30 憤怒
「も、もう限界です……」
「あきらめちゃだめよ! 必ず伊織が助けに来てくれるからっ!!」
アーシェさんの言葉は私に力を与えてくれましたが、結界の障壁は傷だらけで今にも砕け散ってしまいそうに見えました。
「わ、分かりました。最後まで……あきらめずに……えっ!?」
驚くことに、いつの間にか私の目の前に一人の少女が立っていました。
「あ、アーシェさん!?」
「この姿ならもう少しだけ耐えられるはず……」
この白髪の美少女はアーシェさんで間違いないようでした。
どうやらこれが本来の姿のようで、彼女の力により壊れかけていた結界が徐々に修復されています。
「伊織、早く助けに来なさいよね!!」
しかし、風の刃による衝撃は一向に収まる気配はなく、しばらくすると再び結界がほころびを見せ始めました。
「人でありながらこれほど魔法が使えるだなんて……」
「あの男は人ならざる道を選んだのよ。部下の命(魔力)を犠牲にするだなんて、完全に狂っているわ」
先ほど目にした次々と倒れ込む兵士たちの姿が私の脳裏に浮かびました。
そして、彼らを狂信させるルーカス司教の存在に恐怖を覚え、私は背筋を凍らせました。
「間違いなく魔導具を使っているのでしょうね。そうじゃなければこの威力の風魔法の説明がつかないわ」
苦々しそうな顔をしてアーシェさんが呟きます。彼女の額には大粒の汗が浮かんでいました。
「……悔しいけれどここまでね。フィーネ、守ってやれなくてごめんなさい」
アーシェさんはそう言いますが、謝らなければならないのは私の方です。
私が彼女を巻き込んでしまいました。
私がユリウスの要求に従っていればこんなことにはなりませんでした。
感謝と後悔の念で涙が止まりません。
「アーシェさん、ごめんなさい。そして、本当にありがとうございました」
「……最期があんたと一緒なら悪くないわね。長い付き合いだものね」
そう言ってほほ笑む彼女を見たその瞬間、私は驚きで大きく目を見開きました。
「もしかして、あ、アリューシャ様……」
「気付くのが遅いわよ」
女神様は私の目尻を優しくなで、涙を拭ってくれました。
そして次の瞬間、ガラスが割れるような高い音が響き、私たちの結界障壁は砕け散ったのです。
◇◇◇
「ふふふはははは!! ふはははははっ!!」
竜巻が結界内に侵入するのを確認すると、笑いが止まらなくなってしまった。
予想以上にてこずってしまったが、ようやく聖女……いや、魔女を処刑することができた。
(これでレイノルド侯爵が玉座を手にするのは間違いなし。ルーカス様もさらに上の地位を与えられることになるだろう。そうとなればこの私も……)
これからのバラ色の未来を想像すると、再び笑いが込み上げてしまう。
「くっくっく……ふはははは!!」
吹き荒れた暴風はようやく終息し、辺りは静寂を取り戻していた。
(それにしても恐ろしいほどの威力だったな)
兵士たちの命と引き換えに放った風魔法は私の想像を超えるものだった。
私は自分の右腕に嵌められたブレスレットをちらりと見た。
ルーカス様に授かった古代の魔導具には大きな亀裂が入っており、二度と使用することはできないだろう。
(危うく私の命まで持っていかれるところだった)
無事に生き残った幸運に安堵し、私は一度大きく息を吐いた。
そして、懐からマナポーションを取り出して一気に飲み干した。
「ちっ、やはり無理をしすぎたか……」
最高級のマナポーションを使ったのだが、ほとんど魔力は回復していないようだった。
その証拠に、ひどい頭痛が治まらず足腰にあまり力が入らない。
(魔女の死体を確認しておくか)
私は瓦礫に足を取られないよう気を付けながらゆっくりと歩みを進めた。
「大人しく従っておけば良かったものを……」
頭痛があるにもかかわらず、達成感からかフワフワとした高揚感に包まれている。
(さて、ぼろ雑巾のようになったヨゼフィーネを見てやろう)
正直に言えばヨゼフィーネを殺してしまうのは惜しかった。
恐ろしい魔女とはいえ、あの美しさはそうお目にかかれるものではない。最近は女性としての魅力に増々磨きがかかっていた。
(魔性の女、まさしく魔女だな。やはり殺しておくのが正解だったのだろう)
私はそう自身を納得させると、改めてヨゼフィーネの遺体を探したのだが……
(どこにもない!? どういうことだ!?)
暴風で飛ばされた可能性を考え周囲一帯を探し回るが、結局は手足の一部すら発見することができなかった。
(あれほどの威力の風魔法だ。おそらく完全に消し飛んでしまったのだろう)
私はそう自分自身を納得させ、騎士団が来ないうちに撤退することを決めた。
「探し物はこちらですか?」
その時、どこからか若い男の声が聴こえた。
反射的に飛び退いて身を構えると、いつの間にか眼前に一人の少年が立っていた。
「お、お前は!?」
その中性的な顔立ちをした黒髪の少年には見覚えがあった。
しばしば大聖堂にやってきてはヨゼフィーネと一緒に過ごしていた少年だ。
「どうして貴様がここに!? よ、ヨゼフィーネ!?」
その少年の影に隠れるようにして立っていたのはまさしくヨゼフィーネだった。
「ま、魔女め……生きていたのかっ!!」
私は慌てて懐からナイフを取り出し、ヨゼフィーヌに向けて突き出した。
「死ねっ!! ……はっ!?」
しかし、気付くと私の手からナイフが消え失せていた。
「こ、これは一体どういう……」
私が混乱していると、少年が静かな声で話し始めた。
「聖女ヨゼフィーネを殺害しようとした罪、決して許されるものではない」
少年の鋭い眼光は私の心臓を射抜くかのようであり、その声はあまりにも冷たく臓腑を掴まれる思いだった。
「そ、そいつは魔女なんだ!! だから殺しても……あがっ!?」
気付くと私の右手首から鮮血が飛び散っていた。外れたブレスレットが地面に落ちて砕け散る。
「ぎやぁぁぁぁぁ!!」
右手首が焼けるように熱く、我慢できずに私は悲鳴をあげた。
「が、ガキが!! 何をしやがっ……うがっ!?」
なぜかいきなり私の視界が真っ暗になった。
右手首の激痛に苦しむ一方で、眼前が何も見えなくなり私は混乱を深めた。
そして次の瞬間、猛烈な痛みが私の両眼を襲った。
「ぐあぁぁぁぁぁ!! 痛いっ!!」
私は右手首と同様に一瞬で両眼を斬られたことをようやく悟った。
「や、やめろおおぉぉぉ!! た、助けてくれっ!! い、医者をよんでくれぇぇ!!」
痛みと恐怖で頭がおかしくなりそうで、私にはもはや泣き叫ぶことしかできなかった。
「黙ってろ」
先程の少年の声が響いた。それは、逆らえば殺すということを宣告するような冷徹な声だった。
「せ、聖女様!! どうか、どうかお助けください!!」
もはやヨゼフィーネの慈悲にすがるしかなくなり、私は地面に這いつくばって命乞いをした。
「すべては女神アリューシャ様、そして使徒イオリ様のお導きのままに」
「は? そ、それはどういう……」
ヨゼフィーネの言葉が理解できなかった。しかし、”イオリ”という名前には聞き覚えがあった。
(そういえばこの少年の名は”イオリ”とか言ったか……それが使徒だと!?)
信じたくはなかった。しかし、少年の圧倒的強者感はそれが事実であることを如実に示していた。
「質問に答えろ。お前に聖女ヨゼフィーネの暗殺を命じたのは誰だ」
「……る、ルーカス様です」
生き延びるためには正直に話をするしかなかった。嘘をついてもすぐに見抜かれるのだろう。
「フィーネ、そのルーカスって誰かな?」
「法務卿補佐のルーカス子爵です。法律だけでなく女神教にも造詣が深く、司教の地位にも就いています」
ヨゼフィーネはルーカス様がブルーノ伯爵の子飼いであることを説明し、さらにブルーノ伯爵がレイノルド侯爵派の筆頭であることを付け加えた。
「よし、正直に答えた褒美だ」
少年がそう告げた瞬間、私の右手首が”暖かな何か”に包まれ一気に痛みが引いた。
(か、回復魔法!? 人間が!? しかも無詠唱だと!?)
人間族は多くの者が魔法を使えない。使えたとしても魔道具の力を借りることがほとんどだ。
つまりこの少年が異能者、そして使徒であることは疑いようがなかった。
「よし、それじゃあ次の質問だ」
もはや私に抵抗する気力は全くなく、少年に従うことで生きながらえようという思いで一杯だった。
「聖女ヨゼフィーネの他に、侯爵派によって命を狙われている者を知っていたら話せ」
「下っ端である私には今回の聖女暗殺以外の情報は持ち合わせておりません」
実際に私には「聖女を殺せ」という指令が届いただけであり、ルーカス様が他にどのような暗躍をされているかなど知りようがなかった。
しかし、少しでもこの少年の機嫌を損ねないよう、私は知っている情報をすべて提供することにした。
「王女殿下を支持するツェーザル伯爵は間違いなく狙われるはずです。それに、ルーカス様の直属の上司である法務卿バルザック伯爵もレイノルド侯爵とはうまくいっておりません」
少年は興味深そうに相槌を打ちながら話を聞いている。
「なるほど、他には?」
私が地面に両膝を付けたまま話をしていると、目の痛みが徐々に引いていくのが分かった。
少年は回復魔法で目の治療をしてくれているようだった。少しずつだが視界も明るくなっている。
このまま知っていることをすべて話せば、どうやら私の行為は許してもらえそうだった。
「そうだ! そういえば先日入手した情報なのですが、なんでもオルトヴァルド辺境伯が暗殺者に襲われたらしく、瀕死の重傷を負っているとか……」
すでに私の目は完全に回復しており、再びはっきりと眼前の少年の姿をとらえることができるようになっていた。
しかし、私の目に映ったのは先ほど見た幼さの残る少年の顔ではなく、無慈悲な表情をした悪魔の姿だった。
「瀕死の重傷だと……おい、詳しく話せ。嘘をつけば殺すぞ」
どうやら私は魔獣の尾を踏んでしまったらしい。
これまでの人生で一度も感じたことのない、とてつもない圧迫感に押し潰されてしまいそうだった。
「ど、どど、どうやら辺境伯は危篤状態にあり、せ、政務にも一切姿を見せていないとのこと。り、領都オルデンシュタインは混乱の極みにあるようで……」
私は懸命に声を絞り出したが、話の途中で「すぐに助けに行くからね」という少年の声が聴こえた。
「こ、ここまで話をしたのですからどうか命だけは……」
怒りの形相でこの場を去ろうとする少年に対し、私は額を地面にこすり付けて慈悲を求めた。
「地獄で償え」
底冷えのするような声を聴いた次の瞬間、私はいつの間にか”首のない自分の身体”を見上げていたのだった。




