13 急転
「あの無能の医者め……定時連絡がないではないか」
グリゴア子爵は胸中に不安を覚えていた。いつも通りであれば、エクスタイン家を訪問した医者から何らかの連絡があるはずだが、今回に限って何の連絡もない。
「まさかこちらの企てが漏れたとは思わぬが……おい! 誰か!」
グリゴア子爵が大声で人を呼ぶと、すぐに執事がやってきた。
「旦那様、いかがなさいましたか?」
「息子は、ゴッドフリートはどこにいる?」
「坊ちゃまはシュレヒテ領の館に戻られております」
グリゴア子爵が当主を務めるシュレヒテ家は王国の中でも有数の名家であり、オルトヴァルド辺境伯の家臣の中では最大の領地を所有していた。
「よし、すぐに私兵を集めてオルデンシュタインに来るように伝えよ」
「領兵(正規兵)ではなく私兵でよろしいのですか?」
「聞き返すな! 私兵を集めてわしの下へ来いと伝えよ!」
「ははっ! かしこまりました」
(万一こちらの企てが露見しているようであれば……計画を前倒しして、実力行使に出るしかあるまい……)
陽が落ちて薄暗くなりつつある外の様子を眺めながら、グリゴア子爵は親指の爪を強く噛んだのだった。
◇◇◇
「なるほど、貴方の長男には呪いがかけられ、その犯人がグリゴア卿というわけね……」
「はい、その通りでございます、閣下」
アレグリア辺境伯を前にして、エルガーは片膝をついてうやうやしく頭を下げた。
「ほらほら、騎士団長殿。2人きりの時は敬語はいらないと言ってるじゃないの」
「そうはまいりません。亡きルードルフ様の跡を継がれてはや4年、閣下は見事にオルトヴァルド領を治めております。小職が不遜な態度をとっては、閣下の名声が傷つきます」
「まったく、相変わらず頭が固いわね、エルガーは……」
そう言ってアレグリアは長いストレートの赤髪をかきあげた。普通の男性であればこの仕草に一瞬で心を奪われるものであったが、エルガーの表情はまったく動かなかった。
アレグリア・オルトヴァルド辺境伯は、4年前に亡き父ルードルフ・オルトヴァルドから爵位と領地を相続した。ルードルフ辺境伯は英明で、領都オルデンシュタインを中心にオルトヴァルド辺境伯領を大きく発展させた傑物だった。そんな父が一人娘を残したまま急逝し、当時17歳の女性でありながら跡を継ぐことになったのがアレグリアだった。
若年で女性の領主の誕生ということで不安視する者も多かったが、アレグリアは父の能力をしっかりと受け継いだ才女であった。そして同時に美しさを兼ね備えていた。領都の人々はアレグリアを赤薔薇に、そしてゼアヒルトを白薔薇に例えて彼女たちの美しさを称えた。
「グリゴア卿がそんなに悪辣だったとは……ごめんなさいエルガー。これは私の責任だわ」
「とんでもございません。息子の一番近くにいた私が見抜けなかったのです」
「財務長官として有能だったから多少の罪には目をつぶっていたのだけれど、さすがにこれは許せないわね。早速、グリゴア卿を召喚して問い正すことにしましょう」
アレグリアは険しい表情で官吏を呼び、辺境伯の名で正式にグリゴア召喚の命令を出した。
「ところで、ゼアヒルトには事情は説明しているのかしら?」
「いえ、まだでございます」
「今回の件に決着が付けば彼女の縁談は破談。娘の幸せを願う父としては喜ばしいことね」
「はい、正直に言えば安堵いたしております」
「それに、ゼアヒルトはある男の子に熱を上げているようだし……」
アレグリアが不敵な笑みを浮かべるが、その顔もまた美しかった。
「はい。イオリというCランクの冒険者です。娘の命の恩人です」
「あのゼアヒルトが助けられるなんて驚きよね。私も興味あるわ、その子に」
「正義感に溢れた信頼に足る男です」
エルガーは確信に満ちた顔で答え、それを見たアレグリアは少し苦笑いをした。
「騎士団長・副団長そろって……すごい男の子ね。さすがは女神様の加護持ちよね」
「――はっ? 今、何と仰いましたか?」
「その子、女神アリューシャ様の加護を持っているわ。知っているのは私と……冒険者ギルドのキリアンと受付嬢のエミリアくらいかしらね。あなたで4人目だわ」
エルガーは全身に鳥肌が立っていた。あの少年が只者ではないとは思っていたが、まさか女神様の加護を持つ者だったとは想像もしていなかった。それと同時に、彼がこれまでに示した力を考えると、エルガーはなるほどと納得するのだった。
「今回の件、ゼアヒルトには私から説明しようかしら。イオリについても詳しく話を聞いてみたいしね」
「ありがとうござ……」
エルガーが礼を述べようとしたその時、「ドン! ドン! ドン!」と誰かが激しくドアをノックする音が部屋に響いた。
「何事よ!?」
「失礼いたします!」
若い騎士が脇に兜を抱えたまま小走りに部屋に入ってきた。そしてエルガーに軽く頭を下げてアレグリアの前に片膝をつき、息を整えた後で衝撃的な情報を2人に伝えた。
「北から1000を超える魔物の大群が、この領都を目指して移動中でございます!」
「なんだとっ! まさかスタンピードかっ!?」
「……なんということ……」
歴戦のエルガーもこの情報には動揺を隠せなかった。アレグリアも言葉を失っている。しかし、彼女はすぐに正気を取り戻し、すべての官僚に至急集合するよう指示した。
「エルガー、今回の件は保留とします。まずは領都を守らなければなりません」
「閣下、当然のご判断です。ここは領都防衛に集中しましょう」
すぐに2人は思考を切り替え、領都防衛の基本方針を話し合い始めた。
◇◇◇
すでに陽は完全に落ちている時間帯だったが、官僚たちはすぐに会議室に勢揃いした。
「それで、動員できる兵は?」
「騎士団員が300、領都の常備兵が3000。しかし領都内の治安維持のために最低1000は必要です」
「2300では足りないわ。すぐに冒険者ギルドに連絡して協力を要請しなさい!」
すぐに担当の官僚が冒険者ギルドへ連絡を取ろうとするが、そこへ冒険者ギルドの副ギルドマスターであるキリアンが息を切らしてやってきた。
「はぁ、はぁ……閣下、スタンピードが起きたという情報に間違いはございませんか?」
「良い所に来たわね! ええ、間違いないわ。冒険者ギルドにも協力してもらうわよ」
「すでにうちの職員が冒険者を集めています」
「流石ね、話が早くて助かるわ。何人ぐらい見込めそう?」
「そうですね……多く見積もって200名ほどでしょうか」
200という数に官僚たちからため息が漏れる。口には出さないが、「たったの200か」という思いが彼らの表情に表れていた。
「冒険者たちは様々な死線を潜り抜けてきた者が多いわ。騎士に遜色ない実力者もたくさんいるはずよ。キリアン、彼らの活躍に期待しているわ」
「はい、必ずやご期待にお応えします」
「……これでこちらの戦力は合計2500ね。それで、魔物の群れの状況はどうなの?」
一人の官僚が椅子から立ち上がり報告書を読み上げる。
「数を徐々に増やしており、現在の総数はおよそ1600ほどでしょうか。3つの集団に分かれているようです。北よりA群800、北西よりB群400、北東よりC群400といった状況です」
「ならばこちらも兵を分散する必要があるわね……エルガー!」
アレグリアの呼びかけに応じ、泰然とした様子でエルガーが立ち上がり考えを述べた。
「A群には騎士100と兵800、B群には騎士200と兵600、C群は冒険者200と兵600でいかがでしょうか?」
「それぞれの司令官はどうするの?」
「A群は僭越ながら私が、B群はゼアヒルトに、C群はキリアン殿に指揮を委ねてはいかがでしょうか?」
「よし、それで行きましょう! ……これなら十分に対応できそうね。あとはできるだけ犠牲者を出さないよう、最善の準備に取り組みましょう」
エルガーの澱みない返答にアレグリアは安堵の表情を一瞬だけ浮かべると、椅子から立ち上がり「パン!」と両手を合わせた。それを合図に官僚たちが一斉に立ち上がり、それぞれの役割に従って動き出そうとした……しかしその時、息を切らした騎士が会議室へ飛び込んで来た。
何事かと会議室全員の視線がその騎士へと集まった。「ぜぇぜぇ」と苦しそうに呼吸をする騎士に、アレグリアが髪をかきあげながら事情を尋ねた。
「もう、今度は何よ?」
「も、もうしあげます! じゅ、獣人国の兵2500が辺境伯領の国境沿いに展開中です!」
「……もう一度言いなさい!」
「獣人国より兵2500が国境沿いに集まっています! 王都へはすでに早馬を飛ばして援軍を要請していますが、とても間に合うとは……」
「…………」
会議室内はしわぶきひとつ聞こえないほどの沈黙に包まれた。
「……エルガー、作戦を練り直すわよ。国境には私が向かうわ」
「……かしこまりました。でしたら、常備兵2000は閣下が率いて下さい」
「私が常備兵を全て? 魔物はどうするのよ?」
「騎士300と冒険者200で何とかします」
エルガーの発言に官僚たちが騒ぎ始めた。「無茶だ」という声があちらこちらから聞こえる。
「……あなたが何とかするというのならば、私はそれを信じるわ」
「ありがとうございます。魔物は1匹たりとも領都へ近づけさせません」
突然の悲報にも、エルガーの泰然とした姿に揺らぎはなかった。
「無用の混乱を避けるため、領民へ情報は伏せておくわよ」
「はい、それがよろしいかと。それと獣人国の侵攻部隊が増える可能性を考慮して、領内の貴族に動員を命じるべきです」
「彼らに借りは作りたくないのだけれど……しょうがないわね。これで1000は増員できるかしら」
「合計3000の兵があれば、連中も簡単には仕掛けられないでしょう」
アレグリアは大きく息を吐くと椅子に腰を下ろし、少し思案顔をしたあとでキリアンの方へ顔を向けた。
「キリアン、冒険者たちにも負担をかけるけれど大丈夫?」
「はい、きちんと報酬をいただければ何も問題ありません。それでは準備もあるので私はこれで失礼……」
「あっ、ちょっと待って! アイーネはいないの?」
アレグリアは期待に満ちた顔をキリアンに向けるが、すぐにその期待は裏切られることになった。
「ギルドマスターですか?」
「そうよ、彼女がいれば心強いわ」
「残念ですが、まだ王都から戻られていません」
「もう、肝心な時にいないんだからっ!」
アレグリアは心底残念そうな表情をしたがすぐに気を取り直し、このあと一睡もすることなく防衛戦に向けての指示を出し続けるのだった。




