誰よりもあなたを
王宮図書館の前で馬車を降りると、入り口までリリアーヌ様を出迎えにエドガーがやって来ていた。
エドガーはリリアーヌ様に挨拶をした後、ちらと後ろに控えていた私の方へ視線を向けると、ひらりと控えめに手を振ってくる。そんなに長い間会えていなかったわけではないのだけれど、あまりに嬉しそうに笑むものだから私までつられて笑顔になった。エレナさんのせいでかかりまくっていたストレスが和らいでいくわ……。
歩き慣れた王宮図書館の廊下をリリアーヌ様の後について進みオーブエル殿下の研究室の前まで行くと、ジャンが恭しく礼を取る間にアジリオさんが締め切られていた研究室の扉をノックしオーブエル殿下に声をかける。
「オーブエル殿下、シャーディヨンご令嬢がお見えです」
「わかった」
返事が響くなり研究室の扉が内側から開かれ、オーブエル殿下自らが姿を現した。
最後に見た時から変わりなく艶やかな黒髪はさらりと流れ、白い肌は陰りもなく。リリアーヌ様を捉えた青色の瞳は湖のように澄んでいて、いつもより少しだけ堅苦しい衣装はオーブエル殿下の優し気な雰囲気の中に威厳を滲まさせている。
――あぁ、今日も美しすぎる……っ! 毎日見ていても耐性ができないほど美しいのに、暫くお目にかかっていなかったせいか破壊力が凄まじく感じるわっ! 眩しいっ! 目がっ!
なんて私が心の中でギャーギャー言ってる間に、リリアーヌ様はオーブエル殿下にそれはもう完璧なカーテシーで挨拶をした。
「お初にお目にかかります、オーブエル殿下。私はシャーディヨン公爵家が息女、リリアーヌ・デーク・シャーディヨンと申します。この度は急な面会のお願いに応じていただき、誠にありがとうございます」
「こちらこそ、第一王子妃となられる方にお会いできて光栄です。個人的な研究室故、散らかっていて申し訳ないですが、どうぞお入りください」
オーブエル殿下が研究室の扉を開け放ってリリアーヌ様を促すと、リリアーヌ様はくるりと背後に控えていた騎士達の方を向き、迷うことなく私の手を引いて隣に立たせた。
「殿下、申し訳ありませんが私は現在複雑な立場ですので、面会の場に騎士を一名同席させることをお許しいただけないでしょうか?」
「リ、リリアーヌ様っ!?」
この人はまたどういうつもりでこんな余計なことをっ!?
突然引っ張り出されてきた私に、同僚やら元同僚やらの視線が突き刺さる。恥ずかしくなってリリアーヌ様に恨みがましい目を向ければ、何故かどやぁっと、まるで自分が褒められるべき感謝されるべきことをしたかのような表情で私に笑顔を向けてきた。
どうしよう、この女張り倒したい!
「……構いませんよ」
その声に正面を向けば、青の瞳を優し気に細めてオーブエル殿下が私を見つめていた。ひどく懐かしむような、慈しむような視線がこそばゆくて、私はじわりと熱を持った頬を隠すように下を向く。
「ありがとうございます、殿下。フィーラ、せっかく殿下がお許しくださったのだから、ね?」
畳みかけるように肩を抱いてそう言ってくるリリアーヌ様に、私はもう降参とばかりに小さく頷いた。
「では、失礼いたします」
私の肩を逃がさないようにと抱いたまま、リリアーヌ様は研究室へと足を踏み入れた。オーブエル殿下はリリアーヌ様に、いつもはフェリシアン殿下の特等席となっている来客用のソファを勧めると、ご自身は急いで片づけたのであろう書類が山積みになっている机の傍から椅子を持ってきて、ソファの前へと置いて腰かけた。
私たち全員が腰を落ち着けたタイミングで、アジリオさんが研究室の扉を外側から閉めていく。
「――公女様っ」
バタンと扉が閉まる瞬間、エレナさんの悲痛ともとれる声が聞こえて、私は思わず扉の方を振り返った。刹那の瞬きに見えたのは、まるで捨てられた子犬のような、今にも泣きだしてしまいそうな顔をしたエレナさんの姿。
私は敵意を向けられて彼女を迷惑に思っていたけれど、彼女からしたら憧れの公女様は別の騎士ばかり重用して、傍において、自分はどれだけ傍に行こうが隣に座ろうが言葉すら交わしてもらえない。大好きな人の傍にいるのに自分を見てもらえないまま。
そりゃあ泣きそうにもなるわよね。私だって好きな人に無視されたら泣くわ……ってちょっとまって。私アルベール殿下にずっとそうされてきたじゃないの。そりゃあ私も無意識とはいえ隠匿の魔法を使ってはいましたけど、アルベール殿下ってばずっとリリアーヌ様ばっかりで私のことなんて……。
え、まって。私ってばどれだけメンタル強いのよ。あのエレナさんよりメンタル強いとか自分で自分に衝撃だわ。しかもエレナさんはリリアーヌ様への憧れだけど、私は割と本気で結婚まで考えていた初恋よ? なのに公然と無視され続けて数年、一度も涙なんて流さなかったわ。
そりゃあフェリシアン殿下に散々『図太い』って言われるわけですよ! 私のメンタルは鋼鉄製だったのかもしれない!
うわあぁぁ、と地味にショックを受けつつ正面を向き直れば、現在進行形で好きな人がそこにいる。
「貴女のことは何とお呼びすればいいでしょうか?」
「アルベール殿下の弟君ですもの、ぜひリリアーヌとお呼びください」
にこやかに、和やかに、進んでいく会話は私相手ではなくて。
「ではリリアーヌ様と。義姉になる方を呼び捨てにはできませんから」
優し気な瞳を独占するのは、私ではなくて。
「ふふ、殿下はとても礼儀正しい方なんですね。お噂通り素敵な方のようで安心いたしましたわ」
「ありがとうございます。リリアーヌ様の優秀さも、王宮内では知らぬ者はいないほどですよ」
会話にも入れない。まるでそこに自分がいないかのような、そんな扱いをされる。
――なんだか貴方にそうされると私も泣いてしまいそうです、オーブエル殿下。
名前を呼んで、瞳にうつして、笑いかけてほしい……ただ私に。
あぁ、オーブエル殿下。私の中で、貴方は他の誰とも違う存在のようです。
私は今まで誰よりも一番、貴方を――。




