ただの兄弟
翌日の昼過ぎ、約束通りフェリシアン殿下が王宮図書館を訪れた。
……何故か凄く不機嫌そうな顔で。
「フェリシアン殿下、どうかなさいましたか?」
きちんと礼をしながら聞くと、フェリシアン殿下は眉間にしわを寄せながらこちらを見て、苦悶に満ちた声音で答えた。
「己の内側と戦っている……気を抜くとつい格好をつけてしまうのだ。そのままではオーブエルとまともに話せんからな……」
へぇ……どうやら殿下なりに約束を守ろうと努力しているらしい。
こういうところは律儀というか、根はいい子というか。全自動面子維持格好つけ機能がなければ割と好感が持てるのに、もったいない。
ぐぬぬぬ……と己と戦われているフェリシアン殿下に微笑んでいると、後ろから肩をつつかれる。
振り返ると、ジャンとエドガーが恐るおそる、といった様子で囁くように話しかけてきた。
「いつの間に第二王子殿下と親しくなったの!?」
「ていうか何でまた来てるんだよ、第二王子殿下っ」
「別に親しくはないけれど……」
私達が三人でこそこそと話している間に、さり気なくフェリシアン殿下一行から距離を置いていたアジリオさんが、オーブエル殿下の研究室の扉をノックした。
「殿下、第二王子殿下がお見えになりました」
アジリオさんがそう告げると、一分も経たないうちに扉が開かれ、これまた不機嫌そうなオーブエル殿下が顔を見せた。
「何の御用ですか?」
射貫くような視線をフェリシアン殿下に向けて、完全に臨戦態勢のオーブエル殿下。
見ているだけのこっちまで怖くなるような雰囲気のなか、フェリシアン殿下は先ほどまでの苦悶の表情をひっこめて、姿勢をすっと正し胸を張った。
「オーブエル、話がある。時間をくれるだろうか?」
堂々とした態度を見せてはいるけれど、フェリシアン殿下の声音は緊張で少し硬くなっていた。
……やっぱりまだ怖いのね。
心の中で「フェリシアン殿下がんばれっ」と応援しながら見守っていると、オーブエル殿下がちらりとこちらに視線を寄越してくる。
どうか話してあげてください、と念を込めて頷くと、オーブエル殿下は小さく溜息を吐いてから、研究室の扉を大きく開けた。
「中へどうぞ。ただしフィーラも一緒です」
「構わない。感謝する」
――いや構いますよっ!?
何故私も一緒なのでしょうか!? 両殿下の話し合いの席に同席するとか意味わからないですから!
遠慮します! と拒絶したくてもできるわけもなく。
結局私はすごすごと、フェリシアン殿下の後に続いて研究室へ足を踏み入れることになった。
「それで、話とは何ですか?」
本や書類だらけのテーブルと来客用のソファを簡単に片づけて両殿下が座ると、オーブエル殿下がそう切り出した。
私はオーブエル殿下の後ろに立って、向かい側に座るフェリシアン殿下に心の中でエールを送る。
フェリシアン殿下は慎重に言葉を選ぼうとしてか、何度も口を開けたり閉めたりして、数回目にようやく言葉を発した。
「私は……私は、お前が心配なんだ」
「……っ」
絞り出すようなフェリシアン殿下の言葉に、オーブエル殿下が小さく息を呑んだ。
おそらく、そんな言葉が出てくるとは思わなかったのでしょうね。
僅かな動揺を見せるオーブエル殿下に気づかないまま、フェリシアン殿下は探すように言葉を紡いでいく。
「私達は母親が違うから、幼い頃はどう接していいかわからなかった。今だって、よくわからない。陛下が王太子を決められていない現状では、王位を巡る敵でもあるからだ」
……あぁ、そうよね。第一王子たるアルベール殿下が完璧過ぎて、世論的にはアルベール殿下がいずれ王位を継がれるという風潮ではあるけれど、肝心の陛下はまだ王太子を三人の子供の中から選んではいない。
それはまだ、両殿下にもその可能性があるということ。オーブエル殿下は王位に興味なさそうだけれど、客観的に見れば政敵とも言える関係だわ。
そりゃあ拗れるわよ、兄弟関係。
「……だが、私はそれでも、お前をたった一人の弟と思っている。お前と争いたいとは思っていないし、心の底から案じてもいる」
フェリシアン殿下の話を、オーブエル殿下はただ黙って聞いている。否定も肯定も、その態度に表すことすらしない。
ピンと張りつめた空気の中で、フェリシアン殿下の言葉だけが響いていく。
「今回の、そこの騎士を辞めさせろと言ったのも、お前が心配だったからだ。お前が、母親のことを思い出して辛い思いをするのではないかと思ったんだ。だが……私はどうにも、お前の前だと力が入ってしまって、不適切な言動をした。お前にも、そこの騎士……フィーラにも、謝罪する」
そう言って、フェリシアン殿下は私達に向かって頭を下げた。
ってあの、フェリシアン殿下が、頭を、下げた!?
信じられない光景に目を疑っていると、そこでようやくオーブエル殿下が口を開いた。
「頭を上げてください……兄様」
初めて聞くその敬称に、フェリシアン殿下がばっと顔を上げる。
その目に映ったオーブエル殿下は、ぎこちなく、少し気恥しそうに笑っていた。
「貴方は、信じがたいくらいに不器用なのですね。僕はてっきり、貴方は僕を嫌悪していると思っていましたよ」
「それは……すまない。お前への態度が悪いと、今まで自覚もなかったのだ」
「フィーラのことも、僕を心配してだったのですね。ですが、それは少々行き過ぎた心配です。フィーラと母様とでは、あまりに違いすぎる。容姿も性格も、まるで共通点がないじゃないですか」
「だが騎士だ」
「でも僕は騎士である母様を見たことがありません。僕にとって母様は、騎士ではなく王妃でしたから。陛下を見て母様を思い出すことはあっても、フィーラが傍にいて母様を思い出すことも、そのことで僕が辛い思いをすることも、ありませんよ。むしろ、フィーラは僕の大切な読書仲間なんです。辞められたら困ります」
「……お前がそう言うなら。過保護すぎたようで悪かった」
渋々、という風にそう言ったフェリシアン殿下は、それでもどこか重荷が下りたような、晴れやかな表情をしていた。
オーブエル殿下もにこやかにされていて、最初部屋中に満ちていた重苦しい雰囲気はどこかへ吹き飛び、ただ和やかで穏やかな空気が流れている。
二人がただの兄弟になれた、その証のように。
 




