第二章 -2
喧噪。絶叫。物が崩れて倒れる音。
――なんだなんだ?どした??。
ざわめきに目を覚まし、ぼんやりしたまま反射的に視線を上げる。
黒板上の壁時計は、ちょうど六時限目の終了直後。クラスメート達は帰り支度や部活の準備に忙しそうな按配なのだが……なんか騒がしい。
首を傾げつつ、ふわわ、と、あくびをかみ殺す。
一年からの持ち上がりがほとんどな教師たちも、いい加減に慣れたもので、最近は俺が寝ててもほとんど突っ込みが入らない。善哉。
まあ、テストでは赤点取らない程度の成績を取ってるし、起こしても起きないのは我ながら筋金入りだ。授業の邪魔してる訳でもないので諦めたくさい。
この辺の自由闊達さ、というかいい加減と紙一重な適当さは、それなりに名の通った私立校ならでは、なのだろう。ぬるくて本当にありがたい。
小鳥と葵くらいだよなー、きっちり叩き起こしやがるの。文字通り叩かれる。とても痛い。主に身体的に。たまに心も痛くなる。くっそ。
「んーと……」
ともあれ、騒ぎの方角を見渡す。
――と、横からフリップの開いたケータイを無言で差し出す花畑。中心はまたコイツか。はた迷惑な。本人は額に手を当て、首を振り、お手上げ風のジェスチャ。
ケータイの上では、立体映像のカバともワニともゾウともつかぬ例の獣が……。
「……回っててるな?」
ぐるんぐるんと、もう、えっらい勢いで大回転していた。
「おう。それも、きりもみ回転だ」
宇宙飛行士モノのドラマにでもありそうな、縦横斜めに加え軸回転もしてるっぽい、ややこしい動き。ポリゴンが粗いのでイマイチ把握しづらいが、目は白目を剥いている、ように見える。
「……最近のガーディアンズは変わってンなぁ」
いやいや違うぞ、と、事態を見守ってたらしいギャラリーから一斉に突込みが入る。
そうか、違うのか。
……よし。
「いや、だからな。捨てるならせめて自宅で捨てろ。窓から投げるな」
――またも花畑に止められた。
そうか。それなら。
「せいっ」
掛け声とともに全力で床へ叩きつけてみる。
ぱこぉんっと音をたて、ケータイが高く天井近くまで跳ね返る。みょーに軽い音だな、とか思っているうちに、落下してポテポテそのまま転がっていく。
「……ちっ」
見たところ画面もヒンジもびくともせず、更にぐるんぐるんとケダモノを回し続けている。
「――さすが、民生唯一の軍用規格品だな。アレで何ともないのか」
花畑が腕組みで感心している。
まったく無駄に丈夫なこと、この上ない。
「……ふん。あ、悪ぃ」
楽しげに見守るギャラリーの一人が、足下で止まったケータイを拾いあげて手渡してくる。フリップは開いたまま。大回転は……お?。
「おぅ、止まりそうだな」
そうだな、と答える間もあればこそ、ゆっくりと減速し続け、やがて。
「おぅ、……。吐いてるな」
ケダモノが、盛大に透過光のゲ○を吐きながらゆっくり回転しつつ激しくのたうち回っていた。
減速したとはいえ、なお回転が止まる様子は無い。おおよそ全方位に向けて噴射し続けている。
ギャラリーそろって逃げ惑い、阿鼻叫喚。喧々諤々。
おまいらも大概ノリがいいなー……ただの映像なんだから被害ないだろうに、とか呟いたら、あんなもん実害無くてもすっげー気分悪いわ!とか速攻で返された。
うむ。頭痛になりそーなほど、もっともだ。
物理的には無害とはいえ、至近距離から盛大なゲ○を顔面に直撃された俺は、深く強く頷いた。花畑も横でうんうんと頷いている。ゲロ被りながら。
――何の罰ゲームだ?これ。
*
部活終わるまで待っててよねッ奢ってもらうんだから!とか。どーすんの?部活の後なら乗っけてってもいーけど、とか。
わさわさ入ってた小鳥や葵のメールには『メシ喰って帰る』で、てきとーに返信。つか、体育会系部活が終わるまで待ってたら文字通り日が暮れるっつーの。
花畑がみょーにゲロ吐き獣へ興味を示し、そこらで眺めてりゃいいじゃんという言葉も耳に入らばこそ、試したいことがある、とか言い出して揃って駅前のカラオケ屋へ移動するハメになっていた。
初期登録に失敗したのがよほどムカついたらしい。変なとこでコイツもプライド高いよなー。HENTAIなのに。
ともあれ、奢るから、とまで言われては乗らない手はない。週末だしまいっか、と思ってカバンを手に取ると、奢りと聞いてクラスメートもずらっとギャラリー参加の用意を始めている。
そっちの奢りまでは(まぁ当然だが)想定外だったのか、激しい抗弁を続けている花畑をギャラリー達は耳も貸さず拉致同然に担いでいく。
面白いので生暖かく見守りつつ、俺も足を早めて中央階段を降りる。
下駄箱で靴を履き替えていると、またも桜が舞っている。この勢いだと、なんかすぐ散っちゃいそうだよなぁ。……花見の準備、早めにやっといた方がよさそうだ。
精魂尽き果てたらしくクラスメート達の為すがまま担がれている花畑のうめき声を聞き流し、桜舞う正門を抜け心臓破りの坂を歩いて下る。
平和だなぁ……春だし。なお舞い踊る桜。
カラオケ屋までの道中で、最初のオーダー分は花畑持ち、その後は割り勘という事で手打ちになったらしい。通された大部屋内に、一人一品ずつってんだろが!とか、お前もう頼んだだろ!とか、怒声が飛びかいまくっている。
手拍子と楽器の伴奏と下手な歌とミラーボールの光が氾濫するソファに座り込み、なんでボクが……とぼやきつつ、ポチポチと俺のケータイを弄る花畑。
実は、このカラオケ屋も花畑の親父さんが手がけるチェーン店の一つだったりする。受付でも無料対応しようとする店長と、それは示しがつかないと団体割引を求める花畑で一悶着していた。
ほんっと変なトコ、真面目で意地っ張りだよなー。
「で?」
奢りの大盛りパフェを貪り喰らいつつ作業を見守る。
俺は押しも押されぬ甘党だ。小鳥は辛いのも好きなんだよなー。おかげで食卓がたまに修羅場と化す。
「おぅ。もう、少し……」
別に物理的な干渉を加えてる訳でもなく、見たところ個人用初期設定で細かなパラメータ調整を繰り返しているらしい。
花畑いわく。
放置され続けた官製=優先アプリであるガーディアンズが大量の更新通知を受け取ってるトコへ、同じく優先処理で割り込みが入るユーザ登録が重なり、複数の高位要求が想定外な同時進行した挙句の異常動作じゃないか、とかとか。
ま、有りそうな話だ。しょせん、官製だし。
ちなみに、店に移動したのもココが簡易な電磁暗室になってるから、だそうな。更新通知を一旦遮断した状態でのセッティングを試したかったらしい。
そーいや、圏外扱いになるから必要ならリピータ貸すんで声を掛けろ、てな事が受付にも書いてあったっけな。電波が通じない、ってのも店の売りの一つなんだろう。
「うん、上手くいきそうだ」
一息ついてハンカチで汗をぬぐい、ほれ、とケータイを差し出してくる。最終認証に本人チェックが必要だと表示された画面。……承認の前提になる文面見てないんだがなー。
まぁ官製だし、デフォルトの内容なんだろーし、今更『嫌だ』とか言い出すと殺されかねないプレッシャーの中、せっかくなので……。
「……おう、『断る!』とか言い出したら、あとは全部、ヒコの奢り、な」
……くっそ、先読みされた。
Year!だのYes!だのIYH!だの、歓声と指笛の嵐が吹き荒れる。
「――おまいら、本っ当に人が嫌がる事好きだよなー……」
ここで敢えて拒否した方が断然、面白いのに。
とはいえ、奢らされるのもご免だ。
仕方ないので指紋認証ボタンに指をかける。
世にも軽っるい電子音が鳴り、認証済みの英字が浮かぶ。そして例のケダモノが……。
「ん?。ヒコ、どうした?」
ギャラリーも注目してくる中、のぞき込むようにして声をかけてくる花畑。
「いや、コレ、名前欄がな」
指さしたその先は、空欄だった。説明文もなんも無し。
「ああ、なるほど。……普通は初期名で種族名と解説が入ってるんだがな。まだ、少しおかしいか」
……つーかコレ、どんな種族なんだ?。
つついても煩わしそうにごろんと転がるだけで、それ以上のチュートリアルも展開しない。
「なんなんだ?おまい」
適当に名前つけりゃ良いんじゃね?というギャラリーの声に空白の名前欄をタップしても無反応。
ゲロ吐き獣は朝の様子そのままに時々身じろぎをしつつ眠り続ける。なんか飽きてきたのでテーブルの上に放る。
「もう良いのか?……だったら……」
花畑は自分の左手人差し指に嵌まっている、指輪型の端末を示しながら嬉しそうに続ける。
「ちょっと対戦してみていいか?」
好きにしろと手を降ると、即座に花畑は左親指で指輪を軽くタップ、宙に展開されたアプリアイコンを右手で叩いていく。ガーディアンズの起動画面。慣れた動きで立体映像周りのアイコンをスワイプすると、コンソールレイアウトがデーモン側へと切り替わる。
ガーディアンズは、デーモン側とガーディアン側とに分かれて争う。
……そもそも本来の意味から言えば、デーモンもガーディアンも変わらなくね?という気はするが。ま、ゲーム的には攻撃側と防御側と表現したいらしい。
準備完了な花畑から、いいか?と重ねて問われ、差し出された俺のケータイのマッチングサインへ“OK”をスワイプする。
店内コンソールでピザを頼んでたらマイクが回ってきたので立ち上がり、カラオケ映像の立体モニタの方を注視……しようとして、花畑の指輪から投影された画像へと、目が釘付けになる。
そこに現れていたのは。
……巨大な鉢植え、だった。