第5話 生きる意味
「ツクモ様、もうお召し上がりになられないのですか?」
「え? ああ……」
エメトに言われて、ぼくは昼食の半分も食べていないことに気がついた。
「うん。もういいや」
「先日、買い物にご一緒いただいてから、お元気がないように思われます」
「そう、かな」
だが、彼女がそう言うなら、たぶん間違い。ロボットだっていうのに、本当にいろんなことによく気がつく。いや、ロボットだからこそ、なのか。
「ご気分がすぐれないようでしたら、お休みになられますか?」
「いや、いいよ」
「では、病院に行かれますか?」
「大丈夫。ぼくのことは気にしなくていいから」
「ですが」
「気にしなくていいって言ってるだろ!」
「……」
「あ、ごめ……」
「かしこまりました」
怒鳴りつけたっていうのに、エメトはいつもとまったく表情を変えずに、いつもどおり、きれいなお辞儀をして、
「では、食事の片づけをしておりますので、なにかご用がございましたら、お呼びください」
食器をちゃぶ台から片づけて、キッチンへと出ていった。
「……はあ」
ごろん、とその場に寝転がる。
ロボット相手に自分の感情をコントロールできないなんて。
やっぱりぼくは、社会に不適合な人間なんだ。
その日届いたメールは、200通目の「お祈りメール」だった。
『――今回は選考を見送らせていただくという結果になりました。
今後のご活躍を心よりお祈り申し上げます――』
もう何度同じ文面を見たことか。これだけ見たら、ぼくの方がうまい文章を書ける気がする。
大学にも、ゼミにも、長いこと顔を出していない。順調に今後が決まる人たちが増えていって、気後れするのと焦りとで、足が向かなくなった。
「……ふう」
次の会社の採用ページで、必要事項の入力を終える。
どうせ、ここも落ちるだろうな。
まだ選考も始まっていないのにそう思ってしまうのは、3桁もの会社に応募し、落選してきた経験からか。そんな勘いらないけど。
息抜きと昼ごはんの買い出しを兼ねて近くのコンビニに行く。カップ麺とおにぎり、それから1リットルパックの麦茶。レジにいるのは、いつ見てもやる気のなさそうな店員。社会に退屈していると言わんばかりの表情で、のそのそと会計を済ます。
……バイトは楽でいいよな。こっちは就職に向けて毎日大変だっていうのに。
――いや、違う。
バイトだって、社会の一員として働いている。
ちゃんと働いて、対価として給料をもらっている。
だったら、ぼくはどうなんだ?
適当に書き連ねた志望理由。思ってもいない将来の展望を面接でペラペラと話す。そんなことを何回も、何回も、何回もくり返して、得られたものはなんだ。
失ったものは、なんだ。
考える。
ぼくはこの社会の、何なんだ。
必要な存在とは、何なんだ。
ぼくは果たして、誰に必要とされているんだ。
気がつけば就職活動を始めてから1年が経過していて。
大学を卒業。だけど進路はない。生きていくためにも、就職先を探さないといけないのに、以前までみたいに採用募集に応募することは、めっきり減っていた。
もはや、生きている意味さえ疑わしい。
そんなころ。
ぼくの家に1通のハガキが、1体のロボットが、やってきたんだ――
「……」
目を開けると、夕方のオレンジが入り込んできた。うたた寝をしてしまったみたいだ。
そして、ぼくを見つめるのは、そんな温かな色に染まった彼女だった。
「エメ……ト?」
「おはようございます、ツクモ様」
返事をする彼女の顔は、90度回転している。普通に向かい合っていたらありえない角度。
後頭部には、あるべき畳の感触ではなく、柔らかな――人間のふとももに似た、感触。
そこで、ぼくはエメトにひざまくらされているのだと気がついた。
「えーっと」
「なんでぼく、ひざまくらされてるのかな」
まあ、理由は大方予想できるけど。
「またデフォルトの設定ってやつ?」
だけど、
「いえ」
「明確な根拠はありませんが」
彼女は少しだけ目を細めて、
「なぜだが、そうした方がよいと、そう思いましたので」
いつもと変わらない無表情で。
「ご気分はいかがですか?」
「ああ、うん。マシになったかな」
実のところ、ここ数日あまり眠れていなかった。気づかれていたかもしれないけど。
「ねえエメト」
「はい」
「ひとつ教えてほしいんだけど」
「なんでしょうか」
「生きる意味って、なんだと思う?」
どうかしてるのかもしれない。ロボットにこんなことを訊くなんて。
だけど彼女は、そんなぼくに呆れたり、笑おうともしない。
「私のデータベースには、人間の要望に応えられるよう、あらゆる知識がインプットされています」
人間の問いに、悩みに、迷いに、最適な解を導き出せるように。
それがロボットである自分の役目だとでも言うかのように。
「ですが、申し訳ありません。ツクモ様のその問いの答えは、データベースにはありませんでした」
「そっ……か」
「その代わり、ではないのですが」
「え?」
「少なくとも、私が存在する意味は、答えることができます」
「え……」
そのとき、ぼくは目を見張った。
エメトが、ぼくの頭を撫でたのだ。
そして、こう言った。
「私が存在する意味は、あなたにあると。そう思っています」
「ぼく、に」
瞬間、理解する。彼女の言葉が意味するところを。
それは。
デフォルトの設定によるものではなく。
膨大なデータベースから導き出されたものではなく。
彼女自身の、言葉だったのだ。
「そっか」
簡単なことだったんだ。
彼女がそうであるように。
ぼくが生きるのは、誰かのためであっていい。
ただ、それだけでいいんだ。
「ねえ、エメト」
「はい」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
相も変わらず、抑揚のない声。だけど、今はそれが心地いい。
ようやく、前を向けそうな気が。一歩を踏み出せそうな気がしてきた。
それを気づかせてくれたのは、紛れもなく目の前の存在。
ロボットと――彼女と暮らすのも、悪くない。
だけど、このときのぼくは、エメトという存在を、その存在意義を、欠片も理解できていなかった。
週末、ぼくはロボット庁を訪れた。毎週の定期報告のためだ。
指定された時間よりも少しだけ早く来たぼくのカバンには、資料――ロボット庁の採用案内が入っている。
これで、ぼくもちょっとは前に進めるかもしれない。
そんな期待を胸に抱いて、山下さんとの定期報告の打ち合わせに臨む。
「じゃあ、これが次の『三原則試験』の内容です」
いつもどおり、山下さんから試験内容の紙を受け取る。『三原則試験』。いつもどおりの、ぼくとエメトの生活の一部――
だが次の瞬間。
ぼくは、絶句した。
その紙には短く、こう書かれていた。
ロボットの「破壊試験」