湖の魔物
イリスが請け負った仕事はやはり戦闘関連だった。
この街の南東の方角にある湖に魔物が現れたというのだ。
「歩いていける距離だそうだからこのまま行くわ」
「わかった。ねぇイリスお姉ちゃん。イリスお姉ちゃんって強いんでしょ? ぼくはなにをすればいいの?」
「……いきなり自分が精霊の子とか言われて混乱してるでしょ? アンタの正体だとかそういうのはおいといて、まずは自分の力をキチンと制御すること。それを兼ねての仕事」
マーロウの力は未だに未知な部分も多いが魔物に対してはかなりの威力を発揮する。
上手く取り扱えば虚怪にも効果が認められるかもしれない。
とはいえそれが出来るかはマーロウの心次第だ。
リヒャルドのときのように勇気を出して行動してくれればいいが。
そして歩いて数分の後に湖に辿り着いた。
朝の日の光を浴びて水面は穏やかに煌めき、周りの森林は風に揺られ静かに葉を擦れさせ合う。
「こんなところに魔物なんているの?」
「多分ね。虚怪の報告がされてないあたり恐らく魔物化してから独立してるんでしょう」
こういうときは焦らず騒がず待つに限る。
周囲を探索しようにも目ぼしいものはなにもなさそうだ。
現れるとしたらこの湖の中から。
となると魔物は魚といった類の生き物か。
イリスは湖の近くにある岩に胡坐をかき目を閉じる。
マーロウはイリスに怒られないよう遠くへ行かずに周りをキョロキョロとしていた。
平穏な時間だけが過ぎていく。
ここに魔物が現れたなど嘘のようだ。
この湖には『バニップ』なる湖の神がいたという伝承がある。
昔はこの季節になれば湖で祭り等をしていたらしいのだが、どこからかやって来た虚怪が魔物を創りあげ、それが暴れまわるようになってからは完全に行われなくなった。
ギルドの受付嬢にそんな話を聞いたとき、ふとその光景を頭の中で思い浮かべてみた。
さぞかし盛り上がったことだろう。
かつての村の祭りのことと重ね、つい笑みが零れそうになった。
────だが、次の瞬間に強い邪気を湖の方から感じた。
「……イリスお姉ちゃん、なにかくる」
マーロウも魔物の気配を感じたのか目付きに鋭さが宿る。
緊張からか身体が震えているが水面を余さず見渡していた。
「……いた、湖の真ん中」
イリスが目を細めるようにして魔物がいるであろうその場所を睨む。
────古びた人形の首がこちらを見つめるようにプカプカ浮いていた。
カタカタと口を動かすと地響きが鳴り湖が泡立つように蠢く。
イリスは鯉口を切り、ゆっくりと大太刀を引き抜いた。
マーロウはいつの間にかイリスの傍へと移動し今にも泣きそうになっている。
そして奴は完全な姿を現す。
人形の首を守るようにして湖の底に沈んでいた家具や武具等がかたまって、巨大なひとつの形となった。
汚れ切った泥もまとい、そこからいくつもの眼球が表へと出て忙しなく視線を動かしている。
「魔物っていうからどんなのかと思ってたけど……中々骨がありそうじゃない」
「い、イリスお姉ちゃん……」
「マーロウ、早速だけどアンタの力を見せてもらうわ」
「え?」
「アンタの力でアイツの隙をつくって? ……トドメはアタシが刺す」
魔物が徐々に迫ってくる中でのイリスの提案。
恐らくイリスはこういった魔物でも普通に倒せるのだろう。
だが、イリスはマーロウを鍛えるために敢えてこの提案をした。
この先生き残るには力がいる、力がなければ死ぬ。
そう言うかのように。
「……わ、わかった! ぼく頑張るよ!」
「オーケイ。大丈夫よ、あの糞ピエロよりかはずっと弱いわ。……アンタなら出来る」
鼻息を荒くしながらマーロウは勇気をもって前へと出る。
かなりの大きさに腰が抜けてしまいそうだが、負けてたまるかと力を集中させていく。
(へぇ……意外にポジティブなのねこの子)
感心しつつ大太刀を構える。
「大丈夫……ぼくなら大丈夫……ッ!」
「さぁ……行くわよッ!!」
同時に目の前の魔物も天に向かって雄叫びを上げた。




