夏休みの前
「夏休みは毎日、アサガオの観察日記を書いてくださいね」
いつものニコニコ顔で、担任のユキコ先生が宿題を発表します。
それを聞いて阿部くんは、心の中で「僕は知ってたぞ!」と歓声をあげました。姉や兄のいるクラスメートから「そういう宿題が出る」と事前に聞かされていたのです。
でも同時に「毎日の観察なんて嫌だなあ」と思っていたら、横から腕をチョンチョンと叩かれます。
阿部くんが振り向くと、隣の席の小笠原さんでした。
小笠原さんは、六月にクラスへ加わったばかりの転校生で、愛嬌のある女の子です。丸い顔立ちとふんわりした髪が特徴的で、明るい性格の彼女は、クラスにもすぐ馴染んでいました。
クラスの人気者と言ったら大袈裟ですが、阿部くんから見た小笠原さんは、それに近い存在です。そんな小笠原さんが隣に座っているのは、嬉しいような誇らしいような、それでいて恥ずかしいような……。ちょっと複雑な気分になるほどでした。
今も彼女は、ユキコ先生以上の笑顔を浮かべています。
いったい何がそんなに面白いのだろう? 少し不思議に思って、阿部くんは尋ねました。
「……何?」
「ねえ、阿部くん。アサガオの花言葉って、知ってる?」
「花言葉?」
「そう。はかない恋、っていうんだって」
アサガオは朝に咲いて午後しぼんでしまうから、その短い花の命が、はかなさに繋がる……。そんな説明を、彼女は少し難しい言葉で語り始めました。
なんだか百科事典を丸暗記したみたいな口調だ、と感じながらも、阿部くんは彼女の言っていることを理解します。
そもそも阿部くんにとっては『花言葉』という単語自体が初耳でしたが、これで何となく『花言葉』の定義もわかったような気になるのでした。