05 子爵の嘆き
「ゼアヒルトには弟がいるのだが……」
エルガーさんは椅子から立ち上がり、窓の近くで外を眺めている。夏の日差しはきついが、この書斎はエアコンが稼働しているかのように涼しい。おそらく何らかの魔道具が使われているのだろう。
「息子の名前はエリックという。生まれながらに病弱な子でね……本来ならば君に紹介したいところだが、実は1年前から病に伏している」
「ご病気なのですね。それにしても1年とは長いですね」
「この街のすべての医者に診てもらったが、原因がはっきりしないのだ。日に日に衰弱していて、多くの医者が余命は3ヵ月もないだろうと言っていた」
しかし、実際には1年以上が経過してもなんとか命をつないでいる。さっきゼアヒルトが退席したのは、弟の看病のためだということだった。
「ゼアヒルトは年の離れた弟を溺愛している。5年前に私の妻が亡くなってからは、騎士団の仕事の無いときはいつも弟の世話をしておる」
「王都の医者に診てもらってはどうですか?」
「幸いなことに、シュレヒテ家のグリゴア子爵の知己に優秀な医者がいてね……王都の医者なのだが便宜を図ってもらい、定期的にエリックを診てくれている」
「それは良かったですね。グリゴア子爵は王都の貴族なのですか?」
「いや、私と同じくオルトヴァルド辺境伯に仕えていて財務を任されている。軍務は私、内務は彼が中心に行っている」
外を眺めながら話をしていたエルガーさんが僕の方を振り向いた。
「ゼアヒルトのことをゼアと呼んでいるのだな?」
「……はい」
「正直に言うと、とても驚いたよ。娘がゼアと呼ばせているのは家族だけだ。他の誰にも一度として呼ばせたことはない」
「……」
「そして家では毎日のように君の話をしている。キマイラを討伐し、自分の命と騎士団の誇りを守ってくれたのがよほど嬉しかったのだろうな」
エルガーさんが笑顔を浮かべながらこちらに近づき、僕の対面のソファーに腰かけた。
「男っ気のないおてんば娘が男性を私に紹介したいなどと……しかも、ゼアヒルトがドレスを着るのは何年ぶりだろうか。火の月に雪が降るかと思ったぞ」
「いえ、ゼアはとても美しく魅力的な女性だと思います」
「ありがとう。迷惑かもしれんが、間違いなく娘は君に惚れている。そして私も君がとても気に入った」
「迷惑だなんてとんでもありません」
「しかし、本当に残念でならない……もう少し早く娘が君と出会っていたら……」
「どういうことでしょうか?」
エルガーさんは苦虫を噛み潰したような顔をしながら返答するのをためらっていた。しかし、意を決した面持ちで頷くと、真剣な目で僕を見ながら話を続けた。
「実はゼアヒルトはすでに求婚されている。相手はグリゴア子爵の長男ゴッドフリートだ」
「……そう……なのですか……」
「娘は……娘は一片もゴッドフリートを愛してはいない。しかし、エリックのことを考えると、この縁談を断るわけにはいかないのだ」
「王都の名医を紹介してもらっているからですね」
「ああ、シュレヒテ家の仲介がなければその医者は動かない。そうなればエリックはあっという間に病が進行して命を失ってしまうだろう。ゼアヒルトは弟のためにもこの縁談を受けるべきだと……」
沈痛な面持ちでエルガーさんは話を続けるが、彼の両手は膝の上で強く握りしめられ震えていた。
「私は……私は情けない! 娘を愛する者の下へ嫁がせてやることができない。息子の病を治してやることもできない。亡き妻に何と報告すればいいのだ……」
「……」
「ゴッドフリートにはすでに十数人もの愛妾がおり、財力にものを言わせて奴隷のように扱っているという噂だ」
「なっ! ……ゼアはそんな奴の所へ嫁ぐのですか?」
「ああ。さっき話した通り、ゼアヒルト自身が弟のためにそれを望んでいる」
ここまで話をすると、エルガーさんは下を向いてうなだれてしまった。娘と息子の両方を救ってやりたいという板挟みの状況に、精神がかなり削られているのだろう。
「弟さんは何歳ですか?」
「ゼアヒルトの9つ年下の11歳だ。エリックが重い病に伏せたのは10歳の誕生日の頃になる」
「弟さんに会わせてもらうことはできませんか?」
「それは構わないが……」
僕とエルガーさんは書斎を出てエリックの部屋に向かう。エリックの部屋は館の2階にあるゼアヒルトの部屋の隣だった。ノックをして僕たちはエリックの部屋に入った。部屋の中ではベッドに横になるエリックの額の汗を、ゼアヒルトが濡れた布で拭いている所だった。
「お父様……イオリ……エリックはようやく眠った所。眠るのが怖いって言いながら……」
エリックは眠っているが呼吸はとても苦しそうで、まるで悪夢にうなされているかのようである。エリックの髪はゼアヒルトと同じ白金色だった。しかし、病のせいか髪はくすみ身体もかなり痩せているようで、エリックの胸元に光る銀色のロケットペンダントの美しさとは対照的だった。
「そのロケットペンダントはエリックの宝物なんだ」
「すごく綺麗だね」
「10歳の誕生日プレゼント……中にはお母様の残した手紙が入っている」
亡くなる直前に、エリックの母は息子宛の手紙を書き残した。彼はそれをロケットペンダントに入れて肌身離さず大切にし、容体が落ち着いているときはよく読んでいるそうだ。
「今は王都から来て下さるお医者様だけが頼りの状況なんだ……」
そう言ってゼアヒルトはエリックの髪を撫でた。余命3か月の命と宣告されてもう1年が経つ。その医者はかなり優秀なのだろう。名医の仲介者であるシュレヒテ家の機嫌を損ねるわけにはいかない。
『伊織、これは病じゃないわよ』
『……え? アリューシャ、どういうことだい?』
『これは“呪い”ね……詳しくは宿に帰ってから話すわ。ほら、早く帰るわよ』
突然のアリューシャの言葉に僕はとても驚いた。病ではなく呪いとは一体どういうことなのか。悲しみに暮れるゼアヒルトの顔を見ながら、僕の頭の中は混乱を続けたのだった。
◇◇◇
アリューシャの言葉の意味を早く意味を知りたかった僕は、エルガーさんとゼアヒルトにお礼を言って夏の星亭に戻った。そして早速アリューシャから詳しい話を聞こうとしたのだが……
「伊織、ちょっとまって! “審判予報”が届いたわ!」
「審判予報?」
「ええ、天使たちが合議で直近の審判について予測するのよ。当然だけど、この予測はこれまで大きく外れたことはないわ」
僕とアリューシャの間にキラキラと光の粒が集まる。やがてそれは人の姿のようになり実体化した。
「お姉さま! アウリエルですわ!」
突然あらわれた可憐な少女がアリューシャに抱き着く。抱き合う2人の姿はまるで1枚の絵画のように美しかった。
「ちょ、ちょっと! 離れなさい、アウリエル!」
「ご、ごめんなさい。久しぶりなので興奮してしまいました」
天使アウリエルは目尻に涙を浮かべている。そんな彼女の頭をアリューシャは優しく撫でた。
「審判予報を持ってきてくれたのでしょう?」
「はい、お姉さま。どうぞ、ご覧ください」
そう言ってアウリエルは1枚の羊皮紙を取り出した。アリューシャはそれを食い入るように眺めると、やがてそれを僕の方へ差し出した。僕は黙ってそれを受け取り目を通す。
≪第15回審判予報≫
ゼプスナハト様による審判予定日――およそ5年後と推測される
人間族の国“グロースエールデン王国”(守護神アリューシャ)
領土 :F(6位)→ 進退両難
統治力:F(6位)→ 弱点露呈
経済力:E(5位)→ 規模縮小
軍事力:F(6位)→ 現状維持
文化力:E(5位)→ 影響低下
外交力:F(6位)↓ 窮途末路
その他:F(6位)→ 特記無し
外交について、エルフ国がグロースエールデンへの魔鉱石の輸出停止を発表。輸出再開の可能性は低く、代替の手段も現状では存在しない。近い将来に経済や軍事に影響が出ることは避けられないだろう。
また、獣人国が王国北部への侵攻を計画しており、現状の軍事力ではこれを防ぐことは不可能に近い。国王は高齢化して国の統治力と王家の威信は低下する一方で、有力な後継者は育っておらず家臣団の派閥争いも激しさを増している。
総合的に判断して、グロースエールデン王国については今回の予報でも“弱気”を継続する。(以上)
……僕が異世界に転生してもうすぐ半年がたつ。しかし状況は何も改善していなかった。アリューシャも難しい顔をしている。それとは対照的にアウリエルだけがニコニコと無邪気な笑顔を振りまいていた。




