キッス・イン・ザ・ダークの女と共に……
イリス達はテントから出て、エリーシャと共に大佐に謁見する。
大佐と呼ばれる人物は、女性だった。
薄い水色の長い髪に、紫色の瞳には不気味な眼光を宿している。
見た目はエリーシャと同年代程度だろうが、帝国の軍服とはまた別のデザインのものをまとっており、彼女の虚無的な雰囲気からはどこか虚怪と似たようなものを感じ取れた。
エリーシャや他の兵士と比べれば、その存在感がどれだけ顕著なものか。
例え素人でも、一目で容易く見抜けることだろう。
「オラトリオ大佐に、敬礼ッ!」
エリーシャの掛け声と共に、規則正しく並んだ兵士達が敬礼をする。
オラトリオ大佐も不敵な笑みを浮かべたままゆっくりと敬礼をした。
「待たせてしまったな。申し訳ない」
「御無事でなによりです。大佐」
「うむ。……さて、そちらの方々は?」
男性口調であるが、どこか穏やかな声調のオラトリオはイリス達に目を向ける。
イリスは軽く礼をし、マーロウはミシマを抱えたまま後ろに隠れていた。
エリーシャはイリスに敬礼するようにリップシンクで伝えるも、イリスは素知らぬ顔で大佐を真っ直ぐ見据える。
「ハッハッハ、随分と度胸のある女性剣士だな。それに、こんな時代に刀一本で渡り歩こうとは勇気がある」
「申し訳ありません大佐。彼女は……」
「かまわんよ。……もしかして、君が『人斬りの母』かな? 2年前、エリーシャ中尉を救出した一匹狼……と聞いているが」
イリスの後ろに隠れるマーロウを覗き込むも、目も合わそうとしない彼に笑みをこぼす。
「……弟君かな?」
「どう考えたって似てないでしょ。この子はアタシの目的を果たす為に必要でね。こうやって連れ回してんの」
「誘拐かね?」
「違う。親無しよ」
実際虚怪や魔物によって親を亡くした子供は世界中に数知れず。
マーロウの場合は極めて特殊だが、とりあえずは親を喪ったことにしておいた。
不謹慎ではあろうが、マーロウが実は精霊の子であるなんて突拍子もないことを言った所で、余計に混乱させてしまうだけだ。
「……まぁいい。そちらの事情には首を突っ込まんさ」
「そうしてちょうだい」
「ところで、君達はなぜ我が陣営にやって来たのかな? 凄腕の傭兵は今1人雇っている。残念ながら今回の任務は彼一人でも腹持ちがよさそうなんだが」
「雇われに来たんじゃあない。顔見知りがいるらしいから寄っただけ。あ、それと……もしよかったら情報も欲しいなって」
「情報とは?」
「この森の魔物と虚怪について」
そのとき、後ろに控えていたバクが鼻で笑い、歩み寄って来た。
「まぁだ虚怪だのなんだのを追ってんのかテメェは」
「なによ」
「いいかよく聞け。いい加減妄想に憑りつかれるのはやめろ。虚怪なんざこの世には存在しない」
またこれか、と言いたげにイリスは肩をすくめる。
バクは盲目の忍びというだけあって、視覚以外の感覚が並以上に発達しており、遠くの物音や生き物の気配を瞬時に感じ取る等に特化しているのだ。
だが、そんな彼が唯一存在を知覚出来ないモノがこの世にはある。
それこそがイリスのみならず人類の大敵である虚怪なのだ。
バクは虚怪の気配や声等を感じ取れない。
そればかりか、虚怪もまた彼を素通りするという場面をイリスは見たことがある。
「一部のえら~い学者さん方も言ってるぜ? 虚怪なんてものは実は存在せず、世界規模の幻覚が起きてるんだってよぉ。現にそういった学者も虚怪なんてものと遭遇したこともないからな。俺と同じように……」
「アンタ、自分の雇い主の正気まで疑ってるの?」
「カッカッカ、俺は金さえキチッと貰えりゃ雇い主が正気か否かなんざ関係ねぇよ。……魔物が虚怪によって生み出されたなんて言ってるが、俺からすりゃ悪いジョークだ。どーせ動植物が魔力だかなんだかで突然変異したかなにかさ」
ケラケラ笑うバクを制するように、エリーシャが咳払いをする。
その意図を汲み取ったバクは、道化のようにおどけながらテントの陰へと消えていった。
「……気を悪くしないでくれ。彼のような人種は多くいる。……見える者と見えない者がいるという謎も含めて我々は調査しているのだ」
「慣れっこよアイツのセンスのない悪口は」
テントの裏からゲラゲラとバクの笑い声が響く。
イリスだけでなく、エリーシャもまた肩をすくめた。
どうやら反りが合わないと思う人間は他にもいたようだ。
「さて、この森の魔物と虚怪だったね。目撃された魔物はすでにバク率いる小隊が大方撃破した。だが、肝心の虚怪がまだ見つかっていない」
「虚怪の目撃情報も無し、か」
「この森を進む理由は? なぜわざわざ虚怪のいる森へ?」
「イビル・ビューティー・ホロウ。そこへ行きたいの。そこには虚怪の謎を解き明かす鍵があるわ」
イビル・ビューティー・ホロウの名を聞いたとき、オラトリオは顎に指をあて熟考するような仕草をとる。
かの場所は、呪導師と言われる原始宗教からなる魔術を操る者達が存在する所であり、あの街へ行くには、この森を越えねばならない。
「ふむ、確かに怪しそうだな。いずれ我が帝国軍もその場所へと行こうとは思っていたが、如何せんどこも戦争やら別の場所での調査で人員がな……。しかし丁度いい。君ならば安心して任せることが出来るだろう」
「どういうこと?」
「簡単だよ。エリーシャ中尉」
「ハッ!」
「君はイリス・マルヤムと共にイビル・ビューティー・ホロウへと向かってくれ」
「え゛!?」
エリーシャは思わず叫ぶ。
イリスもまたこの判断に目を丸くした。
「我々はもう少しこの地方の調査をせねばならん。君とイリス・マルヤムならこれまでの付き合いもあるし、良い連携がとれるだろう。2年前の報告書を一度読んだことがあるが、かなり息が合うようじゃあないか」
「お、恐れながら大佐。確かに彼女とは戦場を共にした時期もありましたが……いくらなんでも私の護衛が彼女ひとりっていうのは……」
「無茶な命令とは私自身思っている。だが、君以上の適任者がさて……我が陣営内にいるかどうか。あ、バクはダメだぞ? まだ彼には仕事があるからな。彼女と共にイビル・ビューティー・ホロウへ赴き、報告書をまとめてくれ、いいな?」
(んも~この大佐……いつもいつも無茶な命令ばっかりッ!)
これ以上は無駄だと判断し、エリーシャはイリスの旅に同行する形となった。
準備をするからと言ってエリーシャは自分のテントで忙しそうにする。
「ねぇイリスお姉ちゃん、あの人も来るの?」
「そうよ。……なに、嬉しいの?」
「え、いや……なんていうか」
「フン、単純ねぇアンタ」
「ええやないか。美人に見惚れてしまうんは男の性やで」
「アンタは黙っとれスケベスライム」
イリスは2人を残し、エリーシャのテントの中へと入っていく。
エリーシャは忙しなく弾薬や銃器等の準備をしていた。
「銃の腕は?」
「鈍ってるわけないでしょ」
「……"アレ"、持っていくの?」
「勿論。私の相棒にして私の分身だもの」
彼女の異名そのものと言っていい武器が、黒い布のライフルケースに入っている。
これを手に取り、彼女は肩にかけた。
銃火器等の装備は十分、刃物類も使いやすいものを選び最小限に。
「これからよろしくね、人斬りの母イリス」
「……こちらこそ、死の接吻エリーシャ」
彼女の肩にかけるは同じ名を持つ特注のライフル銃『キッス・イン・ザ・ダーク』。
黒い銃身が特徴の狙撃に適した高性能のそれはケースの中で眠る。
イリス、マーロウ、ミシマ、そしてエリーシャはイビル・ビューティー・ホロウへと向かう為、この陣営を後にした。




