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11 侍女エルドウィン

 オルトヴァルド辺境伯領の領都オルデンシュタインを出発して3日経った。ここまで何度か低級魔物の襲撃には遭ったが、特に大きな遅延はなく計画通りに王都へ向かって進むことができていた。


「ここからだとツェーザル伯爵領の第2都市“ポルトロップ”が近いな。今晩はこの街に泊まってはどうだ?」

「賛成! 野宿はもう嫌よ、お風呂に入りたいわ」


 女性陣がそう主張するならば僕に拒否権はない。御者のエルドウィンに伝えると、真南に向かっていた馬車は南西に進路をとったのだった。


 しばらくすると前方に街の灯りらしきものが見えてきた。すでに陽は大きく傾き、周辺には宵の気配が漂いつつある時間だった。


「よーし、ここで止まれ!」


 3人の衛兵が街の入り口で僕たちの馬車を止めた。彼らの動きは緩慢で、装備品もほとんど手入れはされていないようだった。街を守るための外壁も老朽化が進んでおり、堅牢さをみじんも感じなかった。


 オルデンシュタインの領兵の規律や強固な城壁(囲壁)とは雲泥の差があり、僕はこの街に入ることに漠然とした不安を感じていた。


 アリューシャも同じようなことを感じたのか、彼らに見つかる前に妖精の姿になるとすぐに透明化してしまった。


「何人だ? ……男1人に女2人か」

「ほぉ、これはいい女だな」

「俺らが街を案内してやろうか?」 


 魔物や敵兵にこの街が襲われた場合、おそらく彼らは真っ先に逃げ出すのだろう。これがこの国の当たり前であり、むしろオルトヴァルド辺境伯領が異常で異端なのだ。


「こちらは長旅で疲れているんだ。早く手続きをお願いできないかな?」

「ちっ、ガキが……」


 僕の言葉に彼らは悪態をつきながら馬車の点検を始めた。そのあと通行税を要求されたが、それは銀貨1枚という法外なものだった。エルドウィンが抗議しようとしたが僕はそれを遮り、彼らの言う通りの金額を支払った。


「伊織、良かったの?」

「初めての街だし、できるだけトラブルは避けたいからね。それよりも、早く空いている宿を探そう」


 僕がそう言うとエルドウィンは街に入った所で馬車を道脇に停め、「しばらくお待ちください」と言ってあっという間にどこかへ行ってしまった。


『伊織、気づいてる?』


 アリューシャが≪コネクト(念話)≫で話しかけてきた。


『うん、誰かに見られてるような気がする』


 やはり、アリューシャも気づいていたようだ。街の入り口で衛兵たちに止められて以降、ずっと誰かに観察されているような気配を感じるのだ。実はこれが通行税を素直に支払った理由だった。


『微量の魔力も感じるわ。何かの魔法……それとも魔道具? 何だか気持ち悪いわね』


 ゼアヒルトにも僕らが感じている違和感を説明していると、エルドウィンが全速で戻ってきて僕の前に膝をついた。


「ご主人様、お待たせして申し訳ありません。今晩の宿の確保ができましたのでご案内いたします」


 そう言ってエルドウィンは手綱をとり、僕たちを乗せた馬車は再び移動を始めた。そして、気づいた時には何者かの気配は消え去っていたのだった。


 移動する車内から街の様子を眺めると、まだ夜になったばかりだというのに、人々の往来はとても少なかった。


 そして道端では、明らかにガラの悪い連中が我が物顔で酒を飲みながら、こちらを興味深そうに見ていた。


 また、街の遠くの方へ目をやると、おそらく庶民が暮らしているであろう平民街は一面が暗黒世界だった。貴族街や一部の商業地区では煌々と照明が輝いているのは対照的だった。


 照明の魔道具は比較的価格も安く、この国の一般家庭にある程度は普及しているが、その動力源となる魔鉱石が不足している。原因はエルフ国からの輸入が困難になってしまっているためだ。


 エルフ国が人族への魔鉱石供給を拒んでいる理由についてはよく分かっていない。王都に着けばギルドマスター辺りから詳しいことを教えてもらえるかもしれない。


 それにしても平民街のこの暗さは尋常ではない。この街の平民たちがかなり厳しい環境で生活していることは容易に想像できた。


「ご主人様、こちらになります」


 10分ほど馬車が進むと、これまでに見た安宿とは明らかに雰囲気の違う高級そうな宿に到着した。


「少し値は張りますが、安全性を一番に考慮した上でこの宿にしました。よろしかったでしょうか?」

「うん、ありがとう。エルのおかげで助かったよ」

「お褒めいただき光栄でございます」


 エルドウィンは少し涙目になりながら丁寧に頭を下げた。僕は彼女を何か悲しませるようなことをしたのかと一瞬不安になったが、そういえばエルドウィンは僕に褒められるといつも涙目になることを思い出して苦笑いしたのだった。


◇◇◇


「ここの治安はかなり不安だな。街全体の雰囲気が悪く、通りの人々には活気が感じられない。私が4年前に訪れた時はこんなことはなかったんだが……」

「街の衛兵も何だか信用ならない連中だったわよね」

「ご主人様、一刻も早くこの街を離れるべきだと思います。とても嫌な予感が致します」


 女性陣のこの街に対する印象はとても悪いようだ。トラブルに巻き込まれる前に、明日の朝一番にはこの街を出ることにしよう。


「とりあえずこの部屋にお風呂があって助かったわ。さあ、早速みんなで入りましょう!」


 僕は頷いて椅子から立ち上がり、ゼアヒルトも鎧を脱いで浴場へ向かう。


「ほらエルも、早く来なさい!」

「……えっ? えええええええ~っ!? あ、ああっ、すみません!」


 アリューシャの言葉にエルドウィンが驚きの声をあげ、手に持っていたゼアヒルトの着替えを落としてしまった。


「さっさとしなさいよ。エルも長旅で疲れているのだから早く入りたいでしょう?」

「そ、そそそ、それはそうなのですが、わ、私ごときが、ごごご主人様とお風呂をご一緒するなど……」


 普段のエルドウィンからは考えられないような慌て様である。彼女は4人の新人メイドの中で最も冷静沈着に行動できる女性である。


「エルの秘められた才能は磨けばアリアに匹敵する。そしてイオリに対する絶対的な忠誠は疑うべくもない。私も見習いたい程の、何者にも代え難い人材だ」


 ゼアヒルトは僕に常々このような話をしてエルドウィンを称賛している。


 ただし、ゼアヒルトが直接エルドウィンを褒めても彼女はニコリともせずに礼を言うだけだ。一方で、僕の場合は日常で声をかけただけでもよく瞳を潤ませる。どうしてなのか、一度彼女に聞いてみたいところである。


「あら? 伊織と一緒にお風呂に入るのが嫌なの?」

「違います!! う、嬉しすぎて気が動転してしまって……」


 エルドウィンはブンブンと全力で首を左右に振りながらアリューシャの言葉を否定した。彼女のこんな姿を目にするのは初めてで、アリューシャとゼアヒルトは笑みを浮かべながらその様子を眺めていた。


「ご、ご主人様……私の貧相な体をお見せしてしまうことになり申し訳ありません。よ、よろしくお願いします」


 エルドウィンはアリューシャやゼアヒルトのように胸が特別に大きいわけではない。しかし、彼女の体を貧相と言うならば、この世のほとんどの女性は貧相な体の持ち主ということになってしまう。


「さあ、それじゃあ浴場に向か――」

「ドンドンドン!! ドンドンドン!!」


 アリューシャの言葉を遮るように部屋の入り口のドアが激しくノックされた。すぐにみんな警戒の体制をとり、エルドウィンが大きな音を響かせているドアに素早く近づいた。


 どうやらすでに鍵は開けられてしまっているようで、強固なドアチェーンによって何者かの侵入は阻まれていた。もしもここが安宿だったらすでに侵入を許してしまっていただろう。


「名を名乗り、要件を言いなさい」


 エルドウィンが尋ねるとようやくドアを叩く音が止んだ。代わりに初めて耳にする男の声が響いた。


「我々はこの街の衛兵だ。この部屋の者が違法な生物を隠し持っているとの通報があった。今から部屋を検査するので、抵抗せずにドアを開けるんだ!」

「違法な生物とは何ですか? 具体的に説明しなさい」


 男はしばらく黙っていたが、やがて答えが返ってきた。


「……妖精だ。巧妙に隠しているようだがこちらにはお見通しだ。その妖精は領主様の下で保護することになる。我々の指示に逆らうということは、この街の領主であるフォルカー男爵に逆らうことと同義だと考えよ」


 男の言葉にアリューシャが苦虫を噛み潰したような顔をしていた。これは透明化した妖精の姿を見抜かれたことに対してなのか、それとも楽しみにしていたお風呂を邪魔されたことに対してなのか……僕には判別がつかなかった。


 ところがアリューシャは何かを思いついたらしい。すぐに得意げな表情になって目を輝かせた。


「ねぇ、伊織。ちょっと面白い提案があるんだけど……」


 一方で、アリューシャの話す内容に僕は自分でも渋い表情をしたのが分かった。ゼアヒルトもあまりよい顔をしていない。


「ふふっ、心配してくれてありがとう」


 アリューシャの提案とは「あえて妖精の姿のまま男たちに捕らえられる」というものだった。


 こうすることでなぜ自分の姿を見抜かれたのかを解明し、そしてこの街の腐敗の原因の一端を探ることもできるのではないかということだ。


 虎穴に入らなければ虎児は得られないということだろうが、アリューシャはこの世界では能力を制限されていることもあり、僕としてはそんな危険は冒したくなかった。


『腐った衛兵と明かりの無い平民街……この街の人たちを放ってはおけないわ。私、領主の顔をぶん殴ってやりたいの!』


 アリューシャの主張は人族の女神としては当然のものであり正論に思えた。そこで仕方なく僕は彼女の提案を了承することにしたのだった。

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