20 謀反
「敵は引き揚げたか……思ったよりも早かったわね」
「はい、スタンピードに乗じて侵攻の機会を伺っていたようです。まさか3000もの兵が出張ってくるとは思わなかったのでしょう」
領都の西門を出発したアレグリアが国境沿いに兵を向けると、獣人国の部隊はそれに気が付いたのかすぐに兵を引いた。そのため、場合によっては一戦を覚悟していたアレグリアたちは拍子抜けしていた。
「騎士団や冒険者たちにはとても大きな負担をかけているわ。念の為に国境沿いにいくつかの兵を残し、私たちは急いで領都へ戻るとしましょう」
3000の兵のうち2000をこのまま国境へ向かわせ、アレグリアは残った1000を率いて領都へと馬首を向けた。この1000の兵の中には、ゴッドフリートたちシュレヒテ家の正規兵300が含まれていた。
◇◇◇
「もう陽が落ちてずいぶん経つが、父上からの連絡はまだか?」
天幕の中で椅子に座るゴッドフリートは、イライラしながら足をせわしなく動かしていた。夜を迎えても父グリゴアからの連絡が届かなかったからだ。
「ちっ! 結局、獣人国の連中は逃げ帰ったようだし、こんなことなら女を何人か連れてきておけばよかった……そうだ! おいっ、誰かいるか!」
「どうなさいましたか?」
近くにいた側近たちがおそるおそる天幕の中に入ってきた。
「近くに村はあるか?」
「ここから南東に小さな村があったと思いますが……いかがなさいましたか?」
「気分転換にその村に向かうぞ! 若い女がいればよし、いなければ何か別の遊びを考えよう」
突然のゴッドフリートの提案に側近たちは狼狽した。現在は従軍中であるし、なによりも味方の村を襲うとなるとそれは完全に軍令違反である。
「アレグリア辺境伯に咎められる可能性が……」
「うるさい! 俺はもう決めたのだ! すぐにその村に案内……」
そこへ伝令兵が息を切らせてやってきた。立ち上がっていたゴッドフリートは再び椅子に腰を下ろして酒を呷った。
「ようやく父上から連絡が来たか。では、仔細を述べよ!」
父からの吉報を期待するゴッドフリートは笑顔を見せたが、一方で伝令兵は青い顔をしていた。
「そ、それが……」
「どうした? 早く話せ」
「グリゴア様が騎士団に捕縛されたとの情報が伝わりまして……急いで確認したところ、間違いないようです」
「――ブハッ! な、なななな……何だと……」
ゴッドフリートは飲んでいた酒を思いっきり吐き出した。全く予想していなかった出来事に頭が真っ白になる。
「それが事実だとすればいったいどうすれば……父上が捕まったとなると、事がすべて露見した可能性が高い。ああ……このままではシュレヒテ家は終わりだ……」
ゴッドフリートは頭を抱えながらブツブツと独り言を呟いていた。周りの側近たちはそれを心配そうに眺めている。
しばらくして、ゴッドフリートが何か名案を思い付いたのか、突然立ち上がって腰に佩いていた剣を抜いた。
「こうなっては致し方なし……獣人国に亡命をするか……」
ゴッドフリートの言葉を耳にした側近たちは完全に体を硬直させていた。
「もちろんこのままでは受け入れられない可能性が高い。それならば……手土産を用意するしかあるまい!」
相変わらず独り言を続けるゴッドフリートの顔は狂気に歪んでいた。側近たちはどんな命令が自分たちに下されるのか、背筋が凍る思いで待っていた。
「兵をすべて叩き起こして戦闘準備に入れ!」
「ゴッドフリート様、敵はいずこに?」
「アレグリアを討ち、獣人国へ亡命する!」
「そ、それは……」
側近たちが驚愕の顔で口々に反対する。しかし、ゴッドフリートはそれらを一切受け付けなかった。
「よいか、このままではお前たちも終わりなのだ。末端の兵ならばいざ知らず、側近のお前たちが何も知らなかったは通用せぬぞ!」
ここにいる側近たちはグリゴアとゴッドフリートが悪事を重ねていたことは薄々知っていた。度々よからぬ輩が館を出入りしているのを見聞きしていたし、実際に父子の命令に逆らえずに法を犯した者もいた。
「幸いにも獣人国は実力主義の国家だ。アレグリア辺境伯の首を持参すれば、快く我々を貴族として迎え入れてくれるに違いない」
「し、しかし……」
「今ならばアレグリアはまだ何も知らないはずだ。早く決断せねば機を逸するぞ!」
ゴッドフリートの剣幕に側近たちはしぶしぶうなずいた。確かにゴッドフリートの言う通り、このままでは破滅が待っているのみである。アレグリアを討つべく、ついにゴッドフリートと兵300が動き出した。
◇◇◇
(火の月だというのに、何だか今夜は冷えるわね……雨のせいかしら?)
アレグリアは大型の幕舎内に設置された簡易ベッドの上で本を読んでいた。すでに鎧は脱いでおり、薄手の寝間着に着替えている。
幼い頃からいついかなる時でも本を読むようにと父に厳命されていたため、その父が亡くなり大人になった今でも常に本を手放さなかった。
(領都からの連絡はまだかしら。みんな無事だといいのだけれど……)
「アレグリア様、よろしいでしょうか。領都より伝令が到着いたしました」
アレグリアの待ち望んだ伝令がようやく到着した。あとは伝令の内容が喜ぶべき知らせであれば言うことはない。アレグリアはすぐにストールを羽織り、その伝令兵を幕舎内に招き入れた。
「申し訳ありません。突然の大雨で川が氾濫し、到着が大きく遅れました」
「ご苦労様。あなたが無事に着いてくれて何よりよ」
一介の兵である自分を心配してくれる辺境伯の言葉に感動し、伝令兵は目頭を熱くした。
「報告いたします! 領都を目指していた魔物1600匹の討伐が完了いたしました!」
「……わかりました」
アレグリアは内心小躍りしたい気分だったが、まだこちらの被害の状況を確認していないため、努めて冷静な表情と声で返事をした。
「それで、犠牲者の数は?」
「騎士が14名死亡、12名重傷。冒険者が11名死亡、8名重傷です」
想定していたよりも圧倒的に少ない被害だった。1600もの魔物の群れに対してこの被害状況は奇跡的といってよい。
「わかりました。私が領都に戻り次第、合同葬儀を行いますので準備するよう伝えなさい」
「ははっ! それと騎士団長殿なのですが……」
伝令兵の表情を見て、アレグリアは嫌な予感を覚えた。
「エルガーは無事なのっ!?」
「はい。しかし激戦により心身の消耗が激しく、現在は治癒院で安静にされています」
アレグリアは心から安堵した。亡き父とは違い、自分には信頼に足る家臣は数えるほどしかいない。その筆頭がエルガー子爵であり、親友であるゼアヒルトの悲しむ顔も見たくなかった。
「エルガー子爵よりお手紙を預かっております」
スタンピード討伐の仔細が記されたその手紙を読み進めるうちに、アレグリアの美しい顔がだんだんと険しくなっていく。そこにはグリゴア子爵の悪辣な行動が余す所なく記載されていた。
アレグリアはグリゴアの長男ゴッドフリートが自陣にいることを思い出した。自身の監視下に置くために自陣に留めていたのだ。すぐにアレグリアは側近を呼び命令を下した。
「至急シュレヒテ家嫡男ゴッドフリートを捕縛しなさい!」
ところがアレグリアがこの命令を出した時、すでにアレグリアの幕舎一帯はゴッドフリートの兵に包囲されていた。領都へ戻る兵たちは弛緩しており、易々とゴッドフリートの接近を許した。また、大半の兵は国境へ向かわせており、アレグリアの下にはわずかな兵しか残っていなかったことも災いした。
「情けないわね。この程度の動きすら読めないなんて……私はお父様に遠く及ばないわ」
アレグリアを守るため兵たちは必死に立ち向かうが、ゴッドフリートによる包囲は徐々に狭まってくる。多勢に無勢の状況の中、ついにアレグリア自身も槍を手に取って戦う事態にまで追い込まれていた。




