賑やかな日常~遠く、未来も~
王宮図書館、オーブエル殿下の研究室前までアジリオさんと共に行くと、そこにはバルドさん達夜勤小隊以外にも、緑色のサッシュを付けた第二王子殿下近衛隊の騎士達も居た。
ということは、どうやらフェリシアン殿下が来訪中らしい。
「タイミングが悪かったですね。帰りますか」
「いや、一応話すだけ話してみるのもいいんじゃないか。俺は嫌われてるけど、お前は気に入られるんだし」
言うなり、アジリオさんはさっさとバルドさんへと近づくと、私を指さしながら事情を話しだした。第二王子殿下近衛隊の面々に全力で警戒されているのはスルーしている。もう日常茶飯事ということですか。
そろり、と私もアジリオさんの後を追ってバルドさん達へ近づけば、すっかり存在を忘れていた要注意人物がひょこっと顔を出して笑いかけてきた。
「フィーラ久しぶり。ダリアさんに絡まれたなんて災難だね。まぁ、フィーラの周囲は話題が絶えないから気になっちゃうのもわかるけど。個人的にはこの前のアレについて二人で話がしたいな。今度休みの日にでも出かけない?」
「カミロさん……この前のアレって言われても何のことだか……出かけるのもお断りします」
がっつり探りを入れてきているというか、もう確信した上で言ってきてますよねこの人!? この前のアレって、この前のパーティーでの男装の件でしょう、絶対!
わざとぼかして言ってくる辺りにこちらの立場を理解しているというのが伝わってきて、弱みを握られている感じがする。笑顔でこちらをじりじり追い詰めてくるスタイルがリリアーヌ様を彷彿とさせて、私の中でカミロさんの腹黒メーターが爆上がりだ。
ふいっと視線を逸らして一切取り合わない姿勢を見せると、カミロさんは面白そうに瞳を細めて、私をからかうように言ってくる。
「あれ、てっきり覗きに来てたエドガーかジャンに聞いたと思ったってたんだけどな? 聞いてなかったならちゃんと言おうか。俺ね、実は」
ガツンッ、と言いかけたカミロさんの脳天にバルドさんの拳が振り下ろされた。
「こら、厄介なのに絡まれて辟易している人間に絡みに行くな」
「……はーい、了解です」
脳天を抑えて若干涙目になりながら、カミロさんはバルドさんに大人しく従って私から離れていく。脳天をさすりながらも去ってく姿は飄々としていて未練も不満そうな様子もない。私のことを奥さん候補とか、アプローチしてみるのもありかも、とか言ってらしいくせに、引くのがあっさり過ぎて拍子抜けだ。本当にあの人は何を考えているのかわからない。
困惑する私に、わざわざ高い背を折って気遣うような視線をバルドさんは向けてくる。
「大丈夫か? 悪いな、カミロが余計に困らせてしまって。普段は絡みに行くような人間じゃないんだが、何故だか最近は妙に楽しそうでな。あいつを制御できず巻き込んでしまってすまない」
「いえ、大丈夫です……」
たぶん巻き込んだのはこっちなので! 本当にバルドさんに謝っていただくようなことは何もなく、むしろこちらが全面的に悪いというか、非常に申し訳なく思っており……。
というのも口に出せないので、私は曖昧な笑みを浮かべるにとどまった。ごめんなさい。
私がバルドさんとお互いに申し訳ないという顔で向かい合っていると、アジリオさんが研究室の扉をノックして中へと声をかけた。
「失礼します、殿下。夜分に申し訳ないのですが、実はフィーラがさっきちょっと面倒な奴に絡まれまして、落ち着くまで避難させてやってほしいのですが――……」
と、アジリオさんが用件を言い終わる前に、研究室の中からバタバタと慌ただしい音が響いてきて、間髪入れずにバンッと勢い良く扉が開かれた。
「「フィーラッ!?」」
わぉ、熱烈歓迎。
ではなくて。オーブエル殿下だけでなくフェリシアン殿下までもが研究室から顔を出し、焦った様子で私へと視線を向けてくる。まさかフェリシアン殿下までこんな反応をしてくるとは思わなくて、少しびっくりだ。兄弟水入らずを邪魔しに来たのか、とか嫌味なことを言われる覚悟くらいはしていたのに。
あ、ちなみにアジリオさんはガン無視されている。日頃の行いかな。
「大丈夫なのか!? 面倒な奴に絡まれたとか聞こえたが、手はあげられていないだろうな!?」
「誰に絡まれたの? あ、それよりまず中に入って! 一回落ち着こう!」
まずそっちが落ち着いてください。とは言えないか。心配してくれてるんだし。
あわあわとする王子二人に、近衛騎士達までもがそわそわし始めている。私もここまでの反応が返ってくるとは思っていなかったし意外だったけど、それは近衛騎士達にとってもそうだったようだ。
私はそんな中でもどこか気の抜けた雰囲気を纏ったままのアジリオさんに背中を押されて、有難く、少しばかり申し訳なく思いながら、研究室内へと入らせてもらった。
「そうか。では精神的に嫌な絡まれ方をしただけで、手はあげられていないんだな」
「はい、身体はぴんぴんしてます」
私の言葉を聞いて、はぁっ、と安堵の息を吐いたフェリシアン殿下は、少し不満気な顔で私を指さした。
「気づいていないかもしれないから一応言っておくが、お前、髪の毛ぼさぼさだぞ。そんなになっていたら、何か相当なことでもあったのかと心配になるではないか。まったく、人騒がせな」
「あー、全力で走ったりアジリオさんに頭を撫でられたせいですかね。ちょっと泣いてしまったのを見抜かれていたので、子供扱いでしたが気を遣わせてしまったのかもしれません」
「「泣いた!?」」
おっと、余計なことを言ってしまった。
フェリシアン殿下はわなわなと身体を震わせて、オーブエル殿下は自分が泣きそうなくらいおろおろと、心配そうに私を見てくる。
「……まずい。非常にまずい。フィーラ、いいか。泣いた件は絶対に他に口外するなよ。アジリオにも念を押しておけ。もしどこかから話が漏れたら、友人だと名乗っておいてお前が泣くような事態の時にのんびりとしていたのかと、お前の父親に何を言われ何をされるか分かったものではない。私はこれ以上、お前の家族に誤解されるのも、敵対されるのも御免だ」
「あぁ……えっと、うちの家族がすみません」
フェリシアン殿下の震えは私を心配していたのではなく、自分の身の危険に対するものだったらしい。悪いのはうちの家族なので申し訳ない気持ちしかないですけど。
この様子を見るに、お兄様とお姉様がパーティーで植え付けたフェリシアン殿下の疑惑は未だに社交界で囁かれている模様。フェリシアン殿下は「私の美貌に本気になられたら困る」って王宮内でも最低限の侍女以外に女性を近づけないから、無駄に信憑性が高くなっているのかもしれない。自業自得な部分はあるけれど、本気でフェリシアン殿下の今後が心配になってきた。
私とフェリシアン殿下がお互いに疲れたような顔で見合っていると、横からオーブエル殿下が少し硬い声で聞いてくる。
「えっと……兄様はフィーラの家族と面識があるのですか?」
その疑問の声に、私達はハッとした顔でオーブエル殿下へと顔を向けた。
どこか気まずそうに視線を彷徨わせるオーブエル殿下に、私は完全に何か非常に不本意な誤解をされてしまっていることを悟る。けれど私の家族とフェリシアン殿下との間にあったことを説明するには、私の身分のことから話さなければいけない。もちろん説明などできないので八方塞がりだ。
サァーと顔から血の気が引いていく私を横目に見たフェリシアン殿下は、ぎこちない笑みを浮かべてオーブエル殿下の両肩を掴む。
「いいか、オーブエル。私は別にあいつとは友人以上の関係ではないからな? そこは絶対に誤解するなよ?」
「え、は、はい……」
誤解による実害を受けたフェリシアン殿下の圧力の籠った声に、オーブエル殿下は戸惑いながらも頷いた。若干、無理矢理頷かせた感はあるけれど、まずは誤解が解けたならそれでいいや。
「えーと、それで、あれだ。フィーラの家族との面識の話か。実はどこかから私がフィーラを友人にしたと聞いたフィーラの父親が、私がフィーラを妃にするつもりなのではと誤解をしてな。まったく、一切、その気はないんだぞ? 本当だからな?」
「は、はい……」
オーブエル殿下への念押しを忘れないフェリシアン殿下、流石に実害を受けただけあって必死です。ごめんなさい。
「妃にする気は一切無いのに、こいつの家族は誤解をした上に過保護というか、親馬鹿で妹馬鹿だったのだ。そしてこいつの兄姉に私は誤解をされたまま社会的立場が危うくなるような疑惑をぶつけられた。父親とは面識は無いが、騎士団長と旧友らしいのだ。父親に敵に回られたら騎士団長や騎士団も敵にすることになるやもしれん。というわけで、盛大な誤解のせいで私はこいつの兄姉とは面識があるが父親とはない。だが、会いたいとも思わないしできれば一生疎遠でいたい。もうこいつの家族に関わりたくない。関わらないでほしい」
それっぽい言い訳をオーブエル殿下へ言ってくれたフェリシアン殿下に感謝すべきか、感情の籠りすぎた最後の方の言葉に申し訳なさを募らせるべきか。
身を縮めてしょぼくれる私に、オーブエル殿下はちょっと困惑したような、引いたような顔を向けてきた。
「その、フィーラの家族は……色々とすごいんだね?」
「すごいのではない異常なのだ」
「全くもってその通りですごめんなさい!」
私は申し訳なさに全力で顔を覆って謝罪する。
私はもう目が覚めたのだ。気づいたのだ。うちの家族は異常だと。普通の範疇に収まっていないと。
……もう何が普通だかわからない。
顔を覆ったままズーンと落ち込む私に、フェリシアン殿下は「あー」と居心地の悪そうな唸り声をあげると、いそいそと椅子から立ち上がった。
「私は悪くない。だがお前をそんな風に落ち込ませているところを誰かに見られて噂になるのも困るのだ。というわけでオーブエル、私はもう行く。私はこの状況に対して何の落ち度もない。私は悪くない」
何度も「私は悪くない」と念を押しながら、フェリシアン殿下は足早に研究室を出て行った。
別に貴方が悪くないことは私がちゃんとわかってますけど、私の知らないところで暴走するのがお父様ですもんね。怖くなるのも警戒するのも仕方がない。というか、私もあの暴走するお父様をどうにかしたい。
はぁ、と深い溜息を吐きながら顔を上げれば、自然と研究室に残された私とオーブエル殿下の視線は交差した。
オーブエル殿下の研究室を通り過ぎ、寝室の奥、夜風の吹く裏庭へと私達はやって来た。
私がフェリシアン殿下への申し訳なさやらで何とも微妙な顔をしていたのを見て、オーブエル殿下が気晴らしにと誘ってくれたのだ。
未婚の男女が寝室を通り過ぎた先の裏庭に、夜に、二人っきりでいていいのかって? いいわけない。イルダが卒倒するレベルでアウトだ。けれど、私は好きな人が私のために気晴らしにと考えて誘ってくれたことを、常識で断れるほど乙女心を捨てていないのだ。女子力はかなり捨ててきている今日この頃ですが。
虫干しと大掃除の日以来に足を踏み入れた裏庭は、夜ということもあって草花などの景色を楽しむことはできない。
けれどその代わりに……
「すごい、ここは星が奇麗に見えるんですね」
騎士寮の外ではまともに見えなかった星々が空いっぱいに瞬いていて、裏庭の構造もあって、まるで星をちりばめた箱庭の中にいるようだった。
ぽけーっと口を開いて星空を見上げる私にくすりと笑いながら、オーブエル殿下は説明してくれる。
「この裏庭は王宮内で一番、星が奇麗に見えるところだと思うよ。他の場所は夜も関係なく灯りがともっているからあまり星が見えないみたいだけど、ここは図書館だからね。本は光に弱いから、日中も最低限しか灯りをつけないし、夜はそもそも図書館の利用が停止されるから真っ暗なんだ。流石に研究室の周囲は明るいけど、それでも裏庭に出てしまえば関係ない。だからここは、僕だけが知る星の名所」
夜空にとけるオーブエル殿下の髪が風に揺れて、殿下の深い青の瞳が見えなくなる。それでも唯一見えた口元は楽し気に柔らかく弧を描いていた。
「これからは、僕とフィーラだけの名所だね」
その言葉に胸の奥が高鳴った。二人だけの場所。二人だけの秘密。あぁ、何て甘美な言葉だろう。
けれど私の中の臆病な部分が予防線を張る。いつかの未来に傷つかないように、線を引く。
「そのうち、フェリシアン殿下とかアルベール殿下とかリリアーヌ様とか、もっと別の誰かとかも知ることになりますよ。だって、オーブエル殿下は優しいですから。こんなに奇麗なもの、ずっと独占なんてしませんよ」
優しいから貴方は私をここに連れてきた。自分だけの場所に私を迎え入れてくれた。
きっと、それは私だけじゃなくて、他の誰でもそうなんだろう。だからここが、この星空が、私達だけのものであるのは、ほんの少しの間だけのこと。きっと、そう。
そうなったら寂しいなぁ、と心が叫ぶ。顔をあげて見た星空の中、一際輝く一等星が滲んで霞む。
「一等星は遠いですね」
口元に笑顔を張り付けながら何てことないように言った私に、オーブエル殿下は少しの沈黙の後、夜風に冷えた私の手を取って、二人横に並んで空を見上げた。
「これから先もずっと、この星空は僕とフィーラだけのものだよ。僕はたぶん、君が思っているより優しくないから、特別なものは大事に、他の誰にも取られないように抱えていたいんだ。分かち合っても良いと思えたのは、フィーラだけだよ。だからきっと君も僕にとっては特別で、僕はここを、この星空を、そんな君とだけのものにしたいと思うんだ」
繋がれた手からじわりとお互いの体温が混ざり合って溶け合っていく。
見上げた星空の中、箱庭を飛び出していくように流れ星が一つ、流れて消えていった。
私が貴方にとって特別なら、その特別の意味が、私と同じものであればいいのに。いつまでも永遠にこの箱庭の星空が、私達だけのものであればいいのに。
「私も……ずっとそうならいいなって、思います」
遠く、未来も、この星空を見上げながら、二人横に並んでいたい。
その未来ではもっと寄り添い、笑い合えていたい。
胸の中で目一杯に叫んだ願いは、流れ星に届いただろうか。
一等星に、届いただろうか。
「だったら、いいなぁ……」




