原因は黒歴史
王宮図書館を後にし城へ戻ることとなった私達は、アルベール殿下の御一行も加わったことで、警護体制の見直しを余儀なくされていた。
簡単に言えば、警護対象であるリリアーヌ様とアルベール殿下、馬に乗れない私を一つの馬車に押し込んで、もう一つの馬車にはアルベール殿下の執事と自称馬に乗れないエレナさんが、他の騎士は全員二つの馬車を守るように馬で囲って城に帰ることになったのだ。馬車二つともに人を乗せたのは、もしも襲撃されても、二分の一の確率になるから襲撃者の戦力が避けるという理由。なんとも恐ろしい。
ちなみに、エレナさんでなく私が要人と一緒に馬車に押し込まれたのは、もしものとき隠匿の魔法をかければ、馬車から出なくてはいけなくなっても要人が騎士の中に逃げ紛れられるという理由だった。責任重大。
そんなわけでリリアーヌ様とアルベール殿下と馬車に同乗することになってしまった私は、すっごーく重い雰囲気にげっそりしていた。
リリアーヌ様はさっきから、オーブエル殿下の助言を参考に記憶を辿っているのか、ずっと瞼を閉じたまま黙っているし、アルベール殿下はそんなリリアーヌ様のことを気にしつつも、今日の自分のやらかしを思い出してか、どこか落ち込んでいるご様子。
エレナさん、是非とも席を代わってほしい。こんなにも貴女の存在を必要としているのは初めてだわ。
早く城に到着しないかな……と、私はただただ窓の外を眺めて現実逃避に徹した。
「リリアーヌ、何か思い出せそうですか?」
沈黙に耐えかねたのか、城までの道を半ほどまでいった頃、オーブエル殿下がリリアーヌ様へそう問いかけた。
リリアーヌ様はオーブエル殿下の問いかけに、瞼をあげて残念そうな表情をしながら首を横に振る。
「駄目ですわね。キアラ嬢が滞在していた時期は数日間でしたけれど、その頃はお父様がお客様を捌ききれずにお待たせさせるほど、来客が多かったんです。皆さん直接、お祝いをしたいと押しかけて来られて。普段は私も対応をお手伝いするのですけれど、その頃はちょうど馬車が暴走させられた頃で……」
「あの後では公爵がリリアーヌに来客対応をさせたがらないのもわかります。それに事件の衝撃でリリアーヌの記憶が曖昧でも仕方がありません。……しかし、そうですか。キアラ嬢が滞在していたのはちょうどあの頃だったんですね」
リリアーヌ様の手を気遣うようにそっと握りながら、アルベール殿下はしばし思案顔になり、すぐに思考を切り替えるように私へと視線を向けた。
「あの時リリアーヌを助けてくれたのは貴女でしたね」
「私は馬を止めただけですし、作戦を考えたのはアジリオさんですが。それに、私の前に立って守ってくれたエドガーがいなければ無理でしたし、リリアーヌ様を一番に気にして馬車から救出したのはジャンですよ?」
当時のことを振り返りつつ私がそう言えば、アルベール殿下は苦笑を浮かべた。
「関係者が丸々、第三王子殿下近衛隊とは。オーブエルには今度、きちんと感謝しなければいけませんね」
「そうしてください」
オーブエル殿下とアルベール殿下が歩み寄る話題の一つにでもなるのなら、あの時の私の苦労も報われるというものだろう。汗だくにはなるし、歯を食いしばる羽目になったし、疲れて情けなくへたり込んだりもした。そのうえ、馬車から出てきたのはリリアーヌ様だし、すぐに私のことを見抜かれるし、耳元で不可避の誘いを囁いていくし。
あの時はもう、ほんと、最悪な気分だったわ。
私が遠い目をして当時を思い返していると、リリアーヌ様が「そう、そうよっ!」といきなり声をあげた。
「リリアーヌ様?」
びっくりして目を丸める私の肩を、リリアーヌ様は馬車内で立ち上がってまで、ガシッとひっつかんだ。
慌てて「危ないですよ」とアルベール殿下がリリアーヌ様を座らせようとするも、リリアーヌ様は私の肩を掴んだまま興奮気味に叫ぶ。
「あなたじゃないっ! 件の外国人の正体はっ! あぁもう、男性客のことしか思い出していなかったから気が付くのが遅れてしまったわ!」
「リリアーヌ、どういうことです!?」
リリアーヌ様の言葉に、リリアーヌ様を座らせようとしていたアルベール殿下までもが私に詰め寄ってきた。圧力、圧力がやばい。
困惑する私の肩を前後に揺すりながら、リリアーヌ様はアルベール殿下に語った。
「この人ってば、私が屋敷に誘ったときに男装して来たのですっ! しかもダイアスタ家のご長男が着ていた、外国の民族衣装で、ですのよっ! 完全にクロですわ!」
「ああああああっ、そう言えばそんなこともありましたね!」
変装する意味がなかったことを悟った後は、お姉様に遊ばれた結果の黒歴史として、すっかり記憶の彼方にすっ飛ばして忘れていたわ。あの時ちょっと楽しかっただけに、無意味だったと悟った時の恥ずかしさは倍増だったのよね。
うわぁ、恥ずかしい! と顔を赤くする私に、リリアーヌ様は怒り心頭のご様子。アルベール殿下も私が原因だったとわかった以上怒ってるかも、と視線を向ければ、アルベール殿下は意味が分からないという顔をしていた。
「リリアーヌ、彼女が民族衣装を借りて男装したところで、噂になるほど完璧な美しい男になるのでしょうか?」
「あら、殿下ってば先ほど小部屋で私としたお話をお忘れなのかしら?」
首を傾げるアルベール殿下にリリアーヌ様がそう言うと、アルベール殿下は顔を青くしてすぐに両手を胸の前で振って否定する。
「まさか! リリアーヌを疑っているのではなく、私はただ、ダイアスタ令嬢は男装しても男には見えないように思っただけで! 疑っているのはどちらかと言えば目撃証言をした者達です!」
何か必死に弁明をしているけれど、リリアーヌ様は私の知らない間にアルベール殿下にいったい何を言ったのだろう。二人のパワーバランスを垣間見た気がする。やっぱりリリアーヌ様はこわい人だ。
リリアーヌ様への弁明で必死なアルベール殿下は、焦った様子で私に手を伸ばすと、私の前髪をがばっと上にあげて顔を露にしてきた。
えっ、なに!?
「ほら見てくださいリリアーヌ! 彼女はどう見ても女性の顔です! ダイアスタ家の長女は確かに男装で有名ですが、あの方は顔立ちが双子の兄と似ていたからできていたのです! けれど彼女は兄姉とはまったく似ていない顔立ちではありませんか! 彼女が男装をしても女であることはすぐにわかります!」
驚いたまま固まる私の顔を指さして、アルベール殿下がまくしたてる。
えぇ、言っていることは正しいですよ。私はお兄様とお姉様とは似ていないし、お兄様とお姉様は顔も性格もそっくりです。ですが、ねぇ。
「第一王子殿下ともあろう方が女性の髪を勝手に触ったあげく顔を指さすのはどうなんでしょうか? それとお姉様がお兄様に似ていると言うと、まるでお姉様が男顔だと揶揄しているようで不愉快ですわ。お兄様とお姉様は双子でどちらがどちらに似たということもありませんし、お姉様は化粧映えする美しいお顔立ちの素敵な女性ですわ。発言の訂正を求めます」
「あ……誠に申し訳ございませんでした。発言も撤回します」
私が努めて冷静に抗議をすると、アルベール殿下はすぐに我に返って謝罪と発言の撤回をしてくれた。そして私の顔をさしていた指を引っ込めると同時に私の前髪から手を放し、解放された前髪がバサッと私の視界を勢い良く遮っていく。
「それでよろしいのです」
前髪を直しながら私がそう言うと、今度はリリアーヌ様がつんつん、と私のほっぺをつついてきた。ばっちり装飾を施された爪の先が地味に刺さってくる。
「で、私の不名誉な噂の原因となったことへの謝罪は?」
「誠に申し訳ございませんでした。全力で噂の訂正に尽力します」
「それでよろしいのです」
にっこりと笑ったリリアーヌ様の目は、まったく笑っていなかった。そして、全身からどす黒いオーラがあふれ出ていた。超こわい。
蛇に睨まれた蛙の気分で、私はリリアーヌ様の噂の訂正のため、身を粉にして働くことになってしまったのでした。




