をかけ、その友達もついに尽きたので、マッチングアプリで見込客の確保を試しにやって見たとのこと。
まあ……ほとんど想像通りだった。
「でも……信じてください。ああいうアプリで勧誘するのはこれが初めてなんですよ」
そうだろうなと思う。
あまりにも手慣れていない。
そもそも、初回でいきなり本題に入るのはないだろう。
せめて、3回目とかある程度の関係が築けてから勧誘するべきだろう。
その後、女はほとんどノンストップで一方的に色々と愚痴にような話をしていた。
余程誰かに聞いてほしかったのだろう。
それほど、自分の行っていることに罪悪感があったのか。
この女の性格では、売れないだろうな。
そもそも、商品を売る際に、罪悪感を抱いている時点で、向いていない。
それでは、長続きしないだろう。
言葉で、お客様のため、相手のためと言うのは簡単だ。
そして、心で考えていることと異なることを言葉に出すのも容易だ。
だが、その度に、心に僅かな摩擦が起きる。
それを何度も繰り返せば、心が少しずつすり減っていく。
城田が今まで見てきた優秀な営業マンはせいぜいが自分の会社の中の人間だけだ。
だが、それでも、共通点はあった。
それは、本当に自分が売る商品が素晴らしいものだと信じていた、洗脳されていた、いや自ら洗脳していた。
自分を騙すことができる人々。
そういう奴らを軽蔑しながらも、羨ましいと思う。
その浅薄さ故に、社会で価値を認められているのだから。
対して、自分のような人間はどうだ。
思慮深く考え、自分の売っている商品はたいした価値などないと見抜いてしまう。
そして、そんな商品を購入しようとする客を心の中で見下してしまう。
そうした蔑視は、たとえ表面を取り繕っても無意識に客に見抜かれてしまうらしい。
愚かな客でも、そうした感情を察知する鋭敏さには驚くべきものがある。
人に備わっている本能なのだろう。
だから、城田は優秀な営業マンにはなりえない。
つまり、馬鹿な営業マンより価値のない人間という訳だ。
さすがに話過ぎて喉が渇いたのか、女はドリンクを飲み、一息ついた。
「こういうのって、友達でも勧誘するの大変じゃないですか? それなのに、なんでこの副業やろうと思ったんですか?」
話を変えたかった。
これ以上、苦い記憶を思い出したくない。
「そうですね。やっぱり不安というか……ほら今って将来何があるかわからないじゃないですか。今働いているとこは一応その……大手ですけど、それでもどうなるかわからないから」
女は喉を潤し勢いを取り戻したのか、再び演説が始まった。
どこかの雑誌で書かれてたことやテレビで言っていた日本の暗い将来を延々と話している。
城田は、先程と同じように等間隔で相槌を打ちながら、その実、また自分のことを考え初めていた。
将来か……。
数十年先のことを考えるなど愚かなことだと思っていた。
そんな先のことなど、どうせ、わからないのだから。
だが……本当にそう思っていたのか。
それなら、何故、あの病院で告知を受けた際に、そして今もこんなにも自分は動揺しているのだろう。
先のことなどわからないと言いつつ、自分は、数十年後も間違いなく、そこに存在している、無事に生きていると確信していたのではないか。
だからこそ、そうした確信が壊されたからこそ……こんなに動揺しているんじゃないのか。
今と変わらぬ生活が続くと信じていた。
それが、満足できぬものでも、自分の存在は決して消えぬものだという大前提がそこにはあった。
当然だ。
当然じゃないか。
死など現実のものとしては考えられない。
この先進国の日本で、死など別世界の話じゃなかったのか。
それは、休日に見るゲームやアニメの中の話、フィクションの中の出来事のはずだ。
人はいつか必ず死ぬ……そんな当たり前のことはもちろん知っているが、自分だけは例外だと根拠もなくそう思い込んでいた。
「……将来の……不安になりませんか?」
ほとんど、断片的にしか女の話は頭に入ってこない。
「将来」、「不安」という単語だけが、頭に入ってきた。
「不安は……ありますね」
「ですよね。本当、私達が老人のころ、日本がどうなっていることか……。年金だって期待できないし」
そんな先の話を心配できるだけ幸運だ。