エドガー、震える
オーブエル殿下との話を終えて部屋を出ると、そこにはもうリリアーヌ様の近衞隊は一人もいなかった。リリアーヌ様は先に馬車に戻ると言っていたし、私も早く合流しなくちゃ。
第三王子殿下近衛隊のみんなに軽く挨拶だけしてくるりと身を翻すと、背後から焦ったように「待って!」と声がかけられた。
何事かと振り返れば、片手をこちらに伸ばしたエドガーが気まずそうに視線を泳がせる。
「どうかした?」
首を傾げながらそう聞くも、何やらエドガーは言葉が出てこないのか口を開けたまま答えてくれない。
「エドガー、しっかり!」
「ぐふっ」
エドガーの横にいたジャンがエドガーの脇腹に肘をドスッと叩き込むと、割とクリティカルヒットしたらしく、エドガーが変な声をあげながら脇腹をおさえてよろよろと膝を折った。
「え、ちょっと、大丈夫?」
「ごめんやりすぎた!?」
「おー、すげえ痛そう」
呑気なアジリオさんは放っておいて、ぷるぷると小刻みに震えるエドガーに駆け寄る。ジャンは顔を青くしながらおろおろと右往左往していて役に立ちそうにない。私が何とかしなければ。
痛みに震える肩に手を置きながら、俯いてしまっているエドガーの顔を覗き込む。
「エドガー大丈夫? 医務室に行く? 立てなさそうならここにお医者様を呼んだ方が良いかしら?」
「……、……」
視線が合ったエドガーは痛すぎて言葉が出せないみたいで、私の事を見ながらぱくぱくと口を開閉した。
「やっぱりお医者様を呼んだ方が良いみたいね」
「うーんと、その前に一回フィーラが離れてあげた方が良いと思うよ?」
「え、私何かまずいことしたかしら!?」
怪我人の扱いなんて分からないから何かやらかしてしまったのかもしれない。慌ててエドガーから離れようとすると、パシッと引き留めるように左手がエドガーに掴まれた。
「エドガー?」
私の手を掴んだまま数秒黙った後、エドガーは真っ直ぐに私を見上げて口を開いた。
「……送っていく」
「……は?」
私を? どこに? 医務室に送っていってほしいの間違い?
頭に疑問符をいっぱい浮かべる私に、ジャンが苦笑しながら補足してくれる。
「エドガーはフィーラを馬車まで送って行きたいみたいだよ」
「いや、どう考えても今は休むべきでしょ。よろよろしてるじゃない」
「まぁまぁ、本人が望んでるんだから送られてあげなよ。エドガーは脇腹に肘がちょっとめりこんだくらいで医者の世話になるほど軟くないんだよ」
「めりこませたのジャンじゃない……」
困惑しながらエドガーに視線を向けると、エドガーは私の手を掴んだままよろよろと立ち上がった。
「……俺は大丈夫だから」
「顔引きつってるわよ」
私としては大人しくしていてほしいけれど、エドガーは何故か引き下がってくれない。引きつった笑顔を浮かべるエドガーに溜息を吐きながら、もうさっさと送られてエドガーに休んでもらおうと私は決めた。
脇腹を気にしてゆっくりとした足取りのエドガーに合わせながら廊下を並んで歩いていく。
そう言えばエドガーとこうして二人きりで歩くのは降臨祭以来だなぁなんて、ぼんやりと思い返していると、ずっと黙ったまま隣を歩いていたエドガーがぽつりと呟くように言った。
「フィーラは今の隊で上手くやれてるのか?」
「…………」
どう答えるべきなんだろう。私は今の隊でも仲良く話せる人はいるし、リリアーヌ様にも概ね良くしてもらっている。まぁ、そのせいで全力で嫌ってくる相手はいるし、隊が二分されたような嫌な雰囲気があるのも事実だけれど。
私が返事に困って視線を彷徨わせると、エドガーは真剣な表情で拳を握り締めた。
「さっき、フィーラがリリアーヌ様に連れられて殿下の研究室に入って行ったとき、凄い形相でフィーラの事を見てた騎士がいた。ちょっと複雑な状況だって言ってる人もいたし……もしかしてフィーラが悪い立場に置かれているんじゃないかって思って、不安なんだ」
「あぁ、そうだったのね」
確かに私に対するエレナさんの憎悪というか、嫉妬というか、あれは傍から見たら完全にやばいわよね。私もたまに殺意かと思っちゃうくらい、視線に籠ってる念が凄まじい。
「あの人と上手くいってない……というか、一方的に嫌われているのは事実だけど」
「やっぱり何かされたのか!?」
若干私の言葉を遮るようにエドガーが声をあげる。瞳には明確な怒りを滲ませて、握りしめた拳を震わせて、今にでもエレナさんに向かって剣を持って走りだしそうな勢いだ。
そんなエドガーの様子に、私は慌てて言葉を続ける。
「でも何もされてないから! 実害は皆無なの! あの人はちょっとリリアーヌ様への憧れが強すぎて、リリアーヌ様に私が話しかけられたりするだけでも睨んでくるけど、それだけなのよ! こっちが気にしなければ一切問題ないから!」
心配してくれるのは有り難いけれど、物騒なことは御免です!
必死になってエレナさんの無害っぷりをアピールする私に、エドガーは渋々といった様子ながらも納得はしてくれたようで、体から力を抜いて冷静になってくれた。
「本当に大丈夫よ。あの人、確かに厄介ではあるけど根は真っ直ぐな人だと思うの。だから何かしてくるようなことは無いと思うわ」
「フィーラがそこまで言うなら。でも、もし何かされたら直ぐに言ってほしい。俺は、フィーラのことが……」
そこで一度言葉を切ったエドガーは、切実さを感じさせる声音で絞り出すように言葉を続けた。
「……心配なんだ、すごく」
苦し気に瞳を伏せるエドガーに、何だかとても申し訳ない気分になる。
私はちゃんとした騎士じゃないし、使える魔法だって大したことないもので、他者から自分の身を守ることすら危ういような人間だ。それがきっと、同僚として近くにいたエドガーのことを不安にさせる要因になっているのかもしれない。
私は、どれだけ私の周りの優しい人達に心労を与えているのかしら。少しでも私のことで感じる重荷を減らすために、私には何ができるのだろう。
「エドガー、心配させてごめんなさい。それと、ありがとう」
「……あぁ」
少し覇気のないエドガーの声を聴きながら、せめてエレナさんのことだけでも早く解決しなきゃと、強くそう決意した。




