最悪の可能性
オーブエル・ジル・ソーラント。
ソーラント王国第三王子で愛し子の騎士でありながら、研究室から滅多に外に出ないお方。
暗くて重い感じの雰囲気の人かと思っていたけれど、目の前で微笑む彼からは、柔らかで優し気な雰囲気しか感じなかった。
常に煌めきを纏い理想の王子様を具現化したようなアルベール殿下とは違い、静かで柔和、けれどその容姿は高貴な身分を表すように凛とした美しさを持っている。今まで出会ったことがないような不思議な印象のお方だわ。
「よろしくお願いします、殿下」
「うん……ところで、一つ聞いてもいい?」
「はい、何でしょうか」
「君、さっき何か魔法を使わなかった? 一瞬君の存在が曖昧になったような気がしたんだけど」
「……え?」
存在が曖昧になった、と言われて心当たりがないわけでもない私は非常に混乱した。
その事象自体は隠匿の魔法を使えば簡単なこと。けれど、私は殿下と出会ってから一度だって魔法を使ってなどいなかった。
消えてしまいたい、とは思っていましたけれども。穴があったら入りたいとも。
「何かの勘違いでは?」
「すごく気持ちの悪い違和感だったんだ。勘違いだとは思えないんだけど……」
「気持ち悪い違和感、ですか」
言葉を反芻するだけの私に殿下が首を傾げる。私自身も訳がわからないので首を傾げる。
鏡のように二人揃って首を傾げていると、やりとりを見守っていたバルドさんが「あの」と声をかけてきた。
「その違和感なら我々も感じました。一瞬、フィーラさんの輪郭がぼやけたというか、認識が阻害されるような感覚でしたね。殿下が落ち着くよう言われた時には元に戻っていましたが」
そう言うバルドさんの後ろで他の三人も首を縦に振っていた。
こうして殿下の勘違い説が否定されてしまった以上十中八九……。
「申し訳ありません。もしかしたら私の隠匿の魔法のせいかもしれません。自分では使ったつもりが無かったのですが、慌てた拍子に、だったのかもしれません」
やってしまた、と頭を下げる。
それにしても隠匿の魔法って、目の前で発動すると気持ち悪い違和感を与えるのね。なんだかショック。
「あぁ、怒ってないから顔を上げて。ただ僕は魔法を研究しているから、見たことのない魔法に興味があって。隠匿の魔法を使う人は諜報活動をしていたり、暗部にいたり、表に出るような職には就かないから驚いたんだ」
「魔法の研究をされてるんですかぁ、へぇー」
ねぇサラッと言われたけど隠匿の魔法を使う人は表に出るような職に就かないって!? それって私かなり怪しい人っぽく見られたりしません!? どうしたらクリーンな人間アピールができるのかしら!?
内心冷や汗が止まらない私に気づかずに、オーブエル殿下は話を続ける。
「慌てた拍子で魔法が発動するなんて、相当に魔力量が多いか制御ができていないかのどちらかだけど、騎士団にいるくらいだから前者だよね。凄そうな人が近衛隊に来てくれて嬉しいよ。よかったら今度隠匿の魔法をしっかり見せてくれない? 研究に協力してくれたら有難いんだけど」
「……機会がありましたら」
すみません殿下、私きっと後者です! ただ制御ができてないだけです! 全然凄くないです!
というか私、もしかして今までも気づかないうちに隠匿の魔法を使ったりしていたのかしら?もしかして、もしかしてよ? アルベール殿下のお傍で使っていたり、してないわよね?
そう不安になった私の脳裏にイルダとの会話が過ぎった。
『良かったじゃないですか、殿下に変な令嬢として認識されていなくて。変な令嬢としてすら、でしょうか』
『変でも何でも認識されないよりはマシよぉーっ!』
……冗談じゃないわ。
アルベール殿下に気持ちの悪い違和感のある令嬢として認識されていたら最悪よ! 今までは地味でもずっと傍にいたのだから顔くらい覚えられていると思っていたのに、隠匿の魔法を使っていたなら顔も曖昧でただ気持ちの悪い誰かもわからない令嬢だわ!
私が最悪の可能性に頭を抱えたくなっていると、ドタバタと誰かが駆けてくる音が響いた。
「遅れましたぁぁぁ!」
よく伸びる声に振り向けば、茶髪で髭を生やし制服も微妙に着崩れた男性が、エドガーとジャンを置いていくように走ってきた。
後からついてくる二人が死にそうな顔をしているのを見ると、騎士寮からずっと全力疾走だったのかもしれない。
「遅すぎるぞ、アジリオ。お前はもう少し小隊長としての自覚をだな」
「あーはいはい、そういうのはいいから。お前はさっさと交代して部屋に戻っちまえ」
しっしっ、とバルドさんに片手を振った男性は、悪びれることもなく殿下に向き直った。
「殿下、多少時間を過ぎてしまいましたが、これより近衛騎士の交代を致します」
「多少?」
「だから一々うるせーんだよバルド。あっ、そういや新入りがいるって、アンタのことか」
「あっ、はい。フィーラと申します」
ぺこり、とお辞儀をすれば、男性は面倒くさそうに片手をあげた。
「俺はアジリオ。アンタの属する小隊の隊長。まぁ、適当によろしくな」
アルジオさんは私のことをまともに見ることもせず、ふらっと視線を漂わせて、肩で息をしながらやっと追い着いたエドガーとジャンを見た。
「ほら、お前ら整列」
アルジオさんがそう言うと、エドガーとジャンは殿下の前に呼吸を落ち着けながら整列する。そしてその後ろにバルドさんの小隊が並んだ。
「アンタもそこ並んで」
「はい!」
くいっと顎で指されたジャンの横に慌てて並ぶと、アルジオさんは殿下の前に一歩進み出る。
「アルベール殿下、第三王子近衛隊、これより担当小隊交代致します。ご許可を」
「許可します」
それが初仕事の、本格的な始まりを告げる合図だった。