話が通じない相手を黙らせる方法(激ダメージ)
浴場でエレナさんを捕獲した私は、逃げようとする彼女の腕をがっしりとホールドしたまま、二階の自室へと連行した。私の部屋は騎士寮の中でも団長さんのお墨付きな高いセキュリティを誇っている。内緒話をするにはもってこいなのだ。
今まで誰も部屋に招いたことがなかったから来客用の椅子のひとつもないけれど、私がベッドにでも座ればいいかと、腕を解放したエレナさんに椅子を勧める。
「おもてなしの一つもできないけれど、取り敢えずはその椅子にどうぞ」
エレナさんは勧めた椅子を一睨みしてから、私に訝しげな視線をよこした。
「あんた、いきなり部屋に連れ込んだりして、一体何を企んでいるわけ?」
うわぁ、警戒心剥き出し。警戒されるようなことをした自覚はあるけど。
ガルルルル、と威嚇をする子犬のようなエレナさんに苦笑を漏らしながら私はベッドに腰かけた。浴場から出る時にいつも通りに下げていた前髪を横に流して、平民の間ではまず見ない色の瞳をエレナさんに向ける。
「さっきも言ったでしょう? 少しお話しをさせて欲しいだけです。この瞳も関係のあることで。だから、座ってくれませんか?」
私の言葉にエレナさんは少しムッとしながらも椅子に座ってくれた。そして腕を組んで、顎だけをクイッと動かして無言で話を始めろと促してくる。随分と尊大な態度だけれど、私は話を聞いてもらって、お願いをする立場なのだ。少しくらいは我慢しよう。
「簡単に言うと、私、正確にはフィーラじゃないんです」
「……はぁ?」
何言ってんだこいつ、みたいな表情のエレナさんに、私は一度ベッドから立ち上がると、浴場から出た後から着ていたワンピースの裾をちょこんと掴んで、背筋をすっと伸ばして完璧なカーテシーをする。
「改めまして私、ダイアスタ伯爵が次女、フィリーレラ・シル・ダイアスタと申します。フィーラは私の愛称なんです」
正式に名乗り面を上げると、視界に映ったのは、大きく目を見開いて固まっているエレナさんの姿だった。
やがて状況が読み込めない、というように口元に手を添えて、事実を確認するように私に問う。
「あんたは、あなた、は、貴族なの? 隊長や公女様と同じ、高貴な存在?」
「高貴な存在、という表現はあまり好きではないけれど、純粋な貴族ではあります。この瞳はお母様譲りなのですが、この国では恐らくお母様の血族以外にはない色の瞳で、要らぬ誤解を生まないためにも普段は前髪で隠していたんです」
私の説明を聞いたエレナさんは、ぐっと眉間に皺を寄せて口を一文字に結んでしまう。膝の上で握りしめられた両手は微かに震えていて、少しばかりの罪悪感と未来への不安が胸に溢れる。
知らなかったとはいえ、平民でありながらエレナさんは貴族の私に敵意を向け、馬車に乗るときなどは故意に肩をぶつけてきたりもした。立派な不敬罪だ。もし私が訴えでもすれば、確実に騎士の職を失って路頭に迷うことになるだろう。
もちろん私は訴えることなどしないし、そもそも身分を隠していた私が悪いのは自明である。でも、世の中には知らなかったでは済まさない人間がいて、その一番身近な例を挙げればお父様だったりするわけで。お父様が私に対するエレナさんの言動を知ったその日には、確実に王宮裁判所に即刻訴える。そして私が止めようが関係なく、ありとあらゆるコネと財力を使って、エレナさんの未来を絶望的で最悪なものに叩き落すでしょう。
……絶対、お父様には知られないようにしないと。
そんなことを考えていた私と、俯いたままのエレナさん。部屋の中に重く落ちた沈黙を破ったのは、酷く乾いた笑い声だった。
「……ははっ」
肩を震わせながら笑い声を零したエレナさんは、やがてゆっくりと顔をあげた。自嘲的な笑みを浮かべながら、けれどその瞳には私への強い敵意の炎が宿っている。
思わず後退ろうと足が動いて、ベッドにぶつかり、私はカクンと膝からベッドへ座り込んだ。
エレナさんはバッと立ち上がると、そんな私に大股で詰め寄ってきた。そして私を見下ろすような形で、静かに淡々と、言葉を吐き出す。
「それで? なんの理由があってか知らないけど、わざわざ隠していたことを私に話した理由は? まさか瞳を見られたから、だけじゃないでしょ。適当に嘘でもついて流せばよかっただけのことじゃない。まして私はあんたを嫌ってるんだもの。貴族であるあんたに無礼を働いた私を罪にでも問おうってわけ?」
そう言うエレナさんの瞳には、嫌いな私に負けたくないという、いつもの彼女と変わらないものがぎらついて見えて、詰め寄られているのに何故か、私の心は安堵してしまった。
――あぁ、この人は強い。どこまでもまっすぐに、意思が、心が強い。少し羨ましいほどに。
「私が貴女に願うのは、ただ私に平和をもたらしてほしいということだけです。リリアーヌ様に関わるたびに敵意を向けられたり張り合われたり、そういうの、いい加減にやめて欲しいんです」
「それはあんたには叶わないから公女様の一番の騎士の座を諦めろということっ!?」
……ちょっと熱量の方向性がおかしいとは思うけれど。うん。
「まさか自分は素性を隠した状態でもリリアーヌ様に選ばれるほど優秀なうえ、血筋も良いから私なんか相手にもならないと言いたいわけ!? 私を馬鹿にしたかったの!? 私は誰に何と言われようと公女様の一番の騎士になるんだからっ!」
「リリアーヌ様の一番の騎士が誰とか死ぬほどどうでもいいです」
「順位すら気にかけてないと!? 自分はもう公女様の唯一無二の騎士だと言いたいの!?」
「あぁもう話が通じない」
何なのこの人、何でこんなにリリアーヌ様への好意が振り切れてるの。どうでもいいけど私を巻き込まないでよ。
思い込みの激しいエレナさんに溜息を吐いて片手でこめかみを抑える。
「そもそもですね、私はリリアーヌ様の騎士でいたいわけじゃないんですよ。私は前の所属の、第三王子殿下近衛隊に戻りたい。さっさとリリアーヌ様の近衛隊をやめたいんです」
「はぁ!? あんたあれだけ公女様に重用されておいて公女様の近衛隊をやめたいとか冗談言ってんじゃないわよ、恩知らずの恥知らずなわけ!?」
「……もうほんとこの人やだ」
何を言っても通じない気がする。話が進まないどころか一方的に喧嘩を始められそうなんですけど。通訳が欲しい、切実に。
「あんなに素敵な方の一番傍でお仕えできるのにやめたいだなんて信じられないわ! そうやって私を言いくるめてライバルを減らそうって魂胆なんでしょ! いかにも腹黒い貴族って感じだわ!」
「腹黒いのはリリアーヌ様の方じゃない! 何度私がリリアーヌ様に恥ずかしい目にあわされたことか!」
「何よあんた公女様のことを侮辱するわけ!?」
「っああぁっ、もうっ! うるさい! 私は第三王子殿下近衛隊に戻りたいって言ってるでしょ! 耳ついてるわけ!?」
「公女様ほどの方に重用されている現状を捨ててでも元の所属に戻る意味なんてないじゃない!」
「――私はっ、オーブエル殿下が好きなのよおぉっ!」
「…………は?」
「…………はっ」
私今、何を叫んだ? 大声で何を言ってしまった?
……あああああああ恥ずかしすぎて死ねるっ! 穴があったら入りたい! むしろ今すぐ隠匿の魔法で消えてしまおう!




