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いないからと、彼女はそう言った

 カレーパンの袋を畳んでは広げ、畳んでは広げを三十回ほど繰り返していた。落ち着くのに、三分くらいはかかったと思う。


「カレー、好きなの?」


 好きな食べ物なんですかとかいう、今時自己紹介中でもしないようなシケた質問を繰り出すことによってようやく心の平静を得られた僕は、同じく冷静さを取り戻したであろう彼女の返答を待つ。


「うん。辛いのは食べられないんだけどね」


 実際のところ、彼女のカレー好きは知ってはいるのだが……辛いのがダメというのは初耳だ。


「だからいつも甘口で作るの。家族にはよく怒られるけど」


「料理するんだね」


「うん。わたし結構好き嫌い多いから……」


 彼女のエプロン姿を想像する。清楚感マシマシでうっひょー是非とも拝見させて頂きたいぜと言えない自分が悔しい。日記の中でなら気が大きくなるんだけどなあ。


「真岸くんは?」


「僕はさっぱり」


 米を研げと言われた時に包丁用の砥石を取り出して親に怒られて以来、僕は料理をしていない。料理なんてできなくてもコンビニがあれば生きていけると思い始めたが最後、僕の昼飯は常にコンビニ弁当だ。


「そっかあ」


 彼女はそう答えてから、


「そうだ!」


 何かを閃いたようである。パーの右手にグーの左手をぽんと乗せていた。これで閃いてなかったら詐欺で通報できそうな勢いだった。何を考えてるか動作ですら分かる所が彼女の数多い尊しポイントの一つなんだよな。僕が彼女の魅力を再認識している途中で、


 

「わたしがお弁当作ってこようか?」


 

 耳を疑った。


 わたしがお弁当作ってこようか?

 彼女の台詞が僕の頭の中でリフレインする。

 それは、彼女が? 夢咲さんが? 夢咲七海さんが?

 僕に対して?

 弁当を作る?


「ぬえええええええええええっ!?」


「わっ」


 思わず叫んでしまい、彼女を驚かせてしまう。いやいや、こんなラブコメみたいな甘ったるい展開がそう続くわけないだろ? と思った僕は、条件反射でズボンのポケットから財布を取り出していた。


「い、いくら払えば」


「いやいやいや、お金はいらないんだけど」


 彼女は両手を忙しく横に振っている。お金もいらないなんて女神か? いや女神だったな。……いや、そうではなく、彼女に特にメリットは無いはずなのだ、ということを言いたかったのだ。彼氏でもなんでもない僕に弁当を作る利点なんか、彼女には何一つない。

 僕が困惑しているのを察したらしい彼女が、


「代わりって言ったら変なんだけど」


 そう前置きして、手を一度叩く。それから髪先を指に巻きつけつつ告げた。


「感想、書いてほしいな。日記で」


「日記で?」


「そうそう。おいしかったでもまずかったでもいいから」


 多分僕が彼女から弁当を手渡されたら、たとえ中身が雑草の水和えだったとしても絶品でしたって書くと思う。愛情は最大のナントカってよく言われるように、僕の舌がバカになる自信がある。


「趣味で料理サイトに投稿しててね」


 それは知っている。僕は彼女のフォロワーだ。料理なんてまったくしないくせに、彼女が料理サイトのプレミアム会員と盗み聞きした瞬間に秒でアプリをダウンロードした。今ではそのアプリは彼女の料理閲覧専用だ。我ながら気持ち悪いと思う。


「そのサイトにね、実際に食べてもらってこんな味がしました! っていう紹介文を書きたくて」


「それで僕に?」


「うん。こういうの頼めるの、真岸くんしかいないから」


 そうだろうか? 彼女の周りにはたくさんの友達がいる。アテが無くて困るようには見えない。僕みたいに万年ボッチ陰キャ野郎なら別だが。……なんだか自分で言ってて悲しくなってきた。


「一度秋穂にお願いしたことがあるんだけど」


 大きなため息を一つつき、


「『なんかこうマイルドでおいしい』っていうアバウトな回答しか返ってこなくて」


「ああ……」


 吉松秋穂には失礼だが、なんとなく分かる気がした。吉松、物事を深く考えてなさそうなタイプだし。


「ここはひとつ褒める天才に頼んでみようかと!」


「褒める天才だなんて……大袈裟だよ」


「いやいや、ご謙遜をー」


 ゴマをするように手を重ね合わせていた。悪い顔してるなあ。


「その日記なんだけど」


 当初の目的を思い出したようだった。


「見せてもらっていいかな?」


 彼女は期待に満ちた目で、僕のことを見ていた。


「……どうぞ」


 僕は日記を手渡した。彼女は日記を静かに受け取る。

 彼女は黙々と僕の日記を読んでいる。人に読まれるものということで、字はそれなりに綺麗に書いたつもりだが……。


 ページを捲る音だけが、無機質に耳に届く。こういう時、何をしていいか分からず、僕は彼女の胸元にある赤いネクタイの縞模様をひたすら目で追っていた。例えるなら……直近で言えば、赤点の答案を親に見せている時の気分に似ている。胃がキリキリと痛むような感じ。

 今週書いた分を一通り読み終えた彼女が、日記を閉じて一言。


「とっても恥ずかしい」


 だろうなと思った。


「特にここ」


 吉松秋穂に胸を揉みしだかれている様子を書いた箇所を指差していた。


「秋穂ってばすぐわたしのおっぱい揉むんだから……セクハラだと思わない!?」


「あ、あはは……」


 僕は乾いた笑いしか返せないでいた。彼女は胸を手で押さえながら、ぽつりと一言呟く。


「ちゃんとブラもEのを買ってるんだけど……」

「E?」


 無意識に僕が訊き返すと、彼女はあわわ、と目を回し始め、


「い、いー天気だね!」


 誤魔化すのが下手すぎる。


「そ、そういうわけだから! 今週も日記ありがとね!」


 彼女は急いで起き上がった。多分レジャーシートも片づけるだろうと思い、僕も立ち上がる。いそいそとレジャーシートを四つ折りにし、ビニール袋に突っ込んで手に持った彼女は、僕から逃げるように屋上の扉へと駆けて行った。

 が、彼女は途中で足を止めた。どうしたのだろうか。と僕が気になっていると、彼女が振り返る。


「ひとつ言い忘れてたことがあるんだけど」


 スカートが翻るのが分かった。僕と彼女との距離は数メートル。手を伸ばしても届かない距離から、彼女は僕にギリギリ聞こえる声量で言った。


「いないよ」


「へ?」


「彼氏。いないから」


 少し聞き取り辛かったけど、彼女は確かにそう言った。

 彼氏はいない。それは多分、僕が日記に書いた噂への答えなのだろう。でも、それがただの噂の否定だったのか、それ以上の意味を含んでいたのかは分からない。


 僕は何と返事すればいいんだろうか。

 正しい答えを見つけられないうちに、


「じゃ、また来週!」


 彼女は屋上の扉を引き、足早に去って行った。

 たった一人残された僕は、屋上の風に吹かれながら……勢いに乗じて連絡先を交換すれば良かったなあ、なんてことを考えていた。

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