輪になろう
すっかりリリアーヌ様達の足音も聞こえなくなった頃、私はオーブエル殿下へと視線を向けた。
リリアーヌ様達がすごい退場の仕方をしてくれたせいか、オーブエル殿下は呆然としてはいるけれど、アルベール殿下に詰め寄られた時のように震えてはいない。
一先ずはほっと胸を撫で下ろした私の耳に、ジャンのどこかぼやっとしたままの声が届いた。
「結局、第一王子殿下は何に怒ってたんだろうね」
「…………さぁ」
ジャンもエドガーも、リリアーヌ様達が去っていった方向をじっと見つめている。
私も二人の疑問に同意して頷きつつ、ちらと横目にオーブエル殿下を見た。
「オーブエル殿下は心当たりありますか?」
「いや……僕はここから出ていないから、兄様に何かしようもないし、婚約者のリリアーヌ様ともフィーラが知る以上のことは何も無かった。だからいきなり……あんな……」
先ほどのアルベール殿下の姿を思い出したのか、オーブエル殿下はまた顔を青くして、ぎゅっと微かに震える自身の腕を抱いた。
思いっきり嫌なことを思い出させてしまったことを全力で後悔し、私は慌ててオーブエル殿下の手に自身の手を重ねる。そして武術大会の日のときのように、じっとオーブエル殿下を見つめた。
「オーブエル殿下、私が傍にいます。一人で怖がらなくて良いんですよ。不安な時や怖いときは手を繋ぎましょう。誰かの温もりを感じると、それだけで割と安心できるものです」
私も実家でお母様に怒られたときはお兄様とお姉様が手を握って一緒に怒られてくれたし、デビュタントで緊張していたときはお父様がずっと隣でエスコートしてくれた。誰かと一緒だと、それだけで精神的に救われたりするのだ。
……いや、そういえば、あの時お母様に怒られたのはお兄様とお姉様が授業をサボって私の部屋に遊びに来ていたからからだったし、デビュタントの時は最低限の挨拶以外、男性と関わることを阻止する目的でお父様がずっと私に張り付いていただけだわ。
――私、巻き込まれていただけじゃないっ!
微笑ましい家族の思い出話が何だか別のものに塗り替えられていく気がする。今まで気づかなかったなんて、私は家族に洗脳されているのかもしれない。
若干、家族のことで頭が痛くなりつつも、それらを振り切るように私は目の前の美の塊に明るく笑いかけた。
「もしアルベール殿下と顔を合わせるのも嫌なら、私がまたオーブエル殿下とアルベール殿下の間に立って壁にでも何でもなってあげます!」
私がむん、と胸を張りながらそう言えば、オーブエル殿下はやっと、ふっと気の抜けた笑みを浮かべてくれた。
「フィーラの身長だと、ちょっと壁には向かないかもね」
「はっ、確かに! じゃあアジリオさんになってもらいましょうか。どうせ暇そうにしてるだけだし」
「おいお前人聞きの悪いこと言ってんじゃねぇよ」
「事実でしかないじゃないですか」
バチバチと私とアジリオさんが睨み合い火花を散らせば、耐えきれないという風にオーブエル殿下が「ははっ」と声を上げて笑う。
それが嬉しくて私も笑えば、私達につられるようにジャンとエドガーも呆れたような笑いをこぼした。アジリオさんだけは不服そうに口を尖らせていたけれど。髭のおじさんがそれやっても可愛くないですよ。
みんなの笑いが収まったころ、ジャンが「そうだ」と声をあげた。
「母さんが昔、夜暗いのが怖くて寝れないでいたとき、楽しいことを思い出してごらんって言っていました。心が明るくなれば、恐怖はどこかへ飛んで行ってしまうんだって」
「ジャンお前……昔は可愛いところがあったんだな」
「エドガーそんなに殴られたいの? 前みたいに脇腹、いっちゃう?」
「すみませんでした」
ジャンとエドガーのしょうもないやり取りは置いておいて、私はジャンのお母さんの話について考えてみる。
楽しい思い出……私は小さい頃からお兄様とお姉様を反面教師に大人しく過ごしていたし、デビュタント後はずっとアルベール殿下に侍っていたし、楽しい思い出と言われてピンとくる昔の思い出はあまりない。
部屋で本を読むのも好きだったけど同年代の子と遊んだ経験は……あぁ、クロエとが初めてだったわ。あとは降臨祭の日にエドガーと出かけたり。第三王子殿下近衛隊の仕事中に、みんなと「暇だなぁ」って話をするのも、何気に楽しかったわね。あとはやっぱり、オーブエル殿下と一緒に本を読んだり、それについて話すことが楽しかった。
こう思い返してみると、私の楽しい思い出というのは、王宮に来てからの方が圧倒的に多いのね。思い切ってこの場所に来て、沢山の人に出会えて、私は本当に幸せだわ。
……それなら、幼い頃からずっと最低限の人としか関わらないまま、この場所に留まり続けている殿下はどうなんだろう。親兄弟とも疎遠で、私が来るまで本のことで話す相手すらいないまま、ずっと、ひとりだったこの人は。
「オーブエル殿下は……何が楽しかったですか? 何が嬉しかったですか? どんな思い出がありますか?」
少し不安になりながらもそう聞けば、オーブエル殿下は考えるように瞼を閉じて、そしてふっと口元を緩ませた。
「とても昔……母様に抱えられて馬に乗ったことがあったんだ。高いところから見る景色は壮観で、後ろからは母様の優しい声と温もりを感じて。今ではもう霞がかった思い出だけど、あれはきっと、楽しかった」
優しい表情を見せるオーブエル殿下は、穏やかで、幸せそうで、今でもお母様のことが大好きなんだと伝わってきた。でも、今ではもう会えない人との思い出だからか、その笑顔には僅かに哀愁が滲んでいる。
だから私は、失礼かもしれないし、酷なことかもしれないけれど、言わずにはいられなかった。
「私、今日ここに来る途中で、乗馬を習う必要性を痛感していたんですよ。だから、私が馬に乗れるようになったら、みんなで一緒に景色のいい場所にでも行きましょう。オーブエル殿下が馬に乗れなくても、エドガーにジャンにアジリオさん、オーブエル殿下のことを一緒に乗せてくれる人はいますから!」
私の言葉にオーブエル殿下だけじゃなくて、他の三人も息をのんだのがわかった。
オーブエル殿下は外に出られない。そんなわかりきっていることを無視した提案に戸惑うのは当然だ。
もしかしたら怒られるかもなぁ、とは思いつつも、私は言葉を撤回しない。だって、私はオーブエル殿下にいつまでも遠い思い出だけ抱えてひとりでなんていてほしくないから。遠い未来のことだとしても、ひとりで抱えるだけじゃない、みんなで共有できる思い出を、私はオーブエル殿下に作ってほしいし、そんな未来もいいかもしれないって思ってほしい。
でもやっぱり、好きな人に嫌われるのは怖いので、私はちょっとばかり情けないとは思いつつもオーブエル殿下に聞いてみる。
「……オーブエル殿下、嫌ですか?」
まっすぐにオーブエル殿下を見られないまま私が聞くと、オーブエル殿下は抑揚のない声で言った。
「うん、嫌だな」
「…………」
ショックすぎて言葉も出ずただ俯く私に、オーブエル殿下は「ふぅっ」と息を吐く。溜息までつかれた、とダメージ倍増でメンタル崩壊寸前の私にオーブエル殿下は一歩近づくと、後悔からぎゅっと握りしめいた私の手を優しくとった。
「そこは、フィーラが乗せてくれるって言ってくれなきゃ。フィーラは僕のことを連れて行ってくれないの?」
そう言って私を安心させるように柔らかい笑顔を浮かべたオーブエル殿下に、私は目の奥が熱くなるのを感じながら、精一杯の笑顔を浮かべた。
「まだ一人でも馬に乗れない私に連れて行ってほしいなんて、中々にチャレンジャーですねっ! もしくは私に人を乗せても問題ないくらいの馬術を身に着けろと、高いハードルを押し付けてきてるんですか?」
「僕はただ、どうせ乗るならフィーラと一緒がいいってだけだよ。頑張るのは僕じゃなくてフィーラだしね」
「……いじわるですね」
少し鼻声になりながら文句を言った私に、オーブエル殿下はただ黙って笑ったまま、繋いだ手をぎゅっと固く結んだ。
そのぬくもりが嬉しくて、優しくて、どうにかなってしまいそうで。私は誤魔化すようにぱっとエドガーの方を見て、空いた片手で手招きをした。
「ほら、エドガーも! それでエドガーはジャンと、ジャンはアジリオさんと、アジリオさんは……オーブエル殿下が嫌かもしれないですけど、オーブエル殿下と手を繋ぎましょう!」
ほれほれ、と手を振る私に、エドガーとジャンは苦笑を浮かべ、アジリオさんは眉間に皺を寄せる。
「えぇ、なんだそれ」
「フィーラは変なことを考えるなぁ」
「おい、殿下が嫌かもってどういうことだコラ」
「こんなおじさんと手を繋ぐのは誰だって嫌でしょ」
「じゃあおじさんは遠慮しといてやるよ」
「だめです。みんな一緒でないと意味がありません」
ぶーぶー言いつつ、全員が言われた通りに手を繋げば、私達五人は小さな輪になった。
私はぐるりと輪をつくる一人ひとりを見つめながら約束を口にする。
「約束です。絶対、全員一緒に、いつか馬に乗って景色の良い場所へ出かけましょうっ! お弁当も持って行って、ピクニックなんかもしながら、楽しい思い出をつくるんです!」
「うん」
「あぁ」
「約束だね」
「しゃーねぇなぁ」
輪になって約束を交わした私達は、繋いだ手の温かさを感じたまま、いつかの未来へ思いをはせて笑い合った。
たとえどれだけ先になっても、この約束が、願いが、叶いますように――……。
前話と今話は一緒に投稿したかったので、少し量が多いですが同時投稿させてもらいました。
あっちとこっちの話が片付いたので後は合流するだけ!なのですが、次回はエドガー視点のお話だと予告しておきます。今回の話の裏で彼が何を思っていたのか、来週の更新を楽しみにお待ちいただければ幸いです。




