第三十六話 鎖縛の姫と白き帝ー13 追憶《二三桜樹という男》
選抜高等学校野球大会。毎年三月下旬から四月にかけて行われる大会。
『センバツ』、『春の高校選抜野球』、『春の甲子園』などと呼ばれる大きな大会で、全国から日本高等学校野球連盟で定められた選考基準から選考委員会によって選ばれた三十二校によって争われる。
そしてこの日、三月二十五日、第三日一回戦、第二試合が阪神甲子園球場で行われようとしていた。
「まさか一回戦からこのカードが見れるとはな…決勝戦でもおかしくないんだが」
「そうなんすか?」
「お前もスポーツ記者ならそれくらいは抑えておけ」
「俺、ラグビー志望だったんすよね~」
多くの注目が集まる中、とあるスポーツ記者の二人もアルプススタンドで試合の開始を見守っていた。
藤堂司。勤続十八年のベテランスポーツ記者。入社当時から高校野球一本。
本人も小学生の時から高校まで野球漬けの毎日を送っており、幼少の夢だったプロ野球選手では無いものの、野球に携わるこの仕事に誇りを持っている。
伸ばしっぱなしのボサボサのくすんだ黒髪と、やる気の無い瞳、顎の周りの無精髭、顎に手を当ててグラウンドを見つめる姿は様になっている。
実際、彼の仕事の腕は確かで、高校野球一本と言いながらも、リトル、シニアなどの注目株を見逃さず、全国各地に足を運んで高校野球、はてまでプロやメジャーの場で活躍する選手の情報を集めている。
「今日の注目選手は二人。大阪明日ヶ丘学園高等学校の二三桜樹と新潟県立アルマゲドン高等学校の滅殺・アビスナート・貴志四世。去年、Uー18ワールドカップで一年生ながら日本を初優勝に導いた立役者の二人だ」
「片方、本名っすかそれ?」
「…高校野球七不思議の一つだ。触れない方がいい」
気まずい空気が周囲に漂う。
だが、その空気を吹き飛ばすように会場に拍手が起こる。
開始が近づく。選手たちが審判員と共にグラウンドのバッターボックス近くに集まり、挨拶を交わす。
『お待たせ致しました。ただいまから─────』
ウグイス嬢のアナウンスが鳴り響き、守備側の明日ヶ丘学園の選手たちが守備位置へと散らばっていく。
『先ず守ります明日ヶ丘学園の投手が二三くん。捕手の寺本くん────』
ナインの紹介が始まり、グラウンド上では選手達がボール回しを行い、動きの最終確認を行っている。
そして段々と拍手に混じって明日ヶ丘学園のスタンドから応援歌が聞こえ始める。
遂に始まる。そんなドキドキとワクワクが周囲から感じられる程、場は白熱していた。
「去年のワールドカップの時点で二三投手と、貴志投手の実力は俺の目から見ても、どちらが背番号1を背負っても可笑しくないくらいに肩を並べていた。このオフシーズン、どれだけ基礎を固めて来たか、それが今回の試合の勝敗を分けるだろうな」
「へ~、ていうか、あの二三選手でしたっけ?球めっちゃ早いっすね」
「最速154キロ。ここ最近では甲子園で見なくもない数字になってきたが、破格の速さだな」
『プレイボール』
ウウウウウウゥゥゥゥゥ
雑談を交わす司達。そこに割って入るように主審の試合開始の合図が入り、サイレンが球場全体に鳴り響く。
「どうせお前の事だから選手の情報持ってないんだろ?少し話してやる」
「いつも助かります」
「二三投手は中学三年から急激に頭角を表してきた選手だ。父親は何度も最優秀選手に選ばれている二三桜太郎。流石プロ野球選手の息子だ…なんて言われているが、成績を見れば圧倒的に息子の方が飛び抜けている。今の時点で二三世代って言われるくらい、高校野球界隈では名の知れた選手だ」
「ほうほう」
「投球方法は一般的な投手に多い斜め上から腕が出るスリークォーターとは違い、上から腕が出るオーバースロー。身長184cmの長身と、コントロールの難しいヒールアップ、そして真上から振り下ろされるストレートは球速や伸びも確かだが、回転が凄まじい。手元でホップする程だな。選球眼に定評のある選手がボール二個分下を空振りするくらいだ」
「あー、ライスボールってやつですよね」
「ライ『ズ』な。あれはソフトボール特有の変化球だ。まあ、軌道も回転も違うが、イメージ的にはそんな感じだ」
桜樹の選手情報を手に持っていたメモ帳に目を落としながら語る司。
周りも『うんうん』と頷きながら耳を傾けて拝聴している。
「二三投手の強みはフォーシーム…まあ、ストレートだけじゃない。そのストレートと球速差30キロ越えのフォークのように沈むスプリットも売りだ。球速差以前に、バッターの打点に対する落差が凄まじい。最近多い打たせて取る投手ではなく、バットに当てさせないことを中心とした三振を量産するタイプだ」
「はー、漫画タイプってことっすか」
「まあ、見ていて気持ちいいタイプではあるな。今も立ち上がりからたった11球で三者三振だ」
司がそこまで説明を終えると、丁度スリーアウトになり、明日ヶ丘の選手とアルマゲドンの選手がグラウンドで入れ替わる。
「滅殺……貴志投手は打たせて取るタイプ。フォーシームから始まり、シュート、カットボール、縦スライダー、スローカーブ、シンカー、それと日本では珍しいナックルの使い手だ。プロ野球でもここまで試合で通じる程の球種を持つ選手は極わずか。それにコントロールと安定感に関してはプロ顔負けだな」
「見た目めっちゃ派手なのに技巧派なんすね」
「見た目めっちゃ派手なのにな」
マウンドでキラキラと太陽の光を反射する銀髪を見ながら二人はしみじみと呟く。
「そして二人に言えることは『感情の制御が上手い』ことだな」
「スポーツ選手だと大事っすもんね~」
「まあ、蓋を開けてみれば別物だけどな」
「?」
司の言葉に不思議そうに首を傾げる新人記者。
「貴志投手は『感情を押し殺す』ことに長けてる。投手が最も崩れやすい出だし、フォアボール、デッドボールの直後、周りからの野次、あらゆる不利的場面でも貴志投手は絶対に崩れない。言うなれば仕事人だな」
「めっちゃ顔がうるさいのにっすか?」
「めっちゃ顔がうるさいのにだ」
マウンドの上では滅殺・アビスナート・貴志四世が汗を拭うために帽子を外し、キザったらしく前髪を搔き上げている。
キラキラと飛び散る汗と、髪と、オーラ。喋らなくてもうるさい男と評価されるだけあって、存在感が凄まじい。
「それに対して二三投手は『自分を乗せる』ことに長けた選手だな。普通、こういう分野での『感情をコントロール』するって言うのは、マイナス方向にならないようにっていう意味合いが強い。怒りや焦りで自分の調子を崩さないようにって感じでな」
「まあ、そうっすね。俺も学生時代、よく言われたましたよ」
「だが、怒りや焦りといった感情が不調に繋がるように、プラスの感情は好調に繋がる。見てろ、次の打者で魅せるぞ」
攻守が交代して二回表。
バッターボックスに入るのはアルマゲドン高校の四番、撲殺・ハールビィズ・勇気七世。彼もまた、昨年のUー18で日本代表として選ばれた優秀選手。
勇気七世はバッターボックス入る直前、バッドを立ててバックスクリーンを指す。所謂『予告ホームラン』だ。
『『『ウオオオオオオオオオ!!!』』』
日本一の高校生投手に対して日本屈指の高校生打者からの挑戦。
会場はこれでもかという大声援と熱気に包まれる。
「うわ、うるさっ!予告ホームランってこんなに盛り上がるもんなんすね!」
「いや?確かに予告ホームランは盛り上がるが、ここまでじゃない。観客がここまで盛り上がっているのは…二三投手が、絶対にこうするって分かってるからさ」
『予告ホームラン』を受けた桜樹は、それに対して『ストレート宣言』を返す。
漫画のような熱い展開に会場のボルテージが更に上がる。
「新聞では『演出家』なんて呼ばれ方をしている二三投手は、見ていて楽しい、思わず拍手してしまうようなプレイが多い。こういった盛り上がり所をよく理解している」
「個人的にはちょっとベタというか、クサいというか、冷めますね~」
「そういう奴も中にはいるだろうが、二三投手が盛り上げたいのは会場よりも自分自身。こういった魅せるプレイって言うのは会場、ベンチ、チームメイト、解説、その誰よりも自分自身が乗れる。お前も経験あるだろ?」
「まあ…ありますね。たまーに決まるビッグプレイとかちょー気持ちいいっすから」
「二三投手はそれを意図的に起こす。周りを巻き込んでな」
ファインプレイ、スーパープレイ、ビックプレイと呼ばれる選手達のド派手で、人を魅了するプレイは、会場や流れを味方に付けると同時に自分自身のモチベーションやコンディションを引き上げる事が出来る。
そして同時にこういったプレイは、相手の精神を揺らがせる。
来ていた流れを相手に握られ、声援は相手ばかり。どれだけ表面的に取り繕うとも、無意識のうちに精神的なダメージを受ける。
桜樹はそのスーパープレイなどと呼ばれるプレイを一試合のうちに必ず一つは作り出している。
去年の甲子園後には甲子園での桜樹のスーパープレイを集めた動画が動画投稿サイトに投稿された。その動画の長さは三十分越え。個人を取り上げた動画で三十分を越える動画は破格だ。
そして、桜樹の行動は賛否両論が多く存在する。偶発的なものならまだしも、桜樹は恣意的にそういったプレイが出来る状況を作り出す。
これらは失敗した時に、自分を含めチーム全体に対する損害が大きい。
ハイリスクハイリターンな綱渡りな選択故、批判的な意見が多い。
だが、その批判的な意見も今では見る影も無くなっていた。
何故なら桜樹は自分で作り出したスーパープレイを絶対に失敗しないからだ。
いつか失敗するかもしれない。という声を絶対的な成功率が塗り潰す。
「貴志投手が感情の制御によって90の実力を発揮し続ける投手だとするなら、二三投手は自らの感情を制御することで100を越える実力を作り出すことが出来る投手だ。この差が昨年の背番号1の分かれ目だった」
『ストラァァイクッッッ!バッッタァァアウッ!!』
癖の強い主審の声と共に桜樹が勇気七世に対して空振り三振を勝ち取る。
二回表にして、会場のボルテージはMAXに近い。
明日ヶ丘のベンチやアルプスは大盛り上がり。それに対してアルマゲドン高校は声を張り上げて誤魔化しているものの、少なからず重い空気が流れている。
流れは完全に桜樹を中心に作られていた。
☆
「藤堂さん、試合開始の時にオフシーズンの時にどれだけ基礎を固めて来たかが勝負を分けるとか言ってましたけど、今はどんな気持ちっすか?ねぇねぇ?」
「チッ…お前、随分いい性格してんなぁ」
試合終了後、新人記事の運転で帰路についている司は火のついてないタバコを口に咥えながら、煽る新人記者に対して舌打ちをこぼす。
明日ヶ丘学園とアルマゲドン高等学校の試合結果は蓋を開けてみれば8対0と、明日ヶ丘学園の完勝だった。
その中でも桜樹は合計23の三振を積み上げ、2本のホームランと1本のヒットにより、打点5を上げ、攻守共に圧倒的な結果を残していた。
「あれは規格外だな…怪物だ」
「何言ってるんすか、漫画でも無いのに」
「お前も覚えておいた方がいい。スポーツの世界には時々怪物が生まれる。お前も名前くらいは知ってるだろ?サッカー界のペレ、バスケ界のシャック。この二人は規格外さ故にスポーツ人口数百万を誇るスポーツのルールをたった一人で変えた怪物だ。あれも、同じ類の存在だな」
「俺から見たら高校生にしては頭一個抜けてるような気はしましたけど、プロ野球選手とあんまり変わらなかったですけどね~」
司の話を話半分に、新人記者は『何を大袈裟な』と小馬鹿にした笑いを浮かべる。
「投手ってのは常に一定の成果が求められる。多くの制約の中で約18m先の打者によって変動するストライクゾーンの中に全力投球を時には百以上の球を投げ込み続ける。臨機応変な対応力と、相手に合わせた戦術が必要とされる球技の中では特殊だ。むしろ体を使った弓道やアーチェリーと言ってもいい」
「へー、そうなんすね」
「だから投手は体に自分に合ったフォームを覚えさせる。腰の捻り、足の上げ、投球に入ってから投げ終わるまでの時間、どれだけ同じ動きが出来るか、それが投手には必要だ。逆に投手は、いつも通りの動きが出来なければストライクを取れないと言っても過言じゃ無い…………」
「…?どうしたんすか?」
途中で止まった司の説明に、新人記者は首を傾げる。
「最初はなんとなくの違和感だった。だが、数えてみると…二三投手の投球フォームは投げる度に変わっている。少ない変化だ、捕手からボールを貰ってから投球に移るまでの時間、足の上げ、かかとの上げ、振りかぶり、投球制限時間の15秒の間に二三投手は相手のバッティングリズムを見て、自分の投球リズムを変えていた」
視線を窓に固定して移り変わる景色を眺めながら司はそう呟く。
(自分自身が盛り上がっている時は理性よりも本能的な部分が勝つ。普段よりも実力は出るものの、思考が単調になったりするのが普通だ…。だが、そんな状況の中で二三投手は、冷静に、淡々と、勝利へと試合を作り上げていった…)
そんな事を考えながら、司は桜樹を恐ろしいと感じた。
理性が本能の手綱を完全に握っている。とでも言うべきか。
貴志四世がしている『感情を押し殺す』行為は、簡単に言えば本能という制御の効かない獣を、理性という鎖で縛つけている。
一方で桜樹は獣を野に放ち、目の前に血肉を垂らして手懐ける事で獲物を狩らせる。
一体、どれだけの我の強さがあれば、それが出来るのか。司は不思議で仕方なかった。
そして、桜樹の持つ影響力に司は震え上がった。
メキメキと実力を伸ばす桜樹に巻き込まれるようにチームメイトも実力を伸ばし、明日ヶ丘も今では優勝候補とまで呼ばれるまで成長している。
その輪はどんどん大きくなり、全てを巻き込んで桜樹を中心に大きくなる。
その一方で、桜樹に張り合うようにした宿敵達。桜樹の流れに逆らう者たちは、桜樹に負けじと努力を重ね、実力を伸ばし、桜樹の才能と実力の前に叩き折られる。
司の目には膝を折ってグラウンドで放心したように空を見上げるアルマゲドン高校の四番、勇気七世の姿が浮かんだ。
一体、桜樹が高校を卒業するまでに、どれだけの若く、才能に恵まれた選手が踏み台とされるのか。
(『演出家』なんて生易しいものじゃない、あれは時代と環境が違うだけの『暴君』そのものだ)
これから荒れるであろう高校野球界を想像して司はそっと目を閉じた。
───────そしてこの大会の決勝戦で桜樹の野球人生は幕を閉じる事になる。




