勘違いの行方
昼時、私はリリアーヌ様に連れられてアルベール殿下の専用の客間へと足を踏み入れた。
王子の個人的に使える客間に通されるのはフェリシアン殿下の客間以来だけれど、アルベール殿下の客間はフェリシアン殿下のものとは内装が全く違っていた。まず、どでかい肖像画がない。代わりに誰の作かは知らないけれど上品な絵画が飾られている。調度品もシンプルで、フェリシアン殿下の客間が自分を含めた美の圧力を感じさせるものだとすれば、アルベール殿下の客間は落ち着いていて必要最低限のもので済ませた実務的な客間のように思う。
そして現在、そんな客間の中央にセッティングされた数人用の大きなテーブルを前に、アルベール殿下、リリアーヌ様、そしてフェリシアン殿下は和やかに挨拶を交わしている。何故フェリシアン殿下がいるのか、何故私を呼んだのかはもう考えたくもない。お兄様とお姉様にあれだけ叩き潰された昨日の今日で私を名指しで呼び出すとか、もうお叱りコース確定。恐怖でしかない。フェリシアン殿下はきっと、あの貼り付けた笑顔の奥で怒り狂ってるに違いないわ。半分ぐらいは自分が悪い癖に。
なんて考えつつ、一人騎士姿で場違いな私が一歩引いて三人のやり取りを眺めていると、突如、会話の矛先は私へと向けられた。
「それで……お前のことは何と呼べば良いんだ? フィーラ?」
含みのある言い方をしたフェリシアン殿下は、完全に昨日の令嬢フィリーレラと騎士フィーラは同一人物だと確信したらしい。逃がす気などないと言わんばかりの視線から、ギギギ……とぎこちなく視線を逸らしつつ、私は生唾を飲み込んだ。
この場合はどうすれば良いのだろう。お兄様とお姉様は「逃げろ」と言うだろうけど、アルベール殿下とリリアーヌ様までいるこの部屋から全力疾走で逃げることは不可能だ。注目されている以上、隠匿の魔法を使ってこっそり退出する、なんてこともできない。
誤魔化す? むしろ白を切り通す? ぐるぐると考えた末に、私は取り敢えずいけないかな、と悪あがきを試みることにした。
「フェリシアン殿下ってば今更何を聞いてくるんですかぁ? あ、私が第三王子殿下近衛隊じゃなくなって話し相手になることも無くなったから、もう友達認定終了っていうことですか? それとももっと気軽にフィーとかって呼びたいとかですか? お断りしますよぉ?」
アハハハハ、と乾いた笑いを浮かべながら、まるで昨日のことなど無かったかのように、フィーラとフィリーレラは別人ですよ! というように振舞ってみる。可能性は僅かだけどあるはず……少なくとも昨日のパーティーの時点では完全に私の正体を掴んでいるという風では無かったから、今もただ私にカマをかけて探りを入れているだけかもしれない。
誤魔化されろ誤魔化されろ誤魔化されろ誤魔化されろ……
「今すぐその前髪切り落とされたくなかったらさっさと認めろ、フィリーレラ・シル・ダイアスタ」
「はいそうですすみませんでしたぁっ!」
駄目だったかっ!
フェリシアン殿下は私の謝罪にフンと鼻を鳴らして、とても不愉快そうな表情で腕を組んだ。こんな状況だけど見下されてる感がなんかムカつくのよねこの王子。やっぱり顔か。いや、日頃の行いか。
くっ、こうなったら私の責任の持ち分を限りなく軽くする方向で動くしかない! だって実際、私はそんなに悪くないもの! たぶん!
「今までフェリシアン殿下に身分を隠して接していたこと、ダイアスタ伯爵が次女、フィリーレラ・シル・ダイアスタとして正式にお詫び申し上げます。けれど昨日の兄姉の行動は謝罪出来ませんので悪しからず。兄姉の行動は私を守るためのものでしたし、その原因はフェリシアン殿下にございます。そのことはご自身でお分かりではありませんか?」
正式に謝罪をして頭を下げはしたけれど、譲らない一線はきっちり示しておく。そして責任の一端は貴方にあるんですよ、と釘を刺しておくことで、必要以上の責任や罪を負わされることは避ける。相手が話の通じる相手なら、この予防線を張った時点でこちらの責任を一定以上にされることは避けられるはず。
私は社交界で碌に相手にされて来なかったし、話すような相手も口論になるような相手もいなかったけれど、貴族令嬢としていざという時、損をしない処世術というのは最低限家族に仕込まれているのだ。因みにそんなものを仕込まされた原因はお兄様とお姉様が自由すぎてあちこちで言い合いになったり、相手を言いくるめる必要ができたりした結果である。昨日のフェリシアン殿下へのお兄様とお姉様の対応も私が仕込まれた処世術の延長線上にあるもので、悪意とか害意とかをセルフでマシマシにしたものだ。
叩き潰されたフェリシアン殿下は気の毒だけど、私だって身の危険を感じていたのだからお互い様ということで、水に流さないまでも大事にはしないでおきません? ついでに私のことも諦めてくれません?
そんな意を込めて貴族スマイルを浮かべれば、フェリシアン殿下は昨日のことを思い出してか若干顔色を悪くしつつ、不満そうに唇を尖らせた。
「あれは過剰防衛だ! 第一、お前達ダイアスタ家は勘違いをしている!」
「勘違い?」
はて、と思い当たる節もなく首を傾げれば、フェリシアン殿下は物凄く嫌そうに説明する。
「どうせお前達兄妹は私がお前を妃に迎えようとしている、とか聞かされて過剰に警戒していたのだろうが、私にはまったくその気はない! ただお前が平民にしては怪しいから身分を探らせていたら、過保護な伯爵に勘違いされただけだ!」
「……本当の本当ですか?」
疑うような視線を向ければ、フェリシアン殿下はそれはもう必死に言ってきた。
「前にも言ったが、お前と話しているのは面白くない! 友人として認めるならまだしも、私は私の美貌を讃えられもしない者など一生隣に置くのは御免だ! というかそれ以前に、弟のことを好きだと言っている女に手を出すような趣味は持ち合わせていない! お前は私を何だと思っている!?」
フェリシアン殿下の言い分に、私は深い納得を得ると共に、お父様の株を更に下げる。知らないところでまた暴走してやがりましたよ!
昨日、私もフェリシアン殿下が私に求婚をすることへ疑問を芽生えさせてはいた。メリットもないし、フェリシアン殿下が友人かつ弟のことで恋愛相談までしたフィーラだと疑っているフィリーレラへ求婚するような人にも思えなかったからだ。でもまさか原因がお父様だったなんて。
……これ、完全にダイアスタ家の責任ですね。一から十まで全部、何もかもダイアスタ家が悪いです。身分を偽ったのは私だし、お父様は勘違いして暴走するし、お兄様とお姉様はそれを信じてフェリシアン殿下を叩き潰してヤバイ疑惑まで社交界で流してしまった。これはもう家門取り潰しにあっても文句が言えないですね。お母様だけセーフで離婚して実家に帰るパターンです。
私は騎士職があるからいいとして、お姉様は離縁されるかもしれないし、お父様とお兄様に至っては貴族としての生き方しか知らないから家門が取り潰されたら大変だわ。女は結婚すればまだ養ってもらえる可能性があるけれど、男はそうはいかない。領地経営ができるのだから、経理とかとして商会にでも就職させないと。それまでは最悪、私が家族を養うことになる。
――どうしよう、本格的にヤバイ。
顔を真っ青にして冷や汗をダラダラと流し、フェリシアン殿下への再度の謝罪すら口に出せずにいると、私に真っ先に声をかけてきたのは意外にも蚊帳の外にいたアルベール殿下だった。
「……少しいいですか? ダイアスタ令嬢、貴女は第三王子殿下近衛隊の平民の騎士を想っていたのではないのですか? 武術大会の時にそんなことを言っていましたよね?」
今それ大事? というかそんなこと言いましたっけ?
うん? となる私に向かって、アルベール殿下の話を聞いたリリアーヌ様とフェリシアン殿下が一斉に詰め寄った。
「ちょっとフィーラどういうことですの!? 確かに以前、第三王子殿下近衛隊の騎士と親しそうに話しているのを見はしましたけれど、貴女は騎士になってからはオーブエル殿下一筋だったのではないのですか!? いつの間に心変わりを!? きちんと説明してくださいませ!」
「お前っ、オーブエルのことを弄んでいるのか!? オーブエルのことは権力目当てで本命は別にいたとでも言うのか!? 私にあれだけ切実そうにオーブエルへの恋心を語っておいて、すべて演技だったとでも言うのか!?」
「いやいやいや! 身に覚えがないですよ!? 私はアルベール殿下から失恋して以来、ずっとオーブエル殿下一筋ですからねっ!?」
「お前兄上のことも狙っていたのか!?」
「フェリシアン殿下今はそれどうでもいいことですから黙ってください」
えーと、何だっけ。武術大会の日にアルベール殿下と話したことか。私が親しくしている平民の騎士って言ったら同じ小隊だった三人よね。アジリオさんはないとして、ジャンかエドガーのことを言っているのかしら? どっちかが好きだって私、アルベール殿下に言ったっけ?
あの日は朝から色々ありすぎて記憶容量がいっぱいで、アルベール殿下と何を話したのか詳細に思い出せない。むしろ失恋した時の記憶なんて封印したいのが乙女心というもので、今となってはアルベール殿下と話したあの時の記憶は朧気で曖昧だ。
何も思い出せずに頭を抱える私の様子に、アルベール殿下も当惑しながら、記憶を辿るように斜め上を見上げつつ口を開く。
「あの日、確か貴女は『思惑と打算で結婚するような貴族では嫌だった』と。それにフェリシアンとオーブエルに近づく意図は無かったと言っていましたし、剣術部門で準優勝した騎士と随分親しげに一緒にいましたし、想い人がいるのだろうと聞いたら肯定しましたよね? 弟達の妃になるつもりもないと言っていたので、てっきり私は貴女が彼に想いを寄せているものと思っていたのですが……」
「あぁ、それっ!」
思い出した。そういえばそんなこと言ったし、私がエドガーに想いを寄せていると勝手に勘違いするよう誘導もしてたわ。アルベール殿下の側妃狙いで騎士になったことを絶対ばらしたくなかったから、ついアルベール殿下のミスリードを誘うようなことをしたんだった。
「誤解です、アルベール殿下! 私、あの時までずっと貴方の妃になりたかったから貴族は嫌だったって言ったんです。貴族じゃなくて王族の貴方と恋愛結婚したかったと。両殿下に近づく意図が無かったのは事実ですし、あの時はまだオーブエル殿下のことを恋愛的意味合いで好きだと理解していなかったんです。それにエドガーとはただの仲の良い同僚とか仲間って感じです。接している時間が長い分、仲良くなるのが早かっただけですね」
私が慌てて説明すれば、私以外の三人は呆れたように深い溜息を吐いて、顔を見合わせあった。
「どうにも彼女関連は誤解や勘違いが多いようです。一度状況を整理したほうがいいかもしれませんね」
「同意いたしますわ。でも長くなりそうですから、食事をしながらにいたしましょう。元々、会食の予定でしたのに遅々として進んでおりませんもの」
「では正しい現状の整理をしてから、兄上の本題を話すということで。まったく、あの親にしてこの娘あり、という感じですね」
三人から向けられる酷く冷めた視線に、私は釈明の余地もなく、申し訳なさに体を縮こませた。
お久しぶりです。予告なしに暫く更新がストップしてしまい申し訳ありませんでした。
コロナのワクチン2回目を打ったら熱が下がらなかったり、アレルギーが酷くなったりしておりました。皆様も健康にはお気をつけて。まだの方は、ワクチンの副反応、酷くならないよう祈っております。
それでは更新再開ですので、これからもよろしくお願いします。




