32 幕間
火の月も終盤を迎えて、少しずつだが秋の足音が近づいているように感じる。
アイーネ邸の書斎から見下ろす庭にそそぐ太陽の光も、これまでとは違いずいぶんと和らいでいる。
いよいよ明日はべルティーナ王女殿下がSクラス昇格への挑戦のため、担任のイルメラ先生と模擬戦を行う日だ。
修練を積み重ねた今の王女殿下ならば、必ずこの試練をクリアしてSクラス昇格試験を受験できるものと確信している。
さて、書斎にいるのは僕の他にはアイーネさんとエルドウィンだけであり、読書をしながら静かな午後の時間を過ごしていた。
先日起きた騎士団の不祥事については、一時は大騒動となったのだが混乱は早々に終結した。
法務卿のバルザック伯爵が事態を重く見てすぐに動いたのだ。なんと彼自らが率先して裁判を主宰し、さらに立会人としてそれに参加した。
裁判は即日に結審し、王の盾フェリクス騎士団長には死罪が言い渡され、彼に協力した者たちにも重罰が課せられた。
王の剣イグナーツ騎士団長については一部から死罪という声もあがったものの、情状酌量の余地があるとして懲役刑に加え、騎士団員としての資格はく奪が決まった。
さらに、彼の騎士団員への復帰については法務卿の裁量で可能となり、被害者らへの弁済金は必要なものの、資産の没収はないという温情にあふれる判決となったのだ。
これは証人として出廷したヴォルフ部隊長やゼアヒルトらの証言も大いに考慮されてのことだろう。
そのヴォルフ部隊長だが、新生王都騎士団の臨時団長に指名された。
反対意見もかなりあったそうだが、法務卿だけでなく王女殿下の後押しもあり“臨時”という形で認可された。
おそらくヴォルフ部隊長も「いつの日かイグナーツ団長が戻ってくるまで」と考えているに違いない。
謹厳で誠実な彼が臨時の新団長ならば、王都騎士団が誇りと実力を取り戻す日も近いだろう。
一方、聖女ヨゼフィーヌの暗殺事件についても一応の決着を見た。
大聖堂近辺で発生した竜巻は魔道具の暴走と結論づけられ、聖女をはじめとする教会関係者や衛兵たちが多数巻き込まれて亡くなったと発表された。
突然の聖女の死という報告に王都全体が悲しみに沈み、新年を迎えるまでは国家として喪に服すことが決定した。
ただし、遺体が見つからないこともあり豪壮な葬儀は行われず、上級貴族や高位聖職者らで秘密裏に行われたらしい。
死んだことになっているヨゼフィーネは外出はできないものの、アイーネ邸で何不自由のない暮らしを送っている。
聖女という立場を離れて、一人の女の子として過ごす新鮮な日常を楽しんでいるようだ。
彼女にはしっかりと休んで身体と心の傷を癒してもらいたい。
「ヴォルフがおぬしに感謝するのも当然じゃのう。自身の命の恩人であるばかりか、イグナーツの命と名誉も救ったのじゃからのう」
眼前のソファに座るアイーネさんがこちらを見ながらニヤニヤと笑っている。
実は先日、ヴォルフ新団長が僕のもとを訪ねてきたのだ。
彼は僕の手を両手で握りしめながら謝意を示すと、「女神アリューシャ様と騎士道の精神に誓い、イオリ殿に生涯の忠誠と敬意を捧げる所存」と誓いを立ててきたのだ。
「あれはまるで臣従儀礼のようであったの」
アイーネさんは相変わらず笑みを浮かべたままだ。
当然のことだがヴォフル新団長は国王や王女殿下の忠実なる家臣だ。
しかし、騎士が複数の相手に臣従することは当然の権利として認められている。
だからアイーネさんは“臣下の儀礼”という表現をしたわけだが、僕としては彼のような篤実な人と信頼関係が築けたことが単純にうれしかった。
「それに、新しく住み着いたあの娘もおぬしに熱心なようじゃの」
僕に紅茶を差し出そうとしたエルドウィンの手がピクリと震えたように見えたのは気のせいだろうか。
「うかうかしとると、愛するご主人様の寵愛を全部持っていかれてしまうぞ。なんせ相手はあの聖女ヨゼフィーネ様じゃからのう」
アイーネさんは挑発するようにそう言うと、エルドウィンを見ながらにんまりと口の端を上げた。
それに対してエルドウィンは何も答えなかったが、アイーネさんに鋭い視線を送って部屋の温度を一気に下げた……ような気がした。
アイーネさんは寒そうに自分の腕を抱いてさすると、「じょ、冗談じゃ。ほ、本気にするでない!」と言いながら乾いた笑いを浮かべている。
そして、縋るような眼で僕を見るので助け舟を出すことにした。
「エル、今日の紅茶もおいしいね。いつもありがとう」
エルドウィンの白い左手をとってそう礼を言うと、彼女は頬を赤く染めてすぐに書斎を退出してしまった。
「た、たすかった! あのメイド、おぬしのためなら神すら殺りかねんぞ」
近くにエルドウィンがいなくなって再びアイーネさんが軽口を叩く。
するとすぐにコンコンとドアをノックする音が響き、アイーネさんが「ひいっ!」と驚きの声をあげた。
しかし、ドアを叩いたのはエルドウィンではなく別のメイドだった。
「アイーネ様、イオリ様、お客様がお見えです」
「突然の訪問とは不躾じゃのう。誰が来たのじゃ?」
「バルザック法務卿です」
前触れなしの国家の重鎮の来訪に、僕とアイーネさんは顔を見合わせて同時に首を傾けたのだった。




