不本意な邂逅inお風呂
王宮図書館から城に戻るまでの間、また冷戦でも始まるのかと警戒していた私をよそに、馬車内は何事もなく平和そのものだった。
エレナさんはどこか上の空といった感じで私に視線を向けることは一度もなく、肩透かしを食らった気分だ。リリアーヌ様は相変わらずの腹の内が読めない笑顔をしていたし、ベッタはわざわざ自分からエレナさんに喧嘩を吹っ掛けるような子でもないので、ずっと黙ったまま私にくっついていた。肩が触れ合うくらい近かった。ベッタなりにエレナさんを警戒してのことなのかもしれないけれど、窮屈だから次からはもうちょっと離れてほしい。
城に到着してリリアーヌ様の私室に戻ってからも、ずっとエレナさんは心ここにあらずな様子で、私達の小隊がリリアーヌ様の私室内の警護を任されてもいつものように睨んでくることもなかった。私がオーブエル殿下と話をしている間に一体何があったのかしら?
多少気にはなったけれど、平和ならそれでいいかと特に深掘りすることもなく。その日はリリアーヌ様の近衛隊配属以来、最もストレスフリーに仕事を終えることができた。
――そんなわけで少し、浮かれていたんだと思う。
ここのところ一番軽い足取りで騎士寮に戻った私は、いつもは少し部屋で休んでから行く浴場に足早に向かった。
浴場の扉の前で様子を見ると、ちょうど男性と女性の交代時間に差し掛かる頃だったからか、ぎりぎりまでお風呂に入っていた男性騎士達がびしょ濡れの髪のまま浴場から慌てて出てくる。ひどい人はズボンしか穿いていない状態で首にタオルをひっかけただけの恰好だ。
ちょっと前の私なら顔を覆って全力で恥ずかしがっていたのだろうけれど、悲しいかな今はもう慣れてしまってこの程度では顔が赤らむこともない。何せここは男だらけの騎士寮である。自主訓練後に庭で水浴びをしている人なんてしょっちゅういるし、夜ご飯を食べに食堂へ行ったら酔っ払いたちが服を脱ぎ捨てて大騒ぎをしていたこともあった。
騎士寮に来てから私の乙女としての大事な部分がゴリゴリ削られていっている気がする。伯爵令嬢としてこれでいいのだろうかとも思うけど、もう手遅れなので仕方がない。娘が男のあられもない姿を見慣れてしまっているなんてお父様には絶対に言えないわね。泣かれるわ。
誰も出てこなくなった頃、浴場の扉を開けて人がいないことを確認して中へと入る。
大きな浴場を独り占めできるというのは中々に気分がい。伯爵家ではお風呂も侍女が世話をしてくれていたから、一人きりでお風呂に入るのは解放感があって好きなのよね。
数時間おきに男女交代制の騎士寮の浴場は、騎士達が不規則な生活を送っているせいか一日中開いている。だからか、七人しかいない女性騎士はそれぞれにお風呂に入るタイミングが完全にずれていて、私は未だに浴場で他の女性騎士に会ったことはない。ダリアさんなんかは仕事終わりにそのまま食堂で夜遅くまで酒盛りをしているらしいし。
今日も誰とも会うことはないだろうという先入観のもと、私はのびのびとお風呂に入る。普段は瞳の色を誤魔化すために下げっぱなしの前髪も髪を洗ったときに上げて視界良好な状態だ。
湯舟の中で足を伸ばして疲れた身体を癒していると、不意に浴場の扉が開き誰かが入ってくる音がした。
ここで誰かと会うなんて珍しいこともあるんだな、と思って後ろを振り返るのと同時に、湯気の向こうから同じことを思ったらしい女性が声を発した。
「この時間に先客……?」
少し警戒するような声音に、まだ男性騎士がいるのかと不安になったのではと思った私は、女であることをアピールするためにも挨拶をしておこうと湯気の向こうの彼女に声をかけた。
「お先にお風呂いただいています」
「あ……お邪魔します」
私の声を聞いて安心したらしい彼女はゆっくりと湯気の向こうから姿を現し……驚いたように僅かに目を見開く。一方の私も、内心「げぇっ」と思ったのが顔に出そうになって、顔が引きつった。
「……こんばんは、エレナさん」
「…………」
よりにもよって二人っきりで会いたくない人ナンバーワンに出くわしてしまったわ。
シーン、と浴場に静寂が訪れる。きっとエレナさんも私に出くわすとは思っていなかったんでしょうね。この嫌に静まり返った状態では寛ぐこともできない。
仕方がないからもう出よう、と私が湯舟から立ち上がると、エレナさんがハッとして口を開いた。
「あの、どなたですか?」
「…………は?」
ドナタデスカ? それ、私に言ったの? 毎日散々睨みつけてきている私に?
「ふざけてます?」
首を傾げながら聞くと、エレナさんもまた首を傾げる。
「え、すみません前に会ったことありましたっけ? 騎士の方ですか? それとも女性騎士の誰かのお友達とか? ま、まさか、男性騎士の方に御用があったとか――!?」
「私フィーラですっ!」
変な方向に妄想し始めたエレナさんの言葉を遮るように叫ぶと、エレナさんは本気で私だとわかっていなかったらしく、ぽっかーんと鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして……
「はあああああああああっ!?」
浴場中に響き渡る声で叫んだ。めっちゃ反響して耳が痛い。
「ちょ、何なんですか本当に」
「何なんだはこっちの台詞よっ! あんた、普段は顔も碌に見えない地味な恰好してるくせに、実はそんな顔していたわけ!? 何よそのきらっきらな瞳は!? 前髪ごしにはただの赤みがかった茶色に見えたのに!」
「え、あ……」
そう言えば一人だと思っていつも通りに前髪上げていたんだった。
ビシッと私のローズピンクの瞳を指さしながら叫ぶエレナさんに私はどうしたものかと思案する。
この人面倒くさいし、もう本当のことを言っちゃおうかしら? そうすれば少しは私への当たりがマシになるかもしれないし。権力を振りかざすみたいで少し嫌だけど、エドガーにも心配をかけているし、この際使えるものは使ってしまおうかしら……うん、そうしよう。
湯船から上がってゆっくりとエレナさんに近づいた私は、にっこりと秘儀・貴族スマイルを浮かべてエレナさんの肩に手を置いた。
「エレナさん、少しお話をしましょうか」
「ちょっとあんた顔が怖いんだけど……」
「こわくないこわくない」
なーんにもこわくない。




