境界線の内側
※オーブエル視点
フィーラが僕の近衛じゃなくなる。
それはあまりにも唐突で、衝撃的な話だった。
彼女は王宮騎士団属の騎士なのだから配属が変わるなんてことは普通にあって、そうでなくても、女性である彼女がいつまでも騎士を続けるなんてこともないのに。
――どうしてかずっと、フィーラとは一緒にいるものだと思っていたんだ。
「フィーラ、その、異動しても頑張ってね」
動揺した口から出た当たり障りのない言葉を聞いた彼女の、少しだけ寂しそうな表情が胸に棘のように刺さって、逃げるように僕は彼女から目を逸らした。
「フィーラの後任についてはまだ決まっていません。元々日中の警護は三人でやっていましたから遅くても問題自体は無いのですが、殿下が希望されるならなるべく早く後任の人事を決めるよう掛け合います。いかがいたしますか?」
「…………」
閉じこもった研究室の中で、アジリオからフィーラのいなくなった後の話を淡々とされる。
わかっている。皆騎士で、僕を守ることが仕事で、誰かがいなくなったら誰か新しい人が来るのは当然のことだ。けれど。
「……希望はしない」
フィーラの代わりなんて、いないんだ。
どうすれば彼女を引き留めることができるだろう。方法があったとして、そんなことしてもいいのだろうか。
王宮図書館から出ることのない僕の近衛でいるよりも、日の当たる場所にいるリリアーヌ嬢の近衛でいる方が騎士としてのやりがいもあって良いんじゃないだろうか。女性同士、僕よりずっと仲良くやれるのかもしれない。僕の近衛でいるよりずっと、騎士として輝けるのかもしれない。
思えば騎士らしいことなんてさせて殆どさせてあげられなくて、僕の我儘に付き合わせてばかりだった。最近何だかよそよそしかったのも、そんな僕に嫌気がさしてしまったからかも。
「僕が、ここから出られないから……」
見渡した室内は僕が望んで集めたもので埋め尽くされているのに、何故だかどれも、冷たく空っぽなものに思えた。
……あぁ、ここは檻だ。僕と外の世界とを区切る、境界線の内側なんだ。ここにいれば安心と、それなりの自由を手にできる。
けれどどれだけ寒くても、熱をくれる向こう側にいる人を繋ぎとめることはできない。
君に手を伸ばす権利が、僕にはない。
***
午後になると、フェリシアン兄様が来たと報せがきた。
近衛騎士と仲のいい兄様なら、この気持ちをわかってくれるだろうか。そう思って、僕は兄様に声をかけた。
「兄様、少し相談があるのですが……」
相談があると聞いた兄様は何故かすごく嬉しそうな反応をして、瞳をいつになく輝かせながらサムズアップしてくる。
「どんな相談でも任せろ! この頼れる兄が解決してみせるからな! 頼れる兄が!」
……一瞬不安がよぎった。
「それで、急に相談とはどうしたのだ?」
「はい……」
定位置のソファに腰かけた兄様に、僕はフィーラが異動すること、本当はしてほしくないこと、でも僕には繋ぎとめる権利も繋ぎとめられるだけの価値もないということを話していく。
兄様の表情はみるみる険しくなっていって、僕が話し終えるなり口を開いた。
「お前達は未だにただの主と騎士だったのかっ!?」
ドンッとソファの肘掛けを握った拳で叩きながら兄様が吠える。
言われた意味がわからず目を瞬くと、兄様は「信じられん!」と憤りを見せた。
「私はてっきり、あいつはお前にとっくに剣を捧げているものだと思っていたぞ! だからあんなにも必死だったのだと……っあぁもう、ただの図太いだけの娘だったのか! お前もお前だぞ! そんなに手放したくない騎士ならば、何故一言『剣を捧げろ』と言わなかったのだ!? 誰かにとられたくないなら自分のものにするしかないであろうが!」
「剣を、捧げる?」
それは、相手を僕個人の私兵として召し抱えるということ。あまりにも縁遠い話で、考えたこともなかった。
「でも、僕にはフィーラを繋ぎ止める権利も価値も……」
「えぇい黙れ! 権利ならばある! お前のその身に流れる血こそが権利そのものだ! どこにいようが、何ができまいが、お前が王族であることは変えようもない! それに繋ぎとめられる価値がないだと? それを決めるのはお前ではない! 私がお前を大好きなように、フィーラもお前のことが剣を捧げたいくらい好きかもしれんだろう!? 勝手に自分のことを蔑むな! 自分の価値を決めようとするな! 私の弟は世界一いい子なんだぞっ!」
ビシッと指をさされ、畳みかけられる。
兄様はとても怒っていて怖いくらいだけど、その怒りは僕を大切に思ってくれているからなんだ。この人は僕の嫌いな僕のことを、大好きだと思ってくれるんだ。
心の中の冷たく冷え切った場所が照らされ溶かされていくような、温かい感覚で胸がいっぱいになる。誰かの怒りが、こんなにも温かいと感じるのは初めてだ。
嬉しくて思わず笑ってしまうと、プンプン怒る兄様がまた眉間にしわを寄せる。
「何が可笑しいっ!? こら、笑うなオーブエル!」
「ふ、ふは、すみません……っ」
僕が笑い終えると、まだ少しムッとした表情の兄様が立ち上がった。
「落ち着いたな? まったく、くだらないことで悩みよって。だが、この件についてフィーラの話も聞いておきたい。暫く借りていくがいいな?」
「兄様がそこまでされる必要は……」
「どうせお前は尻込みして聞けんだろう!? 代わりに根掘り葉掘り聞いてやる!」
そう宣言するなり、兄様はズンズンと大股で扉に向かって行く。
止める言葉も無視する兄様の後を駆け足で追うと、扉の前でピタリと兄様が足を止めた。何やら扉を睨んだまま聞き耳を立てている様子。
何事かと不思議に思って僕も扉の向こうに聞き耳を立てると、微かに声が漏れ聞こえてきた。
「ちょうど城下街の降臨祭が見たいと思っていたの。連れて行ってくれるかしら?」
「……っ! はい!」
フィーラと、エドガーの声だ。続いて茶化すような「ひゅーひゅー」という声が沸く。
二人で行くんだ……降臨祭。
最近では恋人達のお祭りともなっているそれに、フィーラがエドガーと行く。
胸の奥がザワザワとして、真っ黒い波に飲み込まれるように息ができない。この感情は、なに?
ぎゅっと拳を握りしめて扉を見つめていると、兄様が「まったくっ」と憤慨して扉をバンッと勢いよく開けた。
「お前らちゃんと仕事をしろっ!」
「も、申し訳ありませんっ!」
賑やかだったであろう場がサーッと静まり返る。
扉のすぐ近くにいたフィーラとエドガーが視界に入って、なんだか気まずい気持ちになった。
……フィーラはエドガーのことが、好きなの?




