29 生贄
「猊下、これが最後の忠告です。どうか侯爵閣下へのご支持を」
「お断りします」
「迷いもなく断言するか。猊下は……いや、聖女ヨゼフィーネはここまで愚鈍だったか!」
ユリウスは額に青筋を立て唾を飛ばしながら大声で私を罵倒しました。
「ふふっ」
その姿がとても滑稽に見えて、私はつい笑みを漏らしてしまいました。
「何がおかしい?」
「ユリウス、愚鈍なのはあなたの方です。レイノルド侯爵、ルーカス子爵の庇護はそれ程心地よいものなのかしら? 思考を放棄して盲目的に付き従う。あまりにも哀れですね」
私の言葉が正鵠を射たのか、ユリウスが「ギッ」と歯を食いしばる音が聴こえます。
以前までの私であればこんなことは決してできなかったはずです。アリューシャ様やイオリさんとの出会いが私を強くしてくれました。
「いいだろう、ヨゼフィーネ。ここで殺してやる」
「司祭の立場にある者が聖女を殺すのですか?」
「ルーカス様はお前を聖女ではなく魔女だと断言なされた」
私を囲む兵たちが各々の武器を手に私の方へじりじりと近づいてきます。
「くくくっ、この女は魔女だぞ!! 遠慮なく嬲り殺せっ!!」
兵たちが一斉に私に襲い掛かってくる。彼らの表情に聖女への畏怖の念はなく、全員が下品な薄ら笑いを浮かべていました。
「まずは手足を拘束しろ!」
「殺す前に存分に楽しませてもらうぜ!」
「待て、俺が先だ!!」
理性の欠片もない言葉を吐きながら、彼らは武器を投げ捨てて私を拘束しようと掴みかかってきました。
≪ホーリーシールド!!(防御結界)≫
無詠唱に近い速度で魔法を唱えると、一瞬にして私の周りに3m四方の結界が展開されます。
近くまで迫っていた兵たちは、あっという間に結界によって弾き飛ばされました。
「ほう……さすがは聖女といったところか。だが、いつまで耐えることができるかな?」
驚いた様子の兵たちはすぐに立ち上がると、私の結界を壊そうと武器を拾って攻撃を開始します。
「ぶっ壊せ!!」
兵たちはむやみやたらに結界へ武器を叩きつけ始めました。
「くっ……このままでは……」
剣や槍の激しい攻撃を受けて、ピキピキと音を立てて結界に少しずつ亀裂が入り始めます。
(あと数分しかもたない)
結界が破壊されることになれば、私はこの兵たちに凌辱されることになるのでしょう。
(そのような辱めを受けるくらいならば、もはや自死を選んだ方が……)
聖女として誇りある死を選ぶべきか、私は決断を迫られていました。
「お前たち、もう一息だぞ!! 結界を一気に叩き壊せ!!」
ユリウスが勝ち誇った表情で兵たちを叱咤しています。それを受けて兵たちはより一層苛烈に攻撃の手を強めました。
(……魔力が尽きる……もう……だめ……)
魔力の枯渇により私の視界が大きく揺らぎます。そして、ついに結界は粉々になって砕け散りました。
「やったぜ!!」
「よし、やっちまえ!!」
意識を失いそうになる私の目には、小躍りしながらこちらに近づく兵たちの様子が見えました。
「……イオリさん……」
最期に使徒様の名前を呟いたその瞬間、私の耳にはっきりと聞き覚えのある女性の声が響きました。
『聖女ともあろうものが、この程度で諦めるんじゃないわよ!!』
「……ア、アーシェさん!?」
いつの間にか私のすぐ前方に、可憐で美しい姿をした妖精が屹然として立っていました。
「どうしてここに?」
『アリューシャ様があなたを助けてやれってうるさいのよ』
彼女の小さく華奢な背中は神々しく、まるで高い霊峰のように大きく見えます。
一瞬、アーシェさんと女神アリューシャ様の姿が重なって見えるほどでした。
『ほら、さっさと立ち上がって結界を張りなさい!』
「あ、ありがとうございます!」
アーシェさんの能力なのか、気付けば私の魔力は大きく回復をしていました。
私は流していた涙を拭うと、アーシェさんと一緒に結界を再度展開します。
「ど、どういうことだ!?」
「これが魔女の力か!?」
アーシェさんの姿は彼らにはまったく見えていないようでした。
突然の出来事にユリウスたちは狼狽をしていましたが、すぐに気を取り直して攻撃を再開します。
「もう一度やるぞ!!」
「魔女を殺せっ!!」
しかし、アーシェさんと私の二重結界は彼らの攻撃を容易に跳ね返しました。
そしてしばらくすると、徐々に兵たちに焦りと疲労の様子が見えるようになってきました。
「くそっ、だめだっ!!」
「ユリウス様、無理です!!」
兵たちの悲痛な報告にユリウスは顔を歪めて唇を噛んでいました。
この辺り一帯を封鎖しているのでしょうが、やがてこの騒ぎが騎士団に通報されるのは時間の問題です。
聖女の殺害未遂はまちがいなく重罪です。
そうなればここにいる者たちは逮捕され、ユリウスだけでなくルーカス司教の悪事も暴かれることになるでしょう。
「ちっ、もういい!! この役立たずどもが、下がっていろ!!」
突然大声を上げたユリウスが兵たちに引き上げの命令を出しました。
「……あきらめたのでしょうか?」
『さぁ、それはどうかしら。ちょっと嫌な予感がするわね』
私はアーシェさんの言葉に頷くと、いつ攻撃が再開されてもいいように油断なく結界を張り続けました。
「おい、おまえたち。すぐに準備をしろ!」
「かしこまりました」
ユリウスの側にいた4人の男たちが杖を取り出して詠唱を始めました。
「くくくっ、さっさとやられてしまえばよかったものを。抵抗したことをたっぷりと後悔させてやる」
そう言うとユリウスも魔法の詠唱を始めました。どうやら彼が中心となって攻撃魔法を唱え、それを周囲の4人が補助しているようでした。
「……くっ! ぐぐぐっ……!」
魔法を詠唱するユリウスの顔が苦悶に歪んでいます。周囲の男たちもまた同様の表情をしていました。
『こいつら、身の丈以上の魔法を唱えようとしているわね』
「それじゃあ身体が壊れてしまうのでは!?」
『生半可な攻撃じゃあこの結界を壊せないって気付いたのよ』
しばらくすると体内の魔力が完全に枯渇したのか、4人の男たちは意識を失って倒れてしまっていました。
(もしかすると全員死んでいるのかもしれない)
ユリウスも片膝をついて苦しそうな表情を浮かべ、額から滝のような汗を流しています。
そして、彼の右腕に嵌められているブレスレットが黒い靄に包まれていました。
「ゆ、ユリウス様!?」
「く、苦しい……」
周囲を見渡すとなぜか他の兵たちも苦しみ悶えています。
『厄介な魔道具を持っているわね。周りの人間から強制的に魔力を吸い取っているわ』
アーシェさんの説明によると、どうやらあのブレスレットは古代の魔道具とのことでした。
「ユリウス!! もうお止めなさい!!」
「はあっ、はあっ……、くくくっ……降参するなら今のうちだぞ!!」
人間はただでさえ体内の魔力は少なく、すべてを失えば最悪の場合は死に至ります。
魔道具は何ら遠慮することなく、限界まで彼らから魔力を絞りつくすのでしょう。
ユリウスは多くの命を犠牲にしてまで私を殺そうとしています。
すでにすべての兵が地に伏し、ピクリとも動かなくなってしまっていました。
「降参などしません。聖女として悪に屈するわけにはいきませんもの」
勧告に対して私は首を振り、精神を集中して結界にさらに魔力を込めました。
「そうか、それならば死ぬがいい!! ≪デスホワールウィンド!!(死の旋風)≫」
ついに魔法が放たれたその瞬間、想像以上の衝撃が私たちを襲いました。
巨大な竜巻が私たちを囲み、風の刃が次々と結界に斬りかかってきます。
「くっ、これは!?」
『……ちょっとまずいことになったわね』
アーシェさんも驚いた様子で、結界を強化しようと必死に魔力を注ぎ込んでいました。
「ふはははっ!! その竜巻は簡単には消えんぞ。お前に耐えることができるかなぁ?」
ユリウスが高笑いしながら何かを叫んでいますが、もはや私たちにその内容を理解する余裕は無かったのでした。




