きっかけ
「僕は、三歳の時に魔法に目覚めた。当時は自分の手に負えない魔法が恐ろしかったし、『愛し子の騎士』であることに対する好奇の視線を大人達から向けられて、魔法なんて使えなければと何度も思ったよ」
ぽつりぽつりと語りながら、オーブエル殿下は自分の手を見つめて苦笑を浮かべた。
この国では魔法が使える男性――『愛し子の騎士』であるだけで珍しがられるけれど、それがたった三人しかいない王子の一人ならば、大人達から好奇の目で見られてしまうのも容易に想像できる。現に、『愛し子の騎士王子』としてオーブエル殿下は噂の的になっていると、いつかエドガーとジャンが話しをしていた。
まだ幼い殿下にとってそれはどれだけ恐ろしく、そして不安なことだったかと思うと、ちくりと胸が痛んだ。
けれど私の感傷とは裏腹に、オーブエル殿下はぎゅっと拳を握ると、少しだけ表情を緩めて言葉を続けた。
「……でもそんな僕に、母様は一冊の本をくれた」
ちらりと向けられた殿下の視線に、私は殿下のさす本が何かを悟った。
「私にくださった本ですね」
「うん」
たしか本の内容は、魔法に目覚めた少年が、その力で周囲の人々の困りごとを解決していき、最後には家族や周囲の人々と幸せに過ごしました、というものだったわね。ありふれているけれど、優しいお話だったわ。
「あの本を読んで、魔法に対する見方が変わったんだ。魔法は素敵なもので、魔法が使えるということは、誰かの役に立てるということなんだ……って。そして、本は多くのことを気づかせてくれる、貴重な存在だとも思った。本を読むようになったきっかけは、まぁそんな感じかな」
最後は気恥ずかしそうにはにかみながら、オーブエル殿下は話を終えた。
そして「フィーラはどうなの?」と、小さく首をかしげながら聞いてくる。
「私は……兄姉の影響、でしょうか」
「ご兄姉も本が好きだったの?」
「いえ、その逆で」
私のお兄様とお姉様は、根っからのアウトドア派だった。面白いことを求めて屋敷を飛び出しては、お母様を怒らせ、お父様を憔悴させていたのを覚えている。
結果として、屋敷に一人残された私を、お母様は淑女たれと育て、お父様は兄姉のようにはなってくれるなと懇願し、イルダ達侍女は屋敷から勝手に出ないよう目を光らせていた。
そして私は周囲の期待通りに、大人しくお淑やかに、運動不足のインドア派として育ったのだ。この歳でジャンの特訓を受けるまで、息を切らして走ったこともなかったのよ。
「兄姉とは真逆に育つよう教育されて、素直にその通り育ったものですから、家の中で大人しくできることに興味が向いて、本を読むようになりました。魔法に目覚めてからは、魔法関係の本をよく読むようになりましたね。自分の魔法のルーツが知りたかったのかもしれません」
私にとって屋敷内で見つけられる一番の娯楽と興味が、自分の持つ魔法という不思議な力と、それについて書かれた本達だったのでしょうね。
昔の自分を懐かしく思いながら話すと、殿下は瞳をきらきらと輝かせて、私の言葉に頷いた。
「わかる、わかるよ! やっぱり自分の魔法のルーツ、延いてはすべての魔法のもととなる原初の魔法って興味をそそられるよね!」
オーブエル殿下は子供のような笑顔でそう言うと、バッと私の片手をとって両手で包み込んだ。
「やっぱり、君とは話が合うね!」
心底嬉しそうに、殿下が笑う。
そのきらきらとした笑顔や瞳をまっすぐに向けられることに、握られた手から伝わってくる温度に、どうしようもなく鼓動が高鳴った。
か、顔が良い……っ!
「ではなくて、オーブエル殿下近いですっ!」
「あっ、ごめんね」
私の指摘に、オーブエル殿下は慌ててぱっと手を放し、そのまま一歩分後退した。
うぅ……本当にオーブエル殿下は心臓に悪いわ。そして顔が良い。
少しばかり赤くなった頬を両手で隠す。どうにもオーブエル殿下に対しては免疫ができないというか、あの顔で近くで笑われると顔が熱くなってしまうのよね。
顔だけでいったらフェリシアン殿下も相当整ってはいるけれど、オーブエル殿下と違って一切ドキドキしないのは……性格のせいかしら。
私が何だか居たたまれない気持ちでいると、少し騒ぎすぎたのか、エドガーが部屋の中から顔を覗かせた。
「オーブエル殿下、何かトラブルでもありましたか?」
顔を覆う私と、ちょっと離れたところで申し訳なさそうに佇むオーブエル殿下を、エドガーが不思議そうに見る。
「あっ、ううん。ちょっと話が盛り上がっちゃっただけ。掃除の方は進んだ?」
「だいぶ片付いたんですけど、部屋中に落ちてた紙類の処理だけ困ってて。ちょっと見てもらえますか?」
「わかった」
エドガーの言葉にオーブエル殿下は頷くと、そそくさと立ち上がった。
「フィーラ、悪いんだけどこの本並べるのだけお願いしていい?」
「はい」
横に積まれていた本を引き受けると、殿下は小走りで室内へと向かっていった。
「ふぅ……」
どっと疲れたような気がして、小さく息を吐いてから本を並べていく。
全ての本を並べ終わって、新しい本を取りに行こうと立ち上がったとき、少し離れたところで作業をしていたジャンが駆け寄ってきた。
「ねぇフィーラ」
「なに? どうかした?」
私が首を傾げると、ジャンは少しだけ言いにくそうに視線を彷徨わせた後、内緒話をするように身を寄せて小声で聞いてきた。
「まさかとは思うけど、フィーラって……オーブエル殿下が好きなの?」
「…………」
神妙な面持ちで問われた内容に目を見張る。ジャンを見返して、しばし言葉の意味を理解できずに固まってしまった。
そして、ようやく気付いたように口が開いて、覚束ない思考のまま言葉を発する。
「えっと……どういう意味?」
問いに問いを返した私に、ジャンは気まずそうに言ってくる。
「いや、実はさっきの二人のやり取り見てて……。フィーラ、顔が赤くなってたし、もしかしてそうなのかもって思ったんだ」
「そう、って……」
「だから、好きなんじゃないかなって。恋愛的な意味で」
「……えぇぇぇぇぇ」
ジャンのその言葉は、私にとってまるで爆弾のようで。
頭を殴られたような衝撃とともに、私の思考を破壊していった。




