エレナと憧れの公女様
※エレナ視点
最初に会った日から、フィーラという女は気に食わない相手だった。
地味で目立たなくて特別優秀なわけでもない。なのに美人で優雅で聡明な公女様に目をかけられて、近衛騎士の中で一番公女様と距離が近い。
今日もまた……
「殿下、申し訳ありませんが私は現在複雑な立場ですので、面会の場に騎士を一名同席させることをお許しいただけないでしょうか?」
第三王子殿下のもとを訪れた公女様は、そう言ってフィーラの手を引いて隣に立たせた。
どうして? 他にも騎士はいるし、いくらフィーラが第三王子殿下の元近衛だとしても貴族と王族のお二人と同じ空間に立つなら、貴族でもある隊長の方が適任じゃない!
第三王子殿下が許可をすると、公女様は私には一度も向けたことがないような親しみ深い笑みをフィーラに向ける。
「ありがとうございます、殿下。フィーラ、せっかく殿下がお許しくださったのだから、ね?」
そう言ってまるで友人のように肩を抱いて部屋の中へ入っていく。
なぜフィーラなのですか? 私の方がずっとずっと貴女をお慕いしているのに。
――私じゃあいけないのですか?
「公女様っ」
縋るようにかけた声も届かないまま無常に扉は閉まっていく。握りしめた拳が震えた。
「エレナちゃん……」
扉の前で立ちすくむ私にノーラが恐る恐る声をかけてきた。この子はいつもおろおろしてて小心者で泣き虫で……一緒にいると私がちゃんとしなきゃって思えてくる。今だって、ショックなのは私のはずなのに、ノーラの方が泣きそうな顔をしているじゃない。
「あんたが泣きそうでどうするのよ、もう」
「ご、ごめんねぇぇぇ」
「怒ってないから泣かないでちょうだいっ」
ぼろぼろと涙を零しながら謝り続けるノーラの顔をハンカチで拭っていると、後ろから気まずそうに「ごほんっ」と咳払いが聞こえてきた。
「あぁー……これどういう状況?」
私たち二人を指さしてそう言ったのは第三王子殿下近衞隊の……一番おじさんっぽい人。全体的にゆるい空気を纏っていて下っ端臭がする。なんか髭も生えてるし。
「今うちの近衞隊はちょっと複雑な状況ってことさ。今度良い酒でも奢ってくれるってんなら、つまみ代わりに話してやるけど?」
「純粋に心配してやってる人間に奢らせようとすんな、ダリア」
髭のおじさんと副隊長は仲が良いのか、砕けた口調で話している。こうして見ていると、二人の雰囲気は似ている気がする。へらっとした笑い方とか、ちょっと枯れた感じとか。お酒の話ばっかりしてるし。
ここまで雰囲気が似るなんて、もしかして……。
「恋人同士? むしろ夫婦?」
思ったことを口にすると二人は瞬間、くわっと目を開いて憤慨した様子で叫んだ。
「「こんなやつと一緒になってたまるかっ!」」
「息ぴったりじゃない……」
さっきまであんなに仲が良さそうに話していたのに、どうしてそこまで強固に否定するのかしら。公女様と第一王子殿下みたいに、素敵な相手と一緒になれるのは幸せなことだと思うのだけれど……。
「あのねぇ、あんたは知らないんだろうけど、こいつは本当に碌でもない男なんだよ? 若い頃はそりゃあ切れ者だ有望株だともてはやされてたけど、不真面目だし思ったことは直ぐに口にするしやる気を出すのなんて金が絡んだ時だけ! しかも脳みそが酒に浸っていて毎日酒瓶に囲まれているような奴なんだよ!?」
「てめぇ言ったな!? じゃあ俺も言うけどよ、こいつは自分が面白いと思うことが一番でしょっちゅう人を玩具にしやがる! 勤務中はまともに見えるかもしれないが、わざと状況を複雑にするために口を閉じていたり手を出さなかったりしてるし自分勝手なんだよ! あと人のこと言えないくらいこいつも酒に溺れているからな!? 俺は未だに楽しみにしていた年代物のワインを一口とか言って全部飲まれたのを忘れていないからな!」
どっちも碌でもない酒飲みじゃない……。
年長組のくだらない暴露大会を聞き流して周囲を見ると、全員がそれぞれに呆れたような表情を浮かべて酒飲み二人を見ていた。フィーラ以上に対立することが多いアデリーナまで珍しく同意見らしく、眉間にしわを寄せて微妙な顔をしている。
私はアデリーナがまっすぐな人間だということも、私がそんなアデリーナに嫌われるくらい間違っていることもわかっている。わかっているけど、どうしようもないのよ。
だって私はずっと公女様に憧れてきた。まだ公女様が第一王子殿下の婚約者になる前、城の夜会の警備のとき初めて見かけてから。優雅で美しくて、けれど他の貴族と渡り合うときは凛々しくて、まさに女神様のようだった。守られるだけのか弱い女性でも、侍るだけの飾りのような女性でもないその姿に魅入られて、私は少しでも近づきたいと強く思ったのよ。
なのに公女様の近衞になれたと思ったら、公女様はフィーラばかり。私と同じ平民で、私より遥かにぱっとしないあの子ばかり。
公女様が馬車が暴走した一件を収めたフィーラを可愛がるのは理解できないわけでもないけれど、あの公女様に重用されているのにまったく嬉しそうでもなければ忠誠心が強いわけでもない、フィーラのあの態度はどうしても私には理解できないし認められない。
私の方が公女様が好きなのに、私の方が公女様のお役に立てるのに、公女様の目にはフィーラばかりが映っている。
……たとえ間違っているとしても、我慢なんてできるわけがないじゃない。ただ一度の功績があるかの違いだけで、見向きもしてもらえないなんて不公平だもの。
「公女様が私のことを見てくれたら良いのに……」
不満のような、願いのような言葉を呟きながら公女様と私を隔てる扉を見上げる。
公女様を追ってやっとここまで来れたのに、昔よりずっと公女様を遠く感じてしまうのは何故なの? 本当はもっと、そばに行けるはずなのに……。
「公女様……リリアーヌさま……」
扉に手をついて深い海のような哀しみに沈んでいると、私を哀しみへ縛り付ける鎖を解くように扉が開き――目の前に焦がれてやまない公女様が現れた。
そして正面にいた私に少し驚いたように目を丸くした後、公女様は温かく美しい微笑みを私に向けてくる。
「丁度よかった。ねぇエレナ、私と少しお話をしましょうか」
「――へ?」




