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19 女神の代行者


「ぐぎゃあああああああ!! 儂の……儂の腕があぁぁぁ!!」


 地に膝をついたグリゴアが自身の右肩を抑えながら叫んでいる。慌てて周りの兵たちが駆け寄り、取り出した回復薬を使った。さすがにグリゴアに使うポーションは高級品らしく、すぐに右肩からの出血が止まり始める。


 僕はその間にエルガーさんとクロードさんに≪ヒール≫を唱えた。クロードさんはすぐに回復して立ち上がろうとしているが、エルガーさんの状態が良くない。僕は刀をしまうと腰を下ろし、力なく横たわるエルガーさんの上半身を両手で抱えた。


「……イオリ君か……情けない姿を見られたな」


 エルガーさんの言葉に僕は首を横に振った。


「君にお願いがある……迷惑かもしれないが、ゼアヒルトを君の側に置いてやってくれないだろうか……」


 エルガーさんがか小さなかすれた声で僕に話しかける。目が見えていないのか、僕と視線が合っていない。口元からは血があふれて流れ出していた。


「安心してください。ゼアは必ず守ります」


 僕の言葉にエルガーさんは満足そうに笑みを浮かべた。そしてすぐに少し悲しそうな顔をする。


「……娘の花嫁姿を見たかったのだが、残念だがそれは叶いそうにないな……妻と一緒に……あの世から祝福させてもらうとするか……」


 そう言うと、エルガーさんはゆっくりと目を閉じた。それを見てクロードさんが嗚咽を漏らす。


「お父様! ダメです! お父様あぁぁぁ!!」


 ゼアヒルトが泣きながらエルガーさんに抱きつく。僕はエルガーさんを静かに地面に置くと、立ち上がって両手をエルガーさんに向かって突き出した。


「……イオリ? 一体何を……」

「試してみたいことがあるんだ……ゼア、少し離れてくれないかい?」


 僕は毎晩寝る前に何度も目を通した魔導書の一節を思い出していた。普段は無詠唱で魔法を唱えているが、きちんと詠唱して魔法を唱えればより強い効果を出すことができるのではないだろうか?


「求めるは純白の癒し。生命を司る月の精霊ルナよ。汝、“女神の代行者”たる我が命に従い、天使の息吹を現出せよ。……≪ヒール(治癒)≫」


 この異世界に来て初めて詠唱してから魔法を唱えた。すぐに魔力の奔流が僕の両手に集まり、淡い光がエルガーさんを包み込む。よし……これで大丈夫なはずだ。


「イオリ……この神々しい光はまるで聖女様の……えっ!? 女神の代行者?」


 ゼアヒルトが驚き、そして困惑した表情で僕を見た。彼女には僕に女神の加護があることはまだ話していない。


「ゼア、この戦いが終わったら詳しく説明するよ」


 彼女は大きく頷くが、すぐに表情を厳しくして今にも泣き出しそうな顔をした。


「でも、エリックが……エリックが人質に取られているんだ!」

「大丈夫だよ。安心してここで待ってて」


 戸惑うゼアヒルトの頭を優しく撫でて、僕は≪ストレージ≫から刀を取り出しグリゴアの下へ向かった。


「許さん! 許さんぞ、このゴミ虫めが!! この儂を傷つけたことを後悔させてやる!」


 グリゴアが左手でこちらを指さしながら赤い顔をして怒鳴っている。さぁ、まずはこの親豚に鉄槌を下す時間だ。


「……後悔するのはお前の方だ」

「黙れっ! まずはエリックを殺してやる! お前たち、すぐに狼煙を上げよ!」


 グリゴアの命令に従って数名の兵が狼煙を上げる。次々と白い煙の筋が空に向かって立ち昇った。


「お前のせいでエリックは死ぬのだ!! ぐふふ……後悔してももう遅いぞ」


◇◇◇


 イオリとグリゴアが対峙する数時間前、エクスタイン家に数人のならず者が侵入していた。彼らはシュレヒテ家の私兵であり、グリゴアの命令でエリックを人質に取るため動いていた。


 侵入者たちに抵抗する者は全くおらず、彼らは拍子抜けしつつも迷うことなくエリックの部屋にたどり着いた。


 部屋の扉を勢いよく開けると、部屋の中にはベッドですやすやと眠るエリックの姿と、その傍らに優雅に座って紅茶を飲む美女の姿があった。


「おい女、エリックを渡してもらおうか。騒げば殺す。抵抗しても殺す」

「殺す? 私に殺されるのよあなたたちは……ここまで精神が醜く歪んでは救いようがない。何の躊躇いもなく殺せるわ」


 その美女は女神アリューシャだった。エリックが狙われる可能性を考慮して、今回はイオリと別行動をとっていた。


「くはははは……お前のようなか細い女に何ができる。魔法でも使うのか? 詠唱する時間は与えんぞ。まずはその綺麗な両足の腱を切り、俺たちでたっぷりと楽しんだ後で殺してやる」


 侵入者たちは全員が下品な声を上げて笑っていた。そんな彼らの姿を見てアリューシャはため息をつくと、静かに紅茶をテーブルに置いて立ち上がった。


「どうして人間はこうなってしまうのかしら。伊織のような素敵な子もいれば、こうやって腐ってしまった者もいる……環境かしら……いや、厳しい環境でこそ強く逞しく育つ者もいる」


 アリューシャは手を顎に当てながら考え込んでいる。一方、侵入者たちはじわじわとアリューシャを取り囲むように距離を詰めていた。


「これほどの上玉がこんな所にいるとは」

「こちらを選んで正解だったぜ」

「げへへ……まずは俺が1番最初だ」

「おいおい! お前は俺のあとだ」

「壊すなよ! 奴隷商に売ればかなりの額になる」


 侵入者たちはなおも余裕たっぷりに口元を緩めながらふざけた会話をしていた。


「ふぅ……これは本格的に選別が必要なのかもしれないわね。人族がこうなってしまった責任は私にもあるのかもしれないけれど……」


 そう言ってアリューシャは右手を開いて彼らに手のひらを向けた。侵入者たちは一瞬緊張して身構えたが、アリューシャが詠唱を始める様子もないので怪訝そうな顔をしていた。


「単なる虚仮威しかよ! よし、やるぞ……な……ん……――」


 アリューシャに襲い掛かろうとする侵入者たちの体の動きが徐々に鈍くなる。そしてあっという間に彼ら全員の身体が動かなくなった。


「ふふふ……意識はあるのに動けないでしょう? 感覚はあるのに何もできないでしょう?」


 妖艶な笑みを浮かべたアリューシャはならず者たちの周囲に結界を張り、結界内にどこからか取り出した魔物数匹を放り込んだ。


「この魔物知ってる? そうそう、マッドラットね。この魔物は数時間何も食べないだけで餓死するの。だから、常に何かを食べ続けなければならない……もう言わなくても分かるわね」


 アリューシャは再び椅子に腰かけると足を組み、まだ温かい紅茶に再び口をつけた。


「汚いものを見ていると折角の美味しい紅茶が不味くなるわね。そうだ、目を閉じて伊織のことを考えましょう……うふふふ……今回のご褒美に何をおねだりしようかしら♪」


 ならず者たちが生きたまま喰われるという凄惨な状況のすぐ側で、女神アリューシャは幸せそうな表情を浮かべるのだった。


◇◇◇


「お前の計画は失敗だ。エリックが傷つくことは絶対にない!」

「ぐっ……でまかせを言うなっ! 殺せっ! 皆殺しだ!」


 グリゴアの命令を受けて私兵たちが一斉に襲い掛かってきた。各々が様々な武器を使って僕に攻撃を仕掛ける。しかし、それらの攻撃は僕を捉えることはできなかった。


「≪ウィンドブレイド≫」


 風の刃が敵の身体を切り刻み、方々から叫び声が聴こえる。そんな中、仲間の死体を盾にして3人の男が僕に斬りかかってきた。


「≪絶影≫」


 僕はほとんど同時に3人の首を刎ねた。それを見ていた敵兵が驚愕の表情を浮かべ慌てて逃げようとするが、僕は見逃さずに瞬時に彼らの正面に回り込んだ。


「ば、化け物だ! 3人の首を寸分違わず同時に……」

「た、助けっ――」


 躊躇うことなく全員の首を斬る。その直後、すべての敵兵が算を乱して逃げ始めた。


「お、お前たちっ! 逃げるんじゃない!!」

 

 グリゴアが必死に命令を出しているが、それに従うものはもはや1人もいなかった。


「≪フレイムアロー≫×3」


 算を乱して逃げる敵兵の背中を次々と炎の矢が貫き、奴らは悲鳴をあげながら前のめりに倒れ込んだ。


「ぎゃっ!」

「ひいいっ!!」

「ぐえっ!」


 即死しなかった敵兵は必死に起き上がろうとするが、僕は接近して容赦なく首を刎ね続ける。


「な、何が……何が起きているのだ……儂は夢でも見ているのか?」


 こうしてあっという間に敵兵は全滅し、グリゴアただ1人が取り残された。グリゴアは放心状態のようで、力なく地面に両膝をつきよだれを垂らしている。


 僕はゆっくりとグリゴアに近づき、奴の喉元に刀の切先を突き付けた。


「グリゴア……これで終わりだ」

「ふひーっ、ふひーっ……た、頼む……命だけは助けてくれぇぇ!!」

「刈られる立場になった気分はどうだ?」

「金か!? それとも女か!? 欲しいものを言ってくれ! 儂はシュレヒテ家当主のグリゴア子爵じゃ。何でも願いを聞いてやる!」


 唾を飛ばしながら早口で捲し立てるグリゴアを僕は冷たい目で眺めていた。


「そ、そうか……爵位じゃな! 儂に任せておけ! 普通は平民が貴族になることは容易ではないが、儂に任せておけばすぐに叙爵の手続きを整え……――ぎゃぁぁぁああああ!!」


 自分でも気づかないうちにグリゴアの左腕を刎ねていた。グリゴアの話す言葉がよほど耳障りに感じたらしい。


「イダイ! イダイィィィィ!! は、はやぐぅぅポポポポポーーションをおぉぉぉ!!」


 グリゴアが大声で治療を求めるが、それに応える者は誰一人としていなかった。


「があぁぁぁぁぁ! た、たすけてくれぇぇぇぇ……」


 しばらく叫び続けていたグリゴアは、やがて失血により意識を失って静かになった。


「イオリっ!」


 決着がつき僕がゼアヒルトたちの方に振り向くと、彼女が駆けてきて僕の胸に飛び込んできた。僕はそれを受け止めて、もう一度彼女の頭を優しく撫でた。


 こうしてスタンピードの鎮圧とともにグリゴアの野望は霧散し、僕らは無事に領都に帰還することが出来たのだった。

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