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10 決意


 いよいよ王都への出発の日がやってきた。僕の邸宅前にはアレグリアの用意してくれた馬車が停まっている。出来るだけ目立たないようにと配慮された質素で小型の馬車で、幌には銀色の小さな“蹄鉄”が描かれていた。


 ちなみに僕は衣服を新調していたが、これは先日のアレグリアとのデートでプレゼントされたものだ。白と青を基調とした騎士風の衣装で、やはり胸には小さな“蹄鉄”が刺繍されている。かなり目立つ衣装のため、しばらくしたらどこかで着替える予定である。


「じゃあ行ってくるよ。マリー、あとのことはよろしく頼む」

「はい、お任せください。微力ながらご主人様たちのご無事をお祈り致しております」


 メイド長のハイデマリーが腰を折るのに合わせて、他の3人のメイドたちも同時に頭を下げた。


「エル、しっかりと勤めを果たすのですよ。あなたはとても優秀なのですが、少し考え方に固い所が……」


 ハイデマリーが厳しく声をかけているのはメイドのエルドウィンである。ゼアヒルトの厳正なる審査の結果、今回は彼女が僕たちのお世話係として王都に同行することになった。


 エルドウィンは僕と同い年の16歳で、新人メイド4人の中ではノンナに次いで2番目に若い。紺色でストレートの髪を肩まで伸ばしており、落ち着いた清楚な美しさが魅力的な女性である。メイドの中では誰よりもまじめな性格をしており、なんでも卒なくこなす優等生タイプだ。


 彼女は現在は庶民だが実は没落した元男爵家の生まれであり、ゴッドフリートによって奴隷になることを運命付けられていた。しかしその直前にゴッドフリートが逮捕され、彼女は間一髪で難を逃れることができた。


「ご主人様へのご恩を少しでも返せるよう、身命を賭して大役を果たして見せます」


 僕としてはエルドウィンにはもう少し肩の力を抜いてもらいたいところではあるが、この生真面目さは彼女の美点でもあると考えている。


 隣にいるゼアヒルトも苦笑いをしているが、以前エルドウィンについてこう述べていた。


「彼女はイオリのためならば衆人の前で裸になることも厭わないだろう。それほどイオリに心酔している。ゴッドフリートの奴隷になるということは、女性にとっては絶望そのものなのだ。その境遇から救い出してくれたイオリは彼女にとって神に等しい」


 ちなみに、エルドウィンという名前はこの世界では男性名である。彼女の父は晩年にようやく授かった一人娘に対して男性の名前を付けた。理由は色々と推測できるが、彼女が語ろうとしないならばこちらから詮索する必要もない。


 僕たちはみんな彼女のことを親しみを込めて「エル」と呼び、彼女もその呼び名を気に入っているようだった。


 当然のようにエルドウィンが御者となり、僕たち4人を乗せた馬車がゆっくりと動き始めた。さっそくアリューシャは寛いでハイデマリーが作ってくれていたクッキーをかじっている。


 さて、王都まで1週間の予定だが、何事もないことを願うばかりである。


◇◇◇


「閣下、魔鉱石の高騰は止まることを知らず、領内の各地に種々の影響が出始めております」

「……もう少し具体的に説明しなさい」


 季節は冬だというのに私の前で大粒の汗を流しながら説明をしているのは、領都の内政を任されている官僚の一人だった。


「ええっと……特に問題となっているのが領都の水源です。水を浄化する魔道具の稼働率が50%を切っており、特に貧民街を中心に水不足が深刻になっています。折しも季節は冬であり降雨も期待できず……」


(何かもっと楽しくなるような報告はないの?)


「……また食糧も不足している上に例年よりも気温が低く、飢えと寒さで倒れる市民がこの1週間で150人を超えている状況です。領都がこの状況では周辺の都市や農村の惨状は……」


(そろそろイオくんたちが出発した頃かしら?)


 今日は彼が王女の護衛依頼のために王都へ出発する日だが、残念なことに私は執務室で仕事に追われていた。


(あ~、しばらくお別れなのに……もう一度会っておきたかったなぁ)


 仕事を放り出してエクスヴァルド家に向かっても良かったのだが、私はあえてそれを思い留まったのだ。彼とのお別れは個人的に済ませてあるからだ。


「……財政状況がひっ迫する中ですが、何らかの有効な対策を考える必要があります」

「それで、あなたはどういう対策を考えてきたのかしら? まさか、現況を説明して終わりじゃないわよね?」

「そっ、それは……」


(おそらくグリゴアならば、良案から愚案まで様々な対策を流れるように提案したでしょうね。能力だけ見れば惜しい人材を亡くしたわね……死んでないけど♪)


「も、申し訳ありません。至急会議を開いて……」

「ほら、これを使いなさい」


 私は青い顔をしている官僚にやや大きめのカギを渡した。カギにはオルトヴァルド家の家紋が刻んである。


「閣下……これは?」

「ここから北西2kmにある小村に向かい村長にそのカギを渡しなさい」

「一体どういうことでしょうか?」

「備蓄の放出よ……まぁ、少し性急に過ぎる気もするけれどね」

「い、いつの間にそんな……」

「私は心配性なのよ」


 官僚は驚きのあまり口を開けたまま目を丸くしていた。


「とりあえずは当座をしのぐ魔鉱石・木材・食糧・衣類・薬品などが手に入るわ。まずは水の確保が最優先、次が万一に備えての疫病対策よ。木材・食糧・衣類は戸籍に応じた配給を行いなさい。貴賤に関係なくこれは平等に実施し、反発があれば騎士団に出動を要請すること。同様の措置を周辺の……」


(やっぱり会いに行くべきだったなぁ……失敗した……はうぅぅ)


 先日、私はイオくんと2人きりでデートをした。護衛なしでは危険だと反対する家臣もいたけれど、彼の側にいるのが一番安全だということをエルガーが説明するとみんな大人しくなった。


(私の恋を応援してくれるなんて、あとでエルガーはゼアちゃんに怒られたんじゃないかしら?)


 そんなわけで、短い時間だけどとても楽しくて充実した時間を過ごすことができた。


 好きな男性と一緒に腕を組んで街を歩く……それがこんなに幸せなことだとは思わなかった。イオくんはとても街のことに詳しく、行く先々で興味深い話をたくさんしてくれた。


 夢のような時間はあっという間に過ぎ、私たちは帰りの馬車に乗って貴族街へ向かっていた。


「イオくん、今日はありがとね♪」

「こちらこそ、楽しかったよ」


 私は隣に座るイオくんの肩に寄りかかって目を閉じた。


「イオくん、ちょっと大事な話をするけれど聴いてくれるかな?」

「もちろん」

「これは私個人の勝手な思いなんだけれど……」


 私は目を閉じたまま、これまでに考えてきたことを彼に話すことにした。


「イオくん、あなたにはこの国を変えるだけの力があると思う」

「……」

「だから、私はイオくんに提案する。あなたはこの国の王を目指すべきだわ」

「……」


 私の提案は国家の根幹を揺るがす内容で、まさしく国家反逆罪に問われても文句の言えないものだった。しかし、私には彼が動揺する気配を全く感じ取ることができなかった。


「イオくんが王になればきっとこの国は変わる。人族のみんなが笑える、もっと優しさにあふれた国になれると思う」

「……」

「私はあなたが王を目指すというのならば、オルトヴァルド辺境伯として……いえ、アレグリア・オルトヴァルド個人としてそれを支えたいの」

「……」


 私はイオくんが好きだ。それに、彼に救われた命なのだから彼のためならば何だって出来る。


「でもね、イオくんにはもっと大きな使命があるような気もするの。それは女神様の加護と無関係ではないはずで……私の考えは的外れかな?」


 私の一方的な話が終わると、それを黙って聴いていたイオくんは優しく私の髪を撫でてくれた。小さい頃にお父様に同じことをしてもらっていたことを思い出し、とても懐かしく心地よい気持ちになれた。


 しばらく静かな時間が流れた。その間、イオくんは私の髪を撫で続けてくれた。


「……僕が王を目指すということは、一緒に危ない橋を渡ることになるけど大丈夫?」

「もちろんよ♪ 私の裸を見た責任を取ってもらうまで離れるつもりはないわよ。それと……」


 21歳にもなってこんなことを言うのは恥ずかしいのだが、私は意を決してイオくんに打ち明けることにした。


「私には小さい頃からの夢があってね……今から言うけど笑わないでね」

「笑わないよ」

「私は昔から本が好きで、おとぎ話に出てくるような王妃様やお姫様に憧れていたの。その……もしかしたら、夢が叶うんじゃないかって……」


 私は馬鹿だ。これではまるで自分のエゴで彼を焚きつけたと告白したようなものだ。いや、実際にそうなのだろう。この国についてどうこうというよりも、単純に私はイオくんと一緒になりたいだけだ。


 自身の浅ましさに私が自己嫌悪に陥っていると、イオくんが再び私の頭を撫でてくれた。


「ふふふっ、君の夢が叶うように頑張るよ、王妃殿下」

「……あ、ありがとう……って、笑わないって言ったじゃない!」


 私が顔を赤くしながらイオくんを見ていると、少しずつ彼の顔が私に近づいてきた。私はそっと目を閉じ、彼と出会えたことを心から女神様に感謝したのだった。


◇◇◇


 王都へ向かう馬車に揺られながら、僕はアレグリアとの会話を思い出していた。


「あなたはこの国の王を目指すべきだわ」


 彼女の一言は改めて僕に大きな決心をさせた。この国の変革のためには大きな権力が必要になる。最終的に王を目指すかどうかは置いておいて、国家権力の中枢に迫るという覚悟は必要である。


 王女殿下の護衛を引き受けたのもその一環で、アレグリアも僕の考えを察してこちらに依頼してくれたのだろう。


 昨夜、思い切って僕は自身の考えをアリューシャとゼアヒルトに個別に打ち明けた。もしかしたらゼアヒルトは反対するかもしれないと危惧したが……


「民の幸せを実現するのが貴族たる者の使命。この国の人々の生活を守るためには、イオリのような人材が国家の運営を担うのが最善だと思う。ふふっ、将来は私は宰相夫人かな? それともまさか……」


 そう言ってゼアヒルトはあっさりと僕の考えに賛同してくれた。


 一方で、アリューシャは僕の話を聞くと神妙な顔をして黙ってしまった。そして、しばらくして彼女が最初に口にした言葉は……


「伊織、ごめんね」


 アリューシャが僕に対して謝る理由が分からず困惑していると、彼女は悲しそうな顔で話を続けた。


「伊織はこの世界でそれなりに充実した生活を送れているでしょう?」


 アリューシャの問いかけに僕は当然とばかりに大きく頷いた。


「だから現状のままでも構わないのに、私のせいで無理をさせているんじゃないかと思って……」


 どうやらアリューシャは余計な心配をしているようだ。ここは彼女にしっかりと説明をしなければならない。


「アリューシャの願いは人族の幸せを護ること。そしてそれは僕の願いと同じなんだよ」


 アリューシャは僕の目を真っ直ぐに見ながら真剣な表情で話を聞いている。


「この世界に来て僕はたくさんの人と出会い、みんなに幸せになってほしいと強く思った。無辜の人々が苦しむ姿を見たくないんだ。僕はこの国を変革して人々が笑顔で過ごせる世界にしたい」


 そして、僕には何よりも優先して叶えたい願いがある。それは異世界に転生しようと決心した理由でもある。


「僕は何よりも君の笑顔が見たいんだよ」


 ちょっと照れ臭かったが勇気を出して告げると、アリューシャは目尻の涙を拭いながらようやく笑顔を浮かべてくれたのだった。

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