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31 安堵


「もう! なんで殺しちゃうのよ。まだ他に何か知っていたかもしれないでしょ!!」

「ご、ごめん。つい熱くなっちゃって……」

  

 アイーネ邸に戻る途中、僕は妖精姿に戻ったアリューシャに説教をされていた。


 彼女はアレグリアの下へ向かおうとする僕を引き留め、ほほを膨らませながら厳しい言葉をぶつけてくる。


「あの女狐がそう易々と殺されるもんですか。ああいう女はしぶといのよ!」


 女神アリューシャと辺境伯アレグリアは一見すると仲が悪いように見える。


 しかし、実際にはお互いが一目置いていることは容易に想像できた。


 まさしく”喧嘩するほど仲が良い”を体現するような関係だ。


「それにあの女狐の側には剣聖エルガーがいるのよ。彼が簡単に暗殺を許すはずないじゃないの!」

「それは分かっているけどさ……」


 あり得ないことだとは分かっていても、つい頭に血が上ってしまい手を止めることができなかった。


「……うらやましいわね」

「えっ?」


 アリューシャが小さな声で何か呟いたが、それをはっきりと聞き取ることはできなかった。


「あの……女神様、イオリさん」


 それまで僕らの後ろを黙って歩いていたヨゼフィーネが話しかけてきた。


 危機を脱したヨゼフィーネは僕らと一緒に大聖堂を離れることにしたのだ。


「女神様!? も、もしかして……」

「えへへっ、ごめん。ばれちゃった~」


 アリューシャが頭を搔きながら舌を出すがこれは大変なことだ。


 女神は世界に干渉してはならないという原則があり、住民に存在を知られるということはそのルールに抵触する恐れがある。


 主神ゼプスナハトの考え如何によっては、アリューシャはこの世界から抹消される可能性があるのだ。


「今の所は何も無さそうだし、きっと大丈夫よ!」


 アリューシャはそう言うが僕は不安でたまらなかった。


 まだ出会って1年半程度なのだが、もはや彼女のいない人生など考えられなくなっている。


「ええっと、す、すみません。私が余計なことをしたみたいで……」


 僕らの会話を聴いて何かを悟ったのか、ヨゼフィーネが小さくなって謝った。


「いいのよ、あなたは悪くないんだから。あなたとの付き合いは長いし、私の正体に気が付いて当然だったのよ」

「は、はい、ありがとうございます。それで、これからどこに向かうのでしょうか?」


 聖女が生きていると分かれば、侯爵派によって再び命を狙われるのは必然のことだ。


 それにユリウスは死んでも親玉のルーカス子爵はまだ生きている。


 だから、彼女の安全を保障できる場所を早急に提供する必要があった。


「ギルドマスターのアイーネさんを知っているかい?」

「はい、存じ上げております」

「しばらくの間、彼女の邸宅で生活してもらおうと思う。前に話したと思うけれど、僕もそこで世話になっているんだ」


 きちんと事情を説明すれば、アイーネさんならばきっと力になってくれるだろう。


「と、ということは、イオリさんと同じ屋根の下で生活することになるわけですね」

「住み心地の良さは保証するよ」


 アイーネ邸であれば侯爵の目が届くことはなく、彼女の安全も間違いなく担保できる。


「女神様も一緒に生活されているのですか?」

「ええ、そうよ。残された信徒や大聖堂のことは気になるでしょうけど、あなたは落ち着いた環境で心と体を休めなさい」


 アリューシャの言葉にヨゼフィーネは神妙な顔をして頷いていた。


「それと、私のことは今まで通りにアーシェって呼んでね。私が女神だってことは伊織とあなただけの秘密よ」

「は、はい!! ふたりだけの秘密ですね」


 大きな声で返事をしたヨゼフィーネの顔は少し赤らんで見えた。


 一方でアリューシャは「また1人増えて……順番は……」と指を折りながら呟き、明らかに何か良からぬことを考えているようだった。


◇◇◇


「お帰りなさいませ、ご主人様」


 僕らがアイーネ邸に戻ると、すぐにエルドウィンが出迎えてくれた。


「お風呂の準備はできております。よろしければいかがですか?」

「ゼアとジルヴィは戻っているかな?」

「いえ、まだ戻られていません。少し遅くなるという連絡がございました」


 どうやら2人は騎士団の後処理で忙しいようだ。あれだけの大事件なのだからそれも当然だった。


「僕はお風呂は後でいいや。先にフィーネに浴場を案内してあげて。アイーネさんには僕の方から事情を説明しておくよ」

「かしこまりました。アイーネ様はお部屋にいらっしゃいます」

「うん、ありがとう」


 エルドウィンは何があったのかを尋ねることは一切無かった。


 大聖堂の近くで竜巻が発生して民衆が混乱し、そして僕が聖女を連れて帰ってきたというのに。


 メイドとしての立場を遵守しようとする彼女の謙虚さには頭が下がる思いだった。


(まずはアイーネさんにフィーネの保護をお願いして……騎士団についての報告はゼアたちが戻ってからの方がいいかな。それと、アレグリアの……)


 今日の出来事を頭の中で整理しながら歩いていると、いつの間にか目的地に着いていた。


「かまわぬ、入るがよい」


 アイーネさんの部屋のドアをノックすると、普段の彼女とは違う大人びた声が返ってきた。


 不思議に思いながら中に入ると、褐色美女のアイーネさんが綺麗なオッドアイで妖美な視線を僕に向ける。


 どうやら風呂上がりのようで、火照った体に薄絹をまとっただけの姿は、まるで男を誘う高級娼婦のように見えた。


 そして彼女は”魅了”のスキルを発動しており、そのためか僕の心拍数が急速に上がり始めた。


「血の匂いがするの。戦場帰りの男を前にして我慢するのは道理に合わぬ」


 突然アイーネさんは僕を押し倒して馬乗りになると、淫靡な笑みを浮かべながら舌なめずりをした。


「あの、大事な話があるのですが……」

「少年よ、その前に少し楽しもうではないか。嫌いではないのじゃろう?」


 アイーネさんの甘言に思わず頷いてしまいそうになる。


「………ええっと、まずはお話を」


 僕は必死に理性を保ち、なんとか首を横に振ることができた。


「我の誘いを袖にするとは、世の中の男どもが泣いて悔しがるぞ」


 そう言うとアイーネさんは僕から離れて椅子に腰掛けた。


「……それで、大事な話とは何じゃ?」


 褐色のすらりとした足を優雅に組むアイーネさんの所作に思わず見惚れてしまう。


「むぅ、我の誘いを断っておきながらそんな顔をするでない」


 そう言ってアイーネさんは少し哀しそうな笑みを浮かべると、いつもの幼女の姿に戻ってしまった。


「聖女ヨゼフィーネを預かってもらえませんか?」


 僕はヨゼフィーネを救出することになった経緯を簡潔に説明した。


「ふむ、侯爵の鼻を明かす切り札となるやもしれぬ。丁重にこちらで保護するとしよう」


 僕は彼女の言葉に安心すると、続けて気になっていることを質問した。


「アレグリアが刺客に襲われたという噂を耳にしたのですが、何か情報を持っていませんか?」


 僕が訪ねると、アイーネさんは近くの机上を指さした。


「先ほど領都オルデンシュタインからおぬし宛に手紙が届いた。目を通すがよい」


 そう言われて僕は飛びつくように便箋を手に取ると、震えながら中を開いて一気に目を通した。


『は~い♪ イオくん元気かな~? 君に会えなくて、私はちょっぴり元気がありません』


 アレグリアらしい手紙の書き出しを見て、僕は大きな安堵のため息をついた。


 彼女自身の直筆の手紙には、美味しいお菓子を売るお店を見つけただとか、可愛い下着を買っただとか、瀕死の重傷だとはとても思えない内容がつらつらと書いてあった。


 その一句一句が僕にはとても愛おしく思えて、読みながら自然と笑みがこぼれてしまう。


 ただし、最後におまけのように付け足された文章はあまりにも刺激的な内容だった。


『というわけで、どうにも我慢できなくなった私は今からイオ君に会いに行こうと思います♪』


『道中でルーカス子爵領に立ち寄ろうと思いますので、どうなるか楽しみにしていてね♪』


 どうやら彼女は暗殺者に命を狙われたことに大変おかんむりらしい。


 犯人がルーカス子爵であることもすでに看破しているようだ。処置はアレグリアに任せておけば大丈夫だろう。


「……その表情から察するに、どうやら赤薔薇は無事な用じゃの」


 アイーネさんの言葉に僕は笑顔で力強く頷いた。


「おぬしのその笑顔、少しは我にも向けてくれてもよかろうに」


 幼女姿のアイーネさんは不満そうな面持ちでベッドに向かうと、「ふんっ!」と言って横になってしまった。


 機嫌を損ねてしまったかと思い、僕はあわてて彼女のもとへ向かおうとした。


「少年、脅迫するようでちと情けないが、今日は我といっしょに寝てもらうぞ。それが聖女をうちで預かる条件じゃ!」


 向こう側を向いて横になっている彼女は居丈高に言うが、その声は少し震えているように聴こえた。


「べ、別に変なことを要求するつもりはない。寝るときに少し抱きしめてほしいだけ……じゃ」

「それじゃあ少し待ってて下さい。フィーネたちに説明を終えたら戻ってきますから」


 僕の肯定の言葉を聞くと、アイーネさんはガバッと飛び起きて満面の笑みを浮かべた。


「うむ、待っておる! よしなに頼むぞ!」


 彼女のあまりの変わり身の早さに僕は苦笑いをすると、手を振って部屋を出たのだった。

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